第15話  松濤館流空手

 21歳頃から、私は、松濤館流系の道場に暫く身を置いておりました。その時その道場に入門したのは、その流派の先生たちが出版なさっていた空手入門書の中に〈約束組み手〉から〈自由組み手〉への体系的な練習方法が書いてあったからです。より正確に言えば、その流派にはそれまで私が通っていた剛柔流系の道場にはなかった組み手の体系的な練習があると、私が、勝手に思い込んでいたからでした。


         約束組み手→自由一本組み手→自由組み手


※約束組手=先手と後手を決め、決められた場所への攻撃を後手が受けてから反撃する稽古

※自由一本組手=先手と後手を決め、先手が好きな場所を一回だけ攻撃し、後手が反撃する稽古

※自由組手=フリースパーリング


 この練習体系を書籍で初めて見たときは、本当に感激しました。それまで通っていた道場では、基本や型と同時に約束組み手を練習し、すぐに自由組み手をやらされていたからです。剛柔流の道場に通いながらいつも疑問に思っていたのは、「どうしてこんなに基本の動きと自由組み手の動きが違うのか?」ということです。これは、今空手を稽古していらっしゃる方が、必ず一度は感じられることではないでしょうか?

 

 私が最初に行った空手道場の練習は、ほんとにヒドイもんでした。この道場では、弟子たちに剣道の籠手を着けさせて組手稽古をやらせてました。剣道の籠手って、結構硬いんですね。その固い籠手で、顔を思いっきりぶん殴られるので、たまったもんじゃありません。稽古で黒帯の人に顔をぶん殴られる度に、軽い脳震盪を起こして、頭がクラクラしていました。あれでちゃんとした空手が身についたら、それこそ奇跡です。やたらに気性ばかりが荒くなるような道場でした。


 そんな時読んだのが、松濤館流系の有名な先生方が書かれた空手の本でした。これは、本当に新鮮な驚きでした。上記の〈約束組み手〉から〈自由組み手〉への流れの記述が、私を魅了したのです。自分が求めていたものがここにあると感じた私は、自宅の近くにあったこの流派の道場に早速入門しました。

 


 入門してみると、それまで通っていた剛柔流の道場とは違い、しっかりと基本を教えてくれるところが気に入りました。また、入門してから半年くらいは組み手もさせてもらえないところも気に入りました。それまで、柔道・合気道・剛柔流空手などを修行していた私は、すぐに松濤館流の型を覚えました。暫くその道場に通い、一応弐段を取りました。この道場での経験は、今でも私の宝になっています。しかし、組み手練習を始めてすぐに気が付いたのは、この流派の練習体系も〈基本〉及び〈約束組み手〉から〈自由組み手〉までの有効な梯子にはなりえていないということでした。


 二年程この道場に通いましたが、それ以上そこにいても何も得ることはないと感じた私は、先生に黒帯を返上して、その道場を辞しました。黒帯を返上したのは、また一白帯に戻って、ゼロから修行を始めたかったからです。帯の色にも段位にも全然自信というものが伴っていなかったのが、もう一つの理由でした。まあ、剛柔流の道場に在籍していた時よりは、ましな組手ができるようにはなってましたが・・・・・・ 


 その直後に、空手関係の書籍で沖縄にはもともと約束組み手はなかったという記述を読んだのがキッカケで、「自分は、大きな勘違いをしていたんじゃないか?ホントは全然別の練習体系があるんじゃないのか?」と考え始めたのでした。




 次回は、母校の体育館で目撃した少林寺拳法の使い手のお話をお送りいたします。。では、また、次のエピソード「少林寺拳法の凄み」でお会いしましょう。

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