第5話 交流 1
大学二年に進級する前の春休みに、地元の友達や後輩たちと酒を飲みました。久しぶりに会う連中だったので、楽しく過ごしました。飲んでいた店を出て、友人の家で飲み直そうと言う話になり、みんなで友人の家まで歩いていた時でした。友人の一人が、気分が悪くなり吐き始めたんですね。で、後輩の一人が、彼の背中のツボに指圧をし始めました。彼は、友人の背中のツボを押さえながら、
「ここを押すと、吐き気が収まるんですよ。拳法の急所と同じ部分です。」
と言って、拳法の構えを取りました。私が、
「一体、どこで、そんな技を習ったんだ?」
と尋ねると、近所に住んでいる人が、中国拳法の使い手だと教えてくれました。この事がキッカケで、私は、その老師が経営なさっているお店まで訪ねて行くことになりました。
礼儀正しく挨拶したのが功を奏したのか、老師は、丁寧に応対してくれましたが、話をして下さるだけで、動きは、見せてもらえませんでした。老師の事を教えてくれた後輩の話によると、かなりの達人らしいので、ぜひ動きを見たかったんですが、そうは問屋が卸しませんでした。
それでも諦め切れなかった私は、松濤館流空手を修行しながら、時々、老師の所へも、顔を出してました。しかしながら、老師は、なかなか教えてくれようとは、なさいませんでした。露骨に追い返される事は無いんですが、お話だけを伺って帰ると言うルーティーンを繰り返している状態でした。つまり、体よく追い返されてたわけです。そんな中、老師のお弟子さんのYさんと言う人と懇意になりました。
Yさんは、五木寛之さんの「青春の門」の舞台となった筑豊の出身でした。少年時代随分と酷いイジメに遭ったようで、自分の身を守るために自己流のナイフ術を身につけていたちょっと危ない感じの人でした。普段はおとなしいんですが、極端な性格だったので、何かことがあると感情の抑制がきかなくなる傾向がありました。
ある時、Yさんが老師によく稽古をつけてもらっていたお宮でYさんと私が、空手や拳法の話をしながら、軽い技術交流をしていると、お寺の境内の中にある小さな丘の上から、小さな男の子が、小石を我々に向かって投げて来ました。もちろん、二人とも、その小石を避けましたが、Yさんは、相当怒っていました。彼は、鋭い視線をその子に向けながら、
「こちらに下りて来なさい!」
と命じました。その子は、ただ無邪気に悪戯をしていただけだったようで、素直に下りて来ました。
すると、Yさんは、丘から降りて自分に近づいて来た男の子を無言で、何度も地面に投げ飛ばしました。私は、内心、「いくらなんでも、それはやり過ぎじゃないか?」と思いましたが、何も言いませんでした。
男の子の方は、泣くことはなかったんですが、バツの悪そうな顔でYさんに投げ飛ばされ続けていました。多分、自分が悪いことをしたという自覚はあったんでしょうね。
Yさんは、決して悪い人じゃなかったんですが、そういう極端な性格の人でした。
老師は、そんな彼の性格の歪みを危惧して、彼には足腰の基本だけを教えて実戦的な技術は全く伝授してらっしゃいませんでした。彼の人間的成長を待ってから、ご指導なさる御積りだったようです。
師匠が教えてくれないので、彼は、太極拳を独習し、野口整体や野口体操、それにヨガなどを研究し自己流の動きを練習していました。
※野口整体:野口晴哉(のぐちはるちか)氏の創り上げた整体術。癒気と言って、掌から出る気を患者の患部に当てることで有名。
※野口体操:野口三千三(のぐちみちぞう)氏の創り上げた脱力体操。氏の創り上げた体系は単なる体操の域を超えて、深い宇宙哲学とも言えるものになっている。
このYさん、確かに常識外れなところのある人でしたが、私は嫌いではありませんでした。よく彼のバイト先で話したり、お宮の境内で一緒に練習したりしてました。
ある日、私が彼と一緒にお宮で練習していると、一人の大柄な男性が、Yさんに話し掛けてきます。この人は、A君と言って、お宮の入り口の前にある下宿に住んでいたF大の学生でした。A君は、老師がYさんたちに指導している様子を下宿の窓から何度か目撃していたようでした。
「どこの流派の方ですか。実は、僕も、ちょっと空手をやってるんですが、よかったらちょっとお話しませんか?」
「僕たちのやっているのは、拳法です。失礼ですが、どちらの流派の方ですか?」
「〇館です。」
「アー、聞いた事があります。」
「よかったら交流稽古しませんか。」
「いいですよ。お勉強させて頂きます。」
A君が口にしたのは、福岡の某フルコン空手系の道場名でした。「交流」。言葉はキレイですが、要するに「俺と組み手をやろうぜ。叩きのめしてやるから。」と言うことを遠回しに言っているに過ぎません。(つづく)
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