第50話 続・相抜け
2007年に日本語教師として、中国に渡り、大学や高校で教鞭を執りました。中国武術の本場である中国で、色んな門派の老師たちと交流した私でしたが、私が日本で付いていた老師ほどの達人に出会う事はありませんでした。私が最初についた老師は、よく「中国の方が、ニセモノが多いんだ。」と私に仰ってましたが、私があちらで出会った老師たちは、そのレベルが、私がついた老師たちには達してなかっただけで、皆さん、それなりの実力を備えた方たちでした。正直言って「凄いな」と思える方もいらっしゃったんですが、わざわざ月謝を払ってまで習いに行こうと思えるほどの方には出会えませんでした。
ホントは、ここに中国での武道に関する面白いエピソードを書きたかったんですが、残念ながら、特筆すべき出来事は、ほとんどありません。面白い話が皆無ってわけでもないんですが、それは、「他人」の武道人生に関する話なので、ここに書くのは控えたいと思います。
他人のエピソードであっても、その人が、私の師匠だったり、私の兄弟弟子だったりすれば、書けるんですが、私が全く関係してない状況・場面での話なので、そのエピソードは、また別の機会にご紹介させていただきます。
それ以外の面白い話を強いて書くとすれば、公園のベンチに座って日向ぼっこをしていた時に、私の目の前を歩いていた人たちが、いきなり拳法の套路(型)をバババッと演じて、また、何ごともなかったかのように歩き去って行くのを目撃したことくらいです。
私が目にしたのは、八卦掌や少林拳などの套路でした。彼らは、拳法をまともに練習する時間がないほど超多忙なせいで、瞬間的に稽古する習慣がついた人たちです。中国に渡る前に、武術雑誌でそういう人たちに関する記事を読んだ事はありましたが、まさか自分がこの目でそう言う人たちを目撃することになるとは思っていませんでした。
あとは、勤めていた大学のキャンパスに植えてある灌木に両手をかざして、気功法をやっている男性を見た事があるくらいですかね。こういう事をする人たちは、灌木と自分の体との間で、気を循環させているんですね。そうする事で、植物の生命エネルギーを自らの丹田に溜め込んでいるんです。或いは、枯渇したエネルギーを補填している場合もあります。
スミマセン。大して面白くもない話をしてしまいました。もう少し面白くてタメになるお話をいたしましょう。
これは、中国から帰国して4年半過ぎた頃に起きた事です。その頃、私は、修行資金も、生活資金も尽きかけていて、精神的にかなり追い詰められていました。生活を根底から揺さぶられていたんですね。
それでも、弟子たちがいたので、稽古はつけなければいけませんでした。そんなある日のことです。帰国直後からずっと私に付いていた弟子のA君と、自宅近くにある廃屋の駐車場で組手稽古をする事になりました。
この日は、それまでに何度も無想拳的な経験を積んだことで、すっかり組み手の虜になっていたA君からのリクエストで、組手稽古をする事になりました。
A君は右構え、私は左構えです。私は、自分の気配を消して周囲に溶け込むようにして、彼に対峙します。彼は、いきなり前蹴りを私の腹部に向けて放って来ました。とは言え、A君は、私の腹部を直接蹴ろうとしたわけではありません。間合いを切って入ってくるために、ワザと私の腹部の手前を蹴ったのです。
私がその蹴りに反応せずに前に出たのと、彼が前に出たのが同時でした。そこから、お互いに右上段突きが、自然に出ます。二人の上段突きが互いの顔面防御の役割を果たしながら、A君と私は、互いの腕の外側を擦り合いながら、後ろに抜けて行きます。
二人は、そのまま前進して、間合いから抜け、振り返って構え合い、互いに礼をして、この組手を終えました。
実に、33年ぶりに経験した「相抜け(あいぬけ)」です。
もう、一生経験することはないだろうと思っていたのに、まさかこの時期にこれが出て来るとは思っていませんでした。
A君が蹴り脚を下して前に出て来たので、自然に私の上段突きが「出た」んですね。私が、意識的に上段突きを「出した」わけではありません。A君も、蹴った後、何かしないと怖いと感じたので、自然に上段突きが「出た」と言っていました。
私も瞑想修行しているし、彼も一人稽古の時は立禅に励んでいるので、互いに無意識の動きが出て、自然に相抜けになったのかもしれません。
最初に相抜けを経験した時も、人生に行き詰っていた時でした。全体と無意識は、人が行き詰っている時に、思いもかけない贈り物をしてくれるようです。
因みに、自分の気配を消して空気のように周囲に溶け込んでいると、当たらない距離での突きや蹴りの延長線を受けなくても、自分の「気」を斬られることはありません。相手から放たれた気が、そのまま自分の中を通り抜けて行くからです。これは、更に上の段階のテクニックですが、相当、瞑想的な訓練を積んでいないと、この技は使えません。たとえ瞬間的にではあっても、自我を消さないといけないからです。
次回は、帰国してから約5年後に再会した昔の稽古仲間であるY君との思い出についてお話しさせていただきます。では、次のエピソード「Y君の思い出」でお会いしましょう。
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