第37話  Stop trying to hit her & hit her ! 5

D君の剣道部での最後の稽古日の朝、私はこっそりと彼の部屋のドアに宮本武蔵の有名な


  切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 踏み込んでみよ 極楽もあり


という道歌(英訳したモノ)を書いた紙を貼っておきました。五輪書の愛読者だった彼は、その道歌を読んで随分奮い立ったそうです。そして、結果は、この歌の通りになりました。


 当日、D君が稽古に出てみると件の先輩は出て来ておらず、彼は、別の女性部員と乱捕りをすることになります。勿論、彼女も有段者です。乱捕りは三本勝負。以下、彼から聞いた話をそのままここに記載します。

 


 蹲踞から、立ち上がって勝負が始まります。一ヶ月半前まで、簡単に打たせてくれていた彼が、今日は簡単に打たせてくれません。彼女が、横に回ろうとしても、彼が正対するし、竹刀を抑えようとしても、彼はするりと竹刀を躱して素早く後退するからです。少し焦れた彼女は、彼に揺さぶりを掛けてきます。素早く、彼の前で竹刀を動かしフェイントを掛けたのです。彼がその竹刀を見た瞬間、


「メーン!」


と言う気合と共に、彼女の見事な面が決まります。

 

 この瞬間、D君は、


(「ああ、鷹野先生が何度も仰ってたのは、この事か!」)


と悟ったそうです。人間、何度口で言われても痛い目に遭わなければ分からない、と言ういい実例であります。とは言え、このことに関しては、私も少し反省しています。彼が、竹刀を見る度に口で注意するだけではなく、打つなり突くなりして指導すべきだったのかも知れません。まあ、なんでも先回りして解決してやっては、本人の勉強にはならないんでしょうけど・・・。

 


 話を乱捕りの場面に戻します。彼女に面を打たれて、私の教えの意味を悟ったD君は、それからは相手の目だけを見て、相手の竹刀は一切見ないようにします。

 

 彼女は、焦りを見せ始めます。何をしても、彼が隙を見せなくなったからです。暫く一進一退の間合いの取り合いが続きます。そして、我慢できなくなった彼女が、無理な面打ちをして来た瞬間、


「ド―――ッ!」


と言う裂帛の気合と共に、見事なD君の抜き胴が決まったのです。


「オ――――ッ!」


道場中に部員たちの喚声が沸き上がります。


  彼の話によると、この瞬間、全く意識することなく、体が勝手に動き、気が付くと抜き胴が「決まって」いたそうです。ただ、それからが、ちょっといけません。胴が決まった後、自分でもいけないと思いつつも、喜びのあまり顔面が緩みっぱなしになったのです。D君は、もう一本いいのを「決めて」やろうと意識してしまい、三本目は、お互いに決定打のないまま乱捕りは終了します。

 


 でも、最初にしては、いい出来です。礼をして、道場の端に戻って来ると部員全員が、彼を祝福しにやって来ました。その時、皆が話していた日本語は、彼には難し過ぎてよく理解できませんでしたが、


「よくやった。凄かったぞ!」


と誉めてくれているのは、分かったそうです。私も、その話を聞いて、まさか一本取れるとは思っていなかったので、我が事のように喜びました。

 


 帰国する直前、彼が挨拶に来ました。


「一度だけ。たった一度だけですが、無で動くことができました。モーフィアスの言葉の意味も体で分かりました。アメリカに帰っても、先生に習った練習を続け、お金を貯めて、また日本に来ます。」


と言って、彼は、私の前から爽やかに去って行きました。人生は、ドラマのようですね。彼とは今でも連絡を取り合っています。



 その後、様々な紆余曲折を経て、私は、日本語教師として、50歳で中国武術の本場中国へ渡る事になります。



 次回は、私が中国から一時帰国して某道場での組手稽古を見て気づいた寸止めの問題について、少しお話しさせていただきます。もちろん、私の理論だけでなく、空手・拳法にまつわる面白いお話もお届けします。では、次のエピソードでお会いしましょう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る