第47話 Stop trying to hit her & hit her ! 5
D君の剣道部での最後の稽古日の朝、私はこっそりと彼の部屋のドアに宮本武蔵の有名な
切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 踏み込んでみよ 極楽もあり
という道歌(英訳したモノ)を書いた紙を貼っておきました。五輪書の愛読者だった彼は、その道歌を読んで随分奮い立ったそうです。そして、結果は、この歌の通りになりました。
当日、D君が稽古に出てみると件の先輩は出て来ておらず、彼は、別の女性部員と乱捕りをすることになります。勿論、彼女も有段者です。乱捕りは三本勝負。以下、彼から聞いた話をそのままここに記載します。
蹲踞から、立ち上がって勝負が始まります。一ヶ月半前まで、簡単に打たせてくれていた彼が、今日は簡単に打たせてくれません。彼女が、横に回ろうとしても、彼が正対するし、竹刀を抑えようとしても、彼はするりと竹刀を躱して素早く後退するからです。少し焦れた彼女は、彼に揺さぶりを掛けてきます。素早く、彼の前で竹刀を動かしフェイントを掛けたのです。彼がその竹刀を見た瞬間、
「メーン!」
と言う気合と共に、彼女の見事な面が決まります。
この瞬間、D君は、
(「ああ、鷹野先生が何度も仰ってたのは、この事か!」)
と悟ったそうです。人間、何度口で言われても痛い目に遭わなければ分からない、と言ういい実例であります。とは言え、このことに関しては、私も少し反省しています。彼が、竹刀を見る度に口で注意するだけではなく、打つなり突くなりして指導すべきだったのかも知れません。まあ、なんでも先回りして解決してやっては、本人の勉強にはならないんでしょうけど・・・。
話を乱捕りの場面に戻します。彼女に面を打たれて、私の教えの意味を悟ったD君は、それからは相手の目だけを見て、相手の竹刀は一切見ないようにします。
彼女は、焦りを見せ始めます。何をしても、彼が隙を見せなくなったからです。暫く一進一退の間合いの取り合いが続きます。そして、我慢できなくなった彼女が、無理な面打ちをして来た瞬間、
「ド―――ッ!」
と言う裂帛の気合と共に、見事なD君の抜き胴が決まったのです。
「オ――――ッ!」
道場中に部員たちの喚声が沸き上がります。
彼の話によると、この瞬間、全く意識することなく、体が勝手に動き、気が付くと抜き胴が「決まって」いたそうです。ただ、それからが、ちょっといけません。胴が決まった後、自分でもいけないと思いつつも、喜びのあまり顔面が緩みっぱなしになったのです。D君は、もう一本いいのを「決めて」やろうと意識してしまい、三本目は、お互いに決定打のないまま乱捕りは終了します。
でも、最初にしては、いい出来です。礼をして、道場の端に戻って来ると部員全員が、彼を祝福しにやって来ました。その時、皆が話していた日本語は、彼には難し過ぎてよく理解できませんでしたが、
「よくやった。凄かったぞ!」
と誉めてくれているのは、分かったそうです。私も、その話を聞いて、まさか一本取れるとは思っていなかったので、我が事のように喜びました。
帰国する直前、彼が挨拶に来ました。
「一度だけ。たった一度だけですが、無で動くことができました。モーフィアスの言葉の意味も体で分かりました。アメリカに帰っても、先生に習った練習を続け、お金を貯めて、また日本に来ます。」
と言って、彼は、私の前から爽やかに去って行きました。人生は、ドラマのようですね。彼とは今でも連絡を取り合っています。
その後、様々な紆余曲折を経て、私は、日本語教師として、50歳で中国武術の本場中国へ渡る事になります。
★次回は、某道場での組手稽古を見て気づいた寸止めの問題について、少しお話しさせていただきます。もちろん、私の理論だけでなく、空手・拳法にまつわる面白いお話もお届けします。では、次のエピソード「礼に始まり礼に終わる。」でお会いしましょう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます