第36話  Stop trying to hit her & hit her ! 4 

 まず、最初に剣道で言うところの「茶巾絞り」(両手の小指に力を入れて、体全体で手ぬぐいを絞ること)をやらせ、小指に力を入れることを教えました。足の親指に力をいれるのは、合気道の膝行をやっていたので問題はありませんでした。それから、卵を両手に握らせて素振りの動作をやらせました。こういうふうに、物を使って技のイメージを練習すると、単に言葉で説明を聞くよりも早くコツが掴めるものです。これは、映画「ベストキッド」で描かれている稽古方法と同類のものです。この練習で、彼は、すぐに握りのコツを会得しました。


  次に、脱力を教え、全身をリラックスさせ、両手の小指と両足の親指にだけ力を入れることを教えました。全身をリラックスさせ、これらの四つのポイントにのみ力を入れることが出来れば、隙のない構えができるからです。自分の構えに自信のない初心者の方は、鏡を見ながらこれを実践されることをお勧めします。驚くほど隙がなく引き締まった構えが、出来るはずです。


 これで、構えと竹刀の握りに問題は無くなりました。次は、実戦技術の問題です。

 


①実戦技術の説明の際中に、彼が竹刀を見る度に注意しました。ただ口だけで注意したのは、私の指導ミスだったかも知れません。このことに関しては、また後ほどお話しします。


②細かく運足を使いながら、敵の打ちや突きを竹刀で横に流す受け方を教えました。


③決して、相手に先手を取らせない位置を取るように指導しました。常に敵に対して正対するように教えたのです。


④敵との位置関係がどうなっている時が危険なのかを説明し、その位置に足を止めず常に前に出るか、後退するようにと教えました。但し、後退はしても、気迫は前に出すようにと注意しました。


⑤払い小手と払い面、そして抜き胴だけを教えました。払い小手と払い面は体の使い方が殆ど同じなので、仕掛け技と応じ技の代表的なモノを一つずつ、計二つの技だけを教えたことになります。時間が限られていたので、たくさん技を教えても無意味だったからです。



 他の武道の基礎もあり、聡明で熱心な彼は、これらのことを乾いた砂に水が沁み込むように吸収していきました。最後は、精神的な問題です。乱捕りの最中に湧く恐怖・迷い・疑い・驚きなどは、己の敗北を招く余計な雑念であることを説明し、それらの雑念を上手にコントロールする為のとても単純で効果的な秘伝を伝授しました。

 


 次に、乱捕りの際中に意識して技を「出す」のではなく、無意識のうちに技が「出る」ように正しい瞑想のやり方を教えました。意識して相手を打ったり、突いたりしようとすれば、「考える」→「打つ」という二つの作業をすることになり、動きが遅くなってしまうからです。普段から瞑想を実践して、無意識と繋がっていれば、考えずに技が出るようになります。映画「マトリックス」の中の戦闘訓練の場面で、モーフィアスがネオに言います。


  “Come on, Neo ! You are faster than this. Stop trying to hit me and hit me.”

  (「どうしたネオ。お前はもっと速く動けるはずだ。俺を打とうとしてから、打つのはやめろ。」)


 そして、ネオは自分の意識を手放します。次の瞬間には、ネオの体が目にも止まらない速さで動き、モーフィアスの顔面に彼の正拳突きが「決まる」のです。そして、ネオは、モーフィアスにこう言います。


 “ I know what you're trying to do.”

 (「あんたが何をしようとしてるかが、分かったよ」)


 禅坊主の頓悟の世界を彷彿とさせる場面です。D君も、この映画を見ていたので、このシーンの深さには気が付いていたようです。一ヶ月半の特訓を終え、私は、モーフィアスの言葉を捩って彼に言いました。


 “Stop trying to hit her and hit her. Let your body move freely.”

  (「彼女を打とうとしてから、彼女を打つのは止めろ。自分の動きに身を任せろ。」)


 彼は私の言葉に深く肯き、「分かりました。全力を尽くします。」と答えました。やるべき事は、全てやり終えました。そして、運命の日がやって来ます。(つづく)


※2008年4月23日に送信されて来たD君からのメールの中では、「自分の動きに身を任せろ」は、“Let your body react by itself.”となっていました。さすがにネイティヴスピーカーです。この表現の方が的確に古式武道の哲学を表現しています。ノンネイティヴにはこんな簡単な単語が使いこなせません。

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