第30話  無想拳

 「無想拳」と言うのは、中国拳法の用語です。「無想拳」というと一刀流の開祖である伊東一刀斎景久が、鶴岡八幡宮に参篭して悟ったと伝えられている「夢想剣」を思い浮かべられる方もいらっしゃると思います。

 


 「無想拳」も、「夢想剣」も、その本質は同じものです。一刀斎が、敵を無意識のうちに切り伏せたのと同じように、空手や拳法にも、同じような技(と言っていいかどうかは、私としても迷うところですが・・・)が、存在します。

 


 無意識のうちに自然に「出てしまう技」、あるいは無意識的な動きとでも言いましょうか。ともかく、意識して「出す」ものではないことだけは確かです。

 


 こう書くと、何か摩訶不思議な印象を読者の皆様方に与えてしまうかもしれませんが、実際は、日常生活でもよく出てくる動きなのです。ただ、私たちが、それを無想の動きだと気付いてないだけで・・・・・・。


 私が学生の頃に警備のアルバイトをしていた小学校の先生が、面白い話をしてくれた事があります。この先生は、高校生の頃、野球部に所属していた人だったんですが、彼が練習で1000本ノックを受けている時に、体力の限界まで来てフラフラになると、腕が勝手にスーッと動いて、飛んで来た打球をキャッチする事が何度かあったそうです。これは、典型的な無意識の働きによる動きだと言えるでしょう。


たとえば、人に後ろから肩を叩かれて振り返るときの何気ない動き。これも、立派な無想の動きです。これを柔道の背負い投げや空手の肘打ちなどに応用すると、信じられないようなパワーを発揮できるようになります。

 


 この無想の動きに関しては、面白い逸話が二つほどあるので、ここで皆様方にご紹介申し上げたいと思います。

 


 最初の逸話は、福岡で活躍していらっしゃる合気道のS師範のお話です。これは、私が十代後半に合気道を学んでいた頃に、S師範から稽古の合間に直接伺ったお話です。


 師範が飲み屋でお酒を飲んでおられた時、そこにいた他のお客さんと意気投合され、ひとしきり飲んだ後,、「別の店で飲みなおそう」と言う話になり、お二人は、その店を出られます。もちろん、その方は、師範が合気道の先生であることはご存知ありません。店を出た時は、お二人ともかなり酔っ払っておられたそうです。お二人は、話をしながら、歩き始められます。


 と、突然その人が、ふざけて師範に後ろから抱きつきます。その瞬間、その人は、師範の頭越しに5メートルほど吹っ飛んでいきます。いつもの癖で腰が自然に回り、投げが出てしまったのです。師範は、「その人もビックリしていた。わたしも驚いた。」とおっしゃってました。後日、同じ技をシラフの時に試されたそうですが、何度やっても、稽古相手であるお弟子さんは、そんなに飛んでいかなかったそうです。

 


 もう一つの逸話は、私が二十代半ばに、剛柔流空手を修行していた頃に、先輩から聞いた話です。その頃、私の所属していた道場とは別の道場に、Yさんという先輩がいらっしゃいました。当時、九州では結構名前が知られた方でした。このY先輩が、ある時、博多駅を歩いていると、駅のコンコースで、ガラの悪い男が因縁をつけてきます。先輩は、無視して歩き続け、駅前まで出て来ます。すると、後ろから男が、走って追いかけてきます。そして、後ろから男が先輩に追いつきそうになった瞬間、先輩の右裏拳が男の顔面に当り、男は昏倒します。先輩の話によると、全く後ろを振り向くこともなく、裏拳が自然に出てしまったそうです。



 この二つの話に共通しているのは、お二人とも、意識して何かの技を出そうとはなさってないところです。気が付いたら、技が決まっていた。意識して出そうとしなくても、自然に出てしまう。これが、無想の動きです。


 

 次回は、私自身の無想拳的な体験談をお話しいたします。では、次のエピソードでお会いしましょう。



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