第26話  T先生の思い出

 私が、和道流の道場に通い始めたのは、行きつけの飲み屋の大将が、和道流空手の使い手だったからです。時々、大将と空手の話に花を咲かせて、お客さんがいない時は、店内で大将と組んだこともありました。お店が狭かったので、派手な組手はできませんでしたが、大将の腕前には、舌を巻いてました。この大将が、T先生のお弟子さんだったんですね。


 で、偶々持っていた空手年鑑に大将が通っていた道場の住所が載っていたので、見学に行きました。私が、上原先生の下で剛柔流空手をやっていた事をT先生に伝えると、先生は、


「戦後、福岡で一番最初に道場を開いたのが、上原先生で、私が、二番目です。」


と仰いました。上原先生の事も、よくご存知だったようです。和道流の稽古を拝見して、かなり高度な技術内容を持つ流派だと分かりました。和道流は、開祖の初代大塚博紀先生が、沖縄空手に日本の柔術や剣術の理合いを採り入れられて創始なさった独特の流派です。日本の武術の理合いを採り入れた事で、この空手流派の型は、独特の動きになっていました。T先生は、初代大塚博紀先生の直弟子だった方です。


 稽古終了後に、T先生から、


「どうです?一緒にやりませんか?」


とお誘いのお言葉をかけていただいたので、入門する事にしました。



 入門して一番驚いたのは、T先生の組手の素晴らしさです。上原先生は、どちらかと言うと気迫で圧倒する組み手をなさる方でしたが、T先生は、まるで剣道の高段者のような奥深い組手をなさる方でした。


 先先の先を読んで動かれるので、相手が、動こうとした瞬間に、先生の杯を握ったような不思議な形の拳が、弟子の急所の寸前で止まって勝負が終わります。あの拳は、一体何だったんでしょうか?今でも謎です。酔拳の杯手(お銚子を象った手)のようにも見えたし、柳生神影流剣術の龍ノ口(たつのくち)のようにも見えました。もしかしたら、その二つを融合させたモノだったのかも知れません。



  先生は、その不思議な手の形で技をお決めになる度に、


「ハイ、これですね。」


と仰ってました。「エ-イッ!」みたいな裂帛の気合も、一切お使いになりません。せいぜい、


「ヨイショ」


と静かにおっしゃる程度です。まるで、「合気を外す」に登場する剛柔流の先輩の高段者ヴァージョンみたいな感じの先生でした。


 体のどこにも力を入れてらっしゃらなかったし、無駄な動きも全くなさらないので、弟子が組手稽古が終わった後で「ハアハア」と息を切らしていても、先生は、涼しいお顔で全く息も切れてらっしゃいませんでした。


※先先の先=敵の技の起こりを読んで、敵が動き出す前に敵を制してしまうこと。



 蹴りも、独特の使い方でしたね。私が苦戦したS五段とT先生が、組手をなさってるところを拝見した事がありますが、S五段が関節蹴りを蹴って行っても、前膝を後ろ脚に引き寄せられながら、貫き手(ぬきて)をS五段の目に向けて突き出されるので、S五段は、それ以上間合いを詰めて行くことが出来ず、逆にT先生の関節蹴りが決ります。しかも、動きは、決して速くなく、ス――ッといった感じで動かれるんですね。それでも、技が決るんで不思議な感じでした。私は、その場面を何度も目撃しました。


 その後、S五段に誘われて、白帯であるにも拘らず、参加させていただいた黒帯研修会でも、並み居る五、六段の先生たちを組手で軽くあしらってらっしゃいました。しかも、決め手が山突きや卍受けからの鉄槌打ちなどで、まるで型を見ているような品格の高い組み手でした。後にも、先にも、T先生レベル以上の空手の組手を目にした事がありません。



  一度、S五段のお宅にお邪魔して夕食をご馳走になった時に、S五段が、

「T先生の蹴り技は、決して派手じゃないけど、思わぬ死角からポコッと入って来るから、避けられないんだよ。」

「T先生の組手は、誰とやっても同じなんだ。黒帯研修会で高段者と組む時も、少年部の子たちと組むときも、全く変わらないんだ。」

と仰ってました。達人ですね。


 お人柄も、空手の組手同様に穏やかな感じで、常にバランスの取れた説明を心掛けてらっしゃったし、言葉で伝えきれない部分は、絶妙な間の取り方で弟子に悟らせるようなご指導をなさってました。

 どちらかと言うと、極端な物の考え方をする傾向が強かった私は、空手の稽古においても極端な動きをする事が多かったんですが、T先生に、何度か「なんでも、極端は、いけませんね。」と注意されたおかげで、空手の稽古においても、日常生活においても、バランスの取れた考え方や行動が出来るようになりました。


 常に気迫を前面に出している先生方や極端な考え方をなさる先生方が多い中、T先生にお会いして、「世の中にはこんな空手の先生もいらっしゃるんだ。」と認識を新たにしました。


 多分、丹田力にかなりの余裕があったんだと思います。身長は、160㎝くらいでしたが、体重は、70㎏くらいはありそうな感じでした。丹田は、かなり大きかったです。心身ともにかなりの余裕を持ってらっしゃったからこそ、気迫を後ろに秘めて、前面にお出しになる必要が無かったんでしょう。

 稽古の合間に、先生が何気なく、

「武道を極めるには、結局、ここをどれだけ鍛えるかにかかってます。」

とご自身の丹田を手の平でポンポンと叩かれながら、仰った事があります。先生のこのお言葉は、「丹田を極めてこそ、武道の極意技を身に付ける事ができるのだ」と言う意味だと思われます。


 T先生の丹田力が如何に凄かったかを示すエピソードがあります。戦時中、先生が中国に出征なさっていた時、先生が所属なさっていた部隊に、身長188㎝、体重120㎏の草相撲の元チャンピオンがいたそうです。この男が、かなり酒癖が悪く、酔うと部隊内で暴れるので、みな手を焼いていたとの事でした。で、ある時、部隊の人が、T先生の所に慌ててやって来て、


「あいつが、また暴れてるから、何とかしてくれんか?」


と頼んで来たそうです。で、先生は、彼が暴れている現場に行って、彼を痛い目に遭わされたそうです。T先生は、普通の正拳はお使いにならないんですよね。例の杯手で鼻を下から強かに打たれるか、或いは、貫き手とか、人差し指一本拳とかで、急所をお突きになるんで、やられた方は、痛みのあまり悶絶することになります。



  丹田力を使って、体全体の力を一点に集約して急所を突かれる方は、たまったもんじゃありません。いくら体が大きくても、あっさりやられてしまいます。強烈な痛みのあまり姿勢が崩れてしまった所を、T先生に柔術の関節技で押さえられた彼は、全く動けなくなりました。


 凄いエピソードです。T先生は、体格差を全くものともなさってません。その後、この元草相撲チャンピオンは、酒に酔って暴れ始める事があっても、T先生のお顔を見ると、借りて来た猫のように大人しくなったそうです。



 ホントは、ずっとT先生に習いたかったんですが、いきなり失業してしまい、一年半ほど道場から遠ざかっていました。やっと仕事を見つけて、中央区薬院にあった道場に行ったんですが、もう道場は無くなっていました。ご近所の方にお尋ねしたところ、南区長住の公民館で指導してらっしゃると教えていただいたので、そちらにも訪ねて行きましたが、公民館の職員からは、

「一年前まで、ここでご指導なさってましたが、今は、やってらっしゃいません。」

と言われました。


 高段者のお弟子さんたちが、沢山いらっしゃったので、先生の技は、受け継がれたとは思いますが、直接、最後まで習う事が出来なかったのは、返す返すも残念でした。まあ、その後、また失業して、中国に行かざるを得なくなったので、道場が閉まる前に再会していたとしても、結局最後まで習えなかったでしょうね。ご縁が無かったと思って、諦めるしかありませんでした。


 それでも、T先生について習えて良かったと今でも思っています。あの動きを見る事が出来ただけでも、かなりの収穫でしたから。今、当時の先生と同じ年代になって、先生が、どうしてああいう動きをなさってたかが、少しずつですが理解できるようになって来ました。それも、あの動きを直接目にすることが出来たからです。


 T先生は、イギリスで和道流空手を普及なさっていた鈴木辰夫先生と同期の方でした。鈴木先生は、有名になられましたが、T先生は、福岡の空手界では知る人ぞ知る存在ではあっても、日本国内外では無名のままでした。世の中には、隠れた達人が、沢山存在しています。



 次回は、私が見聞きした武道形の電光石火の早業についてのお話です。では、次のエピソードでお会いしましょう。

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