第35話  白鶴拳 6 「エピローグ」

 先生は、道場の壁に掛けてある小さな黒板の所へいらっしゃり、チョークで「懸中待(けんちゅうたい) 待中懸(たいちゅうけん)」と板書されます。そして、


「攻めの中にも待つ気持ちがないといけません。そして、待ちの中にも攻める気持ちがないといけません。」


とおっしゃいました。その日の組み手のテーマを実に的確に表現した教えです。T先生は、攻めを急ぎ過ぎたS五段にその点を気付いて欲しかったので、そうおっしゃったんだと思います。


 

 先生のお話を伺いながら、ふとS五段の顔を見ると、彼の口の左側の部分が、見る見る腫れ上がって来ます。不可抗力とは言え、本当に悪いことをしたと今でも思っています。


 S五段とのこの日の組み手を通じて、私が学んだことは、以下の三つであります。

 

①どんなに準備していても、不測の事態というのは起こるものだ、ということ。

  

②空手や拳法の型は、どんなに奇妙に見えても現実的な技の使用法から生まれたものであること。 


③こちらの対抗策に対する敵の対抗策も予め考えに入れて、それに対する戦術も準備しておかねばならないこと。



 特に、③に関しては、深く反省しました。たまたま、S五段が弓張りの構えの実戦的な使い方を知らなかったので、私がマグレ勝ちすることが出来ましたが、もし彼が事前にこの型の変化・応用を学んで練習を積んでいれば、やられていたのは間違いなく私の方だったからです。


 この組み手以降、S五段は、私を組手に誘わなくなりました。



 S五段対策の練習に協力してくれたM君は、カイロプラクティックを勉強するために私と一緒に住んでいたアパートを出て、実家のある北九州に帰って行きました。その後、福岡に遊びに来たM君と久しぶりに会って、C先輩やO君たちと一緒に居酒屋で酒を飲んだ時、M君が、ふと思い出したように、Sさんと私の勝負の行方を尋ねて来ました。


「それはそうと、Sさんとはやったんね?」


「やった。」


「で、どうなったん?」


「勝った。」


 私の答えを聞いて、M君は、小さく拍手しながら、嬉しそうに笑っていました。協力してくれたM君には、感謝あるのみです。



 次回は、和道流の道場で懇切丁寧に指導してくださったT先生の思い出話をお送りいたします。では、次のエピソード「T先生の思い出」で、お会いしましょう。

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