第31話 白鶴拳 2 「自由組手」
二人は、先生の審判の下、礼をして構えを取り、自由組み手(フリースパーリング)を始めました。私は、オーソドックスな空手の中段構え、S五段は右の手刀を私の顔に向け、左手を腰のところに構えて体を横にして構えています。
S五段は、身長168センチくらい、中肉中背ですが、よく鍛えられた体をしています。私は、当時、身長183.5cm、体重72kgでした。当然、間合いは私の方が長いわけです。ちょっと、前に出れば簡単にS五段の顔面に突きが入りそうです。「入りそうだ」と構えた時に思いました。その判断が、大きな間違いであったことは、組み手を始めてすぐに気付かされました。
顔面を突こうと前に出ようとする度に、S五段は横構えから、右の足刀(足の外のヘリの部分)を私の左膝の上に飛ばして来ます。彼は、足刀が私の膝に触れるとそのまま体重を乗せてきます。S五段の足刀で左膝を伸ばされ、さらに押し込まれた私は、何度か後ろに倒れそうになりました。
S五段の技の使い方は、暗黙の了解の下に行われています。もし彼が「押す」のではなく、フルスピードで私の膝の上を「蹴って」いれば、私は膝関節を脱臼し、悪くすれば一生松葉杖か車椅子の生活を余儀なくされていたでしょう。
彼の足刀による「関節蹴り」を何とか処理しなければなりません。私は、苦し紛れに中国拳法の人がよくするように腰を極端に落として、S五段の関節蹴りを腕で払おうとしました。しかし、かなり腰を落としても届きません。「下半身への蹴りは腕で受けるべからず、脚で処理せよ。」という教えをこの時は、まだよく認識していなかったのです。
Sさんは、さすがに五段だけのことはあります。蹴りを処理しようと、私が両手を下に下げた途端に私の顔面に突きを入れてきました。危うく、突かれそうになりましたが、両手弧拳受けで何とか凌ぎました。
突きを受けられたS五段は、素早く後退します。いつまでも同じ場所に留まっていないのは、さすがです。
手詰まりになった私は、中国拳法の間合いを詰めるための幻術的な秘伝を使い間合いをジリジリと詰め始めました。しかし、S五段の間合いを奪取できる直前まで来た時、何かを本能的に感じた彼は、素早くステップバックします。私は、「スゴイな。これに引っかからないのか?」と思いましたが、感心ばかりもしていられません。攻撃心の強い彼のことです。またアグレッシブに攻めて来るに違いありません。なんとかしないと・・・。
一旦、彼が間合いを切ってくれたお陰で、付け焼刃のものとは言え、別の戦術を考える余裕ができました。S五段は、後退しても、また例の横構えを取っています。また、膝を蹴って来るつもりです。
そこで、私は、わざと上段を突く振りをしました。彼は、また私の膝の上を狙って右足を飛ばして来ました。私は、素早くステップバックしてそれを避けました。すると、彼は、足を継ぎながら、さらに蹴って来ます。私は、それもステップバックして避けました。すると、蹴り足を下に落としたS五段は、誘われるように私の上段に正拳突きを入れてきました。私は、素早く左の掌で彼の右腕を払い、彼の脇腹に中段突きを入れました。入れる瞬間に「啍(フン)!」と陳家太極拳の気合を入れたことを今でも覚えています。
「それまで!」と言う先生の声が聞こえ、組手は、これで終了しました。殆ど、いいところの無かった私ですが、最後になんとかS五段に一矢報いることができました。先生は、私に「今の突きは、悪くありませんが、できれば受けてから突くのではなく、受けながら同時に突くように工夫してみて下さい。」とアドヴァイスをして下さいました。
〈後の先〉の突きではなく、〈対対の先〉の突きも身につけよとの有難い教えです。先生は、また「鷹野さんは、もうこれ以上組み手は、やらない方がいいでしょう。」とおっしゃいましたが、最後に一本入れられたS五段は、不服そうです。
※後の先=相手の攻撃を処理してから、反撃する事
※対対の先=相手の攻撃と同時に動き始めて、反撃する事
それから、T先生は、S五段に向って、
「あんまり不用意に上段を突いて行かれない方がいいですよ。今日、鷹野さんは、回転後ろ蹴りをお使いにならなかったから、良かったんです。もし、鷹野さんが、あの蹴りを出されてたら、Sさん、お怪我なさってますよ。」
と注意なさってました。S五段は、あまり防御に気を配らずに突いてらっしゃったので、先生が、こう仰ったんだと思います。
私は、先生のお言葉を聞いて、「そうか!その手があったか。」と思いましたが、その頃は、まだ回転後ろ蹴りを組手で使えるほどに練り上げてなかったので、その手を思いついていたとしても、回転後ろ蹴りは使えなかったでしょう。
取り合えず、S五段に無理強いされた組手が無事終わってホッとした私でしたが、実生活でも、営業の仕事をなさっている押しの強いS五段が、このまま大人しく引っ込むとは考えられません。私は、まさかの時のために、S五段対策の秘密特訓をすることにしました。(つづく)
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