第29話 上原優希徳先生の思い出
拳法を習っていた老師のお仕事が忙しくなったためと老師が帰国の準備を始められたために、老師から中国拳法の指導を受けられなくなりました。
で、老師からお勧めいただいたのは、上原優希徳(うえはら・うきのり)先生に剛柔流空手を習いに行くことでした。老師は、以前教えていた男の子が、上原先生の弟子だったので、一度、道場に見学に行かれた事があるようで、
「あの先生は、本物だ。中国で言えば、老師に当たる空手の先生だ。」
と仰ってました。
道場に入門して、上原先生に習い始めたんですが、大学の体育の授業の時とは、教授内容が全然違うんで、かなり驚きました。体育の授業に参加する学生は、ただ単位取得のために週に一回一年間空手を習うだけですから、どうせ大したことは教えられません。表面をなぞるような指導内容になってしまうのは、まあ、当然と言えば当然です。
先生の道場は、春日市の桜ヶ丘にあったので、自転車で通うのは大変でしたが、1年ほど、福岡市から桜ヶ丘まで通っていました。福岡市から春日市の桜ヶ丘までは、自転車で1時間半くらいかかるんですが、それでも、通ってましたね。若かったからこそ、出来た事です。K君とC先輩は、バイクを持ってたんでバイクで通ってました。
上原先生は、剛柔流の開祖宮城長順先生の直弟子だった方で、東恩流(とうおんりゅう)の開祖だった許田重発先生にも教えを仰がれた先生です。許田先生が大分にお住まいだったので、時々、福岡から大分までサンチンの指導を受けに通ってらっしゃったと伺いました。許田先生は、宮城先生と同様に、東恩納寛量(ひがおんなかんりょう)先生の直弟子だった方です。
サンチンというのは、中国の南方から沖縄に伝わった南派拳術の鍛錬型で、「ハーーーカッ!」という激しい呼吸音と共に全身の筋肉を絞めて演じるモノです。
つまり、上原先生は、剛柔流も、剛柔流の元型である中国の南派拳術も、両方学ばれた方だったという事になります。その点が、他の剛柔流の先生方とは違う部分です。また、中国大陸に出征なさっていた時に、現地の拳法家たちとも交流を持たれたので、上原先生の動きは、独特のモノになっていました。
私は、中国拳法のお家芸みたいに捉えられている「発勁(はっけい)」を上原先生がお使いになっているところを何度も目撃したことがあります。
発勁と言うのは、中国拳法独特のパワーの出し方の事です。たとえば、荷車をユックリ押している時の体の使い方が、普通の力の出し方で、荷車の車輪が道の窪みなどにハマった時などに、みんなで、「せーの」と声をかけながら、一気に「ヨイショ!」と押す時の体の使い方が、「勁」による特殊なパワーの出し方に近いと言えるでしょう。
この勁に関しては、面白い話があります。私が、上原先生に「サンチン」の型を習っていた時のことです。
この型を師匠の下で稽古する時は、師匠が弟子の横や後ろに立ち、弟子の筋肉を掌で叩いて締めるんですね。私も、サンチンを習っている時は、上原先生に筋肉を絞めていただいてました。
ある日、稽古から帰って、風呂に入る時に裸になって、自分の肩の前面に上原先生から掌で絞められた時の指の跡が残っている事に気付きました。指先が当たった部分が、全て薄緑色になってたんですね。
後日、それを中国拳法の老師にお見せしたところ、老師は、
「これは、勁だね。勁を使って打たないと、こんな風に指先の跡が緑色になったりはしないよ。」
と仰いました。上原先生は、「セイエンチン」という型を演じてらっしゃる最中に、勁をお使いになっていたんですが、他の剛柔流の先生が、この型の中で勁をお使いになっている所を見た事がありません。YouTubeでも探してみましたが、上原先生と同じことをやってらっしゃる先生は、いらっしゃらないようです。
上原先生は、一体「勁」をどこで学ばれたんでしょうか?東恩流の許田先生からでしょうか?それとも、中国大陸で学んで来られたんでしょうか?謎です。
上原先生が教えて下さったのは、空手技だけではありませんでした。
ある日、稽古を終えて、私が着替えていると、上原先生が、私の裸の背中をご覧になって、「君は、かなり体が歪んでるね。そんなに歪んでたら、健康にも悪いし、空手も上達しないから、体の歪みを矯正した方がいいよ。ここに、横になりなさい。」と仰って、私の股関節の緩み・骨盤と脊柱の歪みを矯正して下さいました。
伝統的な沖縄空手には、こういう整体の技術も伝わっているのだという事を、この時、初めて知りました。ともかく、習う事全てが、他流派とは比べ物にならないくらい奥が深かったですね。
ある時、道場に誰も来ていない時がありました。一緒に通っていた後輩のK君もC先輩も、その日は用事があって、道場には顔を出していませんでした。他の道場生も、その日は、道場には来てませんでした。
その日、上原先生に習ったのは、巻き藁の正しい突き方です。先生は、「固すぎる樹を使って、巻き藁を作るのはよくない。弾力性のない巻き藁を長年突いていると、年を取った時に内臓が悪くなりやすいからだ。弾力性のある巻き藁を作るのに使用する樹は、エゾ松が最適だ。」とおっしゃられました。恐らく、エゾ松は弾力性に富んでいるからでしょう。
また、「いい樹を手に入れたら、巻き藁を作り、それを地中に埋めるが、埋める時に一番注意しなければならないことは、木目をよく見て、木が自然に生えているのと同じ状態で巻き藁を立てることだ。つまり、根っこ側を下にして、立てんといかん。よく、他流派の空手道場で、巻き藁を逆さまに立てているところを目にするが、あれはよくない。」とも仰っておられました。
沖縄剛柔流空手の伝統を受け継ぐ上原先生ならではの含蓄あるお言葉ですが、この後、先生は更に、巻き藁の正しい突き方についても、指導して下さいました。以下に、先生からご教授頂いた正しい巻き藁の突き方をご紹介させて頂きます。
①まず、巻き藁の前に隙なく構えて立つ。
②巻き藁を突く前には、必ず上段受けなり下段払いなどの、受けを行う。
③受けが終わった時点で、巻き藁を突く。
④同じ腕で何度も突く場合は、必ず受けてから突くようにする。
⑤左右の腕で連続突きする場合は、巻き藁が自分の間合いの中にある場合は何度突いてもいい。ただし、間合いを切って離れる場合は、必ず何かをしてから離れるようにする。その何かは、受けであってもいいし、突きであってもいい。
とかく、拳足を鍛えるためだけの巻き藁と捕らえられがちですが、巻き藁を使って基礎的な鍛錬をするときも、かならず敵の反撃を頭に入れ、間合いを考えながら突かなければならないという事です。
空手の組み手試合で、一本取った後、何もしないままノーガードで対戦相手から離れる選手をよく目にしますが、あれは実戦ではかなり危険な行為だと言えるでしょう。万一、自分の突きが相手に当らなかったら、あるいは、自分の突き一発で相手が倒れなかった場合は、相手の反撃を喰らってしまうからです。
で、先生のご指示通りに、受けをやりながら巻き藁を正拳逆突きで突き、また受けをやりながら後退して巻き藁から離れました。先生に、
「これで、よろしいでしょうか?どっか悪い所があったら、仰って下さい。」
と申し上げると、先生は、
「いいけど、それは、中国式。沖縄空手では、そこまで腰を落として突かないよ。」
と仰いました。ドキ―ッとしましたね。見抜かれてたんです、しっかりと。前後の足幅を広く取り、腰を深く落とした弓歩の姿勢を取ったことで、見事にバレてしまいました。
その後、C先輩と一緒に上原先生に組手のご指導を仰いだ際も、先生は、先輩と私の動きを妙な表情でご覧になってから、ニヤリとお笑いになり、我々二人に向って、
「君たち、相当、中国拳法をやったね?」
と仰いました。あの時は、先輩も、私も、先生にズバリと言い当てられて、返答に窮してしまいました。その時、先生がそう仰ったのは、我々の受け方が、空手のそれではなく中国拳法の受け方だったからです。
そんなある日の事です。その日は、稽古日だったんですが、私は、小学校での警備のアルバイトが入っていたので、稽古に行けませんでした。夜、巡回から帰って来て、警備室で寛いでいると、空手道場で稽古を終えたC先輩が、立ち寄ってくれました。先輩は、警備室に入って来るなり、話し始めました。
「今日、スゴイところを見た。稽古中に、回し蹴りの防御の話になって、上原先生が、両拳を腰の前に握って、K君に向って、『私の顔を回し蹴りで蹴って来なさい。』って仰ったんだよ。」
ここで、K君と上原先生の体格について述べておきましょう。K君は、身長172㎝で体重は75㎏ありました。それほど大柄ではありませんが、かなりガッチリした体格です。対する上原先生は、身長160㎝程度で、体重は多分60㎏は無かったと思います。かなり小柄な方です。しかも、その時、上原先生は、すでに68歳を超えておられたんです。C先輩の話に戻ります。
「で、K君が回し蹴りを先生の顔に向って放ったんだけど、その瞬間、上原先生は、肘でK君の蹴り脚を跳ね上げて、そのまま前に出られたんだよ。そしたら、K君が、ダダだーって感じで、道場の端まで吹っ飛ばされたよ。上原先生に、あんなパワーがあるなんて知らんやった。」
K君が上原先生にぶっ飛ばされた後、上原先生は、おもむろに同じ構えでC先輩に向き直られて、
「さ、君も、蹴って来なさい。」
と仰ったそうです。先輩は、冷や汗をかきながら、
「いえ、僕は、ちょっと・・・(^_^;)」
と口ごもって、蹴っていかなかったそうです。C先輩は、体はゴツイですけど、相変わらず、痛がりのようです。(><)
まあ、でも、普通、そんな場面を見せられたら、バカ正直に蹴って行く人はいないですよね。
その後、帰国なさる中国拳法の老師が、帰国直前に二ヶ月ほど最後の特訓をして下さる事になったので、上原先生の道場を辞して、再び、中国拳法の修練に戻りました。上原先生からは、最後に、
「空手と中国拳法のいい所を融合させて、いいモノを創り上げなさい。」
と言う有難いお言葉を頂きました。
老師からは、
「上原先生から、正しい空手の技を習ったのが、よく分るよ。」
と褒めていただきました。短期間とは言え、東恩納寛量→宮城長順・許田重発→上原優希徳先生という伝統の流れの中に身を置けたことは、今でも、私の宝になっています。
★次回は、中国拳法の老師の帰国後、新たに入門した和道流空手の道場で、松濤館流空手出身の高段者と止むを得ず組手をすることになってしまった私の体験談を全6回に分けてお送りいたします。では、次のエピソード「白鶴拳」で、お会いしましょう。
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