(下)トドオカさん、異世界に行ってたんよな
トドオカ歴5000年 4月1日
魔王を打ち倒した勇者にして賢者『トドオカ』。彼の功績を讃え、魔王歴はトドオカ歴へと改められた。
それから、5000年が経過していた。
トドオカ歴は既に意味のないもの。トドオカ歴3000年代、この世界の文明は大規模な戦争によって滅びた。それを数える『人』は、もういない。
残る人類はごくわずか。
そう。ごくわずかだが、残っていた。人間とは、割としぶといのである。
そんな週末世界で、懸命に生きようとしている少年が一人──、
──けれど、その話はやめておきましょう。
人類の生存圏から遠く離れた、何者をも寄せ付けぬ瘴気を放つ砂漠──2000年前の大戦争の跡地──その地下奥深くに、それはあった。
トドオカの
──5000年の時を経てなお、世界を渡れるような『トドオカ』を思い出せていないのである。
そも、時間をかければ思い出せるというものではない。それだけ、記憶も劣化していく。
そんな彼のラボに、一人の男が訪れた。
「こんにちは」
「トドオカラボへようこそ。どういったご用件ですか?」
出迎えたのは、年若い女の子だった。
「『トドオカさん』がここにいるらしいので、来ました。もしや、貴女が?」
「そうですね。本体ではありませんが、私も『トドオカ』……『17歳JKシリーズ』の一人、
「ご丁寧にどうも。俺は……まあ、名乗るほどのものではないです」
「そうですか。では、ご案内します」
男と桜花は共にエレベーターへと乗り込んだ。ラボの入り口も地下深くだったが、ラボそのものはもっと地下にあるらしい。
「少し時間がかかります。その間、聞きたいことがあれば知ってる範囲で答えますよ」
「そうですね……トドオカ歴以降の話が聞きたいです」
「では簡単に。魔王タイガ原を倒した(ということになっている)トドオカはその後、元女神のガイドと共に暮らし始めました」
二人は、女神の使う若返りの魔法によって、1000年の間仲睦まじい夫婦として過ごしました。
しかし、生涯子を成すことはなかった。それはひとえに、トドオカが故郷に残した妻のため。彼は、女神との生活を終えたあとのこの世界に、心残りをつくるのを嫌がった。
「そもそも、元とは言え女神です。人間と子を成すことができるような身体構造をしていませんでした」
若返りの魔法にも限度がありました。というより、魔力が枯渇したのです。最後の一回をトドオカに使い、女神はトドオカに看取られることを望みました。満足そうに、笑って天に召されました。
それから50年後。トドオカの『最初の本体』が、老衰によって死を迎えました。その際、彼は数ある『トドオカ』の中から、ある一つを『新しい本体』として選びました。
「それこそが、4000年近く存在し続けている、『今の本体』です。実際に見た方が早いでしょう……着きましたよ」
エレベーターの扉が開く。降りてすぐ、それは視界に映り込んできた。
液体が満たされた培養槽、その中に浮いている脳。
それこそが、今のトドオカなのだという。トドオカの発言によって生まれた概念が、トドアートによって肉付けされたもの。
「ハーーーーッッッ!!! なんやお客さんかいな! ほなら歓迎せんとなァ!」
「あれは?」
「呪詛師『百々丘様』です。彼は厳密には『トドオカ』ではないのですが、実質トドオカということで成立しています」
部屋を見回してみると、なるほど確かに様々な『トドオカ』がいるようだった。
「ほほう、あそこに固まっている女の子たちが、きみと同じ『17歳JKシリーズ』ですか」
「はい。苗字が藤堂だったり東堂だったり、下の名前が桜花だったり桜華だったりと表記に揺れはありますが基本的には『トードー・オーカ』という音で統一されています」
「そこら中でごろ寝してるのは?」
「『50歳無職シリーズ』ですね」
「役に立たなそうだな。なんでこんなのがいるんだ?」
戦闘のできるトドオカがいたかと思えば、かわいいトドオカがいて、さらに役に立たないトドオカまでいる。絶対に必要なさそうなのに。
「逆です。役に立たないから、ここにいるのです。私たち、全員が」
記憶の中にある『トドオカ』の能力を使う。それがトドオカに与えられた『
「一度思い出した『トドオカ』をずっと覚えていると、別の『トドオカ』を思い出すのに邪魔なんだそうです。だから、記憶ごと切り離して独立させている。それが、私たち『トドオカシリーズ』なんです」
彼が元の世界に戻るための能力を持った『トドオカ』を思い出すために切り捨てたもの。それが、彼ら彼女らだった。
「ですが……5000年かけても、そんな能力を持った『トドオカ』を思い出すことはできていません」
「ワイはやり方も悪いと思うで。記憶っちゅーのは相互に干渉するもんや。切り離したらむしろ逆効果やないかってな」
鎖を巻いた大柄なトド顔の男がそう言って悪態をつく。彼こそが、代表的な『トドオカ』。本体であるトドオカが好んで使っていたという形態だ。
「ま、本体の決定には逆らえんから、何言ってもしゃーないが。無駄なこと続けとるなあ、とは思っとるが、な」
ここ1000年に至っては、ひとつも思い出せていない。全く進捗がない。そもそも、そんな『トドオカ』は最初からいなかったのではないかとさえ思えるほど。
「これでは、『最後までキッチリ』だなんてとても言えません。ただの、惰性です。我らが本体ながら、情けない事この上ありません」
「それは、言い過ぎだろう。トドオカさんはまだ諦めてない。5000年経ってもなお、元の世界へ帰る方法を探し続けている。ヨメオカさんに、もう一度会うために。これが愛でなくてなんだっていうんだ」
「……? あなたは一体、トドオカの何を知って……いや、そもそもあなたは何者だ?」
ここは人類の生存圏から遠く離れた場所。ここに、人間が来れるはずがない。だというのにどうして、桜花はなんの警戒もせずに彼をここまで招き入れてしまったのか──、
「いやだなあ、トドオカさんがいる場所には俺もいる。当然でしょう?」
「え? あ、そうか。確かに、そうですね」
桜花はなぜか納得してしまう。その言葉には正当な論理は一切ないのだが、丸め込まれてしまう──、
「──なんや騒がしいな。誰や」
トドオカの『本体』の横にあるモニターが点いた。その下にあるスピーカーから声が響く。
「お久しぶりですね、トドオカさん」
「誰やって聞いとるねん。答えてや」
「俺のことを忘れちゃったんですか? 悲しいなあ……こうすれば、思い出してくれますかね?」
男が、変貌する。
「No Enemy , Eclipse, and Truth(敵はなく、翳りもなく、さりとて真実もない)……!」
きちんと整えられた服装はビリビリに破れ、鍛えられた肉体が露出する。髪は燃え上がるかのように逆立ち、頭部は異形に歪んでいって、ラーメン皿のような形に落ち着いた。
「その姿……まさか、ニー「おっと」」
「まだ俺の名前を呼ぶのは待ってくださいよ。スピーカー越しなんて味気ない。最初に名前を呼んでもらうのは、生声だって決めてたんですから」
自分のペースを乱されるような、異様なほどの執着。彼が何者なのか、トドオカは魂で理解する。
──ニート先生。
Xにおけるトドオカのフォロワーであり、トドオカに並々ならぬ執着を持つ者。『トドションシボラー』の名を生み出した者。トドノベルの登場人物として定着した大嘘吐き。
「いや……おかしいやろ」
当然、疑問が生じる。トドノベルにおいて異様な化け物として書かれることはあっても、本当に化け物なわけはない。ただのフォロワーだったはずだ。向こうの世界に、まさかこんな化け物がいるはずはない。
「やっぱ気になります? 今の俺が『何』なのか」
「『何』って……ニー「おっとっと」」
「やめてくださいよもう、トドオカさんは本当に俺を喜ばせるのが上手ですね」
「いや何しても喜ぶやろ……」
げんなりする。5000年前の友人(?)に再開したとは言っても、それがこんなわけのわからないやつだと、素直に喜べない。
「今の俺が『何』なのか、とただ言っても思い浮かびませんよね。いくつか候補を出しましょうか。
①俺は、元々こんな化け物である
②トドオカさんと似た経緯でこちらにきたため、『
③トドオカさんの『
(1)5000年という期間で『
(2)『
こんなところでしょうか。どれだと思います?」
「……①はありえんとして、③も考えにくい。とすると②……?」
トドオカは考え込む。①の可能性は考えたくないので除外。③は一見筋が通っているようだが、そんなことができるならトドオカ本人がそれを把握していなければおかしい。そもそも、こいつは施設の外からやってきている。
トドオカの持つ情報を総合して考えると、②が最も筋が通っていて、ありうる可能性だ。
「……いや、『全部嘘』か? その中に答えはない、とか?」
「『全部嘘』ですか。……ククク。信頼されてますねえ、俺としては喜ばしい限りです」
「なんやったんや今の時間」
考察していた時間を返してほしい。5000年もの時を無駄にしてきたが、それはそれとして無駄に時間を使わされるのには多少腹も立つ。
「というか、何しにきたんや」
「あれ、言ってませんでしたっけ? トドオカさんとのおしゃべりが楽しくて。つい言い忘れてたみたいです」
たっぷりと間をとると、
「……迎えに来たんですよ、トドオカさん。遅くなってすみません」
彼は微笑みを湛え、右手を差し出しながらそう言った。
「俺は──あなたの観測の外からやってきて、あなたの知覚の外の方法で、あなたの理解の外の論理で──あなたを助けたり助けなかったりする。今回は、助けに来たんですよ」
俺以外の手でトドオカさんが不幸になるのは許されませんからね、と彼は続ける。
「さて、結論からいいますと、トドオカさんはすでに元の世界に帰ってきています」
「は?」
つまり、知らない間にこのラボごと元の世界に戻ってきていたというのか。
「あ、ごめんなさいそういう意味ではないです。言い方が悪かったですね」
「今しれっと心の中読んだか?」
「トドオカさんはこちらの世界で5000年過ごしましたね? こちらの10年が向こうでの1日なので500日、1年半ほど留守にした計算になりますね?」
「せやな」
「ですが、そんなことはありませんでした。トドオカさんはずっと向こうの世界にいます。トドノベルコンも滞りなく終わりましたし、呪術最終話の感想だってちゃんと言ってました」
「は?」
意味がわからない。つまり、なんだ。今ここにいる自分か、あるいは帰ってきていたというトドオカのどちらかが──偽物?
「そういうわけでもないです。トドオカさんはこのあと、世界を渡り時間を遡って元の時点に戻るんですよ」
「そういう『トドオカ』をこれから思い出せる、と? それとも連れ帰ってくれるとか?」
「どっちでもないです。俺にできることはほんの少しだけ。……順を追って話しましょうか。そうですね、タイガ原さんのことです」
「タイガ原さん……」
その名前を思い出すのも何千年ぶりか。悲劇故に魔王と成り果ててしまったフォロワー。若返りの魔法をかけ、記憶に蓋をして元の世界に帰したが、その後どうしていたのだろう。
「こちらの世界では倒したということになっていましたが、実際のところはトドオカさんが自分用の帰還アイテムを彼に譲ったということでしたね」
戻ってきた彼は──トドノベルを書いていました。
「『トドオカ、異世界いくってよ』というタイトルで、トドノベルコンにエントリーしていましたが……未完成だったんです」
時間ギリギリにエントリーだけ済ませ、残りを締切後に仕上げるだなんてことをしようとしてトドオカさんに怒られていました。
「なぜそんな違反を……」
「『あと1日あるはずだった。なんか知らないうちに1日経ってた』って言ってました」
「……それは」
彼はこちらの世界で10年過ごしていたという。それが向こうでは1日。その1日という時間を失ったことで、執筆の時間が足りなくなったのだろう。
「しかし、なぜわざわざ違反をしてまでエントリーを……?」
「『書かなければいけない』という思いが、彼を突き動かしていたのでしょう。彼本人はそれを、締切がギリギリなことからくる焦りだと解釈していたようですが」
「『トドオカ、異世界いくってよ』……まさか……」
「そのまさかです。トドノベルを書くにあたり、題材として異世界を選ぶのは彼にとって当然でした。記憶のフタが開いたからです」
しかし、その記憶を自身の経験とは思わなかった。なんせ体は元の年齢だから。夢か、あるいは偶然浮かんだアイディアくらいにしか思わなかったでしょう。
「『トドオカ、異世界いくってよ』は、(序)(破)(急)からなる三部構成でした。しかし、当初はそのうち(序)(破)のみしか投稿されませんでした」
執筆期間が足りなかったというのもありますが、そもそも彼の中に(急)の構想はなかった。
「トドオカさんが異世界に降り立つまでが(序)、そして魔王を倒す──タイガ原さんを元の世界に帰す──までが(破)です。そう、彼の記憶には(急)にあたる部分がありません」
それこそが、今この時。故に、その部分は記憶に頼れない。自分の頭で考えて絞り出す必要があった。
「ほなら、(上)(下)の二部構成で、魔王との決着をつけて終わりにすればよかったんと違うか?」
「そういうわけにもいきませんよ。彼が異世界トドノベルを書く理由は、(急)の部分を書くためだったんですから」
しかし、彼の行った違反がスルーされるはずもなかった。普通に違反なので、(急)の投稿は投票期間の後にしてください、とトドオカさんに言われてました。
「しかし──トドオカさんからの怒られは、彼にとって必要不可欠なものだったんです」
自身の内から湧き出るモチベーションを、締切がギリギリなことからくる焦りだと解釈していたために、締め切りが過ぎた時点で燃え尽きてしまっていた。
「(序)(破)だけでもある程度作品としては成立していた。だからもう、これでいいじゃないか、なんて思いかけていたんです。(上)(下)に変更しようとすら思っていた」
そこに、トドオカさんからの怒られが発生した。(急)は、投票期間のあとにしてくださいと──つまり、新しい締切が発生したんです。
「そうして、投票期間ののち(急)が投稿されました」
内容は、なぜかそれまでのコンセプトから外れていました。
「『長年の研究によりトドオカは世界間移動と時間遡行の魔法を会得するに至った。さらにバイオテクノロジーによって一瞬で元々のものと寸分違わぬ肉体を生み出すと、それを新しい本体とした。そうして彼は、元の世界に戻ったのである』──と書いてありました」
タイガ原さんのトドノベルでは、主人公であるトドオカはあくまで『トドオカ』の力を使えるだけのトドオカとして書かれていた。しかし、(急)においてはなぜか時間さえかければ高度な魔法を会得できるような超天才かのように書かれていた。
「なぜだと思います?」
「もしや……私が『思い出せない』のと、同じ理由……?」
「そうです。世界間移動や時間遡行……そんなことが『できる』と明確に記されている『トドオカ』は、いなかった。少なくとも、タイガ原さんの頭の中には」
せっかくトドノベルなんだから、トドバースの他のキャラ──俺とか──に助けさせるとか、そういうことをしてもよかったと思いますけどね。トドションシボラーとしては未熟もいいところです。
「さて、ここまで話せばもう分かりましたよね?」
彼が違反してまでもトドノベルを書いた理由。そして、今からトドオカが元の時点に戻る方法も。答えは、一つに収束する。
「タイガ原さんは、無意識に──『自分が(急)を書き上げなければ、トドオカさんは帰ってこれない』──そう思っていたのかもしれません」
だからこそ、違反をしてでもトドノベルを書き上げようとした。
「彼の行動の結果を、受け取ってあげてください」
「……そうやな」
ニート先生が語った、タイガ原さんが書いたという『トドオカ』を思い浮かべる。世界間移動と時間遡行の魔法を会得した自分。バイオテクノロジーによって作り出された、元々のものと寸分違わぬ肉体。
そうして新しくできた『トドオカ』を、本体とする。
「うおっ……」
久々(4000年ぶり)に肉体の感覚を得たので、ものすごい違和感があった。体が、重い。
それから、頭の中に何やら理解の及びそうにないような、世界間移動魔法と時間遡行魔法の理論がある。だが──理解できている。
世界間移動の術式を構築。世界と世界とを断絶された別物と見るのではなく、重なり合わさった部分がウンタラカンタラ。
時間遡行の術式を構築。時間を過去から未来へと進む一方通行の道として見るのではなく、双方向性のあるナンタラカンタラ。
それを見守っていた、必要のなくなった『トドオカ』たち。
その体が、光の粒子として魔力に還っていく。その魔力は、それぞれの術式を起動させるためのものとして注ぎ込まれていった。
術式が、起動する。
大きな音と光が、それを知らせた。
「助けに来てくれてありがとうな、ニート先生」
トドオカは、隣に立つ男にそう声をかけた。
彼にとっては念願の生声。肉声。感謝と、名前。喜びに打ち震える。
──そうして、トドオカは帰っていった。
たった一人、ぽつんと残されたニート先生は、先ほどの会話──トドオカの言葉──を思い出していた。
──いや、『全部嘘』か?
「『全部嘘』ですか……トドオカさん、あなたは本当に……ククッ、クックック……」
そうして彼はひとしきり笑うと──
──嘘を吐いた。
『トドオカさん、異世界に行ってたんよな』
トドオカさん、異世界に行ってたんよな タイガ原 @taiga8ra
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