第23話 21 ミカサ、孤艦となる
第一艦隊は、ハイナン諸島西の洋上で停船した。
幸いうねりが小さかった。第一艦隊はミカサを取り囲むように停船し、通報艦のリュッツオーのみはミカサに接舷した。
幕僚室の海図台の周りには、第一艦隊の幕僚だけでなく急遽旗艦に登ってきた第一艦隊全ての艦長と副長。フレッチャー少将以下の第一戦隊の幕僚。リュッツオーのヘイグ艦長。そしてミカサの幹部士官たち全員が立っていた。それに推進器のプロペラをチェックしたヨードルと、そしてヤヨイも壁際に席を与えられていた。
あの、青い肌の機関長も出席していた。
レオン少尉の当番兵をしていたアレックスを思い出す。
もしかするとこの少佐は、かつては北の国にいた解放奴隷かもしれない。
戦闘で捕虜になったか、少年のうちに囚われてどこかの家に引き取られるかして教育を受けたのだろう。優秀だったから兵学校に入り士官に任官されたのだ。それにしても帝国の、この「敗者をも取り込み同化する」という行き方にはいつもながらに驚かされる。
ルメイ大佐は、ただの空気になっていた。
彼を包む空気は、今では北極となってしまった帝国人の故郷よりも厳しく冷たいものだった。
石炭搭載についての最終的な責任者。帝国海軍を代表する艦である第一艦隊旗艦が洋上で燃料不足で立ち往生などという不名誉。針の筵どころか吊し上げに等しい場。ミカサの幹部たちも艦長と共に置物同様になってそこにいた。当然ながら彼らからは一切発言はなかった。
不手際に不運が重なった形だが、不名誉の一件はひとまず置かれ、それよりもはるかに重大な、リュッツオーで起こった水兵脱走事件と明らかに意図的なサボタージュ、妨害工作であるミカサに起こった爆発事故の関連性がまず議題となっていた。
「・・・リュッツオーの一件はわかった。では次にミカサの爆発事件について。ヨードル先任士官。報告したまえ」
カトー参謀長は厳かに言い放った。
ヤヨイと共に壁際に控えていたヨードルが進み出て、ミカサの艦尾に引っかかっていたロープとチェーンの断片を海図台の上に載せ、口を開いた。
「爆発は艦尾喫水線下、スクリューの直上で起きたと思われます。その艦底部の鋼板が凹んでおり、リベットが緩んでおりました。ですが単なる爆発だけでなく、爆発物に巻き付けられていたチェーンが回転するスクリューに絡み、スクリューの回転と相まって左舷のスクリューフィンを全て破砕したものと思われます。問題は、これです」
と、チェーンの断片を示した。
「ターラントの最大岸壁である5番ヤードにある300トンクレーン。その、チェーンなのです。
そのクレーンのために特に材質を研究し、強度を高めて強靭化した、特注のチェーンなのです。同じものはターラントにしかありません。クレーンの建造にいささか携わりましたのでよく覚えています」
一同はその複雑に絡んだロープに注目した。
「爆発とプロペラの破砕の関係はわかった。
だが、どうやって起爆したのだ。しかも航走中に、だ。それにあの強靭なスクリューを破砕するほどの爆薬ならかなり大きなものだろう。誰が、いつ仕掛けたのだ」
と、カストロ中佐が尋ねた。
「起爆については、このロープで説明できます」
とヨードルは言った。
「その、網のようなもので、かね」
「はい。これは言ってみれば時限装置です。恐ろしく、原始的ですが」
ヨードルは複雑に絡み合ったロープを解いて、それが組み合わされた「籠」のようになっているのを示した。
「こっちのロープの端を舵の根元に結び、反対のほうを据え付けた爆薬の起爆スイッチに結びます。あらかじめスイッチにはテンションをかけて起き、ロープがこの状態になった時にスイッチが引かれるように仕掛けたのだと思います」
そう言って組み合わさった「籠」を両方から引っ張った。
「この『籠』の中にはおそらく水に漬けておくと次第に溶けて無くなるようなもの、例えば・・・」
「わかったぞ。『塩』か!」
とカストロ中佐は言った。
「そのようです。例えば岩塩なら、適当な大きさのものなら3日くらいは元の形状を維持するでしょう。これを仕掛けた犯人は3日ほどしてその半分が溶ける量を、塊か適当な大きさに砕いたものかわかりませんが、研究したのだと思います。海軍に入隊する前、漁師の家の手伝いで定置網に仕掛けを作りましたが、そのやり方に似ています」
ヨードルは理路整然と説明した。
そこにホワイト大尉が口をはさんだ。
「ですが爆発物そのものは、どうやって? そんな大きな爆弾を運び込めばミカサなら目立つでしょうに・・・」
「そうか、リュッツオーだ!」
フレッチャー少将が思いついたように呟いた。
「あのブイに隠されていたのだとすればリュッツオーの一件も説明がつく・・・」
おお!・・・。というどよめきがあがった。
「なるほど・・・。ブイの中ならかなり大型の荷物でも積み込めますね」
その場の一同もなるほど、というように皆一様に頷いた。
「どうも、そのようだな」
カトー参謀長が総括するようにまとめた。
「仕掛けた実行犯はリュッツオーに乗っていた。出港からハコネ岩礁で停泊するまでブイに隠しておいた爆薬をブイをリリースする作業に紛れて仕掛け、事が成就したので自分たちは内火艇を使って逃げた。そういうことだろう」
「ご明察の通りかと」
と、ヨードルは言った。
「リュッツオーの艦内と乗組員の調査の結果は?」
フレッチャー少将の幕僚の一人が尋ねた。
「ヘイグ大尉の供述は信頼できます。あとは、皆さんがすでにご覧になった通りかと・・・」
ブラウンの短髪のラカ少佐が口を開いた。
逞しい日焼けした顔。毅然とした態度で胸を張るヘイグ艦長。
彼は一切弁明をしなかった。口をぎゅっと引き結び、海図台の上の空中の一点を見つめたまま身じろぎもしなかった。
「逃げた2人の他にはもう、怪しい者はいないでしょう。乗員同士の結束の強い艦と拝察しました」
彼の発言の後、その場には奇妙な沈黙が訪れた。あの「笑劇」を思い出し、ヤヨイは顔を伏せて赤面した。
ホワイト大尉が沈黙を破った。
「サボタージュの黒幕はすでに組織と言えるほどのものを海軍内に作っているということなのでしょうね。港湾労働者の軍属の中にも浸透するほどに・・・」
「チナの手先、あるいは、裏切り、か・・・」
「状況からしてそう考えるのが妥当でしょうな。この演習は恒例になっています。彼らの鼻先で過去幾たびも実施してきました。彼らからすれば、小癪に思ってきたことでしょう。それがこの工作実施の動機だと思います。鬱憤を晴らしたかったのでしょう」
カストロ中佐が意見を述べた。
「海軍内はもちろん、港湾の労働者や建設作業員などの調査も徹底すべきです」
「しかし憂鬱なことだな。同じ帝国海軍の軍人や軍属同士が疑い合わねばならんとは・・・」
一同は再び沈黙した。
「それでは次にミカサの燃料の問題だが・・・」
カトー参謀長は顔を伏せているルメイを睨みつけて、こう言った。
「なぜ出港前に残炭確認を申し出た先任士官をルメイ大佐が撥ねつけたかの詮索は、帰港してからでいいだろう。
問題は、どう対応するかだ」
参謀長は一同を見回すようにして意見を求めた。
ホワイト大尉が常識的かつ慎重な策を披露した。
「長官、いかがでしょう。将旗を一時ビスマルクに移しては。
予定通りに演習を終えて3艦はターラントに帰港。ミカサは暫時オキナワ島に停泊させ、ターラントから石炭船を回航させて燃料を補給。その後オキナワに停泊中の駆逐艦に随伴させて帰投するということにしては・・・」
「そうだな、大尉。それが最も穏当な対処策だ」
ホワイト大尉の策にカストロ中佐が賛同した。
「参謀長、よろしいですか・・・」
と、それまであまり存在感のなかったラカ少佐が大きな黒い瞳を煌めかせた。
「仮にも第一艦隊旗艦が単艦でオキナワ島に停泊したりすれば、後々問題が大きくなります。守備隊よりも大勢の乗組員たちを上陸させるわけにもいかないでしょう。あそこには十分な施設もありません。ましてや石炭船を回航するなど話が大袈裟になりすぎますし、潜在的敵国であるチナに示威行動しようとして出張ってきた艦隊が途中で燃料切れで補給など威厳にもかかわります。兵たちにも余計な憶測を生むでしょう。それは好ましいことではないと思います」
そう言い切り、黒い瞳の少佐は続けた。
「皆さんの推測通り、小官もこれはチナの破壊工作だと考えます。それなら、むしろ堂々とするべきです。ミカサはチナの手先による軽微な損傷を受け一足先に帰港する。そういう体にすれば、艦隊の兵たちに憶測や動揺をさせずに済みます。
ホワイト大尉の意見と同じで小官もワワン中将の将旗をビスマルクに移し演習を続行するほうが良策だと愚考します。たとえ旗艦が失われても帝国の制海権維持への不退転の決意は揺るがない。そういう強い帝国の意志を示すことにもなるからです。
ミカサも片舷で、しかも微速でならターラントまで持つでしょう。ルメイ大佐、それは間違いないのですね?」
「間違いない。・・・それは、大丈夫だ」
ルメイはうつむき加減で艦隊参謀の問いに答えた。
ホワイト大尉もそれ以上自説に固執しなかった。
参謀長はウム、と頷き、
「フレッチャー司令。それで、いいな?」
「異存ありません!」
熱血の司令官はよく通る声で答えた。
そこで、それまでじっと会議の成り行きを見守っていたワワン中将が口を開いた。
「私はミカサに残る」
その場の全員が一斉に長官に注目した。
「お言葉ですが長官、御自らミカサにお残りになる必要は、ないのでは?」
参謀長が諫めたのは当然と言えば当然と思われた。
「私の座上艦はミカサだ。無事に母港に帰るまで、私はミカサと共にいる」
ワワン中将がきっぱりと言い切ってしまうと、異論を唱える者は誰もいなくなった。
「ではミカサにはリュッツオーを随伴させましょう」
ホワイト大尉が提案すると、
「しかし、標的艦が艦隊演習に居ないのでは演習にならんではないか」
カストロ中佐が否定した。
最後にカトー参謀長がまとめた。
「全ての制海権は我が帝国のものだ。この海域も昨日まで駆逐隊がパトロールしていた。単艦でも問題は無かろう。それに単艦行動していても通信機があれば演習の内容も把握できるし、万が一の事態にも対応できる。・・・ルメイ大佐、」
参謀長はルメイに鋭い一瞥を投げかけた。
「ミカサの帰路、航路については貴官の職責だから一任する。速やかに検討し、決定次第、私に報告したまえ。
長官がミカサに残られる以上、私も長官と行動を共にする。そして、長官不在となれば、第一戦隊の演習としてフレッチャー少将に演習の指揮を執っていただく。カストロ中佐は演習計画の立案者として第一戦隊と共に首尾を見届けねばなるまい。ラカ少佐、ホワイト大尉も艦隊の運用や通信機の係わりなど、演習に立ち会う方が有益と思われる。
長官、以上でよろしいですか」
会議の最後にヤヨイは司令長官に訴えた。
「あのう、閣下・・・」
その場の全員が一斉に壁際にいたヤヨイに注目した。
「なんだね、少尉」
参謀長が質した。
ヤヨイは、起立した。
「今回の一件を大学に通報してもいいでしょうか。通信エリアの確認のため定期的に通信をしていますが、これだけの事件が起きて黙っているわけにも、いかないので」
普通なら軍以外に艦隊の状況を含む機密を漏らすなどはあり得ない。しかもこれは艦隊の不祥事だ。だがワワン中将なら必ず承諾すると思った。それにこの中の誰がそれに反対するのかも知りたかった。その人物が最も容疑が濃い。犯人なら絶対に秘密裏に事を運びたいはずだからだ。
「何を言っているのか。軍令部の許可もなしに艦隊の状況を外部に通報するなどありえないではないか!」
真っ先に反対してきたのはカストロ中佐だった。
しかし、反対は彼一人だった。
「いいではないか、中佐」
真っ先にヤヨイの提案を肯定したのはフレッチャー少将だった。
「大学は部外者ではない。すでに秘密に関して宣誓してもいると聞いている。彼女も、海軍の要請で大学側から派遣されて乗艦している、一時的にではあれ海軍士官だ。
それに現在のところ、この世に通信機はこの艦隊に載っているものと大学にあるものしかないとも聞いている。傍受の心配は皆無だ。
しかもこの一件は本来なら今すぐ通報艦を派遣し軍令部に報告せねばならない性質の事案だ。むしろ、早急な通報を望むほどなのだ。いかがですか、参謀長」
カトー少将は口髭の下をギュッと引き結び、黙っていた。
するとワワン中将もが参謀長に同意を促した。
「どうかね、参謀長」
「・・・はい。おふた方が同意されるなら、小官に異存はありません」
「もちろん、大学からは即刻軍令部や内閣府に内容が伝えられるはずです」
ヤヨイの言にフレッチャー少将は明快に頷いた。
最後に、司令長官がダメを押すように発言した。
「無論だ。ミカサが何者かに攻撃を受け損傷したことは、是非とも伝えてもらいたい」
と、ワワン中将は言った。
「いつものチナの漁民どもの嫌がらせにしては度が過ぎている。
ラカ参謀の言の通り、直接の証拠はないが状況からみてこれは明らかにチナの何らかの意図を持った工作だと思われる。フレッチャー少将の言の通り、軍令部にも内閣府にも直ちに通報し、早急に前後策を検討してもらわねばならない事案だ。
場合によってはチナとの国境線に展開する陸軍が全軍総力を挙げて進撃を準備せねばならぬかもしれんし、海軍としても戦時に備え連合艦隊の編成を検討せねばならなくなるかもしれん」
そして、長官は一同をぐるっと見回し、特に声を大にして、こう続けた。
「第一艦隊として、海軍として、断固とした態度を示すべき時だ!
帝国海軍の第一艦隊旗艦を害するなど言語道断。もってのほかだ。
事は急を要するのだ!」
司令長官の、いつにない、激しく冷厳な言葉に、その場は水を打ったように静まり返った。
そのようにして、ようやく息苦しい会議は終わった。
ブリッジのすぐ後部にある幕僚室の外。
手摺に凭れて下を眺めると、フレッチャー少将たちを乗せた内火艇がポンポンというエンジンの音を響かせてヴィクトリーに戻ってゆくのが見えた。アンはよろしくやっているだろうか。
夜の潮風を胸いっぱいに吸い込み満点の星空と少し瘦せかけた月を見上げた。
ミカサ艦尾の爆発、そしてリュッツオーの一件は予想外だった。
明らかにこれから起こる重大事の予兆だ。奴らの作戦であり伏線だろう。これで石炭の件も明るみになり、ミカサが孤艦になることが決定した。
陰謀の舞台は整ったわけだ。
ワワン中将が退席した後、カトー参謀長がルメイにこう話していたのをヤヨイは聞いた。
「君にもリュッツオーのヘイグ大尉ぐらいの心意気があればな。彼は帝国海軍が誇る最高の士官の一人だと思う。
正式には軍令部の処決事項だが、このミカサの帰投が貴官のミカサでの最後の任務になるだろうな。齟齬のないように頼むぞ」
参謀長の冷徹な表情(かお)。そして参謀長の言葉に震えるルメイの、屈辱に震え真っ赤になった表情(かお)。
参謀長は「クロ」ではない。そう思えるやりとりに見えた。
そのカトー少将が退出間際に不思議な目でヤヨイを見つめていたのも印象に残った。こんな小娘が・・・。そんな彼の内心が表情(かお)にありありと出ていた。
ワワン中将はヤヨイの正体を腹心ともいえる参謀長にすら秘密にしているのが、これでわかった。
だがこれで今後は暗号ではなく平文を使ってターラントへ状況を報告できる。まだ、任務の核心に迫る要件は無理だけれど。通信長の存在も気にせずに「お墨付き」をもらったのはありがたかった。暗号文を作成する手間が省けるし、小型通信機のバッテリーも節約できる。
ふと、眼下から賑やかな歓声が昇ってきた。
接舷しているリュッツオーだ。
この小さな軍艦の艦長は、誰もが疑心暗鬼になり暗い気持ちになりかけるのを吹き飛ばしてくれるような、あまりにも痛快で爽やかな方法で、自分の艦と乗組員たちへ向けられた艦隊中の疑惑の目を晴らした。カトー少将がルメイに投げかけた言葉はこの一件を踏まえてのものだったのだろう。
そのノリが、今も小さな艦内で続いているのだ。
リュッツオーの艦長、ヘイグ大尉は、彼らの心を慰め、卑屈になることから救っているのだ。自然にあのレオン少尉が思い出された。雷神になった彼女は今、この光景を見下ろして何を思っているだろうか。
ヤヨイがそんな物思いに耽っているとポンと肩が叩かれた。
「疲れましたか」
ヨードル海曹長の落ち着いた笑顔がそこにあった。
任務とはいえ急に少尉などと呼ばれて年上の男たちに傅かれ、いささか気が張り過ぎていたのかもしれない。何故かこの人の傍にいると心が包まれ、安心するのを覚えた。
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