第19話 17 対艦実弾演習

「ほーら、おいでなすったぞ。全員、耐衝撃姿勢を取れッ! 吹っ飛ばされて海に投げ出されても助けてやれねーからなっ!」

 ブリッジの左に顔を突き出して双眼鏡を覗いていたヘイグ大尉は中に引っ込んでニヤリと笑っだ。そして舵輪を持つ水兵の肩を叩き、ポンッとヘルメットを被せてやった。

「アイ、サー! 少尉も、これを。必ず何かに掴まってて下さい。目標のブイは500メートル後方ですが、ときたま至近弾も来ますのでね。戦艦にもときどき測距を間違えるアホがいるんですわ。とにかくすごい衝撃なんスから。ガハハハ・・・」

 年かさの伍長から渡されたヘルメットを被り、ミヒャエルはゴクリと唾をのんだ。

「でも、慣れるとその衝撃が快感になるんスけどね」

 乗り込んできたのが可愛い女性士官ではなく男とわかると皆地を出し始めた。

 伍長はすでに無精髭の浮き出た顎を揺らして大きく笑った。彼はきっと、Sの気があるのだろう。

「ほら、そろそろ始まりますよ、少尉」

 人懐こそうな伍長に促され、ミヒャエルは左舷寄りに移り次第に近づくミカサの艦影を見つめた。もう双眼鏡など必要ないほどそれは大きく見え、みるみる近づいてくる!

 と、ミカサの前面に一瞬赤みを帯びた光が放たれ、黒い発射煙が沸いた。

 すぐにどおーんという砲声が海を渡って聞こえてきて、上空をシュルルル、と空気を切り裂く音が通り過ぎたと思う間もなく、はるか後方にズッ、ドーン!

 海面に着弾、巨大な水柱が2本立った。すぐにぐわっと軽い衝撃波が来た。

「今のはまだ試射です。徹甲弾ですからね。水に落ちた衝撃で信管が作動して、弾の後ろから爆発するんでさぁ。だから水柱が上がるんですよ」

「そうじゃない弾もあるんですか」

「私らのふねで使うのはもっぱら榴散弾ですね。なんせ、相手がみんな木造の小舟でしょ。時限信管で目標の上空で爆発して飛び散るんです。破片で敵の船乗りをやっつけたり敵の船に火災を起こさせるヤツ。むしろそっちのほうが怖いスよね」

「なるほど・・・」

「次のは、近いですよ。それに大量に来ますよ」

「え?」

 伍長の指さした方を見るとさっきよりさらに大きく見えるミカサの艦体全てが光と黒い煙に包まれた。

 ドン、ドドンドンッ!

 連続した発射音がと伝わってきたかと思うまもなく、空気を切り裂く音と最初の着弾が一緒だった。

 ミカサの主砲4門と副砲片舷10門の一斉射撃が始まったのだ。

 小さなリュッツオーのすぐ後ろには何本もの水柱が立ち、海面が山のように盛り上がり、何度かぐわんぐわんと艦が浮いた。

 さらに大きな衝撃がやってきて爆風が薄いブリッジの壁をビリビリ震わせ、ミヒャエルの身体を何度もドンドンと殴り頬を弄った。

 一瞬だが息がつまり、思わずブリッジの薄い壁の握りと操作卓の縁を掴んだ手に力が籠った。午前中に食堂で食べたビュルストやクロワッサンをその場に戻してしまいそうになった。

「大丈夫か、ユンゲ少尉。めんどくせえからミックでいいよな?

 これからドンドンスゲえことになるからな、ミック。耐えられなかったら下に行って耳塞いどけ。ここよりは揺れない。ゲロ吐くのは構わんが、ぶっ倒れられると面倒なんでな」

「ヒデェ時ャ衝撃で舵が曲がっちまうんでさ少尉! 何十トンも水が降ってきて上甲板も全部ずぶ濡れになっちまいますしね。沈没しちまうんじゃないかってぐらいなんでさあ。ホント、耐えられなかったら早めに言って下さいね」

「だ、は、だ、大丈、夫、す・・・」

 ミヒャエルはやっとの思いで息を吐いた。

「そうかい・・・」

 ヘイグ大尉はそううそぶき、葉巻に火をつけた。スーッと吐いた煙が束の間ブリッジに漂い、やがて潮風に運ばれ後方に流れさってゆく。

 ブリッジの際に凭れて脚を操作卓の上に放り投げるという士官にあるまじき行儀の悪さだが、どんなに艦体が動揺しても双眼鏡を持つ彼の上体は安定している。艦長がこれだから、乗組員も平生の顔で落ち着いたものだった。舵をとる水兵や前方を監視したりブリッジよりもさらに大きく揺れるマストの上に登り常にミカサに掲げられる信号旗に注目している水兵たちも。皆どんなに揺れても平気な顔をしていた。万が一主砲の直撃弾を食らえばこの小さな艦などひとたまりもないのに。全員そんなこと当たり前だろうとでも言いたげな風情で落ち着いていた。

 着弾の衝撃と爆風と水柱の森をものともせず、標的を引っ張り続けるリュッツオー。戦艦とは違う。この小さな艦を操るにはそれなりのやり方があるのだ。郷に入りては郷に従え。ミヒャエルもまた操作卓の縁に片脚をかけ、壁に凭れて身体の安定を確保した。

 ヘイグ艦長や伍長の言葉には少しも誇張はなかった。次にはミカサとビスマルク、2艦分の砲弾が文字通り雨アラレと降ってきたからだ。

「むしろ近くなってきた方がラクなんだ。命中率が上がるしな。だがその後の追撃戦がまたスゲェんだ。水平射撃に近くなると時々弾が水を切ってすぐそばの海面の上をテンテン飛んで追い越してくのが見れることもあるぜ、トビウオみたいにな。ガキの頃やらなかったか? 川の上にこんな風に小石を投げてさ・・・」

 肝が据わっていないとこの艦には乗れないな、と思った。

 胃のムカつきを耐え、砲撃を続ける第一艦隊を見つめ続けた。

 まさに海神ポセイドンの咆哮。

 灰色の山のような艦体から次々に打ち出される砲弾。恐ろしい怪物が間近に迫ってくる。標的ブイに砲弾が命中すると、とんがり屋根のように組まれた分厚い鋼板が衝撃や爆発でグワングワンと翻弄され大きく傾く。が、その都度復元しまた叩かれる。その打撃音が地獄のドラムのように背後から響く。


 かっこいい・・・。

 これが見たかったんだ・・・。

 この巨大な力は帝国だけのものだ。


 ミヒャエルは背後のブイの周りに林立する水柱と大音響とともに火を吐き続ける戦艦たちの凄まじい構図に目をくぎ付けにしていた。

 ヤヨイが提案してくれなかったら、こんな光景は見れなかった。言ってくれて本当によかったと思う。至近弾で高く上がった水柱が次々に崩れてはリュッツオーに降り注いだ。その度にびしょびしょになる眼鏡と塩辛い顔を軍服の袖で拭いながら、ミヒャエルはその巨大で圧倒的な力のショーに魅入り続けた。

 反航戦の射撃は標的ブイが二番艦ビスマルクと三番艦エンタープライズの中間に来た際に最高潮となった。戦艦4隻、計56門。100ミリ70ミリの各砲がただ一点の目標である標的ブイに集中砲撃を加える様は圧巻の一語に尽きた。命中率は格段に上がり、ブイは白い水柱の中で赤々と爆発を受け続けた。一瞬射撃が止んで水柱が消えた。もう粉々になっているのではないかと思えたブイはだいぶひしゃげながらも三角屋根の形状を保ち、ちゃんと引っ張られていた。

「あの標的は頑丈なんですね。あんなに撃ち込まれているのに・・・」

「ああ・・・」

 ミヒャエルの質問にチラと背後を一瞥したヘイグ艦長は、つまらなそうに応えた。

「ミカサ級のバイタルパートに張られている装甲と同じ強度の鋼板なんだ。あの戦艦たちを建造したときの余剰資材、つまりな、『端切れ』を使ってんだ、あの標的は」

 と艦長は言った。

「要するにな、ミカサの砲弾じゃミカサは沈められねえってこった。『盾と矛』って言うだろうがよ」



 この巨大な力は帝国だけのもの。

 ブリッジや副砲の傍や砲弾を運びながら、標的の周りに林立する巨大な水柱を見ている者は攻撃している側のミカサにもいた。その誰の胸にもそんな思いが宿ることだろう。ただし、ルメイとその同調者を除いては、だろうが。

 ミヒャエルとは違い、ヤヨイには帝国海軍の巨大な力のショーに魅入り感慨に耽っている暇はなかった。

 いつ、それが起こるのか。その予兆を捉えねばならない。

 それなのに、最も疑わしい機関長のノビレ少佐の人物も見定められないままにヨードル海曹長はブリッジを離れ、演習に突入してしまった。焦燥が表に出ないように振舞うのが今彼女にできる精一杯だった。

 焦るヤヨイとは裏腹に、外の砲声がどんなに喧しくともブリッジの中は冷ややかな空気が支配していた。乗員たちの練度を高め、チナへの武力の誇示を全うするため。その明確な目的を確実に達成するために冷静にすべてを取り仕切る頭脳。艦隊司令部とミカサの幹部たちの佇まいは、そのようにあった。

 最後のヴィクトリーが射撃を終えた。

「ミカサより第一艦隊全艦! 右舷一斉回頭! ヴィクトリーに続航せよ!」

 全艦に180度の一斉回頭が指令された。逆順単縦陣で標的ブイを追撃する形をとって砲撃演習は続いた。

 その後、艦隊は再び一斉回頭し、ミカサがまた先頭にたった。

「艦長。今、チナとの国境線を超えました」

 航海長のメイヤーが時計と海図と計算尺とを睨みつつ、そう報告した。

「了解。副長、付近を友軍艦艇がパトロールする予定はなかったな」

 ルメイが傍らのチェン少佐に質した。

「ハイ。第三艦隊は全艦マルセイユに帰港中の予定です」

「よろしい!」

 艦長は弾むようにそう言い、

「敵船監視を厳にするよう。同内容を先行するリュッツオーに旗流信号」

「アイ、サー! 敵船監視を厳に」

 副長の復唱を監視兵に伝達すべく、常に数人が控えている信号兵がマストの上と艦尾の監視哨に伸びている伝声管に怒鳴った。同時に信号兵が旗流信号を作って掲げるためにブリッジを駆け出して行った。


 敵の船は見つけ次第捕捉、攻撃し撃沈する。

 それが帝国海軍の基本方針だ。

 現在チナとの間は戦争状態にはない。だがチナ沿岸から3海里より外側を通行している船は拿捕、臨検して海底のサルベージなどをしていないかどうかを確認する。そして停船命令に従わない船は躊躇なく撃沈する。先の戦争の結果帝国に敗戦したチナは帝国に領土の多くを割譲しただけでなく、帝国との間でそうした協定を結ばされていた。

 だから、演習中でもその協定に違反した船を取り締まる必要があった。敵性国家の洋上を航行する際の慣例。演習は戦力の誇示だけでなく協定違反船舶のパトロールも兼ねた作戦行動だった。

 拿捕され臨検される側にしてみれば恐怖だろう。実弾をぶっ放し、巨大な水柱の林を作りつつ迫ってくる大艦にはどんな船であろうが大人しく言うことを聞くより他ないのだから。運よく拿捕を免れるか、拿捕されても違反行動なしとして開放されたチナの船は小さな港に帰って言うだろう。

「帝国の船には絶対に逆らうな」

 と。

 それが帝国の利益に繋がるのだ。


 数キロ先をゆくリュッツオーから発光信号でアンサーが来た。同時にアンサー旗が上がったのを監視兵が報告した。

「前方2時の方向、オキナワ島を視認!」

 物見台で双眼鏡を睨んでいた水兵がブリッジの中へ叫んだ。

「カストロ中佐、そろそろ予定の進路変更地点です」

 ホワイト大尉が静かに言った。中佐はウム、と頷き、

「参謀長。これより予定の通りチナの沿岸に6海里まで接近し、演習を続行します」

 参謀長に上申した。

「長官。これより進路を変更しチナ沿岸に接近します」

 司令長官席のワワン中将は黙って頷いた。それで命令が成立した。

「信号兵、リュツオーに対し発光信号。磁方位300を志向せよ。速力3分の1。以降、チナ沿岸6海里の線を保ちつつ、自由回避行動をとれ。通信長、同内容を全艦に通信せよ」

「アイ、サー!」

「アイ、サー」

 カストロ中佐はミカサの信号兵と通信長に直接指示した。

 艦隊はゆっくりと大きく弧を描いて標的を引っ張るリュッツオーを追いつつ、追い抜きながら射撃する。そんな艦隊運動を繰り返しながら全体では約8ノットの速度で航走を続けていった。

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