第18話 16 過去のある男、ヨードル

 よし。よしっ!

 艦長室でひとり、ルメイはほくそ笑んだ。

 ここまでは計画通りだ。

 しかし同時に不安もいや増した。その高揚と不安の相克に耐えきれなくなり、しばしブリッジを離れたのだ。だがあと数時間。そのあたりで動きがあるはずだ。無ければどうしようもなくなる。

 ルメイの抱く不安とは。

 彼がすべてを掌握しているのではないこと。

 その一点にあった。



 チナの窓口だった陰気な男は完璧な帝国語でこう言った。

「ヘル・ルメイ。あなたが為すべきことはたった2つだ。一つは燃料の搭載量を既定の6割にとどめること。もう一つは、単艦になったミカサに沿岸から3海里以内の航路を取るようにすること。それだけだ」

 暗闇の底から溢れてくる黒い血糊のような不気味な低い声音が夜のフォルムに響いた。

「教えてくれ。どうやってミカサを単艦にするのだ! それに3海里などは無理だ。海軍の規定で戦闘と演習以外の目的では敵性国家の沿岸6海里以内には接近しないことになっている。それは動かせない!」

「なら、この取引はなし、だ。大佐どまりで生涯海軍に冷遇されて、退屈な奥様と素敵な余生をお過ごしになればいい。あなたとミカサを招待できなくとも、我が国は痛くも痒くもない。我が海軍の顧問となって王侯並の待遇を受けることを夢見る貴国の士官は他にもいるからね」

「本当にあなたの国に海軍があるのか? 外洋に出た船は悉く帝国が撃沈してきた。どこに港があるのだ。これまでの探索では一度も発見されていないじゃないか!」

「疑うのはあなたの自由だ。艦隊もあるし、港もある。これまで帝国海軍が沈めてきたのはそのほんの一部でしかない。あなたが指示通りに事を運べば、あなた自身がそれを目の当たりにするだろう。すでにミカサには今回の協力者も乗せてある。あとは、あなたの決断次第だ」

 最後に、ミカサの協力者の名を問うたが、

「あなたは知らない方がいい」

 と、協力者の名を明かすことさえもにべもなく撥ね付けられた。

 それだけあの国にとって重要な「アセット」、情報の資産が帝国海軍にはあるのだろう。それほどまでに海軍や国の機関に浸透しているのならば、遠からず帝国はあの国の王に拝跪することになるやもしれない。

 そう考えたが故の決断だった。



 今更後へは引き返せない。あとは実行あるのみだ。燃料不足でミカサのみ引き返すとなれば艦隊司令部も将旗を他の艦に移すことだろう。一時だけ、旗艦の燃料不足をチェックできなかった無能な艦長の屈辱を耐えればいいのだ。

 その後に笑うのは、この私だ。





「なんだ。バカロレアの士官が乗り込んでくるって言うから、てっきりあのかわゆいブルネットちゃんが来るのかと期待しちまったぜ」

 リュッツオーの艦長であるヘイグ大尉は、短く刈り込んだ縮れ気味の髪をゴシゴシ擦りながら、髭剃りあとの濃い、盛り上がった顎を震わせて豪快に笑った。

 見るからに、マッチョという言葉が似合いそう。象牙の塔からひょっこり来たようなミヒャエルとは対照的な男だった。戦艦のブリッジとはあまりに違う雰囲気に恐縮したミヒャエルは小さくなるしかなかった。

「どうも、すいません・・・」

「おいおい。気にすんなって。男なら男でこっちも気遣いしねえで済んだわけだしよ。

 見ろ。コイツらを。いつもは無精髭生やしまくりの汚ねえやつらなのに、急に全員髭剃ってきやがる」

 そう言いながら艦長はミカサに比べるべくもない小さくて狭い、上甲板から一段しか上がらずに済む、ちょっと荒れるともろに波のしぶきを浴びそうなブリッジに詰める面々を見回した。言われてみると、士官も下士官も、ヨレヨレの軍服の割に小ざっぱりした顔をしていた。

「そういう艦長もいつもと違ってサッパリした顔してやすゼ」

 舵輪を握る下士官が突っ込む。

「うるせえ! てめえは黙って前見てろッ!」

 ヘイグ艦長は吐き捨てるようにそういうと、にわか士官のミヒャエルの緊張を解すように親しみのこもった表情かおで語りかけた。

「ま、艦隊司令官が乗ってる旗艦と違って気楽なことだけは保証するぜ。ただしローリング(横揺れ)がひどいし、全速力出せば艦隊一うるせえふねだけどな。速力が上がると復元力が弱くなるから特に重心を低く取ってあるんだ。だから揺れるのさ。

 でもよ、舷側がすぐだからゲロ吐くには便利だろ」

 うわっはっはっ!・・・。

 そういって艦長はブリッジの面々を笑わせ、自分もまた豪快に笑った。

 まさに海の男たちだ。

 艦体の小ささと貧弱な武装を、艦隊一の速力と乗員の気迫で補っている。大学の狭い世界にこもりきりだったミヒャエルにとって、何もかもが新鮮に魅力的に映った。

 ミヒャエルはますます海軍が好きになった。

 背嚢を下ろし、ヤヨイから渡された通信機を取り出した。

「そいつが『ツーシンキ』か」

「ええ。ただし、緊急時だけに使います。バッテリーが短時間しか持たないんです。将来的にこの艦(ふね)にも発電機が搭載されればミカサに積んだものと同じのが使えます」

「なるほど。ま、どうでもいいけどしっかり固定しておけよ。言ったように揺れがひどいからな。おい、ジャック! 船倉にバンドと木ねじがあったろ。持ってきてソイツを海図台にでも固定してやれ」

「アイ、サー!」

 艦長の指示で小気味よくブリッジを出て後部に走って行った水兵を見送り、ミヒャエルはその視線の先にミカサの艦影を望んだ。

 5000トンの大艦は薄い煙を吐きながら後続の同型艦たちを従え堂々と力強く波を切って進んでいた。


 あらためてヤヨイのことを思った。

 野戦部隊で徴兵を終え、大学に戻るとヤヨイはいた。

 可愛い子だな。そう思っていたらすぐに彼女も徴兵された。それで2歳下とわかった。

 せっかく会えたのにな。これで2年は会えないな・・・。

 そう思っていたら、たった2か月ほどで彼女は戻ってきた。しかも大蔵省の役人を連れて。しかも、通信機の莫大な開発費用付きで。

 目の前の小型の通信機に手を置いた。

 ミヒャエルが驚いたのはこの通信機の小ささもさることながら、バッテリーを内蔵していることだった。

 工学部には彼の所属する電気学科の他にも様々な分野を扱う学科がある。化学科もその一つで、電気学科では以前から携帯できる蓄電池の研究開発を化学科に依頼していたのだ。素材には乏しいが、知識はふんだんにある。

 だが、現段階ではまだ十分な電圧を確保できず、しかも電解質の固体化が困難であることから携帯用としては実現できていない、と聞いていた。

 しかし、それが今、目の前にある。

 一体、ヤヨイとはは何者なのだろう。

 普通の20歳の女の子ではない。彼女には、なにか得体のしれない隠された秘密があるような気がする。


 徐々に速力を上げ、標的ブイを引っ張りながら第一戦隊を引き離すリュッツオー。大きく揺れる小艦の手摺に掴まり、時折冷たいしぶきを浴びながら、ブリッジの物見台に出た。

 ヤヨイが乗っている、次第に遠ざかるミカサの艦影。

 それはもう、標的ブイの向こう側に隠れるほど小さくなっていた。




 艦隊が動き出すと、ヤヨイは自室にこもり電文を作成した。

 艦隊司令部の幕僚会議に出席することになったこと。

 ミヒャエルに予備の携帯通信機を持たせてリュッツオーに移乗させたこと。

 もちろん、まだヤヨイの正体は明かしていないこと。

 艦隊は予定通りに西進を開始し、間もなく対艦戦闘演習が始まること。

 そして、現在ではまだ異変の兆候は見られないこと・・・。

 それらを盛り込んだ。

 その暗号電文を手にブリッジに上がった。

 ルメイはおらず、副長のチェン少佐が艦長席で操艦を担っていた。

 舵輪とスロットルにそれぞれ下士官がつき、ブリッジの左右に張り出した物見台には双眼鏡を構えた水兵がそれぞれ立っていた。それに、航海長のメイヤー少佐が居て操作卓の上に海図を広げていた。

 正面やや左舷側の彼方には、あれだけ大きかった標的ブイが小さく波を切っていてその向こうにそれよりはるかに小さなリュッツオーの艦影が望めた。

「あの、大学の研究室と通信してもいいですか。前回のようなことにならないように、定期的に出力を試験したいので」

「きみは通信科なんだから、いちいち申告なんかいらないよ。遠慮しないで好きなだけどうぞ」

 褐色の顔をあげ、航海長はそう言って笑った。

 彼は帝国ではごく少数派の黒人だ。しかし彫が深く精力的で魅力的な顔立ちをしている。言葉にどことなくフランス語のイントネーションが混じっている。

 通信機の前に座り周波数を合わせた。猛烈なスピードでキーを打ち始め、作成した暗号文を数分で打ち終えた。すでにターラントから数百海里も離れているから小型の通信機は使えないのだ。送信を終わるとしばらく通信機の前で待った。

「数字ばかりだったな」

 オキナワ島までの海図を睨みながら、メイヤー少佐は言った。ヤヨイの送っていたモールスを聞いていたのだろう。もちろん、海軍士官たちはみなモールスを知っている。だから暗号を使わねばならなかったのだ。

「はい。電波の具合と計器の状態をモニターした数値を送っているので。大学も今度ばかりは威信にかけても失敗しないようにと神経質になっているみたいなのです。ナーバスな人の相手するのも疲れちゃいますよ」

 ヤヨイたちほどではないが電波や通信機に通じている通信長のデービス大尉相手ならこういう言い訳は通用しない。彼がいなくてよかったと思う。

「なるほどな。それにしても打つの速いなあ。さすがバカロレアだな」

「ありがとうございます、少佐」

 それだけで彼は海図に戻り、片手でコンパスを動かし計算尺を睨んだ。砲術長のハンター少佐もそうだが、彼も専門の分野以外にはあまり興味を示さなかった。それはどうもこのミカサに共通の傾向らしい。ヴィクトリーとの違いを感じた。

「ト、ツー、ト」

 スピーカーから「R」が送られてきたのを確認し、周波数を「全艦」に戻しブリッジを後にした。

 再び自室に戻り、先ほど参加した艦隊司令部の面々とミカサの幹部たちの情報を整理することにした。事が起こる前にもう一度それぞれの情報を吟味し、ルメイとの関係を把握しておく必要がある。


 まず、艦隊司令部。

 帝国海軍最強の第一艦隊の参謀たちだから、言うまでもなく海軍のエリート中のエリートたちの集まりだ。

 まず、口髭の参謀長カトー少将。謹厳実直。常に司令長官を補佐し、中将の信頼篤い女房役といった印象。彼の発言はことごとくワワン中将の同意を得ていた。この人が敵側だとは考えにくいが、もしそうだったらかなり手ごわそうだ。

 黒髪の中佐。カストロ先任参謀。今回の演習計画はことごとく彼の立案によるらしい。ワワン中将やカトー参謀長の覚えを良くして出世したい、という欲望が透けて見えそうな男だ。慣例だそうだが、彼もまたチナとの国境を越えて演習を誇示し、ハデに作戦家としての才能をアピールしたいのだろう。だが欲望が大きい人間はその性向を利用されやすい。ルメイがそうであるように。

 ブラウンの髪のラカ参謀。階級は少佐。司令長官を除けば司令部では唯一の南の国出身の東洋人。今までのところ彼はあまり発言していない。だからその性向がまだよくわからない。南の国の人はおしなべて皆無口なのだろうか。それとも・・・。

 そして司令部の紅一点。赤毛のホワイト大尉。赤毛だけでなく、なんにでも突っ込む果敢そうな性格が、アンと似ている。だが、オフィシャルな場でわがままをこねるのを厭わないアンよりは理知的な印象。彼女は過度な西進に否定的な考えを持っているらしいのがわかった。発言は積極的だが、慎重な性格なのだろう。

 そして、ミカサの幹部士官。

 副長のチェン少佐。チナ系だけに当初ウリル少将は真っ先に彼を疑っていたのを思い出す。だが、会ってみると実直な性格で急な機関長の変更にも疑問を抱いていた。表立って艦長のルメイに抗議したりはしていない。それに旗艦の副長に選ばれるぐらいだから、海軍の人事当局の覚えもいいのだろう。ヨードル曹長の直接の上司で、船務全般を担当する。ミカサの幹部になってまだ1年経っていない。

 さっきブリッジにいた航海長のメイヤー少佐も、砲術長ハンター少佐、そして通信長のデービス大尉にもこれまでもブリッジで接触している。だが皆、事前にウリル少将から聞いていたプロフィール以上の情報は得られなかった。今までのところこれといった兆候も見受けられない。ルメイと他の下士官とのかかわりも希薄過ぎて掴みどころがない。

 新任機関長のノビレ少佐とはまだ一度しか面識がなかった。ルメイと一緒にブリッジで会ったきりだ。事が起こる前にもう一度会っておきたいが、彼は職務上機関室にいる時間が長い。ヤヨイも演習続きでブリッジに詰める時間が長い。適当な口実を設けてエンジンルームに行く機会を作りたいものだ。今回の実弾演習の直前になって赴任してきたことからウリル少将からも彼についてのデータはない。

 怪しいといえば、現段階ではもっとも怪しいのがこのノビレ少佐かもしれない。中枢である機関室の担当というのも興味深い。だが、それだけだ。憶測の範囲を超えるものではない。

 要するに、あの艦全体が燃えるようなヴィクトリーに比べると、艦長と部下たちとの関係が希薄過ぎる。午前中の演習成果の差も、ヴィクトリーとそうしたミカサの雰囲気の差が表れた結果なのではないかと思えてくる。

 机の上の小型通信機のランプが光った。『S』の3回繰り返し。

 リヨン中尉からの返信だ。

 すぐに紙とエンピツを用意した。数字の羅列が長々と流れてくる。リヨン中尉がいるターラントに置いてある通信機の出力は大きく、条件が良ければ地球の裏側でも届く。

 ランプの点滅がヤヨイの頭の中で数字に変わる。それらを書き取り終え、聖書を使って解読した。

 ヤヨイの電文を受信し直ちにクィリナリスに通報したことと、先に依頼していた先任士官のプロフィールを送ってきた。

 それは興味深い内容だった。



 フリードリヒ・ヨードル海軍曹長。

 ハインリヒ18年6月Juniユーニ26日生まれ 37歳。

 海軍入隊以降、駆逐艦巡洋艦の甲板員を務め、人物温厚で下士官兵らからの信頼も厚く特に機械系と重電気の知識に長けていることから順調に昇進。2年前の戦艦ミカサ就役時より先任士官を務める。

 本名は、フリードリヒ・シュタウフェン・フォン・ヨードル。名門シュタウフェン一族に連なる名家の出身。


 へ~え・・・。彼は、貴族だったのか・・・。

 意外な事実に、ヤヨイは興味を惹かれた。


 過去概略。及び、家族。

 リセ在学中に家出。理由は不明。キール軍港付近の漁村で漁師をしながら海軍を志願し入隊。当初海軍は彼の出自を知らなかったが、のちに発覚。生家に通報され一時は海軍を除隊され士官学校へ転籍されかかるも、本人の強い希望と生家の承諾により海軍に残留。

 家出して世話になった漁師の家の娘と結婚し一女を設けるがのち離婚。現在は独身。旧姓に戻った別れた妻はヘレン・キルヒャー。今年17歳の娘の名はヒルデガルド。娘は現在もヨードル姓を名乗っている。小学校卒業後は母親の元で暮らし現在は魚市場に勤めていて蒸気トラックの運転手をしている。


 なるほど・・・。

 過去のある男、というわけか・・・。

 その家出の理由が気になるが、悪い男には見えない。家出をしてまで貴族でいるのを嫌った、ということだろうか。

 貴族の子弟は皆陸軍士官学校に入校するのが慣例になっている。軍務で経験を積んだ後は官僚か政界に進出して帝国の指導部層を形成する習わしなのだ。陸軍がイヤだったのだろうか。それとも政治や役所に携わるのがイヤだったのだろうか。

 ふとリヨン中尉が思い出された。

 彼も元は貴族だって言ってたっけ・・・。

 束の間、馬車の中で彼に手を取られたのを思い出していたら、艦内放送が流れてきた。


「・・・ブリッジより全艦に達する。一時間後に対艦戦闘演習を行う。ブリッジ要員は集合せよ。なお、戦闘配置下令までは通常航海配置のこと。以上・・・」


「過去のある男」の声が通路のスピーカーから響いた。事が起こる前にノビレ少佐に会っておきたい。ヨードル海曹長に頼んでエンジンルームを見せてもらうとかは出来るだろうか。だが演習が始まってからでは難しいかもしれない・・・。

 解読に使った聖書を閉じて、ヤヨイはブリッジに向かった。


「通信長、各艦に伝達。第一艦隊はこれより対艦戦闘演習を開始する。左舷対航戦用意」

 カトー参謀長ではなく先任参謀のカストロ中佐が司令部命令を発した。俄然気合が入っているのが傍目からもわかった。

「アイ、サー!」

 デービス大尉が復唱し、全艦用の周波数で命令を呼びかけた。その向こう側にルメイ大佐が艦長席に着席していて黙って前方を向いていた。

 ブリッジの左舷寄り前面ガラスには砲術長のハンター少佐が測距儀を構えて張り付き、舵輪を握る水兵の背後には航海長のメイヤー少佐の褐色の横顔がある。その向こうの司令官席にはワワン中将が操作卓を挟んでルメイとシンメトリーに座っていて、参謀長をはじめとする司令部スタッフたちが彼の後ろに控えていた。

 ブリッジ最後方に立つヤヨイからはそれらが全て見渡せた。

「左舷11時、リュッツオーを確認。距離、1万!」

 左舷物見台の水兵より先にハンター少佐が叫んだ。標的ブイを引っ張って西へ先行していたリュッツオーが反転して向かってきていた。

「通信長、距離4000にて各艦攻撃開始」

「距離4000にて攻撃開始、アイ!」

 デービス大尉が命令を復唱しマイクに向かって伝達し始めるとルメイが口を開いた。

「副長、全艦戦闘配置。左舷対航戦用意」

「アイ、サー! 先任士官、全艦戦闘配置。左舷対航戦用意」

「アイ、サー」

 ヤヨイと同じくブリッジ後方に立っていたヨードルが艦内放送のマイクに向かって命令を伝達し始めた。

「ブリッジより全艦に達する。全艦、戦闘配置。左舷対航戦用意! 各砲十一時方向に志向」

 そう命令を発した後、鉄帽ヘルメットを被り、敬礼した。

「副長、これよりダメージ・コントロールに詰めます」

「了解」

 全て対艦戦闘用の手順通りに進んでゆく。甲板長を兼ねる副長の代理として先任士官は対艦戦闘の際、ブリッジ下の応急処置室に待機して被害を受けた場合に対応するのだ。ヨードルがブリッジを離れるのと同時にその場の全員がヘルメットを着けた。

 ヤヨイもまたヨードルの大きな背中を見送りつつ、鉄帽の顎紐を締めた。

 艦内各部よりアンサーが伝声管を伝わって集まってくる。前部回転砲塔がゆっくりと動き出し、十一時の方向、磁方位240にその主砲を向け仰角を取り始めた。

 ヨードルに代わって航海科の下士官がマイクと伝声管の傍に就いた。

「相対距離、6500!」

 ハンター少佐が叫ぶ。

 固定した目標ではなく対艦戦闘でしかも反航、すれ違いの進路を取っている。敵味方双方が互いに接近するため、リュッツオーとの距離が縮まるのが早かった。ブリッジの前面ガラスの向こう側、凪いだ青い海の彼方ににうっすらと灰色の小さな艦影が見えてきた。

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