第20話 18 ヨードル、陰謀を暴く!
昼間、午前と午後に2時間ずつ対艦射撃演習を行い、かつ敵の沿岸に沿って凄まじい演習をチナの民に見せびらかすようにしながら、艦隊は西へ進んだ。
そのようにして迎えた、演習4日目。
第一艦隊はチナ領であるハイナン半島に続くハイナン諸島を南からぐるっと迂回しながら、チナ第二の都市アルムにほど近い海岸を目指す航路に乗った。
明らかに、チナへの威嚇をより効果的に演出するための行動だった。
全ての海は、わが帝国のもの。
海軍は、そして海軍の至宝ともいうべき第一艦隊は、その帝国の強い意思を具現化するべく、西へ、敵チナ王国の沿岸深く、進んでいった。
だが。
一人だけ、艦隊が西へ進めば進むほど焦りを募らせている者がいた。
いうまでもなく、それは、ルメイだった。
「一体、チナの策謀とやらはいつ起こるのだ! 」
彼は、搭載燃料を既定の6割にし、かつチナ沿岸から3海里のルートを航行するように、としか要求されていなかった。
搭載燃料はクリアした。小賢しいヨードルもなんとか黙らせた。
だが、何の予兆もない。
艦隊の航行ルートは艦隊司令部の処決事項であり、いかに旗艦の艦長と言えどもそれに容喙することなどできるわけがない。要は、キッカケが欲しいのだ。
それなのに、艦隊はあくまでも予定通りに、着々と演習メニューをこなして行く。
彼が無事チナ王国への亡命を、それも、この最新鋭の戦艦一隻を手土産にして実施できる時間は着実に減って行く。
もし。
何の予兆もなく艦隊が演習メニューを全てこなし、予定通りにターラント帰港の航路に乗り、さらにチナとの国境を越えて帝国の領海に入ってしまえば、「万事休す」だ。
その時「搭載燃料無し! 」が露見しても、何の意味もない。
むしろ、今。
それを自然な形で発覚されるように動くべきではないのか?
追い詰められたネズミはネコでも噛むという。
ルメイという、帝国を裏切ったネズミは、疑心暗鬼の
「ブリッジより幹部士官に達する。対艦実弾射撃演習30分前。幹部士官はブリッジに集合の事。以上」
艦内放送が流れた。
ルメイは重い腰を上げ、艦長室を出た。
そして、ここにももう一人。
艦隊が西へ進むにつれ、ある感情を募らせている者がいた。
ヤヨイである。
ただし、彼女の場合はルメイのとはちょっと違った。それは、焦りではなかった。
「やあ! おはよう少尉。ごくろうさん!」
ブリッジで夜間当直を務めていたヤヨイに、湯気の立つコーヒーを注いでくれたのはデービス大尉だった。
「・・・おはようございます、大尉」
「なんだよ、機嫌悪そうだな。当直、イヤかい?」
「いいえ、別に」
「でも、なんか怒ってるよな」
「いいえ、別に」
「なんなら、個室で休むかい? きょうも訓練だから、午前中はぼくが代わってあ・・・」
「いいえ、別に大丈夫ですっ! お気遣いなくっ!」
「お~・・・、怖・・・」
ヤヨイは、イライラを募らせていたのだ。
艦隊がターラントを出港してからもう7日。演習が始まってから4日になる。忍耐も限界に近付きつつあった。
いったい、いつなのだ?
いつ、それが起こるのだ?
もう、なんとかしてくれ・・・。
ヤヨイは、熱すぎるコーヒーに思わず、顔をしかめた。
でも、自重せねば。
その時が来るまで、正体は明かせないのだ。
「艦長! 所定の通り、射撃演習と並行してダメージ・コントロール演習を行います。よろしいですね?」
通常の演習と並行して艦内の被害対応訓練を行うよう、チェン少佐がルメイ大佐に進言した。
「よかろう! 適宜被害を想定し、実施したまえ」
ルメイが下令した。
「アイ、サー。ダメージ・コントロール演習。適宜被害を想定します」
「リュッツオー標的ブイまで距離1万2000!」
「艦隊はこれより追撃戦に移る」
カストロ中佐が宣言した。
「単縦陣のまま距離4000で左舷転舵。4000を保ちつつ右舷砲撃戦を行い目標と並航。その後増速して回避行動をとるリュッツオーを追い目標を捕捉せんとする。リュッツオーに連絡! 適宜離脱を試み、艦隊の追撃戦を誘導せよ」
要するに捕捉されるのを嫌って逃げる敵艦を演じろということだ。
現在、帝国海軍に比肩できる海上勢力は存在しない。だが将来的にはそうした存在が出現するかもしれないという想定でミカサ級戦艦が計画、建造され就役し、今艦隊演習を行っている。
だが、現行は敵性船舶の拿捕臨検が主な任務であるために戦艦部隊といえどもその訓練をしておく必要があるのだった。
司令部の指示のもと、ミカサの幹部たちは艦内に命令を伝達していった。
ミカサからの指示に対し、リュッツオーにアンサー旗が上がった。同時に、彼女の後部単装砲塔辺りから火と黒煙が吐かれた。すぐに70ミリ単装砲の可愛い発射音がポン、と一発だけ伝わってきたが、もちろん砲弾などは飛んでこないのはわかっている。弾頭を外した空砲を発射し健気にも敵艦役のリアリティーを演出しているのだ。
それを見た司令部の面々は皆ニヤリと相好を崩した。
リュッツオーのヘイグ艦長も退屈凌ぎをしたいのだろう、と。毎回演習のたびに標的ブイを引っ張らされている身では無理もなかろう・・・。
副長のチェン少佐がこの機を逃さず応じ、艦内放送と伝声管とに叫んだ。
「演習、演習、演習! ブリッジより全艦に達する。敵艦隊より反撃。右舷中央に被弾の模様。被害状況を知らせ。ダメージ・コントロールは直ちに対応せよ!」
「ダメージ・コントロールよりブリッジ。直ちに対応します! 」
ヨードルの声が伝声管から伝わってきた。
「機関室より、ブリッジ及びダメージ・コントロール。右舷第二煙突付近に被弾の模様。右舷石炭庫及び第五第六ボイラーに被害。機能停止。機関員2名負傷。なお、現在出力には影響なし」
これは誰だろう。新機関長のノビレ少佐か、それとも機関員か。
ブリッジの後ろに立つヤヨイは、伝声管から漏れてくる声に耳をそばだてた。
「消火班は上甲板へ! 救護班はエンジンルームに急行せよ!」
ダメージ・コントロールと被害を受けた想定の機関室とのやりとりがスピーカーや伝声管を通じて刻々ブリッジに伝えられる。
と、左舷側艦長席のルメイの横顔がにわかにソワソワし始めたのが察せられた。
なんだろう・・・。
それまで無表情に淡々と操艦に徹していたのに。彼の首筋にうっすらとテカリが見え始めたのをハッキリと認めた。ルメイは、汗をかいていた。
・・・そうか。石炭だ。
今までの情報を顧みて、ヤヨイはそう見当をつけた。彼は残炭が少ないことが露見するのを恐れている。きっと、そうだ。そうに違いない。
だが、何故だろう。
残炭が少ないのが露見するのを恐れているのだとすればどうも腑に落ちない。正規の量を積んでいる僚艦と共に艦隊行動をしていれば、石炭の積載量が少ないことは遅かれ早かれいずれ発覚すること。そんなことは承知の上のはずだ。
それなのに、なぜ今、彼はそれを恐れるのだろう・・・。
「ミゲル、ここを頼む。オレは機関室に行く! 」
ヨードルは、同じくダメージ・コントロールに詰めていた伍長に後を託し、立ち上がった。
「なんで先任が行くんスか? 」
伍長は怪訝そうな顔で先任士官を質した。本来ならこのダメージ・コントロールで被害対応の総指揮を執る先任士官。それが演習とはいえ自ら被害対応に当たろうというのは異例だった。
「今説明してる暇はない! 頼んだぞ、ミゲル!
ケリー、リュッケ、マック! お前たちはついてこい! ハリー、消火班とその辺りの機銃担当のやつらに協力してもらって石炭庫のハッチを全て全開しろ!」
「え、全部ですか? 左舷もスか? 攻撃されたのは右舷でしょ?」
「やかましいなつべこべ言うんじゃないっ! 全部と言ったら、全部だっ! 」
有無を言わさず、ヨードルはそう言い捨てて飛び出し、3人の甲板員が彼に続いた。
通路の天井に頭が
タツロー、よくやったぞっ!
勝手を熟知した狭い艦内通路やタラップを、機関室に向かって小走りしながら、ヨードルは同室の機関主任を褒めたたえ、ほくそ笑んだ。
どうしてもこの目で石炭の残量を確認しなければ気が済まなかった。
自分の家とも思うミカサが大海原のどまん中で燃料切れで立ち往生なんて絶対に許せない!
だが、何の理由もなしに石炭庫をチェックしたりすれば水兵たちに無用な動揺を起こす。が、被害対応訓練中に偶然発覚した風を装えば自然だ。
そう考えて、事前に機関主任に手を打っておいたのだ。
対艦戦闘演習では必ず被害想定訓練が伴う。いざという時のために下士官や水兵たちを慣らしておくためだ。それを逆用し、機関室と石炭庫に被害を受けた設定にすれば自分が石炭庫を確認する名分が通る。もし心配が杞憂であり、十分な石炭を積んでいたとしても言い訳が立つ。艦長の指示に反して行動したのではないと主張できる!
「ケリー。お前はリュッケと第一第二石炭庫に行け。庫内の内側に目盛りがあるはずだ。その数値を読んで残量を確認! マックは俺と第三第四を確認する。
だがいいか、くれぐれもカンテラなんか灯すなよ」
「え、なんでスか? 真っ暗じゃわかんないスよ」
ケリーと呼ばれた一等水兵は怪訝な顔をして尋ねた。
「お前はバカか! この、スットコドッコイが! 」
大男は艦に来たばかりの水兵に超特大のカミナリを落とした。
「石炭の粉塵がモウモウしてるとこに急に火の気と酸素があってみろ。粉塵爆発を起こしてお前だけじゃない。石炭庫全部が吹き飛ぶぞ。死にたいのか! あん?
何のためにハッチを開けさせた。ハッチが開いて外光が入ってきたらその明かりで読めるだろうが! 」
「あ、アイ、サー・・・」
ミカサの心臓部にあたるバイタルパートを輪切りにする。
まず艦の中央に大きな蒸気レシプロエンジンが左右2基並んだエンジンルームがある。その両外側にボイラー。これはエンジンルーム左右にそれぞれ6基、計12基ある。
さらにエンジンルームの外側に石炭庫があり、上に行くほど漏斗のように広がって下の石炭が各ボイラーに運ばれて行く。石炭が消費されると徐々に嵩が下がる。
さらにその外側にはバラストタンクがある。これは石炭庫とは逆に下に行くほど大きな容積になっていて、石炭庫の左右の重量の差をこのタンクに注水して釣り合いを取る仕組みになっていた。
ちなみにバラストタンクの外側にはあの標的ブイに使われているのと同じ、頑丈な装甲が張られている。ミカサ級程度の主砲弾ならこの装甲が跳ね返すし、仮に将来より口径の大きな砲弾が撃ち込まれたり、より破壊力の大きな水雷を撃ち込まれたとしても、装甲、バラストタンク、そして石炭庫の3重の防御壁で重要な機関室と弾薬庫とを守っている。
石炭庫の上は艦の上甲板に開けた搬入口に繋がっていて、ここから補給された石炭がガラガラと庫内へ転がり落ちる構造になっている。常は真っ暗だが左右両舷の甲板ハッチを開ければ外の光が中に差し込む。それをボイラーの真上にある石炭庫の確認窓から覗けるのだ。
くそ喧しくてうだるような熱気が籠る広大なエンジンルーム。
それをはるか下に見下ろすキャットウォークのような狭い通路。その床板の鉄板を踵でカンカン鳴らしながら、ヨードルは最初の第三石炭庫の確認窓の前に駆けつけた。弾んだ息を整え、汗びっしょりの顔を払った。
「マック、開けてみろ」
マックと呼ばれたまだ若い一等水兵はミカサの主の命令を受け小窓の扉のノブに手をかけて回した。扉が開くや黒い粉塵がモワッと湧き出てきた。
顔をしかめつつその粉塵を扇いで晴らし、ミカサの主は中に首を突っ込んだ。
「早くそのいまいましいハッチを開けろ! この、くそったれめが! 」
暗い庫内の天井を見上げて毒づいた。
石炭庫の天井から一条の光が差し込んだ。
すぐにエンジンルームの熱い空気が小さな監視窓から石炭庫に流れ込み、上に向かって噴き上げていった。薄暗いながらも次第に粉塵が晴れて行く石炭庫の壁の目盛りが見えた。
目盛りを追って目線を下ろしてゆく。
それはずーっと下の方まで続いていた。見下ろして行くに従い、自分の汗がスーッと引いてゆくのがわかった。はるか下の方で給炭機にゴロゴロと落ちて行くコークスの鈍い肌が小さく光っていた。
窓から首を抜いたヨードルの顔は煤で真っ黒になっていた。
すぐに隣の第四石炭庫も確認した。結果は似たようなものだった。
「おい、ケリー! そっちはどうだ!」
広大なエンジンルームの天井近く。ヨードルは反対側のキャットウォークに向かって声を張り上げた。
ヨードルと同じように首を突っ込んで目盛りを読んだのだろう、向かい側のキャットウォークから煤だらけで真っ黒になったの上等水兵の顔が叫んだ。
「第一第二とも、石炭の残量は10パーセントから15パーセントほどしかありません! そっちはどうスか!」
ヨードルは自分に続いて顔を突っ込み真っ黒になったマックの顔を見下ろして呟いた。
「・・・大変だ。えらいことになっちまったぞ・・・」
「どうしたんだ、先任士官」
振り向くとそこに鋭い目つきの真っ青な顔をした機関長、ノビレ少佐が立っていた。
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