第4話 04 ルメイ大佐

 4隻の最新鋭戦艦が入港すると、軍港ターラントは俄然活況を呈した。

 その華やかな景色をよそに、二つの駆逐艦隊が出港していった。

 小さな駆逐艦の艦上にはみな真っ白なセーラーを着た水兵が整列し、旗艦のマストに翻る、第一艦隊司令長官ワワン中将の将旗に海軍式の右手を額に翳す敬礼をしていった。小さな木造の駆逐艦たちは大きな戦艦の起こすウェーキに翻弄され大きく傾ぐ。その動揺にも拘わらず船縁に美しく一列に並んだ駆逐艦の水兵たち。戦艦からは接岸準備にかかわらない、手の空いた水兵や士官が答礼のために整列した。陽光降り注ぐ青い港内のその眺めはまことに壮観という形容詞が似合う。

 

 帝国海軍最大の軍港の南は、かつて栄華を誇ったフジヤマ島を東端に西へ広がるヤーパンやホンコン、シャンハイ、シンガポールといった大都市の群れである。

 ポールシフトに伴って引き起こされた地殻変動によって水没した一帯は深さ50mほどの広大な海台をなし、好漁場であると共に帝国にとっての「知の宝物殿」と言われている海域でもある。

 駆逐隊の任務は周辺の敵国の船が漁場を荒らし、勝手に海底遺跡のサルベージなどを行わないよう、定期的にパトロールするためだった。


 駆逐艦隊を見送った戦艦たちが舫を岸壁に投げて接岸すると、各艦の艦長副長と第一戦隊の司令部が続々とミカサの艦上に登って来た。次回の実弾射撃訓練についてのブリーフィングのためである。第一艦隊旗艦であり、戦時ともなれば全海軍の総旗艦となるミカサにはそのための施設が備えられていた。

 一同は艦橋下にある作戦室に集められ、海図が置かれたテーブルの周りを固めた。

 排水量5千トンのミカサは帝国海軍最大の艦艇ではあるが、命名のもとになった1万5千トンの「三笠」に比べるとずいぶんと小さい。 いきおい、その作戦室も第一艦隊の幕僚全てを飲み込むにはやや狭かった。

 第一艦隊司令部の参謀少佐の説明に耳を傾けつつ、説明に従って動かされる海図の上に置かれた各艦の駒の動きを、海図から遠い下級士官たちも前の高級士官たちの肩の間から背伸びするようにして各自確認していた。

「演習は第一部を敵の海上要塞攻撃、第二部を敵艦隊との交戦を想定して行います。第一部はここ、」

 第一艦隊司令部幕僚のラカ少佐は図上のフジヤマ島東方の海域に点在する岩礁群を長い棒の先で指し示した。2、300年前だかに帝国が合併したこのターラントを含む南の国の出身。浅黒い肌に精悍な表情を持った気鋭の士官である。

「第一部はハコネ岩礁の一つに設けられた目標を要塞に見立て、徹甲弾による実弾射撃をもって行います。第二部は通報艦リュッツオーの牽引する標的を目標に、西方に航行しつつ徹甲弾と榴散弾を併用して行います」

「そうすると、第一部が終了した後は、いつもの実弾演習の通り、フジヤマ島近海の洋上で休息、そして第二部を行いつつ帰投する。そういうダンドリですね」

 ミカサの僚艦エンタープライズの副長が尋ねた。階級は同じく少佐。

 現在各艦の燃料庫の残炭だけでは次回の作戦行動を終えれば残量が心もとなくなる。フジヤマ島に人は住んでいるが、小さな漁船が入れるほどの港しかなかった。島で補給できないなら、それ以降の演習を賄う分を計算に入れて燃料を積み増しせねばならない。

「その予定です」

 ラカ少佐は海図の一点を指した。

「ハコネ岩礁付近のこの入り江に投錨し、仮泊、休息の後、第二部を行います。演習は約10日ほどを予定しております」

 一同、いつもの演習のスタイルを踏襲すると知って安堵した。

「だが、本日の様なことがあると面倒だ。演習は今まで通りの旗流信号で行うのだろうな。通信機は不調の様だし」

 ヴィクトリーに将旗を掲げるフレッチャー少将が発言した。エンタープライズやビスマルクの艦長たちもその言に頷き、賛同した。が、ミカサの艦長ルメイだけは同意しなかった。他の幕僚たちとは違う、別な理由で、ではあったが。

「それでは意味がない! 」

 そこで、ルメイの代わりに第一艦隊の参謀長カトー少将が反駁してくれた。小男で貧相を盛り立てるためか口ひげを生やしていた。噂では大昔に沈んでしまったヤーパンの血筋らしいのだが、誰も確かめたことがないから定かではない。

「わが帝国軍は防衛線の長大なるに比して陸軍も海軍も兵力があまりにも少な過ぎる。それを補う為の通信機なのだ、チャーリー」

 カトー参謀長はフレッチャーと同格の少将だがカトーのほうが先任のため、フレッチャーをファーストネームで呼んだ。

「通信機を使った艦隊運用に習熟するのが今回の演習の最大の目的なのです、閣下。今日は不調でしたが一週間ほどで修理を終える予定になっています。大学側も突貫で作業していることでしょう。」

 ラカ少佐の上司である黒髪を後ろになでつけた主任参謀であるカストロ中佐が補足した。それまで黙っていたワワン中将が中佐の言に頷き、微笑した。それでその場は収まった。

 ただそこに存在するだけで多くの兵を統率する力量。寡黙だが、皆の動揺や迷いを鎮め碇のようにすべてを安定させる。ワワン中将は不思議なオーラを持った老人だった。

 だが、ルメイは彼が苦手だった。こういうタイプは、性に合わない。

 一週間後の出港を確認してブリーフィングは散会した。


 司令長官ら艦隊司令部のスタッフが下船するとミカサのマストから将旗が下ろされた。

 艦内の主だった士官をブリッジに集め実弾演習の説明をした後、半舷上陸の指揮と石炭や水と食料の補給を先任士官に任せ、ルメイ大佐も副長を伴いミカサを降りた。

 軍令部に赴き併設されている艦隊司令部の事務局に航海日誌を提出して報告を済ませる。

 と、司令部の建物を出た途端、

「ああ・・・、ジャッキー、」

 今思い出したとでもいうように副長のチェン少佐に声を掛けた。ラカ少佐と同じで帝国では傍流の東洋人だが帝都チナ人街に多い姓を持っている。

「私としたことが船に忘れ物をしてしまった。妻への土産を買って置いたのだが、艦長室のデスクの引き出しに入れたままだったようだ」

 ルメイの10期下だが海兵をトップで卒業した優秀な士官であるチェン少佐は、途端に相好を崩し若々しい笑顔に白い歯を見せた。

「お珍しい。艦長でもそんなことがあるんですね!」

「大事だぞ。俺たちは結婚生活よりも長い時間を海の上で過ごすからな。キミもカミさんに三下り半を突きつけられる前にコマめに孝行した方がいいぞ」

「私は帝都にお邸をお持ちの大佐と違って近くの官舎住まいですからね。ミカサに転任してからは遠洋航海もないですし。家庭サーヴィスはバッチリしてますよ」

「まったく。貴族の女房なんか貰うんじゃなかったよ、ジャッキー。金はかかるわ気は遣うわだからな。海の上の方がよっぽどいいさ」

 少佐の敬礼に答礼して駆け足気味に艦に戻った。

 ミカサや他の3隻の戦艦には早くも給炭機が寄せられていた。高さ20メートルもある鉄骨のやぐらには蒸気機関で駆動するバケットエレベーターが取り付けられていて、埠頭の上に並んだ、コークスを満載したバケットをひっかけては掬い上げ、はるか櫓の上まで運びあげてスロープに石炭を滑り落とし、戦艦の甲板に開いたハッチから石炭庫にガラガラと落ちる仕組みだ。

 ルメイは額に手をかざし眩し気に櫓を見上げた。

 半舷上陸で艦を降りる水兵たちに道を開けさせタラップを駆けあがり、当番兵の敬礼に答礼しブリッジに向かった。当直の下士官が計器をチェックしながらボードに記入していた。

「機関部のノンを呼んでくれないか。部屋にいる」と声を掛けた。

「艦長。ご自宅にお帰りになったのでは?」

「彼の娘の名付け親を頼まれていたのを忘れていたのだ」

 当直士官は笑いながら伝声管に向かって声を上げた。


 自分の船室で待っているとドアがノックされた。

「ノンであります!」

「入れ」

 ドアが開き、30過ぎほどの水兵が艦長室に入って来た。彼は、怯えていた。

「ドアを閉めろ」

 彼は背中を丸めてドアを閉めた。憔悴しきって蒼ざめた顔が船窓からの光に写った。

「ヨードルに気付かれてはいなかろうな」

 と、ルメイは言った。

「艦長、やはり、やめましょう。絶対に無理です! 」

「質問に答えろ。先任士官には気づかれてはいなかろうな」

「・・・はい。まだこれからの話ですから」

「胸を張れ! 」

 ルメイは低い声で叱咤した。ノンはゆっくりと姿勢を正した。

「お前は普通に振舞っていればいい。手筈はわかっているな。給炭が始まったら指示した通りにやるんだ」

「・・・はい」

 ノンは東洋風の日焼けした顔に苦渋をにじませ、頷いた。今にも泣き出しそうなほどに、緊張しているのがわかる。

「お前は私に逆らえない。生まれたばかりの娘と奥方に犯罪者の父と夫を贈るわけにはいかんだろうが。給与部の備品をくすねて横流しした罪を見逃してやった。その恩を、まさか忘れたわけではあるまい?」

「ですが、もしこれがバレて逮捕されれば自分も艦長も確実に死刑になります!」

「バレなければいいのだ。お前さえ口を噤んでいればお前は金を手にし、海軍を除隊して自分の店を持ち奥方と娘と幸せな生活を送ることが出来る。

 安心しろ。ヨードルさえ気づかなければ絶対に成功する。私を信じるのだ、ノン!」


 単身、司令部の馬を駆って駅のある街に向かった。

 首都にある自宅に戻るのは二か月ぶりだった。

 しかし、返す返すも忌々しい! 

 なぜ軍は港まで鉄道を引かないんだ!

 ルメイは毒づきながら馬に鞭を入れた。

 軍艦の燃料である石炭は別の港から船で運ばれてくる。飲み水は軍港に注ぎ込む川から汲み、食料はこの地方で採れるものを調達しているから艦船の補給には支障なかった。首都との連絡も電信があるから不都合はない。

 しかし、腹に据えかねる。なぜターラントほどの最重要な軍事拠点を首都と直結しようとしないのだ。軍はいつもこうだ。

 2時間ほどの騎行で駅に着いたが、日中の汽車には乗り遅れ、しかも今夜は夜行も出ないという。機関車に不具合が見つかり、修理に一晩かかるのだと。

 ルメイは舌打ちした。

 通信機といい、機関車といい! まったくもって、腹の立つ! この、無能者めらが!

 思わず駅員を怒鳴りつけようとしたが、思いとどまった。

 つい二か月前のレオン事件の余波は帝国全土に波及していた。

 陸海軍の首脳部は、市民の帝国軍への信頼を回復するためにあらゆる手段を使って対応していた。特に士官に対しては一般市民との軋轢は絶対に起こさぬよう兵を監督すること、と厳重に申し渡されてもいた。

 そんな折に佐官であり、かつ帝国海軍を象徴する第一艦隊旗艦の艦長たる自分が不用意に市民といざこざを起こせば大問題になる。ひいては彼の密かな計画も水の泡になるだけではない。それが露見すれば、自分の運命もそこで終わる。

 仕方なく駅の宿にもう一泊して明日の朝一番の列車に乗ることにした。

 駅の電信室には行かなかった。暗号電文にしろ、迂闊に軍や帝国の施設を使えば、アシがつく。彼がこれからやろうとしていることは誰にも気取られるわけにはいかない。

 田舎の駅に隣り合った安宿の部屋に落ち着くと、買って来た濃い赤のワインをビンから直に飲んだ。

 古代ローマ人もそうだったが、帝国の人々もよくワインを飲む。食卓には必ずと言っていいほどワインがつく。ただし、そのままではなくお湯や水で割って薄めて飲むのが一般的だった。それを薄めもせずに、しかもビンから直に飲んだりしようものなら、

「おいおい。ずいぶん荒れているじゃないか。一体どうしたんだ」

 友達を孤独な酒乱に見せぬように、彼の肩を叩いてやるのが友人としての気遣いであり礼儀というものだった。

 田舎駅の周辺の酒屋に置いてあるにしては上等な、西部産チナ種の上質のものだったが、それでも全く酔えなかった。軍服のままベッドに身を横たえた。いささかも寛ぐことができなかった。

 

 カーティス・ルメイは怒っていた。

 帝国と海軍に、大きな不満を持っていた。


 だがそれは二か月前に起こった陸軍のレオン事件の首謀者たちのそれとは違っていた。まったくもってレオンたちとは反対方向の、異質の怒りだった。

 彼の怒りの源流をたどれば、兵学校に入る前、バカロレア入学のさらに以前に遡る。

 ヤヨイと同じく、優秀なリセの生徒だったルメイは飛び級して同い年の者たちより2年早く卒業した。バカロレアの工学部では造船学科を選んだ。ちょうど帝国が海軍を拡張しようとしており、造船を学んでおけば高い位置に取り立てられると思ったのだ。

 皇帝からの下賜金による奨学金を受け取り、地道に学んで優秀な成績を残したが、最優秀の成績の学生に対して皇帝から贈られる金の短剣だけは逃した。

 そのことが彼の肥大した自己顕示欲をさらに刺激し、ならば軍人としてもトップに立ってやると思い、授業料と卒業までの生活を保障してくれる海軍兵学校に入った。

 ここでは入学時の試験の成績がモノを言う。それが卒業してからもずっとついて回る。俗に「ハンモックナンバー」ともいうが、入学試験の席次順に宿舎である学生兵寮の居室のハンモックとロッカーの番号が決められてゆき、その順番が出世に大きく響くのだ。

 ルメイは猛勉強をして試験に臨んだが、一番にはなれなかった。結果は4番で、その時の一番が今第一艦隊の第一戦隊司令を務めているフレッチャー少将だった。

 元々造船志望だったから。彼はその悔しさを軍艦の設計で合理化しようとした。

 ならば最強の戦艦を設計して見返してやる!

 海軍省の造艦局には、造船の専門家であり用兵の教育も受けた者は彼一人しかいなかったから若くして発言力があった。

 少尉に任官して最初に手掛けたのは木造であったが快速で強力な武装を持つ150トンほどの駆逐艦だった。回転式の口径の小さな単装速射砲を二門と機銃だけの武装だったが速力が速く、数隻で編隊を組み高速で敵の船に肉薄して各艦が一撃離脱する戦法をとると敵も狙いを定めようがなく、貧弱な防御にもかかわらず西の隣国チナの風帆船フリゲート相手に多大な戦果を挙げた。しかも木造だったから費用が安く、同型艦が30隻も作られた。

 ルメイはやっと成功した。

 そのうちに一度部隊に戻り自分の設計した駆逐隊を指揮して用兵でも戦果を挙げ、彼は当初の目論見通りに順調に出世していった。

 中佐に昇進した折に兼ねてから構想していた高速戦艦を提唱し設計した。

 いつまでも帝国が海の優位を保てるかは未知数で、今後は艦隊戦も視野に入れ、対艦戦闘を考慮した艦隊を建設しなければならないという思想の下に巨砲を搭載して高速で走れる巡洋戦艦を設計した。

 それがミカサ級4隻になる。

 海底遺跡から掘り出された資料の中に、旧文明の第二次世界大戦中、ドイツで「ポケット戦艦」という、「高速で航続距離が長く、かつ重兵装の」艦種が建造されたことが記されていた。ルメイはそこから設計のヒントを得た。

 当初の予定では20センチ砲4門、7センチ速射砲を10門搭載するはずだった。それまでルメイの発言は重視されてきたからそれも簡単に受け入れられると思っていた。

 だがそこで海軍省と衝突した。

 設計当初、帝国の周辺には帝国の100ミリ榴弾砲どころか50ミリの迫撃砲にさえ比肩し得る敵戦力など皆無だった。そのことであまりにも将来を先取りし過ぎた設計思想だと言われた。しかも設計の通りに口径20センチの艦砲を搭載するとなれば、その大砲を製造するだけでミカサ級よりもやや小さい船が二隻は建造できるカネを食うことになる。

 口径が倍の200ミリともなるとその弾体を発射する爆発力はとてつもなく、現在の100ミリ榴弾砲の強度の数倍は強靭な鋳鋼を製造しなければならない。普通の成分ではダメで、ニッケルやモリブデンなどの添加物を使用する方法などがまだ確立されていなかった。それにそんな硬い鋼を穿って砲口を貫通しライフル(旋条)を掘る技術もなかった。

 100ミリ榴弾砲も陸軍の兵の持つ小銃も同じで、弾体というものは射出方向に対して自転をすることで直進性が保たれる。旋条が無ければ弾体に回転が与えられない。弾体の飛距離は格段に落ち、直進性も失われる。

 つまり、設計通りの兵装の実現が難しかった。

 そう遠くない将来には敵対勢力がより強力な武装をするだろうことは十分に予想されることから、艦砲の大口径化については引き続き研究をすることにし、折衷案として当初は陸軍の100ミリ榴弾砲を搭載しておき、大口径砲が実現したら換装する案が出された。

 それに、ルメイは真っ向から反対したのだった。

 往々にして兵器を使う用兵側はより強力な武装と速力と航続力を要求するものだし、船体強度や復元力を担保しなければならない設計側は常に用兵側とせめぎ合うものだ。だがルメイと海軍省の場合は逆に設計側が過重な兵装を要求していた。予算を預かる役所としては費用対効果の期待できない高額な出費は渋りたがるのが当たり前だった。

 当然に海軍省内に敵を作り、彼は造艦、艦政のフィールドから追われた。

 しかし、ミカサ級の船体についての豊富な知識を持ち、あらゆる海軍艦艇についての専門家である彼を無任所で放っておくのはさすがに惜しい。そこで軍令部が第一艦隊旗艦の艦長として彼を配置したのだった。

 しかしなんと言っても、自分よりも早く少将に昇進した兵学校のライバル、フレッチャー少将が戦隊司令として自分より上席にいる職場だった。同期なのに彼を上官として仰がねばならない屈辱。昼間のブリーフィングでも、賢しげに発言する彼を睨みつけたい感情を押し殺すのに苦労したほどなのだ。ルメイにしてみればこれは左遷も同様の人事で、彼が心からその人事に服していないのは言うまでもなかった。


 要するに、ルメイの怒りとは、

「帝国と海軍はオレを正当に評価していない」承認欲求が満たされないという、あまりにもエゴイスティックな理由からくるものだったのである。


 そして、これ以上は落ちようもないだろうと思っていた彼を大きく揺さぶったのが、ついふた月前の出来事だった。

「9月になったら、君に異動してもらうことにしようと思う。オカに上がって軍務局長のイスに就いてくれ。知っての通り、普通なら少将級以上が就くポストだぞ。破格の人事だと思うがね」

 海軍次官である中将からの内示が出されたのだ。

 海軍省のトップは内閣府総裁が兼務するから、次官は実質的な海軍軍政のトップになる。

 そのトップの内示ということは、ことは既に決定しているのも同然だった。

 軍人とて役人である。それこそ、普通なら「出世」であり「栄転」の人事だ。

 だが、ルメイは感じていた。

 これは、策謀だ! と。

 艦政の現場からだけでなく、艦隊からもオレを遠ざけようとしているのだ、と。

 彼は自らの能力を認められたかったのだった。そんな、ある程度の地位に昇れば誰にでも務まるような役職で甘んじるには、彼の高すぎるプライドが許さなかった。

 他の追随を許さない大きすぎる承認欲求。歪んだ自己顕示欲。肥大するだけしてしまった虚栄心・・・。

 ルメイの心の中はドロドロしたいくつもの欲望が沸騰するルツボと化していた。

 そして、ふた月前の海軍省での一件が、彼をして非情な決断をさせるに至ったのだった。


 そんな彼に西の大国、チナが触手を伸ばした。


 早く帝都に行き、奴らとコンタクトを取らねば!

 そうでなければ、オレは、心の死を抱えたまま生きねばならなくなる!

 そんなことは、絶対に許せない!


 怒っているだけではなく、彼は焦ってもいた。

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