第3話 03 「変装の名人」ウリル少将と、どこまでもポジティヴなフェルミ先生

 帝国の南端にある大海に望んだ港町の名前が「ターラント」と呼ばれるようになったのは、この南の地方が帝国に併呑されて間もなくのことだった。

 それまでこの港は小さな漁港に過ぎず、入れる船も喫水の浅い帆船がほとんどだった。帝国がこの港の軍事的な重要性に着目し港を直轄地にしてから埠頭が増設され、数千トン級の船も接岸できるように浚渫がなされると、誰かがここを古代ローマの軍港にあやかろうとしたのか「ターラント」と呼び始め、いつしかそれが海軍内での正式名称になった。

 元が漁港だから、周辺には漁村しかなく、南の国の主要な街はより内陸にあり、鉄道もそこまでしか引かれてはいなかった。ただし、港のすぐ近くには海軍総司令部である軍令部が置かれ、海軍士官を養成する海軍兵学校も併設されていて帝都の内閣府や海軍省とは二重三重に電信で結ばれていた。周辺には軍関係者の家族の住む住居や、将校クラブや軍の直営売店や酒保や食堂や軍関係者の子息用の小学校や海軍の幼年学校もある。だが、民間の施設はほとんどなかった。


 8月、Augustアウグストの南の国はひどい酷暑が続いていた。

 鉄道駅のある街からそこまでは地平線まで続くサトウキビ畑で、その畑のど真ん中を舗装もしていない石ころだらけの道がまっすぐに伸びていた。

 その夕暮れ迫る田舎の道を、一台の荷車がトコトコと引かれていた。

「何とか今夜の夜行に間に合えばな。明後日の昼には大学に戻れる」

 先頭で荷車の握手を引きながらフェルミ先生は顔の汗をタオルで拭った。すでに汗だくになっている他の3人も同様で、誰も暑苦しいトラウザーズなど穿いているヨユーはなく、みんな脱いでテュニカとサンダルだけになっていた。それでも南のド田舎の暑さは耐えがたかったのだけれど。

 現実には夜行列車に間に合うどころか最悪野宿もしなければならなくなりそうだったが、先生はいつもポジティヴだった。みんなが研究に行き詰ったりすると真っ先に声を掛け、

「何とかなるよ。元気を出そう!」

 そうやって励ますのが常だった。

 

「ミック、あんたがさ、誰も気づかなかった発電用のモーターとかアルコールエンジンの必要に気づいたのは偉かったよ。褒めてあげる。でもさ、だったらなんで馬車の必要にも目覚めてくれなかったの?」

 通信機を載せた荷車を後ろで押しながら、アンは同じく隣で貨車を押すミヒャエルを詰った。

「無理言うなよ。だって、誰も軍からオファーがかかるなんて思わなかったんだから。自分だって気付かなかったくせにさ」

「海軍もずいぶんよね。来るときはトラック回してくれたのに、失敗した途端に手のひら返してさ。トラックは都合がつかないからそちらで馬車を都合するなりしてくれ、だなんて・・・」

「まあまあ。まさか通信機を回収して持って帰る羽目になるなんて思わなかったんだから仕方がないさ。不具合が旗艦のだけだっただけでも、めっけもんだよ」

 そう言ってフェルミ先生はブツクサ文句を垂れるアンを宥めた。


 艦隊が港に入るや、電気学科の4人は手分けして4隻の戦艦に乗り込み通信機をチェックをした。僚艦の3隻のには問題はなく、旗艦の、それも発信回路だけに不具合が見つかった。計測器は携帯できなかったので、止む無く通信機を取り外し、帝都の大学まで持ち帰ることになった、というわけなのだった。

 港を後にするとき、半舷上陸の非番の男女の水兵が砂浜で楽しそうに海水浴をしているのを見てから、アンは機嫌が悪かった。

「発信部分と受信部分、それと増幅器はセパレートしておいた方がよかったかもな。今後はそうしよう。そうすれば基盤だけだから背嚢に入るし馬だけなら駅で借りれるしな。

 理論と実装は違うな。こうして実機を作ることが出来たおがげで、ぼくらは知見を得られた」

 フェルミ先生は、どこまでも前向きな人だった。

「あたし、馬乗れないもん!」

 そういってまたもアンは噛みついた。

「だいたいさ、ヤヨイ。あんたが悪いのよ」

「ええっ?」

 荷車の横で車輪を押していたヤヨイは、急にアンの矛先が自分に回って来たから驚いた。

「何の前触れもなく帰って来て目の前に大金積んでさ。誰だって目の色変えて慌てるわよ。あんたが焦らすから、こんなことになったのよ!」

「アン、いい加減にしないか!」

 温厚なフェルミ先生も、さすがに今のアンの言葉には聞き捨てならなかったのだろう。

「ヤヨイが話とお金を持ってきてくれなかったら、今もぼくらは理論だけで実験や実機を作れるなんて幸運には恵まれなかったんだぞ。ボーア教授だって、助手のキュリーくんだってぼくだって、実験に必要な機材を買うために講演したり本を書いたり内職したり、それこそ血の出るような思いでお金を稼いで来たんじゃないか。

 ヤヨイが部隊で偶然にご母堂の知り合いの事業家に会えたお陰で、こんなチャンスも巡って来たんだ。きみは今の言葉を訂正して、ヤヨイに謝るべきだと思うけどな」

 実際にはヤヨイが任務を果たしたご褒美としてウリル少将が手配してくれた研究費用だったが、真実はとても話せなかった。苦しい作り話だが、信じてくれただけよかったと思った。

「そうね。あたしも言い過ぎたわ。ごめんね、ヤヨイ。船で気分が悪くなって、こんな田舎道を荷車押してさ、ちょっとウツになってたの」

「いいのよ、アン。気にしないで」

 アンは気位が高い。だけれど、すぐに機嫌を直す子でもあった。

「さあ、みんなもうひと頑張りだぞ。夜行に間に合ったらみんなにビールを奢る。列車の中でパーティーしよう!」

「やったー! さすが先生、話が分かるなあ」

 アンの剣幕に萎縮していたミヒャエルが、ここぞとばかりに場を盛り上げた。

 そうだ。とヤヨイも思った。紙とエンピツだけの研究から抜け出せただけでも進歩だ、と。

 と。

 ふいに後ろから潰れたような警笛が聞こえた。

 一台の、今にも分解しそうなほどおんぼろな木炭蒸気トラックがぽんぽんガタピシしゅーしゅームダに蒸気を吐きながらやってきた。ヤヨイたちは貨車を端に寄せ道を譲った。

 ガタピシしゅーしゅーはやがて彼女たちの横に止まった。

「あんれまあ。あんだだぢどこさまで行くだかね」

 ひどい南の訛りで運転台から声を掛けて来たのは、あちこちささくれて藁が飛び出している麦わら帽を被った人当たりの良さそうな老農夫だった。

「駅までなんですが」

 フェルミ先生が汗を抑えながら応えた。

「オラも街まで肥料さ貰いに行ぐとこだあ。空気乗っけてもあんだら乗っけでも同んなずだべ。その荷車載せてえなら、載せっぺ」

「ありがとうございます!」

 ヤヨイは率先して荷車を押し、4人がかりでなんとか荷台に持ち上げた。


 ぽんぽんトラックの騒音は、あまりにも酷すぎた。

 荷台の上に乗った3人は隣り合った者同士でも耳に口をつけないと相手の話が聞こえないぐらいだった。運転席も大して変わらなかったが、荷台よりはマシという程度だった。道中、老農夫は寂しそうだったので誰かが話し相手になってやらねばならなかった。

「あたし、イヤ! ヤヨイ、あんた前に乗りなさいよ」

 ヤヨイは素直に従った。だが、アンに言われなくとも運転台を選んでいたろう。

 トラックがガタピシ動き出すと、ヤヨイはさっそく老農夫に話しかけた。

「楽師に化けたりお百姓さんになったり・・・。閣下はきっと変装がご趣味なんですね」

 老農夫は麦わら帽の下の顔をニヤリとゆがめ、目尻でヤヨイを眺めながら外に向かって手鼻をかんだ。その仕草があまりにも堂に入っていて、汚らしいというよりは感心してしまった。

「海はどうたった。初めて見たろう」

 ウリル少将は汚らしいテュニカのポケットから紙を取り出し、ハンドルを支えながら器用にもタバコの袋を取り出し紙に少量を振り出して巻き、端を舐めて丸めマッチで火を点けた。ふうーっ吐き出した煙が夕暮れのサトウキビ畑の上を流れて消えていった。

「不具合でもあったか」

「わたしはもしかすると閣下の何かの工作なのかと思いました」

「バカを言え! 買い被り過ぎだ。わたしにはお前の作った機械の構造などトンとわからん」

「べつに買い被ってなんか、いませんけど・・・」

「まあいい。だが、不具合があったのなら、むしろ好都合だ。これで『ミカサ』の出港も遅れるだろうな。つまりは、時間が稼げる」

「幕僚の少佐には一週間で直せと言われました」

「直るのか?」

「大学からここまで片道だけで3日かかるんですよ。無理です。分解して原因を突き止めるのに最低でも3日か4日かかります。少佐にもそう言いました」

「上出来だ。せめてあと2週間は時間が欲しい。出来るだけ引き延ばせ」

 ヤヨイは一度首を伸ばして荷台を顧みた。ここまで歩いて疲れたのだろう。3人とも畑を渡ってくる風に汗を冷やして気持ちよさげに涼んでいた。

「でも閣下、あの話は本当なのですか、その、『ミカサ』の艦長が反乱を起こすかも知れないという・・・」

「正確には、西の国へ政治亡命を企てている、という疑いがある。その手土産に我が国の最新鋭の軍艦一隻くれてやろうとしている。とんでもない話だ!」

 煙と共に、ウリル少将は吐き捨てた。

「大佐の顔は覚えたな?」

 ヤヨイは無言で頷いた。

 だがまだ信じられなかった。数億マルクもかけて建造した国民の財産を、アッサリ強奪して敵国に譲り渡すなんて・・・。

「でも、そんなことが可能なのですか。どうやって・・・」

「彼なら、やるだろう。それに、どうやって手土産にするかを探るのが、お前の任務だ」

「まだ、お引き受けするなんて、言ってませんけど」

「断るのか?」

 ヤヨイは、黙った。


 あれから2か月が経とうとしていた。

 心から尊敬できる上司であり軍人だったレオン少尉と、束の間ではあったが心から愛した男、ジョー。それに共に同じ釜のメシを食い、危険な戦闘を共にした仲間たちを失った痛手は大きく、まだそこから立ち直れないでいたのだった。2か月もの間、今荷台に載っている通信機の開発にかかりきりになっていて、少し、持ち直せたのだが・・・。

 それにもう、人を殺すのは二度とごめんだった。徴兵期間の残りを消化するなら普通の野戦部隊で、と決めていた。それは再三ウリル少将にも伝えていたのだった。

「断ったら、どうされますか。研究の助成金を返さねばならなくなるのですか」

「そんなことが出来ると思うか! あの金をわたしのポケットから出したというなら話は別だが」

「と、いうと・・・」

「まず軍の予算をごっそり引っ張った。特に大部分、海軍からだがな。だから連中は焦っているのだ。お前たちがまともな通信機を納入しないと、詐欺になる」

「そんな! わたしのせいじゃないですよ!」

「世の中、タダより高いものはないということだな。それだけでもお前はわたしに借りがあるのだぞ」

「冗談はやめてください。わたしは絶対にやりませんから。もうたくさんです。何度もお断りしたじゃありませんか!」

「・・・どうしても、イヤか」

「当たり前です!」

「では、遠からず戦争になるな」

 少将は短くなったタバコをポイと道端に投げ捨てた。

「ここ久しく閉じられたままのいくさの神、ヤヌス神殿の扉も開かれような。マルス神殿にも戦場に夫や息子や娘や恋人を送り出す人々が祈りを捧げに日参するようになるだろう。働き手を失った家庭や社会は疲弊し、物価は上がり、人々の生活は困窮し、それでも国は国民から税を取らねばならない。

 帝国が強大であるからこそ保たれてきた平和だ。我々はそれを乱してはならないのだ。パクス・インペリア(帝国による平和)こそ、我々の取るべき、ただ一つの道なのだ」

「だから、わたしに押し付けるのですか」

「お前しかいないから頼んでいる」

「お前しかいない。お前にしかできない・・・」

「実際、そのとおりだからな」

「そんな、美辞麗句で・・・」

「では、どうしたら引き受けてくれるのだ」

「まだ心の整理がつかないんです!」

 ヤヨイは後ろの荷台に逃げようと腰を浮かしかけた。

「お前の足元に木のバケツがあるだろう。その中の麻袋を持って行け」

「何が入っているのですか」

「オレンジと、オレンジよりもやや貴重なものが入っている」


 運転台から脚を引っかけて荷台に飛び移った。

 通信機を縛り付けた荷車の両脇にはそれぞれ先生とアンがいて、ミヒャエルが運転台との仕切りに寄りかかって居眠りをしていた。

「先生、アン!」

 ヤヨイはそれぞれに一つずつオレンジを放り、横の男子の手にも一個握らせた。

「おお、ありがとう、ヤヨイ」

「あの、おじいちゃんの相手は、もういいの?」

「だって、しつこいんだもん!」

 と、ヤヨイは答え、オレンジの皮を剥いた。


 汚いけど親切な老農夫と駅で別れ、キオスクでビールとブロットビュルスト(ソーセージを挟んだパン)とシシカバブーを買って列車に乗り込んだ。駅舎で電報を頼んできたフェルミ先生が発車ギリギリで間に合った。

「やれやれ。田舎の人だから万事ゆっくりでさ。間に合わなかったらどうしようかと思ったよ。でも真空管とか今手配しとかないと間に合わないしなあ。通信機は貨車に積んだかい?」

「バッチシです、先生!」

 ミヒャエルが受けた。

「じゃあ、先生。ごちそうさまです」

 ビールのジョッキを掲げたアンが早々に口の周りに白いひげを生やした。

「みんなしっかり飲んで食べてよく寝ておけよ。着いたらすぐに大学に戻って、しばらく徹夜続きになるからな。電波工学科の全員を招集してくれるように、ボーア先生にも電報しといた。それでも、やはり、ひい、ふう、・・・3日はかかるだろうなあ」

 そう言って先生はビールのジョッキを掲げてグビグビとやった。

 

 しばらくすると3人は疲れたのか眠った。

 ヤヨイは隣のミヒャエルの長い脚を跨いで通路に抜け、揺れる客車を手洗いまで歩き、個室に入り鍵を閉めた。テュニカの襟から手を入れ、胸の間に挟み込んでいた紙を引っ張り出した。

 ウリル少将からオレンジと一緒に麻袋に入れて渡されたそれは、調査書だった。

 ヤヨイは、それに目を通した。



 カーティス・ルメイ海軍大佐・・・ハインリヒ13年7月Juliユーリ3日生まれ 42歳。平民出身。

 生母は国母貴族レディー・トラウドル・フォン・ビューロー 第5子。父親のルメイ氏については不審な点は無し。(記述削除)

 カール4年バカロレア工学部造船学科卒 同年海軍兵学校編入。次席卒業。

 帝国海軍第一艦隊所属戦艦ミカサ艦長。海軍大佐及び海軍造艦技術大佐を兼ねる。戦艦ミカサ、ビスマルク、エンタープライズ、ヴィクトリーの4隻の最新鋭同型艦を設計し施工を監督。ミカサ就役と共に初代艦長に就任。

 現在、帝都パラティーノの自宅に居を構え、妻とリセ五年次の男子あり。通常はターラント将校アパートに単身で居住。

 ふた月か三月に一度、帝都パラティーノの自宅に帰宅。必ず一日は自宅から歓楽街に足を運ぶ。接触した人物は毎回同じが2名。いずれも男。チナ人と思われる。この人物についての素性は現在調査中。他には特に不審な動きなし。

 戦艦ミカサ級設計時に海軍省当局と衝突。ミカサ級の主要兵装の件で不満か。

 バカロレア在学時に反帝国的言辞あり。だが、同様の思想犯などとの接触歴無し。  

 他は調査中・・・。



 ヤヨイはその全てを記憶し、調査書は火を点けて焼いて便器の中に落とした。

「調査中」というのが、「時間を稼げ」という理由か。この調査書の記載以外に、少将はすでに何かを掴んでいるのだろう。ルメイ大佐が接触している男というのはたぶん、西の国のスパイかもな・・・。


 駅での別れ際、先生が電信室に走り、ミヒャエルが通信機を最後尾の貨物車に載せる手配をしに行き、アンがキオスクに走ると、少将は言った。

「わたしの方の用意が整うまで、お前は通信機を弄って時間を稼げ。その時が来たらリヨン中尉を大学に行かせる。彼から詳細を聞き、お前は通信機と共に再び『ミカサ』に乗るのだ。いいな?」


 紙が灰になったのを見届けて個室を出て席(コンパートメント)に戻った。

 みんなはまだぐっすりと寝ていた。

 またミヒャエルを跨いで窓際に着いた。

「きみはタバコを喫うのかい」

 先生が起きていた。彼にお尻を向けて跨いだのを見られた。少し、恥ずかしかった。

「ごめんよ。ちょっと焦げ臭かったから」

「すみません。・・・お嫌いでしたか」

「いや、そうでもない。きみは吸わないタイプだと思ったから」

「部隊で覚えてしまったので。たまに、気分転換になります」

「わかるよ」

 と先生は言った。

「ぼくも、徴兵は辛かった」

 先生はそれ以上何も言わなかった。

 辛かった記憶を人にダラダラ愚痴る人と、それを嫌う人がいる。先生は、後者なのだろう。いつも前向き。いつも成功する可能性しか見ていない。フェルミ先生は、そんな人だ。

「この2人も徴兵を終えてから院に来た。きみのように院の途中から行くのは珍しいな。優秀な証拠だ。その優秀なきみをまた部隊に送り出すのは、惜しいな」

「その件ですが、実はしばらく大学に残ってもよくなったのです」

 やれやれ。

 結局ウリル少将の言う通りに動いてしまうのか、と思った。

「そうか、それはいい! 」

「よくわからないのですが、どうやら通信機に係わる理由らしいです」

「そうだよ! その通りだよ!」

 と、フェルミ先生は言った。

「きみは部隊で兵隊をやるより一つの通信機の開発に力を尽くすべきだ。そのほうがよっぽど帝国のためだよ」

「先生は、帝国がお好きなんですね」

「というより、最善の道だと思うんだ」

 フェルミ先生はガラスのはまっていない、夜風が吹き込んで来る窓に頬杖をついて列車について来る月を見上げた。

「我々は頭でっかちなんだよ」

 と彼は言った。

「我々の持っている科学や技術の知識はほとんど海の底から来た。我々は考えるよりも創造するよりも先にそれらを理解しなければならなかった。

 我々は集積回路というものを持っていないが、知っている。その原理と製造する方法と必要な材料を知っている。あんな大きな通信機は掌(てのひら)に載るぐらい小さくできることを、知っている。

 我々は飛行機というものも持っていない。でも、その原理と設計図を知っている。もっと小さくて馬力があるエンジンさえあれば、我々は空を飛べる。

 我々は、人間をあの月に送り込んだロケットというものも、知っている。その原理と必要な材料と製法、必要な燃料も知っている。それ以外にも、原理や製法を知っているものはたくさんある。

 その材料を手に入れることができ、もっと精密な工作機械さえあれば、大きな安定した電力さえあれば、それに振り向ける労働力さえあれば・・・。

 我々はそれら全てを手にすることが出来るんだ。我々は再びあの月へ行ってそこに立ち、自分の目でこの青い玉の美しい姿を目にすることが出来るんだ。

 旧文明はそれらを全て、実現した。旧文明はそれらをほとんど戦争から導き出した。より効率よく人を殺すための技術を磨いてその副産物として高い技術を手に入れたんだ。

 でも、今、我々が戦争をやめ、軍備に費やしている金と労力と時間を全てそれらの技術に振り向けることが出来れば、我々はやっと理解することよりも創造することが出来るようになる」

 フェルミ先生は澄んだ大きな黒い瞳を真っすぐにヤヨイに向けた。

「パクス・インペリア。

 この世界は一つの最も大きな力に治められる方が、結果として平和なんだ。ぼくはそう思ってるよ。この通信機の開発で帝国の力が強まり、他の国とのいざこざがそれだけ減るなら、その分、人が死なずに済むからね。その労力とお金を、もっと有意義な、人々を幸せにする技術や科学に振り向けることが出来る。

 ぼくは、軍に協力するのは意義のあることだと思っているんだよ。帝国の力が強くなれば、それだけ平和になり、人々の暮らしは豊かになり、科学や技術が進歩してゆく。

 ぼくはそれを信じてるんだ。

 今の皇帝陛下はフレンドリーだし、帝国の国是である法治主義をきちんと守っていなさる。それだけでもよしとしようじゃないかという気になるねえ・・・」


 先生が少将と異口同音なことを言ったのが、深く印象に残った。


「さ、少しでも眠っておいた方がいい。着いたら、寝られなくなるからね」

「先生、・・・」

 と、ヤヨイは、言った。

「いつかわたしも、あの月に行ってみたいです・・・」

 窓の外の月は、ぴったり汽車にくっついて、変わらない優しい光を送ってくれていた。

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