実のところ

「小夜がいるかなって思って、レイトショーに通ってたんだ」

 日向は気恥ずかしそうに呟いた。同居しはじめてしばらく経ってから、なんとはなしにお互いが映画館に通っていた時のことが話題に上がった際に、漏らされた言葉だった。

 小夜は、なるほどどおりで頻繁に顔を合わしたわけだ、などと感心しつつも、当時の苛立ちが微かに蘇る。

「それは、嫌がらせのため」

 そんなわけがないと感じつつも、小さな嫌がらせも兼ねて尋ねれば、

「わかってんだろ。言わせんな、恥ずかしい」

 そっぽを向いてしまう同居人。その耳は真っ赤に染まっている。

 察しが悪い人だったら勘違いするかもよ、と思いつつも、そっか、と安堵する。

「よかった」


 心の転機は就職してから徐々に。

 素直に朝に起きるのと、夜勤明けに朝日を浴びるのとどっちがましなのかを天秤にかけた末に日勤を選んだもの、すっかり宵っぱりになっていた小夜は、ただならぬストレスを抱えることとなった。慣れない業務と心臓が止まる瞬間が近付いているという怖れに、日々神経を擦り減らしていった。

 自覚はしている。こんな怖れは、中学生のうちにでもケリをつけて、どうでもいいこととして片付けておくべきなのだと。しかし、結果として幼いうちに片しておくような弱さを抱えたまま小夜は歳を重ねてしまっている。いまだにあるものはあるし、なくなる予定もない。

 いっそ実家に戻って転職すべきか。一人で立ち向かうのは難しいという結論は割合早く出たものの、親にわざわざ言うのはどうにも気が引けた。そんな些細な悩みを世界の終わりみたいに話したら、どう思われてしまうのか。人に心の内をさらけ出す経験が乏しかったのもあって、臆病さに絡めとられるようにして日々を過ごし、摩耗していった。

 そんなある日。たまの休日にとレイトショーに足を運んだ帰り道、全然集中できずにモヤモヤが晴れない小夜の前に日向が現れた。就職してから初めてあった男は、どことなく疲れ気味な顔こそしていたものの、以前とさほど変わりないように見えた。最初は、普段通りの売り言葉が飛んでくるかとうんざりしかけていたところで、

「お前、大丈夫か」

 素直な心配を向けられ面食らった。そもそも、映画の感想の言い合い以外に、まともな交流もなかったので初めての事態だった。

「なんのことかな」

 とはいえ、素直に認めるのはどうにもばつが悪い。いつも喧嘩している相手ともなれば尚のこと。

「ひどい顔をしてる」

「ごめんね。生まれつき、醜く生まれて」

「いや、お前、可愛いじゃん」

 不意を打たれて思考が空白になりそうになっている間、しまったというような目を見開いた日向が、そういう意味じゃなくてだな、と頬をかく。

「やつれてるって意味だ。絶対、何かあっただろ」

 なにもないってば、しつこいな。頭の中で考えた台詞は口から出てくることはなかった。気が付けば、自然と出てきた涙とともに膝から崩れ落ちてしまっていた。その間、日向は立ち去るでも寄り添うでもなく、傍でただただ立っていた。男の振る舞いにほんの少しの寂しさと薄情さを覚えつつも、近くに知っている人間がいるというのが、この上のない安堵に繋がっていた。

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