嫌なものは嫌なのだから
心臓がいつかは止まる。幼少期、そのことを知った小夜は胸から鳴る音を耳にするのが怖くなった。とはいえ、心音は聞こうとしなくても聞こえてくる。より正確に言えば感じてしまうと表現した方がいいかもしれないが、とにもかくにも小夜はできうるかぎり、心臓を気にしないように努めて暮らそうとした。
後々この怖れを、心臓がいつか止まるの先に起こる出来後に対してのものであると小夜は理解していく。小夜という心が消え去る日。その知らせが心臓が止まるという現象に集約されていったのだと。
その恐れをより強めたのが、夏休みの朝の体操。この国の小学生の例に漏れず、子供の頃の小夜も参加させられていた。あまり体を動かすのが得意ではないうえに、わざわざ暑い中に出ていくことに強い抵抗を覚えていたところで聞こえてくる、新しい朝だの希望の朝だのという歌詞。嫌々体を動かしながら、心の底から忌々しいと思っていた。
なにが希望の朝なの。絶望の朝の間違いでしょ。
朝になってしまえば、また一日が経ち、心臓が止まるのが近付く。それだけでうんざりする。朝日なんて目障りなだけ。そんな考えを胸に溜め込んだまま、光溢れる朝というものへの嫌悪は深まっていった。
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