流れ者たちのフロンティア ~Wonderers' Frontier~
蒼井藤野
プロローグ
青々とした空には片耳の太陽が輝いていた。
耳は日増しに大きくなっている。長い冬が終わり、春が訪れた証拠だ。オアシスに作られた集落では、今頃、畑を耕し、種まきの準備をしているだろう。だが、広大
砂上では、鋭く刺すような陽光は砂丘を焼き、熱風を生み出し、砂を巻き上げる。それは砂塵となって砂海を通り行こうとする物体に襲いかかるのだ。
生身で砂嵐に耐え続けるのは不可能だ。砂漠の横断には、どうしたって、
そして、どれほど対策を立てていようと、トラブルは起こりうるものだ。寒暖差、高低差、砂塵。砂漠ではトラブルの原因には事欠かない。
もし車両が故障したときは、修理をするか、もしくはその場に留まるかを選ぶことになる。
砂漠は広大とはいえ、万が一にも、人が通りかかるかもしれない。そのときは、車が目印になる。
最悪、車に遺体を残せば、誰かしらに発見される可能性が高まるわけだ。遺言や遺品を遺族の元へ届けてくれるかもしれない。想い人に
だから、砂漠で車両が故障したからといって、むやみやたらに生身で移動してはいけない。
昼間は暑さにやられ、砂嵐にやられ、夜中になっては寒さにやられる。
飲み水は重く、量を持つこともできない。
人間程度の大きさなど、すぐさま砂に埋もれてしまう。
そうなれば死体発見の可能性すら、ほぼゼロだ。
そう。砂漠で車が故障したときはその場で留まるのが
だが、あえて
そのはず、だった。
……
動きを止めた
それは太陽から逃げるように北へと向かっている。ときに砂丘を迂回し、ときに手を突いた跡が見て取れる。そしてその先端に、今なお新しい跡を作り続ける二つの影があった。
全身を覆う外套と、目深にかぶった大きいフード。人相はわからない。身長も年齢も、性別すらも判別できない。だが、生きた人間であることだけは確かだった。
その二人の足取りには差があった。
一人は一歩一歩、砂を踏みしめるように進んでいる。
だが、もう一人は足を引きずるように歩き、明らかに遅れていた。
遅れているほうが顔を上げた。男だ。場所が場所なら、状態が状態なら、女性に困ることはない顔立ちに見えた。だが今の顔色はすこぶる悪い。額から流れ落ちた汗に砂が張り付き、幾つもの筋となっている。無精ひげにも砂化粧がされ、世辞にもカッコイイとは言えないだろう。
その男がしゃがれた声で言う。
「なあ、アディル。水、余ってないか?」
情けない声だった。弱々しい声だった。この砂塵舞う砂漠では、一メートルの向こうにも届きそうにない声だった。ひよこの
だが、『アディル』と呼ばれた人物ははるか前を行くにも関わらず、それを聞き取ったらしい。
面倒そうに振り返ると、ごそごそと
そして、「……そら」と、ボトルを放った。
それはくるくると縦回転しながら綺麗な放物線を描くと、情けない男の近くにさくりと刺さった。砂漠において、水の一滴はダイヤモンドの一粒に匹敵する。それを仲間内とはいえあっさりと譲渡するなど、砂漠を行く者にとってはありえないことだ。
「投げるんじゃねえよ、バカ野郎! 貴重な水だぞバカ野郎! 助かったぜ、ありがとう!」
そして罵倒だか感謝だかわからない言葉は、助けられた身としてはちょっとどうか。
なんにせよ、ボトルの譲渡は無事済んだ。水が入っていないというオチもなく、情けを受けた男は喉仏をごくごくと動かしている。
その様子を見届けて、アディルは前に向き直った。フードを少し上げ、目の前にそびえる砂丘を見上げている。彼の顔は砂にまみれているが、元々精悍な顔立ちであることが窺えた。左目は遥か
だが、右目には黒い布が乱暴に、乱雑に巻いてあった。
怪我か病気か、はたまた趣味か。
いずれにせよ、近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのは間違いない。
アディルはその布の位置を確かめると、着実な足取りで進みはじめた。
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