第14話 好きという才能
人間にはそれぞれ好きなものや嫌いなものがある。自分は個人個人が持つ好き嫌いの感情が一種の才能だと考える。
理由は単純だ。嗜好は人それぞれ違うからである。自分の好物が他者の好物かと言われたら答えはNoの場合が多いだろう。他者の好物が自身の好物かと聞かれてもNoと答える場合が多いだろう。
確かに多くの人が好きだと答えるものもあるだろう。しかしその好きだという感情の熱量が同じだとは限らない。その好きだという感情を追求することで、その熱量はより上がっていくものだ。
食べ物にしても、音楽にしても好きなものの中からさらに枝分かれしていく。
例えばラーメンというジャンルで考えてみよう。
とんこつラーメン、しょうゆラーメン、みそラーメン、しおラーメン等と同じラーメンにも様々な種類がある。
今回はとんこつラーメンを選んだとしよう。
同じとんこつラーメンでも、スープの違い、具材の違い、麺の種類、麺の固さと人それぞれ好みは違ってくる。
自分の好きなもの。それに対して追求していくことで、自身の持つ才能を開花させるきっかけになるのではないかとそう考える。
自分が好きなものを追求し続けていたら、その好きが自分だけでなく他者の心すら魅了してしまうような、そんな素晴らしいものすら生まれるかもしれない。
それとは別に、自分の好きは誰にも受け入れられないかもしれない。そうなってくると自分の好きを追求することを諦めてしまうこともあるかもしれない。
だが個人的には諦める必要はまったくないと思う。なぜかというと、好きだという感情は個人の才能だからだ。誰かに好きだと思ってほしいから好きなのではなく、自分が好きだから好き、それで十分なのだ。
好きという感情は自分に心という情熱を注いでくれる。その好きだという感情を大切にし、好きなものをより追求していくことで好きは「愛」へと変化していくのだろう。
「心」という漢字に「受」を合わせると「愛」になる。
「又」の部分を伸ばす必要があるが、それは「心」を「受」け入れることを、永く続けるという意味があるのかもしれない。
好きだという感情は人間の感情の中で、もっとも熱を秘めているものだと自分は思う。それと同時に好きなものを他者に否定されてしまうと心は傷ついてしまうだろう。
だが好きだというのは個人の才能だ。その才能を一番に守れるのは自分であるし、その才能をどこまで伸ばせるかも自分自身の行動にかかっているだろう。
創作をする上で、自分の好きを追求することは、誰かの好きを追求することよりも大事なことのように思う。
自分の好きを追求し、自らの才能を開花させる努力をしていく。読者ニーズという読者の求めるものを提示していくのは、自分の好きを追求したあとでも遅くはない、そう自分は考える。
自身の「心」と向き合うことは、幸せな人生を追求する上でもっとも大切なことだろう。
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