3-7

 貸し与えられた寝室は、いかにも王城らしい豪華さで、どうにも落ち着かない雰囲気だった。二つ並んだベッドの一つにどさっと飛び込んで、美樹人はため息をつく。疲れた。もう、本当に疲れた。美樹人がこれだけ疲れているのだから、シオはもっと疲れているだろう。だというのにシオは美樹人のようにベッドにいきなり飛び込んだりはせず、廊下でこの城の使用人らしき人と何事か会話していたかと思えば、とんがり帽子とローブを脱いで、丁寧に皺を伸ばして、埃を払って、コート掛けに掛けている。そんなにあの帽子とコートが大事なものなのか、あるいは性根からくる行動か。美樹人はシオと出会ってまだ二十四時間とちょっとしか経っていないが、なんとなく両方だろうな、と思った。


「魔女さん、今日は疲れたね」

「あ、いえ……私は怪我もしませんでしたし、傷薬も使っていないので、あなたほどではないかと」

「? 傷薬って疲れんの?」

「傷薬は治癒魔法と違って、自己治癒力を高めるものなので……私はあまり経験ないですけど、大きな怪我を治した後は理論上疲れると考えられます」

「ふーん……治癒魔法っていうのもあんだね」

「さっきお話したゾフィーさんは、治癒魔法のスペシャリストですね。……あの方に見つけられていれば、あなたもこんなことにならずに済んだかも」

「こんなことって?」

「魔女と契約を結んでしまって、自由を奪われて、七傑の魔女のトラブルに巻き込まれて……私が見つけたばっかりに、いいことなんてひとつもないですね……すみません……」

「え、あ、あー……」


 ずーん。落ち込んでしまった。なんかかわいそう。でも慰めるような言葉も思いつかない。というか、慰められるほど、状況を把握していないのだ。自分の身に何が起きたのか、どうすればどうなったのか、美樹人にはまださっぱり分かっていない。


「なんて言うかさ……俺、あんまり何が起きたのか分かってねーから、俺を見つけたのが魔女さんじゃなかったらどうとか、あんま想像つかねーって言うかさ……」

「そ、そうですね……はい……」

「だから教えてほしーんだけど、結局、俺は何がどうなってここにいんの? やっぱ魔女さんにもさっぱり分かんねーの? ちょっとでも考えてることがあんなら、教えて欲しい」

「考えてること?」

「考えてること。こうかなーとか、ああかなーとか。まさか何にも考えてないワケじゃないでしょ。家の裏にぶっ倒れてた俺の有り様を見て、なんか、こう……考えることがあったんじゃねーのかな。あったんなら、教えて欲しいんだ。俺ら、これからずっと一緒なワケだしさ」


 何を考えているのか分からない人と二十四時間一緒にいるのは、結構キツい。少なくとも美樹人は、四六時中行動を共にしなければならない相手に隠し事をされるのは嫌だし困る。信頼関係、とでも言おうか。自分の命を握っているこの少女が、一体何を感じて、何を考えているのか。それが分からないと、すごく不安だ。


「えっと……あ、あの、お気持ちは、分かります。そうですね、不誠実でした。私の力不足でこうなってしまったのに……」

「それだよ、それ。『私の力不足』って何? 何に対して魔女さんの力が足りなかったの?」

「……あの、その……それをお話しする前に、ご了承いただきたいと言いますか……念頭に置いていていただきたいことがあるんですが」

「魔女さんがポンコツ魔女だってこと?」

「うぐっ…………そうです。私、その……魔女としては下の下もいいところで……ですから、私の考察が、必ずしも的を射ているとは限らないと言うことを、念頭に置いていていただきたいんです。あなたの身に何が起きたかについては、落ち着いた頃にモルガン先生かシモーヌさんに聞いてみるのが、一番いいと考えています」

「あ、そうそうそれ。そういうの。そういうの教えてよ。俺らほとんど初対面なんだしさ、全部、口に出して教えて。俺もそうする。そしたら、俺も魔女さんも安心じゃね?」

「そう、ですね……おっしゃる通りです。ええと、でも……何からどうお話すればいいのか」

「んー……じゃあ、俺の身に何が起きたか、について、ちょっと考察してみて」

「むっ……難しいこと言う……」

「がんばれがんばれ」

「うー……」


 美樹人の言葉に、シオはうんうんと唸り出す。どうやらいきなり考察、というのは難しかったようだ。


「じゃあ、事実の確認からしていこう。魔女さんの家の裏にぶっ倒れてた俺は、どんなだった?」

「どんな……死にかけ?」

「どういう死にかけ? 病気? 怪我?」

「怪我……に、入ると思います」

「どんな怪我?」

「四肢が千切れかけていて……何というか、所感ですけど」

「全然いい。聞かせて」

「私には、千切れかけている、というよりは、ええと……バラバラなものをくっつけている途中、に見えました」

「ふむ……他には? なんか気になったこととか、気になるものとか、なかった?」

「臓器みたいな塊がくっついてました。その……胎盤、みたいな」

「対バン?」

「胎盤です。あの、お母さんのお腹の中で赤ちゃんの成長を助ける……」

「何それ。そんなのくっついてたの?」

「消えちゃいましたけど」

「消えちゃったの?」


 なんだかよく分からなくなってきた。やっていることは事実の列挙のはずなのに、美樹人の常識では考えられない事実ばかりなものだから。でも、魔女さんが嘘ついてるようには見えないしなあ。美樹人は混乱しつつも、とりあえずシオの次の言葉を待った。


「……ええと、私は、実際に見たことはないんですけど」

「うん」

「神授種の中には、成体でも、体のどこかに胎盤のようなものをくっつけてこの世界に来るものがいるそうです。本で読みました」

「……ふむ。つまり?」

「その……笑わないで聞いていただきたいんですが」

「真面目に言ってんなら笑わない」

「……あなたは、神授種と同じ経路でこの世界に来た、異世界人なのでは」

「ちょっと待ってね。……神授種って、えーと」

「古来よりこの大陸に生きる生物種ではなく、『ワルプルギスの夜』に神が授け給う生物種のことを言います」

「つまり?」

「つまり、異世界から来た生き物です。『ワルプルギスの夜』に七傑の魔女が儀式をすると、神が異世界へ接続するんです。接続して、そこから引っ張ってきた生き物が、神授種」

「お、おう……? えーと……この世界は昔っから異世界と繋がる通路みたいなのがあって、俺はその通路を通ってやってきたんじゃないか、ってこと? 合ってる?」

「合ってます。でも、その理論でいくと、あなたがこの世界に来るのは『ワルプルギスの夜』以降であるはずなんですが」

「なるほど。理論に穴があるから言いたくなかったワケだ」

「うぐっ……はい、その通りです……」


 シオはまたしょんぼりする。なんかかわいそう。でも、話自体はなるほどと思えるものだった。普段から生き物やら何やらを行き来させる通路があるのなら、何かの間違いで美樹人がこの世界に来てしまった、という可能性もゼロじゃない。なんともファンタジーな話ではあるが、それを言うならもう魔法を目にしてしまっているのだし。


「魔女さんの考えは大体分かった。うん。まあ、俺の常識から言うとすごく非現実的な話だけど……同じくらい非現実的なことが実際に起きてるワケだしね」

「あの、でも、これは所詮私の考察というか、所感が多分に混じっているので……すみません、私がもう少し賢かったら」

「まあ、事実も大事だけどさ。もっと大事なのは、俺と魔女さんが信頼し合うってことだと思うんだよね。これから一緒に犯人探しするワケだし。だから、この話は魔女さんの所感が聞けたってことで満足」

「はあ……」

「次ね、次。魔女さんの『力不足』って結局何?」

「……うぅ」

「今の話から察するに、死にかけてた俺を助ける方法が、魔女さんには『契約』しかなかったって話でいいの?」


 シオは唇をモニョモニョ動かして、気まずい顔で視線をうろうろさせてから、小さく頷いた。別に責めたい訳じゃない美樹人も、ちょっと気まずいような気がした。


「すみません……私が不甲斐ないばっかりに、自由を奪って、七傑の問題にも巻き込んで……どんなに謝っても足りない……」

「あー……」


 ずーん、とか、しょんぼり、とかでは言い表せないほど落ち込んでしまった。負のオーラが見えるようだ。今にも泣き出してしまいそうなシオに、美樹人は上手い言葉を探したが、見つからなかった。見つからなかったので、頭に浮かんだままの本心を口にすることにした。


「……そもそも、他の優秀な魔女どころか、魔女さんにすら見つけてもらえなかった可能性だって十分にあったはずだし。魔女さんは、全力を尽くして、知らねー男と四六時中一緒にいなきゃいけなくなるような手段を使ってまで、俺を助けてくれたし……」

「でも、それは当たり前のことで……」

「その『当たり前のこと』で、死なずに済んだんだ、俺は。だから、感謝してるし、責める気持ちはないよ」

「……」

「全然気にしてない、全然大丈夫、とは流石に言えねーけどさ……俺だって、一人になりたいって思うこととかあるかも知んねーし。でも、」


 美樹人は息を吸って、吐いて、静かに言った。決意表明でもするかのように。


「付き合うよ。乗りかかった船だし、解決しなきゃ家に帰る方法を探すどころじゃないっぽいし……何より、あんたをほっとけない」

「、」


 シオは、小さく息を呑んだ。それが何を意味しているのかは、美樹人にはまだ分からない。ただ、疎ましく思われている、ということはないのだろう。多分。そう思いたい。だって、そんな子じゃないってことは、なんとなく分かってきているし。


「とにかく、明日からもよろしくってこと。協力し合おう。せっかくの縁なんだしさ」

「え、ん?」

「巡り合わせっていうのかな。悪いことばっかりでもないよ、そういうのって。……さ、シャワー浴びて寝よう、魔女さん。明日寝坊できないでしょ」

「あ……」

「俺先でもいい? もう眠くってさ。やっぱなんかすげー疲れてるわ」

「ど、……どうぞ」

「ありがと。すぐ上がるから、そしたら魔女さんもささっと入っちゃって、すぐ寝ような。魔女さんは俺ほど疲れてないって言ってたけど、絶対疲れてるはずだから」

「……はい」


 用意してもらった着替えを抱えて、シャワールームに入る。この中世っぽい世界で、中世っぽい雰囲気ながらしっかり存在するシャワー。水道とか、温度調節とかどうなってんだろ、なんてぼんやり考えながら、美樹人は顔にしっかり温かいシャワーを浴びるのだった。

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