3-5

「状況は?」

「な、何者かが、結界を破って、攻撃を仕掛けてきたものと。神殿全体に被害が出ています。神官にも」

「王国からの情報では、魔術による攻撃が外部から観測できた、となっていますわ。シオ、あなたは? 敵の魔術を観測できていまして?」

「儀式に手一杯で……わ、私より、彼の方が、周囲のことは見えていたかと」

「彼?」


 座り込んだまま話を聞いていると、シオが徐にこちらを見た。流れからして、どうやら『敵の魔術』を観測できたか、と尋ねたいのだろう。美樹人は首を捻って思い出す。あの瞬間のことを。


「……いや、ごめん魔女さん。おれ、ちょっといま、冷静におもいだせねー、かも」

「そ、そうですか……こちらこそごめんなさい、無理をさせて」

「あー、うん。まあ、仕方ない、よな」

「ちょっとお待ちになって。そこに誰かいますの?」

「あ、えと……私の、眷属……です」

「ケッ――」


 鶏みたいな声を上げて、コンスタンツェが固まる。おや、どうしたのだろう。首を傾げると、変に縮こまっているシオが目に入った。


「眷属!? お待ちになって、シオが、眷属ですって!? ど、どどどどこの馬の骨ですの!?」

「ええと……説明が、少し難しくて……」

「聞こえていますわね、眷属の方!! 映りなさい!! 顔をお見せなさい!!」

「え? なに、魔女さん、おれ、どうしたらいいの?」

「ど、どうしましょう……立てますか? あ、無理はしなくても……」

「ちょっとだけなら、まあ」


 美樹人は重い体を起こし、のそのそと立ち上がった。空中に浮かぶコンスタンツェの顔がよく見える。美人だ。目つきが、ちょっと怖いけど。


「あなた、名前は何と言いますの?」

「青葉、美樹人です」

「アオバ……ミキト? 聞き慣れない名前ですわね。生まれはどこでいらして?」

「あー……えっと、魔女さん」

「コンスタンツェさん、その、彼は少し、事情がありまして」

「まさかシオ、あなた、脅されたり弱みにつけ込まれたり優しさにつけ込まれたりしていないでしょうね!?」

「失礼な」

「あ、いえ……話すと長くなるんですけど、ええと、『契約』に至るまでの経緯に関しては、全面的に私が悪いと言いますか、私の力不足が原因と言いますか……」

「……よく分かりませんけれど、結局、シオは困っていらして?」

「ええと、この件が解決したら、相談に乗っていただきたいです。今は、儀式を」

「あ、そうでしたわ。人見知りで引きこもりのシオが眷属……それも男の眷属なんて作った衝撃で、吹っ飛んでいましたわ」

「魔女さん、それってどうなの?」

「うるさいですわね、聞こえていてよ!!」

「あ、すいません。……ごめん、魔女さん。そろそろ、座っていい?」

「どうぞ。コンスタンツェさん、他の神殿の状況は、どうなっていますか?」


 美樹人がフェードアウトすると、途端にシオの声が真剣味を帯びる。コンスタンツェも、それに応えるようだった。


「安心なさって。他の神殿は、バージェスほどの被害を受けてはおりません。けれど、龍脈への干渉があったようで……儀式は全面的に失敗、ですわ」

「……攻撃を受けたのは、ここだけ、ですか」

「ええ。最も弱い七傑、最も弱い都市が狙われた、と考えるべきですわね」

「、あ……ごめんなさい」

「謝ることではありませんわ。あなたは七傑の役割を全うしている。本来、七傑の魔女に強さなんて必要ありませんわ。狙う側が悪いんですの」

「……はい。……でも、一体、何のために……?」

「確かなことは言えませんけれど……わたくしには、『ワルプルギスの夜』を妨害したい何者かがいるように思えてなりませんわ。何もかもの事件が、私たちを邪魔するかのようで」

「そんな、何のために、誰が、そんなことを? アヴァロニア大陸に住む者、全てが『鋼の虎』の恩恵を受けているのに……」

「分かりませんわ。憶測に過ぎない。けれど、あながち間違った憶測でもないと思いますわ。……とにかく、シオ。そちらに王立魔女団が向かっているはずですわ。一先ず、彼女らと合流してもらえますこと? このままそこにいるのは、危険ですわ」

「あ、は、はい……」


 はて、また知らない単語が出てきた。魔女団、とは。

 美樹人が首を傾げる前に、開け放たれたままの扉の向こうが慌ただしくなった。視線を向けると、武装した女性たちが群れをなしてこちらに走ってきている。


「来たようですわね。それでは、一度切りますわ。まだタニアさんと連絡が取れていませんの」

「え、だ、大丈夫なんですか?」

「タニアさんとタチバナさんは殺しても死にませんわ。グールド共和国とは連絡は取れていますし、安心なさって」

「あ、よかった……」

「では、失礼致しますわ」


 プツン、と、コンスタンツェの姿が掻き消える。それと同時に、背後から声がかかった。


「『翡翠のうお』様ですか!? ご無事でいらっしゃいますか!?」

「あ――は、はい! ですが、眷属が怪我を! すみません、すぐそちらへ向かいます!」


 振り返ると、先ほどの武装した女性たちが、扉の前でこちらを覗き込んでいるのだった。どうやら、この部屋には『七傑の魔女』以外は入ってはいけない厳格な決まりがあるらしい。


「立てますか? ごめんなさい、ここには七傑とその眷属以外は入れないんです。空気が濃すぎるから」

「くうき?」

「『鋼の虎』の影響力が強い、と言いますか。鋼のような匂いがしませんか?」

「あ、する……」

「普通の人や魔女には、毒にもなるんです。だから、ごめんなさい。手を貸しますから、外まで歩いてください」

「はーい……」


 再び立ち上がって、シオに導かれながら外に出る。外に出ると、武装した女性たち――おそらくは、彼女たちが『魔女団』だろう――が、シオの代わりに美樹人を支えた。


「更衣室にある私の鞄の中に、傷薬が入っています。負傷者の数は?」

「五十程度です」

「それなら、手持ちで足りるかと。……蘇生は、できませんが。とにかく、私の鞄の中の、緑のラベルの瓶が傷薬です。一瓶につき一人、回復させられます。使ってください」

「感謝いたします。あなた! 今の話を団員全員に伝えなさい! それから、あなた! 更衣室に向かって、『翡翠の魚』様の鞄をとってきなさい。急いで!」

「はい!」

「あ、一瓶、こちらにもいただけますか。私の眷属も負傷していますので」

「はい、もちろんです。少々お待ちを」

「ありがとうございます」

「とんでもない」


 美樹人は敷かれたマットの上に寝かされた。痛みに呻きながら、崩落した天井を見上げる。来た時に感じた荘厳さが、今は薄くなっているような気がした。


「もう少し、……もう少し、待ってくださいね」

「あー……うん……大丈夫だよ、たぶん……他の、死にそうなひと、優先して……」

「……ごめんなさい、巻き込んで」

「仕方ないって……」


 酷い顔だ、と失礼ながら思った。何せ美樹人が見上げたシオの顔は、眉を下げて、今にも泣きそうで、罪悪感と無力感でいっぱいです、みたいな顔だったものだから。年下の女の子の、こんな表情を見て気分が良くなるほど、美樹人は変態じゃない。むしろ逆だ。美樹人は基本、人の笑った顔が見たい派である。

 ぶるぶると震えるシオの手を、自分のそれで包み込むように握ってやる。恐ろしく冷たい。そんなに怖がらなくても、美樹人は多分死なない。そんな確信がある。それに、シオだって似たようなことを言っていたじゃないか。『自分の眷属だから、そう簡単には死なないよね?』って。そういうことなんじゃないの。分かんないけど、チンピラとか、肉とか、小瓶とかをあり得ないほど遠くまで投げられたのって、そういうことなんじゃないの。

 そう言って元気付けたかったけど、喋る元気は流石になくて、思考だけで終わった。そうこうしているうちに、魔女団の団員らしき一人が駆け寄ってくる。


「『翡翠の魚』様! こちら、鞄です!」

「あ、ありがとうございます……!」


 シオのレッグポーチだ。無事で何よりだ。ほ、と安堵する美樹人をよそに、シオはレッグポーチに手を突っ込んだ――あり得ない所まで。


「!?」

「あ、えっと、シモーヌさん考案の空間拡張魔法がかかってるんです。だから、見た目よりもたくさん入りますし、見た目よりもずっと重いです……あった!!」


 シモーヌって誰だっけ。一回聞いたな。そう思っていると、シオはレッグポーチから、それはもうレッグポーチの容積からして考えられない量の小瓶を次々に取り出して魔女団に渡していく。あの鞄、覗き込んだらどうなってるんだろうか。


「こ、これで、全部です。足りますか?」

「この神殿の神官は六十人ほどです。全員が負傷していたとしても、足りるかと。感謝します、『翡翠の魚』様」

「よ、よかった……過剰投与にはならない量しか入れていないので、どんな怪我の方にもそのまま飲ませて大丈夫です。よろしく、お願いします」

「了解いたしました。……あなたたち、行くわよ!」


 魔女団がそれぞれ小瓶を持って散っていく。この場に集められた負傷者の治療も始まる。それをぼんやり眺めていると、シオが覗き込んできた。


「口、開けられますか?」

「おー……」

「少し、冷たいですよ……」


 シオが小瓶の中身を口に流し込む。傷薬は、仄かに甘くて、なるほど確かに冷たかった。

 ごくり、と飲み込むと、しばらくして全身が熱くなってくる。どこか覚えのあるその感覚に、咄嗟にシオの手を握った。シオは、応えるかのように握り返す。変わらず冷たいその手が、今は少しだけ美樹人を安堵させた。


「っあ、……はぁ」

「どうですか? 痛みは?」

「うお、なくなった。いや、ほんとすげえよな、魔女さん」

「、す、すごくないです。魔女なら誰でもできます」

「はいはい」


 かばっと起き上がり、ぐるぐると首を回してみたり、背中を伸ばしてみたり、カピカピになった血がぽろぽろと落ちて、なんだか可笑しかった。

 けらけら笑うと、シオがホッと胸を撫で下ろす。しかしすぐに、暗い表情に戻った。


「……儀式は失敗……それも、何者かの攻撃で……私が弱いばかりに、こんなに、負傷者が、犠牲者も……」

「魔女さん……」

「一番、弱いんです。私。だから、狙われた。ここにいるのが、私じゃなかったら……神官の方々は、」

「魔女さん、やめよう。狙われた方が悪いんじゃない。狙った方が悪いんだ」

「でも……」


 シオは俯いてしまった。真っ白な髪の隙間から垣間見える頬は、恐ろしく白い。震える肩が何だかあまりにも可哀想な気がして、美樹人はそっと触れた。冷えている。体のどこもかしこも、冷えている。

 押し潰されてしまう、と思った。でも、何を言えばいいのかが分からない。ただ、落ち着かせるために肩を撫で続けていると、そこにまた、慌ただしく誰かがやってきた。


「『翡翠の魚』様」


 高貴な女性だ、とすぐに分かった。服装であったり、付き従う者の表情であったり、その人自身の立ち居振る舞いであったりから滲み出てくる雰囲気が、美樹人にそう思わせた。

 彼女はシオの前に片膝をつく。恭しく頭を下げると、その背後の女性たちもそれに倣った。


「お初にお目にかかります。わたくしはアンジェリーヌ・キュヴィエと申す者。この王国の、王族の末席を汚す者でございます。こちらは魔女団の団長、トレイシー。私の護衛でございます」

「あ……『翡翠の魚』シオです。は、初めまして」


 シオの戸惑い混じりの挨拶に、アンジェリーヌは真剣な表情で頷いた。


「お迎えに上がりました。王城までおいでいただきたく存じます。七傑の間は今や機能不全。七傑会議は、掟破りではございますが、王城でも行えます。すぐにいらしていただきたく」

「あ……は、」

「ま、待って待って。ちょっと待って。すぐに?」


 耐えきれずに声を上げると、アンジェリーヌはゆっくりと美樹人を見た。


「『翡翠の魚』様、この方は?」

「わ、私の眷属です」

「……七傑の魔女に眷属が?」

「ええと、諸事情、ありまして」

「いや、そんなことはどーでも良くてさ。あの、アンジェリーヌさん、今すぐって言った?」

「はい。言いましたが」

「魔女さん、今し方死にそうな目に遭ったばっかりなんですけど。それに、儀式? だって、失敗したけどやって、疲れてるんです。ちょっと休ませてやらないと」

「、」

「こんな小さな女の子が、ここまで酷使されて良い訳ないでしょ。七傑だか何だか知らないけど、俺も魔女さんもまだ子供だよ?」

「……ですが、『七傑の魔女』です。七傑の魔女には、その責務があります」

「責務って……子供に追わせていい責務かよ」


 お互いに、イラッとしたのが分かった。でも、引けない。王族だろうが何だろうが、このままアンジェリーヌに身を任せていると、シオが潰れてしまう。そう、思ったのだが。


「……ミキトさん」


 初めて、名前を呼ばれた。思わずぴた、と動きが止まる。シオを見ると、彼女は、青白い顔で、それでも眼光強く美樹人を見ていた。


「心配してくださって、嬉しいです。ありがとうございます。でも、これは私の役目なので。行きます。やります」

「魔女さん、」

「大丈夫です。私も、腐っても七傑の魔女。死ぬなら、やるべきことをやってから死にます」

「……アンタが死んだら、俺も死ぬんじゃん」

「あ……ええと、」


 困ったように眉を下げる。でも、瞳は揺らがなかった。だから、美樹人は――止められない、と、思った。


「……分かったよ、魔女さん」

「ごめんなさい。できるだけ、死なないように頑張りますから」

「はいはい」


 そんな努力を、こんな小さい子がしていいものか。ぐ、と唇を噛む。間違ってる。間違ってるけど、どうしようもない。それなら――自分が、シオを、守ってやらなくては。潰れないように、死なないように、自分が。

 立ち上がるシオを支えるように寄り添う。その体躯はどこまでも華奢で、普通の女の子だった。

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