3-4

 儀式が滞りなく進んでいるのか否かは、美樹人には分からない。けれど、なるほど、シオが事前に『不思議なことが起こる』と言っていたのも頷ける。床の魔法陣が光り、明滅し、空間に何か映像のようなものが幾重にも重なり浮かび上がる。空気は鳴動し、ゆっくりと膨らんでいくようにも思えた。

 そんな奇妙な空間の中、美樹人はただ、シオの側で立っているだけ。何ができる訳でもなく、ただ、シオの負担を減らすためにその場にいた。居心地の悪さはずっと感じている。ここは美樹人の居場所じゃない。それでも、美樹人はここにいなければならない。

 それはすごく気持ち悪いことだ、と思うと同時に、でも、シオをこの場に一人にしてはいけない、とも思う。シオの顔色はさっきからどんどん青ざめていっている。魔女は魔力が尽きると死ぬ、と聞いた。エディアカラ神殿に魔力を送っている今、まさにシオは、命を削っているのだろう。命を削って、世界を円滑に運営しようとしている。それが、シオの役目なのだ。


「……」

「……?」


 その横顔を、じっと見ていると。ふと、空間が揺れているような気がした。今までの空気の鳴動ではなく、空間の揺れ。

 ぱ、と顔を上げて、高い天井を見て、美樹人は、その感覚が間違いだったと気付く。空間が揺れているのではない――『鋼の間』が、神殿が、揺れている!


「魔女さんッ!!」


 轟ッ!! と、激しい音がした。美樹人の体は反射的に動き、異変に気付いて目を見開いたシオを抱え込むようにしゃがんだ。

 そして、その瞬間に。


「――ア、がっ!?」


 頭に、背中に、強烈な衝撃が走る。視界が真っ白になる。空気が肺から勢いよく吐き出される。ぐるっと眼球が回って、意識が一瞬途切れる。

 ぶつ切りの思考。やっとの思いで意識をかき集め、何があったのかを把握しようとするが、しかしそれを阻むのは、遅れてやってきた痛み。


「っぐ、ぅ……」


 思わず呻く。シオを抱き抱えたままの腕に、自然と力が入った。か細く、短い悲鳴が、聞こえてくる。


「っあ、ぁ……まじょ、さん、」

「、」

「いき、てる?」

「ぇ、あ……は、はい。生きています。あなたのおかげで。あなたこそ、怪我、」

「ごめ、ちょっと、いたい……かも」

「あ――ど、どう、どうしよう。まって、まってください、傷薬、きずぐすり、……あ、ない……」


 そういえば、自分たちの荷物はすっかり預けてしまっているのだった。


「結界、結界は? 神殿には、結界が張られているはずじゃ……まさか、破られた? でも、そんなことは、魔女しかできないはず、で、何で、そんなこと、」

「まじょ、さん、」

「ど、どうしよう。し、死なないですよね? 私の眷属ですもんね? 『契約』結びましたもんね? そう簡単には、死なないですよね?」

「あー……た、ぶん……今すぐ、は、死なねー、かも」


 死ぬほど痛いが、言われてみれば確かに、今すぐ死にそうな気配はない。


「ど、どうしよ、助けを、待つ? でも、儀式が、」

「できれば、おれ、早めに、傷薬、欲しいんだけど……」

「そ、そうですよね。痛いですよね。でも、結界が破られたのなら、ここだけの被害のはずがない……と、とりあえず、瓦礫、退けられますか? 肩を貸しますから、ここを出ましょう。もし被害がこの『鋼の間』だけなら、神官の方々に助けてもらえるかも……」

「ま、ってね……」


 どうやら、瓦礫の下に閉じ込められてしまっているらしかった。痛みを堪え、全身の力を振り絞って、背中に乗っかった瓦礫を押す。ゴゴ、と重たい音を立てて、大きな瓦礫が動く。僅かにできた隙間から、身を捩って脱出した。

 頭上からは月明かりが降り注いでいる。どうやら、天井が落ちたようだ。よく生きていたものである。やっぱり、魔女との『契約』には、そういう、強くなる効果があったりするのだろうか。

 ふらふらと立ち上がって、シオの肩を借りて扉に歩み寄る。シオが美樹人から離れて重たい扉を押すが、扉はびくともしなかった。仕方がないので、またちょっと無理をして扉を開ける。シオが酷く申し訳なさそうな顔をしてから――扉の向こうの光景に、目を見開いた。


「うそ……」

「あー……傷薬、ちょっと、待たなきゃ、だめ、かもね」


 散乱する瓦礫。倒れ伏した神官たち。うめき声が聞こえてくる。廊下の惨状は、『鋼の間』と大差なかった。


「あ、ど、どう、どうしよう……」

「魔女さん、」

「傷薬、は、早く、見つけなきゃ、治療、しなきゃ、眷属じゃないから、し、死ん、」

「魔女さん」

「ちが、違う。救難信号……王国に、救援を、でも、どうやって……どこから……」

「魔女さん!」

「っはい!」


 顔を真っ青にして、パニックに陥ったシオを強く呼ぶ。こちらを見たシオの瞳からは、涙が今にも溢れ出しそうだった。美樹人は、それを、じっと見つめる。


「おちついて……いま、無事な魔女さんが、パニックになってたら……ほんと、それこそ、どうしようもない、よ。おちついて、いま、できること、やろう」

「、ぁ、」

「魔女さんなら、なんか……外と、連絡、つけらんねーの……つーか、これ、なにが、おこってんの?」

「……そう、ですね。まずは、ええと……状況の把握……私が、できること……あ、あの、まだ、動けますか?」

「ま、まあ……はしるのは、ちょっと無理、だけど」

「『七傑の間』に行きます。儀式はおそらく失敗です。でも、正しく状況を把握しなければ――犠牲が増える」

「この人たち、置いてく、の?」

「はい。いま、今は……お、置いて、いきます」

「……おっけー。分かった。おれが、くちだすことじゃ、ねーし……行こっか、魔女さん」

「はい」


 また肩を借りて、ふらふらと廊下を行く。道はどうやらシオが覚えているようだった。

 やがてたどり着いた見覚えのある扉を、無理矢理に開ける。神殿の扉の鍵を破壊するなんて、罰当たりかな、なんて思ったが、こっちには『七傑の魔女』がついているのだ。錦の御旗はこっちにある。


「こんど、は、おれも入っていーの……?」

「できるだけ魔力消費を抑えたいんです。た、たぶん、許してもらえる……と、思います」

「はは、おこられるかも、なんだ……」


 ぐちゃぐちゃな部屋の中。欠けた魔法陣の中心、石碑のようなものの前にシオは立つ。美樹人はその隣に、耐えきれなくなって座り込んだ。

 ぜえ、ぜえ、と自分の乱れた呼吸が聞こえる。冷や汗がボトボト垂れてきて、ちょっと気持ち悪い。酷い痛みに耐えながら、シオが石碑に何かしているのを眺めていると、石碑に刻まれた紋様が突然光る。美樹人がうお、と小さく声を上げると同時に、ふわり、と金属の匂いがして、空中に何かが浮かび上がった。

――女性だ。金髪の巻毛。絵に描いたような中世貴族みたいな格好の女性だが、右目に着けたモノクルが、ただの偉ぶった貴族ではないぞ、と主張しているようだった。


「繋がった!」


 シオが、ほ、と安堵の声を上げる。どうやら、彼女がシオの頼る者――おそらくは、『七傑の魔女』。


「コンスタンツェさん!」

「シオ、ですわね?」


 コンスタンツェ。聞いた名前だ。聞いた名前だし、状況的に『七傑の魔女』であるだろうことは分かるのだが、一体全体どんな『七傑の魔女』だったのかは思い出せない。えーと、一回魔女さんに聞いたんだけどな。コンスタンツェ。コンスタンツェ。誰だっけな。

 そんなことを考えていると、コンスタンツェが空中からシオを見下ろして、厳しい表情で言った。


「――狙われましたわね、シオ」

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