3-3

 七傑の間を辞したシオは、まさに疲労困憊と言った様子だった。よろよろと覚束ない足取りで開いた扉の向こうから現れた彼女に、美樹人はつい駆け寄る。


「魔女さん!」

「お、終わりました……疲れた……」

「お疲れ様。どうだったの?」

「一先ず、儀式はここで」

「ここで? えーと、エディア、カラ? の神殿じゃなくて?」

「はい。今からエディアカラ神殿に向かうのは不可能だと判断しました。次善の策として、ここ、バージェス神殿から魔力を送ります」

「えーと……?」


 シオは疲れを振り切るように頭を振って、神官へ声をかけた。


「『鋼の間』への案内をお願いします」

「承知いたしました」

「あと、ごめんなさい、今は何時ですか?」

「午後八時半を過ぎました」

「……分かりました。準備の時間はありますね。私と、それから彼の礼装の準備もお願いします」

「ミキト様の、ですか?」

「はい。今回の儀式は魔力を最大限まで消費します。眷属に回す魔力を、できるだけ少なくしておきたい」

「……かしこまりました。すぐにご用意いたします」

「お願いします」


 神官のうちの一人が足早に去っていく。その背中を見送ってから、シオは美樹人に向き直った。


「ごめんなさい、少し、手伝っていただけますか」

「いーけど……俺は何をすんの?」

「側にいてくだされば、それで。目的は魔力消費を抑えることですので」

「えーと?」

「シオ様、ミキト様、こちらへ」

「あ、はい。歩きながら説明しますね」

「うん」


 足早に歩き出した神官の後を追う。一体どこへ向かっているのか、状況はどうなっているのか。聞きたいことは色々とあったが、美樹人はシオが語り始めるのを待った。


「本来であれば、ワルプルギスの夜は、エディアカラ神殿の七傑の間にて『鋼の虎』に魔力を送るのですが……今年は、それぞれの神殿から魔力を送ります。物理的な距離が開くので、規模を縮小せざるを得ません」

「?」

「あ、ええと、うーん……魔力は、その……ええと、例えば、一本の長いホースをイメージしてください。端から端まで水を送るには、相応のエネルギーが必要です。分かりますか?」

「あー……。そんで、距離が長くなればなるほど必要なエネルギーが増えるね」

「はい。そして、そのエネルギーというのも魔力です。魔力を送るには、魔力が必要なんです。ワルプルギスの夜を成立させるために必要な魔力を十とすると、ここからエディアカラ神殿までそれを届けるのに、更に二十程度の魔力が必要……と、そんな感じです」

「だから、規模を縮小するってこと?」

「はい。魔女は魔力が尽きれば死にます。そのままの規模で儀式をやろうとすると、多分七傑の魔女は全滅します。それは避けたい事態ですから」

「ふーん……それで、何で俺も儀式に同席すんの?」

「魔女は眷属に、常に魔力を送っています。先ほども言った通り、魔力を送るには魔力が必要なので、そのロスをできるだけ減らしたいんです」

「え、待って。魔女さん、俺に魔力送ってんの? てことは、俺にも魔力あんの?」

「ええと、それは……」

「シオ様、ミキト様。こちらでお召し替えをお願いいたします」


 会話を遮って、神官が振り返る。更衣室的な場所にたどり着いていたらしい。開けられた扉をくぐり中に入ると、神官とは異なる衣装を着た女性が数人、待ち構えていた。


「我々がお手伝いいたします。どうぞ、こちらへ」

「はい、お願いします」


 恭しく頭を下げた女性たちに、シオは帽子を脱いで答えた。

 女性たちは二人に近付くと、帽子やら鞄やら上着やらを受け取って丁寧に整えた。そしてそれを、まるで宝物か何かのように鍵付きの箱に収める。

 そりゃ財布もあるので管理はしっかりしておいて欲しいが、何も神殿で盗みを働く者はいまい。美樹人はあまりの厳重さに驚きつつも、促されるまま姿見の前に立った。

 パーカーを脱いで上は肌着一枚になる。布のたっぷりあしらわれた翡翠色の衣装を大人しく着せられながら、美樹人はちらりと横目でシオを見遣った。

 シオは美樹人と同じ色の、しかし美樹人よりも大仰な衣装を着せられながら、じっと鏡を見つめていた。その横顔が青ざめているような気がして、美樹人は思わず声をかける。


「魔女さん」

「あ……はい、何でしょう」

「えーと、あー……腹減ってない?」

「え?」

「結局串焼きしか食う暇なかったなーって……あ、ちげーよ? 別に責めてる訳じゃねーの。何つーかさ、終わったら何食いたい? って聞きたくて」

「終わったら、ですか?」

「そーそー。俺、もうちょい肉食いてーかな。魔女さんは?」

「え、ええと……」

「女の子なら甘いもんとか? そういやオレンジジュースも美味そうに飲んでたよな」

「……」

「あれ、違う? 意外と辛いもの好きだったりする?」

「あ、いえ……甘いものは、好きです、けど」

「そっか。…………なんか、ごめん」

「いいえ……いいえ。ありがとうございます。お心遣いに、感謝します」

「いや、お心遣いとかじゃ、ねーけどさ……」


 見透かされたような気がして、美樹人は後頭部をガシガシと掻いた。途端に『動かないでください!』と神官が悲鳴を上げる。それに平謝りすると余計に服が乱れてしまったらしく、神官たちはさらに頭を抱えて、礼装はこんがらがって、もう訳が分からない。余計なことはするもんじゃないな、と姿勢を正すと、隣からくすくすと小さな笑い声が聞こえてきた。

 目だけを動かして横を見る。隣にいるシオが、耐え切れない、といった様子で喉を鳴らしていた。その顔には、さっきよりも赤みが戻ったような、気がするようなしないような。


「指一本動かさないでください、ミキト様!」

「はーい……すいません、悪気はなかったんです」

「承知の上です!」


 怒られてしまったが、まあ、結果オーライだ。何事も、過度に緊張しては上手くいかない。シオの緊張が少しでもほぐれたのなら、多少怒られてもいい。何せ世界の危機らしいのだ。その辺よく分からないが、失敗すると大変なことになるようだし、上手くいった方がいいに決まっている。

 そんなことを考えているうちに、支度は整ったようで。美樹人とシオは邪魔くさい裾を引きずりながら部屋を出た。


「『鋼の間』への案内は我々が致します」

「ええ、お願いします」


 また別の神官たちが、美樹人たちの前を歩き出す。シオがしっかりとした足取りでそれについていくものだから、美樹人も慌ててその後を追った。


「儀式中は、できる限り私の近くにいてください。魔力消費を抑えたいので」

「うん」

「あなたから見れば、不思議なことが起きるかもしれません。でも、どうか、落ち着いて」

「頑張るよ」

「ありがとうございます。……では、行きましょう」


 やがてたどり着いた扉が、ゆっくりと開く。金属の匂いが鼻をつく。空気がガラリと変わったのを感じる。どこか硬質で、どこか光沢があるようで――いやに冷たい、空気。正しく、鋼。

 思わず生唾を飲んだ。立ちすくむ美樹人の手を、シオが強引に引く。たたらを踏むように足を前に出して、美樹人は『鋼の間』に踏み込んだ。

 背後で扉が閉まる。吸い込んだ空気が肺を刺すようで、苦しかった。

 きっとここは、俺のいていい場所じゃない。そう思うのに逃げられない。


「さあ――始めましょう」


 シオが、床に描かれた魔法陣の中心に立つ。薄暗い空間の中に浮かび上がるようなその姿は、年相応の女の子なんかではなくて。

 その背中に――世界を背負っていた。

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