3-1

「帰りはいつになる? 送ってやるよ」


 そう冗談めかして言う船長と握手を交わし港を離れ、やってきたのは王都である。

 やはり流石王都と言うべきか、人の多さ、建物の密度、景観、どれをとっても美樹人がこちらに来てから見た中で一番だ。不穏な騒がしさがあることは共通しているが。


「ここも、ポータル……だっけ? が機能停止してんのかな」

「恐らく。普段は、この辺りがここまで騒がしいことはありませんから」

「へー」

「あ、すみません、少し買い物しても良いですか? 水流発生薬、作り直しておかないと」

「あー、うん。いーよ」


 通りがかった露店で何やらよく分からない海藻らしきものを購入して、シオは満足げにそれらを小瓶に詰めた。透明な液体に、海藻から何かエキスのようなものが滲み出しているのが分かる。


「漬けとくだけでいーの? 鍋でぐつぐつ煮込むとかじゃなくて?」

「それでも良いんですけれど……時間がかかりますから。私は『原液』と呼ばれる溶媒を使っています。便利ですよ。特定の材料を加えるだけで、色々な魔術薬に変化するので」

「?」

「ええと、普通魔術薬っていうのは、あなたが言った通り鍋で材料をぐつぐつ煮込んで作るんですけれど……この『原液』を作っておけば、煮込まず後から材料を加えるだけで反応して、あらゆる魔術薬を作ることが可能なんです」

「んー……煮込む過程をすっ飛ばせるってこと?」

「はい。反応の時間が大幅に短縮できますし、これと溶質さえあれば、必要なとき、必要な分だけ魔術薬を作ることができます」

「へー……何かよく分かんねーけど、便利なんだ」

「はい!」


 シオは珍しく自慢げに微笑む。その表情は会ってから今までの中で一番明るいものだった。

 ずっとそんな顔してれば良いのに。美樹人は頭の隅でそう思った。


「ところで、えーと、何だっけ……その、何とか神殿はどこなの? 時間大丈夫?」

「あ、そうですね。行かなきゃ」


 小瓶をレッグポーチに仕舞って、シオは美樹人の手を引いた。美樹人は大人しくそれについて行く。

 そこにふと、どこかから良い匂いがした。


「……串焼きでも良いですか?」


 シオが申し訳なさそうに振り返る。美樹人は顔を赤くして頷いた。何てことはない、腹が鳴っただけである。


「ごめん……」

「いえ。考えてみれば、朝に食べたきりですから。私も少し、お腹が空きました。……すみません、肉団子の串焼きを二つ、お願いします」


 あいよー、と威勢の良い返事と共に差し出された串焼きを受け取る。ほかほかと湯気を立てるそれは、タレでてらてらと輝いていた。


「いただきまーす」


 少々行儀は悪いが、歩きながら串焼きに齧り付く。鶏肉のような食感と、エスニック、と言うのだろうか、スパイシーな香りが鼻に抜ける。文句なしに美味い。


「これ、何の肉?」

「さあ……神授種だとは思いますが」

「え、何の肉か分かんねーで買ったの?」

「アヴァロニアに流通している肉の大半は神授種ですし、その神授種は特定の種が安定して流通している訳ではないんです。手に入るのはその時々で変わる。だからああいう屋台の肉団子は、大抵色々混ざってます」

「……合い挽き肉ね。おっけー」

「王都で商売ができるくらいですから、悪いものは混じっていないと思いますよ」

「ん、うん……まあそれもそっか」


 多少の躊躇いはあったが、空腹に勝るものはない。美樹人は再び串焼きに齧り付く。うん、美味い。

 そのまま二人、無言で食べているうちに、やがて市場通りは終わり、広場にたどり着く。広場には、忙しなく通り抜けていく人もいれば、そんなことお構いなしにのんびりしている人もいる。しかしその中で、一際異彩を放つ人物が一人、親子連れに囲まれていた。


「あっ」


 そしてその人物は、シオと美樹人を認めると駆け足で近付いてきた。真っ白なローブを見に纏った女性だ。どことなく浮世離れした雰囲気がある。

 彼女はにっこりと二人に微笑みかけた。好意と安堵の混じる、溌剌とした笑みだった。


「『翡翠の魚』様と、その眷属の方ですね!」

「はい。初めまして、シオと言います。こちらが……」

「青葉美樹人っす。初めまして」

「シオ様に、えー……」

「あ、名前は美樹人の方です」

「ミキト様! 初めまして、神官のテレーズです。よろしくお願いしますね!」


 元気の良い挨拶と共に差し出された手を、シオが躊躇いがちに握る。そのままぶんぶんと上下に振るテレーズには、少し引き気味だ。


「嬉しいなあ、七傑の魔女様とお会いできるなんて。非常事態とはいえ、悪いことばかりでもないですね!」

「え、えぇ……」

「私がバージェス神殿にご案内します。こちらです、どうぞ!」


 そう言って歩き出すテレーズを追いながら、美樹人はちらりとシオを見た。その視線に気付き、シオが顔を上げる。


「魔女さん、神官って?」

「神殿に奉職する方々です」

「巫女さん的な?」

「ミコ?」

「あー、いや、俺も巫女さんが何してる人なのかはあんまり知らないんだけどさ」

「はあ。ええと……神官の方々は、神殿の管理や運営、七傑の魔女の補佐や教育など、色々実務的なことをやってらっしゃいます」

「その通りです!」

「わ」


 話を聞いていたらしい。ぐるんっと振り返ったテレーズが胸を張る。


「我々の仕事は『鋼の虎』の教えに従い、世界を運営すること。そのために人生を捧げる覚悟です!」

「……魔女さん、鋼の虎って?」

「え?」

「何かの名前? 神様とか?」

「え、あ……ああ、そうでした。そうです。『鋼の虎』はアヴァロニアの神の名前です」

「へー……変わった名前だね」

「神の名前ですから」


 そうだろうか。美樹人はぱっと思いつく神の名前を思い浮かべた。神といえば日本だったらアマテラスとか、ツクヨミとかだろうか。ギリシャはゼウスやアポロン。エジプトは……バステトとメジェド様くらいしか知らない。そのどれもが固有名詞というか、少なくともよく聞く言葉ではない。

 しかし『鋼』も『虎』も普通に使う言葉だ。『鋼の虎』というのは何と言うべきか、何となく、ちょっと特別感が薄い。


「ええと……あの、失礼ですが、ミキト様はどちらのご出身で?」

「え?」


 きょとんとしていたテレーズが、ふと口を開いた。その表情はどこか不安げだ。

 美樹人は何と答えれば良いのか分からなくて、シオを見た。異世界から来たのか、異星から来たのか、あるいはもっと別の何かか。自分自身もよく分からないことを、どう説明すれば的確に伝わるのか。

 シオは少しの逡巡の後、美樹人に目配せをした。美樹人がその意味を把握する前に、桃色の唇が動く。


「諸事情ありまして、彼は今、この大陸の一般常識が分からない状態です。でも大丈夫。バルチカ人ではありませんし、危険人物でもありません。それは主たる私が保証します」

「はあ。記憶喪失……的な?」

「似たようなものです」

「な、なるほど。それは……大変ですね……! ミキト様! 私にできることがありましたらおっしゃってください。不肖テレーズ、全力でお手伝いいたします! 神官ですので!」


 ふんす、と鼻息荒く意気込むテレーズに、シオが愛想良く笑う。美樹人は引き攣る頬を何とか持ち上げて、へらへらと軽薄な笑みを浮かべた。嘘は言っていない。何がどうクリティカルな情報になるのかは分からないが、主旨を完璧に伏せた説明である。

 美樹人は心中でため息をついた。後でシオに詳しく聞かなければ。この世界の常識を、美樹人は全く知らない。それが致命傷になり得るのであれば、早急に解決しておかねば。

 始まったテレーズの話に耳を傾ける。あそこの料理が美味しい、そっちの家に子供が生まれた、そんな当たり障りのない世間話。じいちゃんが好きそうだなあ、と美樹人は胸に去来する郷愁を噛み締めた。

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