2-5
キュヴィエ王国はレオポルト。向こう岸が見えぬほどの大河を望む、整然とした街並み。そこでも人々はやはり混乱の中にあった。
「やっぱりレオポルトも駄目みたいですね」
「ぽいね」
がっくりと落胆するシオの肩をぽんぽんと叩きながら、美樹人は行き交う人々の会話に耳を澄ませた。口に上る話題はポータルの不具合から始まり、やれ商売ができないだの、予定が狂っただの、この先の生活はどうするだのと、不安に塗れている。
さもありなん。美樹人の世界でも、電車が一時間遅れたら大騒ぎだ。増してそれが一週間続くかもしれないとなれば、社会的なパニックは免れない。
「魔女さん、どーする?」
美樹人がそう問いかけると、シオは少し悩むそぶりを見せてから、ため息混じりに答えた。
「ここからスプリッグ山脈の方角へ向かうなら船です。麓までの船に乗せてもらえるか、聞いてみましょう」
「それって今晩までに着くもん?」
「無理でしょうね。急いでもらったとしても、麓に着くのは夕方です。そこから、その、登山、ですから……」
うる、と鮮やかな緑色が滲んだ。
マズい。泣く。
「あー、あー…………あー、他の人からの連絡は!?」
美樹人は慌てて声を張り上げ、ネガティヴ思考を散らす。突然の大声にびくりと肩を揺らしたシオは、しかしすぐにはっとして空を見上げる。
「そ、そうでした。伝書蝶がそろそろ戻ってくるはず」
釣られて、美樹人も空を見上げた。からりと晴れた青空が広がっている。
「女心と秋の空、と言いますから。雨が降り出したりしないと良いんですが」
「……ん?」
はて、妙なことを言う。
しかし引っかかりを口にする前に、美樹人の視界に青くひらひらと舞う蝶が映った。シオがあ、と嬉しそうに声を上げる。
「おかえりなさい!」
伝書蝶は華奢な指に止まり、口吻を伸ばす。そしてそれが爪の先に触れた途端、シオはぱっと顔を上げた。
「王都!」
そう叫んだ瞬間に、伝書蝶はひらりと飛び上がって去っていく。シオはそれに見向きもせず、がしっと美樹人の手を掴んだ。
「王都に行きます!」
「へ?」
いきなりどうした。
美樹人はぽかんと口を開けた。何が何だか。
「あ、ごめんなさい。ええと、タチバナさんが、七傑会議を開くと。七傑会議は主に『七傑の間』がある神殿で行われます。なので、最寄りの神殿──王都クレティアンにある、バージェス神殿に向かいます」
「……会議するから、会議場に集まれってこと?」
「あ、そう、そうです」
「どーやって行くの?」
「やっぱり船です。大河バロンを東へ上って。夕方には着くでしょう」
シオがひょい、と指差した方角には大河がある。街並みの隙間から覗く船は、大きなマストを備えていた。
「あれに乗んの?」
「乗せてもらえるならば。商船ですから、交渉が必要ですが」
「七傑の魔女だって言えばフリーパスなんじゃ……あ、そっか」
「……納得されるのも複雑ですね」
失礼な美樹人に、シオは怒るでもなく眉を下げた。
▲ ▲ ▲
船着場へ赴くと、そこは街以上に騒がしい場所だった。船乗りだろうか、似たような服装の男たちが、あっちへ、こっちへと忙しなく走り回っている。
何だか気圧されてしまった美樹人を引っ張って、シオは迷いなく一人の男へと話しかけた。壮年の男である。腹は出ているが、シャツから覗く腕は逞しい。彼は船に乗せて欲しい、というシオの話を黙って聞いていたかと思うと、酒に焼けた声で唸った。
「お前さん、魔女か」
「はい」
「後ろのが眷属か」
「は、……はい」
「……良いだろう。乗せるのは構わん。だが少しは働いてもらうぞ」
「具体的に、どんな仕事を?」
「知ってるだろうが、この河にゃ神授種が住んでる」
「う、」
「何、ヌシが現れることなんぞそうない。船に寄ってきたやつらを追い払えりゃそれで十分だ。幼かろうが魔女だ。それくらいできるだろ」
「……お、追い払うくらいなら」
「出港は十分後だ。便所に行っとけ」
男はばしん、とシオの背を叩くと、こちらに興味が失せたのか、寄ってきた船乗りたちと会話を始めた。
シオはほっとため息をつき、美樹人を振り返る。その表情は笑顔だ。
「何とかなりそうです」
「よかったね、魔女さん」
「はい。……飲み物でも買いましょうか。すぐそこに移動販売が来ていますから」
華奢な人差し指を辿ると、その先には自転車のような乗り物。二つの後輪の上に、売場がそのまま乗っかっている。にこにこと愛想の良い女性の前にずらりと並べられた瓶の中身は、一様に濃い色をしていた。
「すみません、二つ」
「あいよ」
いくつかの銅貨と引き換えに手に入った瓶。その栓を抜いて、シオは一気に呷る。ごく、ごく、と白い喉が動く。いい飲みっぷりだ。清涼飲料水のコマーシャルのよう。よっぽど喉が渇いていたのだろう。
「ぷは。美味しいです」
「あら、ありがとう。お兄さんは飲まないの?」
「んえ? あ、えーと……」
「美味しいですよ。アシルオレンジのジュース。甘酸っぱくて」
「あ、オレンジジュースね。恐竜の血とかだったらどうしようかと」
「キョウリュウ? お兄さん、変なこと言うわねえ。心配しなくとも、うちのアシルオレンジは自慢の逸品よ。血のように赤くて濃厚だけど、口当たりは爽やか。後味はすっきり。喉の渇きを潤すのにぴったり。ほら、お嬢さんみたいにグイッとどうぞ!」
晴れやかな笑顔で促され、美樹人は瓶の栓を抜いた。途端にふわり、と甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐる。なるほど、と唾を飲み込み、美樹人は一口、舐めるように飲んだ。
「!」
なるほど。
美樹人は再び心中で呟く。これは、確かに。
「うま……」
「そうでしょそうでしょ! 王都でも人気、バイエルンでも人気、バルチカでも人気! ……になる予定!」
「大陸外への輸出もやっているんですね」
「まだまだ売り出したばかりだけど。バルチカとの関係がこのまま続けば、きっと人気も出るはずよ」
「ふふ、分かります」
「うんうん。これめっちゃうめーもん!」
「オホホ、褒めても飴くらいしか出ないわよー?」
蝋紙に包まれた飴玉を、ちょうど二つ。シオの手に握らせて、女性はぱちん、とウインク。黒いまつ毛が星を散らす。
嬉しそうに頬を染めるシオに、美樹人も腹の辺りがぽかぽかとしてくるようだった。
「ありがとうございます。……大事に食べますね」
「気に入ったなら、袋で売ってるからまた買ってね。お安くしとくわ!」
逞しい商魂である。けれど悪い気がしないのは、彼女の快活さ故だろうか。
後からやってきた客を避けつつ、美樹人はジュースをちびちびと飲む。シオはもう飲み干してしまったようで、ぼんやりと瓶越しに河を見つめていた。
「待ってる?」
「いいえ。ごゆっくりどうぞ」
「喉、乾いてたの?」
ちょっとしたからかい混じりにそう問う。だって思い返しても良い飲みっぷりだった。
「、……お恥ずかしながら。慌てるといけませんね」
「まー俺もだけどね。朝から移動しっぱなしだし。一息つけるとこまで行ったら何か腹に入れないと」
「あ……そう、ですね。ごめんなさい、そう言えば、朝食べたっきりでした」
しゅん、とシオが眉を下げる。この少女がこんな顔をするのは本日何度目だろうか。年頃の女の子は繊細が過ぎる。確かに食べ盛りの腹に昼飯抜きはキツいが、予想外が重なり急いでいるのだから致し方ないだろうに。何となく悪いことをした気になってしまう。
「……王都には美味いもんあるの?」
「え? ええ、ありますよ。たくさん。キュヴィエはアヴァロニアの台所、と呼ばれていますし、そのキュヴィエ全土で収穫された、大量の農作物が集まるのが王都クレティアンです」
「へー……野菜だけ?」
「河の向こう岸には神授地帯を擁するグールド共和国の首都、エレノアがあります。そこから神授種の肉を輸入しているので、お肉もたくさんです」
「魔女さんのおすすめは?」
「えーと……フレウランティアの香草焼きが美味しい店を知っています。人から聞いた話ですが」
「ふれ……知らねーけど……じゃあそこ連れてってよ。あと五分で出港だし、今は飴で我慢するからさ」
「ええ、もちろんです」
平行に戻った眉を片目に捉えて、最後の一口を飲み干した。
そろそろ出港だろう。人が集まってきている。美樹人は空き瓶を店に返却してから、シオについて人混みの中へと歩き出した。
……そして、すぐに。
「いてっ」
「あ、すんません」
「……すんません、だあ?」
俗に言う厄介な人種に、絡まれた。
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