2-4

 青い蝶が、ひらひらと舞って細い指にとまる。


「伝書蝶です。伝えたいことを吸い上げて、届けたい相手に届けてくれます」


 口吻を伸ばして爪に這わせ、蝶はしばし静止。数秒ののちふわりと飛び上がり、開け放たれた窓の外へ。すぐにその姿は見えなくなってしまう。


「伝書鳩みたいなもん?」

「ハト? 鳩を伝書に使うんですか?」


 蝶よりは速いと思うのだが、この世界では違うのだろうか。

 いまいち納得できないまま郵便局を出て、町の外を目指す。どうやら蝶はシオの下へ直接返信を持ってくるようで、ここで待つ必要はないらしい。

 つまり返信を待つ間に、少しでも移動しておこう、ということである。

 ここ、アシルでは無理でも、より西の町ではポータルが奇跡的に復活しているかもしれない。可能性は低いが、何もせず待っているよりは心情的にましだ。

 未だ張り詰めた表情のまま、シオは美樹人の手を引く。せかせかと懸命に早足で歩くその姿は、何だか少し可愛い。


「魔女さん、どこ向かってんの?」

「西に馬車が出る場所があります。普段はポータルがあるので、規模は小さいんですが」

「あ、馬車もあんだ、この世界」

「行商か、旅を楽しむ人のためのものですね。でも、この騒ぎですから。みんな考えることは同じでしょう」


 なるほど、だから早足なのか。美樹人は少し歩幅を広くして、あわてんぼうの魔女に合わせた。

 シオはほんの少しだけ口元を和らげる。鮮やかな色の瞳が、きらりと光った。

 やがて町外れに差し掛かり、動物の匂いが漂ってくる。シオに手を引かれるまま、ほとんど走るようにして通りを抜けると、視界が一気に広がった。


「おお」


 思わずそう声を上げていた。町の外、小川と畑が始まる田園風景。首を垂れる稲穂。そこにちらほらと馬が。土を踏み締めて歩き始める彼らは、いやに馴染んでいた。


「すみません、レオポルトまで行きたいのですが」


 御者の一人に声をかけ、値段の交渉を始めるシオを横目に、美樹人はそっと馬を観察した。

 美樹人の知っている馬とそう違いはない。競走馬よりも足ががっしりしているとか、少し小さめだとかそういう細かな差異はあるものの、大体は同じだ。きらきらと輝く瞳で、ぼんやりと美樹人を見下ろしている。それが恐ろしいような、可愛いような。


「どうかしましたか?」

「あ、魔女さん。交渉終わった?」

「はい」


 御者に促されるまま客車(と言ってもほとんど荷台に近い)に乗り込み、二人並んで腰掛ける。御者の掛け声と共に動き出した景色を見ながら、美樹人は大きく伸びをした。


「んー……! 何か良いよな、田園風景ってさ」

「そうですか?」

「俺の住んでたとこ、結構住宅街っていうか……自然が多い方ではなかったからなー」

「……田畑は人工物では?」

「あ、そーいうツッコミしちゃう? 魔女さんって理屈っぽいよな」

「魔術薬学も神授種学も、全部理屈ですから」


 さらりと返されて、まあそれもそうかと納得する。学問は理屈だから学問なのだ。


「学者さんだ」

「そうですよ。そう言ってるじゃありませんか」

「魔女じゃなくて?」

「魔女は学者です」

「そんなもんか」

「そんなもん、です。確かに感覚で魔術を扱う方もいますけど、それだけでは大成しません。魔術を扱うには、感覚と理屈のバランスが大事なんです」

「へー……」


 分かるような分からないような。まだ一介の学徒に過ぎない美樹人には難しい話だ。


「魔女さんもそーやって魔術薬? だっけ? 作ってんの?」

「え? え、ええと、私は……割と、理屈寄りというか、その……」

「?」

「……あの、大体お察しかと思いますけど、私は魔女としては半人前と言いますか、あんまり優秀な方ではないので……」

「あ、やっぱそーなんだ」

「うっ」


 あっさり頷くと、シオはダメージを受けたような声を上げて項垂れた。


「あ、ごめん」

「良いんです、事実ですから……私なんて、ただでさえ魔力量が少ないのに経験も足りなくて、頭も悪くて、才能がないから魔女らしいこと何にもできなくて……本当、どうして七傑になっちゃったのか……」

「何か良く分かんねーけど……七傑の魔女ってのはそんなにすげーの? 魔女さんより? 俺的には魔女さんも十分すげーんだけど」


 そう問うと。

 シオはぱちり、と目を瞬かせた。言葉を探すように、視線が彷徨う。


「……すごい、ですよ。本当に……」

「ふーん?」

「例えば、アヴァロニア大陸の北端に要塞都市ヴェーバーという場所があります。バルチカ大陸からの侵攻を迎え撃つ要地ですが、そこで相談役を務めているのが『琥珀の鹿』タチバナです。彼女はその才能を活かし、アヴァロニア大陸の防衛に大きく貢献しています」

「『琥珀の鹿』?」

「七傑の魔女にはそれぞれ、七傑の魔女としての名前が与えられます。タチバナさんの場合は、それが『琥珀の鹿』」

「へー……他にはどんな魔女がいんの?」

「ええと……『辰砂の鰐』モルガン、『珊瑚の蛇』シモーヌ、『真珠の鷹』コンスタンツェ、『瑪瑙の鷲』ゾフィー、それから、『黄金の獅子』タニア」

「魔女さんは?」

「私は……お恥ずかしながら、『翡翠のうお』の名を賜りまして……」

「自分のことになると途端に自信失くすの何なの……」


 美樹人は半ば呆れつつ、また萎れてしまったシオの背中をぽんぽんと叩く。


「あー……その、タチバナ? さん以外の七傑の魔女は何してんの?」

「……モルガン先生は学術都市バートンで都立魔術学園の校長先生をなさっていて、後進の育成に力を入れています。シモーヌさんも、バートンにあるアレクサンドリア図書館の館長を務めています。知の番人、と呼ばれていますね」

「アレクサンドリア図書館って、帰る手がかりがあるかもって言ってたとこ?」

「そうです。アヴァロニア大陸に存在する書物の全てが収められています。絶版本から最新の大衆小説まで、何でも揃ってるんですよ」

「すげーじゃん」

「はい。蔵書全てを読み尽くすのに、人生が七回必要だって言われてます」

「ヤバ。そんなとこの館長ってことはさ、めっちゃすごい人なんじゃん」

「だからそう言ってるじゃありませんか。皆さんすごい人ばかりですよ。他にも、コンスタンツェさんとゾフィーさんはウォルコット諸侯同盟はバイエルン領の領主の二人娘で、国と国との架け橋になるような活動をされています。それに、タニアさんはグールド共和国の国立神授種狩猟部隊の隊長を務めていて、本当にお強いんですから」

「へー……何か規模がデカくて良く分かんねーや。神授種狩猟部隊って何?」

「その名の通り、神授種を狩るチームです。グールド共和国の南西には神授種が大量発生する危険地帯がありまして、そこで狩猟を行います」

「……神授種って、よーするに恐竜だよな? ヴェロキラプトルとか言ってたし…………そんなやべー場所があんの?」

「はい。通称神授地帯。人間が住むには圧倒的に不向きですね」

「不向きっつーか……」


 無理なのではなかろうか。そう言いかけて、美樹人はこの世界には魔女なる人種が存在することを思い出す。……まあ、できなくもないのかもしれない。


「この辺にはいねーんだよな、神授種」

「そうですね。キュヴィエには、あまり。ですが海やバロン大河には生息していますし、大河を挟んで南は神授地帯ですから。何の心配もない、とはいきません」

「えっ」

「ああ、次の町までは大丈夫ですよ。アシルからレオポルトまでの道で、神授種が出ることは極めて稀です」

「可能性はあるってこと……?」

「ゼロではない、というだけです。レオポルトは河沿いの町ですから、河向こうから何かの拍子に泳いできた神授種がふらふらしている……なんてことがたまにあるんです。でも、その分狩猟者も大勢います。心配せずとも大丈夫ですよ」


 全く安心できない。美樹人はきょろきょろと流れていく風景に視線を走らせる。

 田園風景は終わり、広大な草原が広がる周囲。そこに怪しげな影が少しでも紛れ込んでやしないか、と。

 その様子を見て、シオは少しだけ目尻を下げた。


「大丈夫、何か起きても私があなたを責任持って守ります」

「ええ、魔女さんが?」

「その反応は失礼ですよ」

「だって俺の方が強そうだし」

「……まあ、そうでしょうけれど」


 その言葉に含みがあったような気がして、美樹人はちらりとシオを見た。しかし彼女の視線をは真っ直ぐ、馬車の進行方向に向けられていて、目が合うことはなかった。

 美樹人は疑問に思いつつも、倣って前を見た。どこまでも続くかのような金色の草原。その向こうに再び現れた町の姿は遠く。軽やかな馬の足音を聞きながら、美樹人はくわあとあくびをした。

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