2-3

 アシル、という町に近付くにつれ、どこかざわざわとした不穏な気配が漂い始めていた。それは到着した途端に明確なものとなり、二人を包む。

 赤い煉瓦造りの町に響く怒声、悲鳴、慌ただしい足音、落胆のため息。美樹人は思わず隣のシオを見下ろした。


「……」


 その表情は厳しい。柳眉を寄せ、落ち着きなく周囲を見回している。……どうやら、シオからしても異常事態のようだ。


「な、魔女さん」

「はい」

「一応聞くんだけど、アシルっていつもこんな感じの町なわけ?」

「いいえ。まさか」

「じゃあ何か起きてるってこと?」

「……そう、ですね。何が……いえ、関わっているほどの時間はありません。エディアカラ神殿に向かいましょう」

「いーの?」

「物事には優先順位というものがあります」

「そっか」


 シオがそう言うのであれば、美樹人が口を出すようなことではない。シオの言う通り、美樹人の最優先事項は家に帰ること、そしてそのためにエディアカラ神殿へと向かうこと。好奇心に拘っている場合ではないのだ。


「ポータルは町の南端、町役場の隣にあります。役場の窓口で申請を出す必要があるのですが……この様子では、役場も混んでいるかもしれませんね。少し急ぎましょう」


 商店が立ち並ぶ大通りでは、頭を抱えた人々が道端で集まっては会議を開いていた。

 それを横目に街を抜け、早足で南へ。いかにも役場らしい大きな建物が見えてくる。開け放たれた大きな門の前では、シオの予想通りに人がたむろしている。


「大丈夫、これ?」


 美樹人は思わずそう問うた。どう考えても異常だ。何かが起こっている、としか思えない。


「……分かりません。でも、とにかく神殿に向かわなくては……」


 不安そうなシオは、しかし歩みを止めずに人混みに飛び込んでいく。美樹人も仕方なくその後に続く。

 人の波をかき分け、何とか大きな門をくぐった。しかし中も外と大して変わらない。人、人、人である。頭痛を堪えるようにこめかみに手を当てたシオの視線の先には長蛇の列だ。美樹人は思わずうげえ、と声を上げた。


「魔女さん、まさかアレに並ぶとか言わねーよな」

「……並びます。だって、窓口はあそこなんですから」

「他にねーの?」

「ありません。エディアカラ神殿はかなり遠いので……徒歩では到底今晩までには辿り着けませんから」


 苦々しく言うシオに、ふと目の前を通りかかった男が振り向いた。ぎろ、と隈のせいで飛び出しているように見える目が、シオを捉える。

 ぴっちりと着込んだワイシャツとベスト。これはどうやら役場の制服らしく、あちこちで散見される。

 ちょうどいい、何が起きているのか、聞いてみよう。そう考えてシオのローブの裾を引っ張った美樹人に、彼はどこか疲弊したような表情を浮かべた。まじまじとシオと美樹人とを舐めるように観察してから、彼はやっぱり疲弊した声で問う。


「エディアカラ神殿へ行くのかな、お嬢さん方?」

「え? はい」


 突然声をかけられて、シオはぱちぱちと目を瞬かせながら答えた。すると男は大きなため息をつき、首を横に振る。


「今日は無理ですよ。キュヴィエ全域で移動ポータルに謎の不具合が発生していましてね。使えなくなってる」

「……は?」


 シオの顔から、一気に血の気がひいた。


「こりゃ今日中には復旧しませんね。アシルに技師はいないし、他所から呼ぼうにもポータルが壊れてるし、多分技師は王都に招集されて、そっちの復旧を優先させるから……復旧は良くて明日、悪くて一週間……」

「い、一週間!?」

「いや、もっとかかるかもなぁ。とにかく、今日は諦めた方がいいですよ。並んだって時間の無駄」

「そ、そんな……!」

「おや、急ぎですか?」

「い、急ぎです! 今晩までにはエディアカラ神殿に到着していないとまずいんです!」


 シオは泡を食って男に迫る。今にも胸ぐらを掴みそうな勢いだ。男は哀れむように眉を下げたものの、どうしようもないと首を振る。

 美樹人は取り乱すシオに驚いて、思わずその肩を掴んだ。


「魔女さん、落ち着きなよ」

「落ち着けません!」


 しかしその手は、あえなく振り解かれてしまった。


「す、すぐに王都に連絡して技師を呼んでください。今、すぐに!」

「はあ? 何言うんですか、お嬢さん。今言ったでしょう? 復旧は王都が先。アシルなんて小さな町が、優先される理由なんかない」

「でも、私は今晩までにエディアカラ神殿に行かなくちゃいけないんです!」

「そうは言ったって仕方ないでしょう。七傑の魔女じゃあるまいし、町長でも無理なのに、お嬢さんのために王様を動かせるわけがない。ちょっと落ち着いてくださいね、ほら深呼吸──」

「私は七傑の魔女です!」


 叫ぶような声で、シオはそう訴えた。男が大きく目を丸くする。美樹人も思わず、目を見開いた。

 七傑の魔女、とは。特に魔術の扱いに優れ、神に出会ったとされる魔女のこと。とにかく何だかすごくて、美樹人を家に帰す方法を知っているかもしれない魔女のことだ。

 それが、シオ?

 一体どういうことだ。美樹人が慌てて口を開こうとする。しかしそれは、低い声に遮られた。


「大人を馬鹿にするんじゃない、お嬢さん」

「ば、馬鹿になんか──」


 男が、据わった目でシオを睨みつけていた。心底から苛立ったような顔と声。シオの肩が、びくりと揺れる。


「いいか、俺は忙しいんだ。俺だけじゃない。職員は全員忙しい。今すぐ復旧してほしいなんて、そんなのみんな思ってる。だからこうやって何とかしようと奔走してるんだろ。頼むから邪魔しないでくれ。七傑の魔女なんて嘘をついてまで」

「嘘じゃ、」

「じゃあ何だ、使い魔でも見せてくれるのか。七傑の魔女を名乗るに相応しい、強大な使い魔ってやつを!」

「……」


 打って変わって乱暴な口調で捲し立てる男に、シオが唇を噛む。何だ、嘘だったのか。美樹人がそう思いかけた瞬間──空気が、僅かに揺らぐ。


「!」


 男が再び目を丸くして、シオの足元を見た。その視線を辿って、美樹人も隣を見下ろす。すると、


「……水?」


 ちゃぷん、と。ただの板張りの床が、波打っていた。

 シオの小さなブーツを中心として、波紋が円を描き、広がっていく。

 そしてそれに沿うように、小さな、翡翠色の、尾鰭が──


「……何だ。やっぱり嘘じゃないか」


 幻想的な光景に目を奪われる美樹人をよそに、男は鼻を鳴らした。


「そんなちっぽけな使い魔で、七傑の魔女を名乗るなんて。馬鹿にするのも大概にしてくれよ」

「っ」


 吐き捨てるような、どこまでも下に見た言葉。

 シオが悔しげにローブの裾を握りしめた。波紋がゆっくりと小さくなっていき、やがて消える。男は振り返りもせず、早足で去っていった。


「嘘じゃない……」


 シオが、蚊の鳴くような声で言う。


「嘘じゃない、嘘なんかじゃない……!」


 顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな、その、表情に。


「魔女さん、大丈夫?」


 そんな、陳腐な言葉しか出てこなかった。

 何せ、女の子を慰めた経験なんてないもので。


「……」


 答えないまま。

 指の節が白くなるほど拳を握りしめて、シオはぐっと喉を鳴らした。そして、美樹人に背を向ける。


「……行きましょう。ここにいても、仕方がない」

「え? ああ、うん……」


 ぼそりと呟き、シオは足速に歩き出す。

 役場を後にし、広場へ出た。

 シオは振り向かない。人混みにまぎれてしまいそうな背中を見失わないように、離れてしまわないように追いかける。離れれば死んでしまうのだが、そんなことは頭からすっかり抜け落ちているようだった。

 やがて広場にたどり着くと、美樹人は恐る恐る華奢な肩を掴んだ。


「待ってよ魔女さん」


 洟を啜る音。

 足を止め、シオがのろのろと振り返る。

 真っ赤な頬。潤んだ瞳は悔しさでいっぱい。噛み締めた唇からは、今にも血が滲み出してきそうだ。


「ま、魔女さん、落ち着きなって」


 薄桃色のそれが傷付くのを見たくなくて、美樹人は慌てて宥めるように言った。

 どうしようもない陳腐な言葉。もう少し何かあっただろうに、回らない頭ではそれが精一杯だった。

 答えの代わりに、シオはずび、とまた鼻を鳴らす。

 あ、と思う間に、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。


「どうしよう……」


 声は震えていた。

 涼やかな、凛とした響きはかき消え、迷子のように途方に暮れた声。

 カタカタと手が震えている。本人の意思を無視して、涙はぽろぽろとこぼれ落ちる。ぐすぐすと洟を啜る音が抑えきれていない。

 どうしよう。美樹人もそのまんま、同じことを心中で呟いた。本格的に泣き出してしまった。女の子の慰め方なんて知らないし、状況もよく分からない。

 家に帰るためにエディアカラ神殿に行かなくちゃならなくて、でも交通手段が止まった。ここまではまあ良い。問題は、シオが『今晩』そこに行くことにこだわっていることと、七傑の魔女だという発言。


「……なあ、もしかして、魔女さんって、」


 すごい魔女だったりする?

 質問には、否定が返ってきた。


「す、すごくないんです。すごくないのに、七傑だから……」


 だから、自分が『そう』だと言いたくなかった、と。

 現に町役場の職員に馬鹿にされていたし、シオの魔女としての実力はそんなでもないのだろう。なのに七傑の──なんかすごい魔女の一員である、と。

 まあ、気持ちは分からなくもないが。

 しかしそのコンプレックスを刺激されたから泣いている、という訳でもなさそうだ。もっと切迫したものを感じる。


「あのさ、何に困ってんの? 悪りーけど、俺あんまし飲み込めてなくってさ」


 そう問いかけると、シオはぐちゃぐちゃの顔を上げて答えた。


「わ、ワルプルギスの夜に、間に合わない、から……!」

「あー、何かの儀式だっけ。遅刻厳禁なの?」


 こくこく、とシオは何度も頷く。


「ぜったい、今晩には、到着してなきゃ、だめで……なのに、間に合わないの、どうしよう……」

「あー……」


 なるほど。

 何となく分かった。


「あのさ、これは解決法でも何でもないんだけど」

「……?」

「とりあえず、他の人に連絡しねー? 遅れるって分かったら、何かやりようあるでしょ。時間ずらすとかさ、魔女さん抜きで何とかするとかさ」

「、」

「いや、メールも電話もないっぽいし、すぐに連絡する手段がねーなら聞き流してくれて全然いーんだけどさ……」


 学校に遅刻しそうなとき、まずすべきは連絡である。これをせずに遅刻するなりサボるなりしてしまうと、最悪の場合学校を挙げての大捜索が始まってしまう。そうなればただ遅刻するよりも大目玉を喰らうこと間違いなしだ。学校からも祖父からもお説教の二倍ドン。頭がおかしくなる。

 なのでまずは連絡。それから相談。報連相は社会人の基本とよく言うが、社会人でなくとも大事だったりするのだ。

 まあ、先程言った通り、この世界での連絡網がどれほど発達しているかでこのアドバイスは全く無意味と化すのだが。そこはほら、魔法でチャチャっとなんとかならないだろうか。


「ねーの? すぐに連絡取れる方法」

「あ……」

「あ?」

「あります!」


 シオは叫ぶなり走り出した。ものすごい速さで広場を抜け、役場とは真逆の方角へ。呆気に取られて立ち尽くす美樹人は、しかし離れたら死ぬことを思い出し慌てて後を追った。

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