2-2

 服を縫うシオの姿を眺めているうちに、どうやら眠ってしまっていたらしい。

 ベッドの中で目を覚ます。見慣れぬ天井が視界いっぱいに映る。それに少し落胆して、美樹人は起き上がった。

 用意された服を着て、リビングに出る。すでに朝食は用意されており、食卓の上で湯気を立てていた。パンと何かのジュース。普通の朝食だ。

 ぎい、と椅子を引くと、あっと驚いたような声が上から聞こえてきた。見上げると、ロフトからシオがひょっこり顔を出す。


「おはようございます。ごめんなさい、起こすの忘れてました。朝ごはん、食べちゃってください」

「ん、いただきます」


 スライスされたパンには、よく分からないナッツがぎっしりと練り込まれていた。程よく焼かれていてきつね色。表面には黄金色の蜂蜜(多分)がかけられている。

 手を汚さないように気を付けながら持ち上げると、ずっしりと重い。端から蜂蜜(多分)が滴っている。

 大口を開けてかじりついた。口に広がる花の香りを堪能しながら、もぐもぐと咀嚼する。


「美味しいですか?」

「ん、うまいよ」

「簡単なものですけど」


 はにかみながら、シオは階段を降りてきた。

 昨日と服装が変わっている。とんがり帽子にローブ、大きめのレッグポーチ。正しく魔女、といった出で立ちである。

 美樹人は目を丸くして、まじまじとその姿を見た。コスプレ、と言ってしまうには生地やつくりがしっかりしているが、しかしどうにも無理をしている感が否めない。子供が大人の服を着ているみたいな、服に着られているみたいな。


「な……何か変ですか? 魔女の正装ですよ」


 しかし不安そうに自分を見下ろすシオに、そんなことを言うわけにはいかないので。

 美樹人はへらっと軽薄な笑みを浮かべて、かわいーよ、とだけ言った。嘘ではない。服はリボンがついていて可愛いし、シオも頑張ってる感が可愛い。全く一ミリも嘘ではない。

 シオは照れくさそうに目を逸らして、レッグポーチの中身を確認し始める。ちょっと罪悪感が湧いた。誤魔化すように残りのパンを口に放り込み、ジュースで流し込む。


「食べ終わったらお皿は桶にお願いします」

「ん、りょーかい。もう出る?」

「準備が終わったら声をかけてください」


 美樹人は皿を桶に浸し、立ち尽くした。

 準備、と言われても美樹人には私物がない。教科書やら財布やら家の鍵やらを入れていた学生鞄は失くしてしまったようだし、ショッピングに行ったわけでもないのに私物が増える訳がない。

 とりあえず入念に手を洗ってから、自分の体を見下ろした。昨日作ってもらったパーカーとズボン。至って普通の、地味な格好である。乱れはない。


「なー魔女さん、何か必要なもんとかある?」

「え? いえ、特には……ああ、そっか。ごめんなさい、気が利かなくて」


 シオは慌てて階段下の物置に飛び込み、ごそごそと何かを引っ張り出してくる。


「これ、使ってください」


 差し出されたのは鞄だった。ショルダータイプで少し大きめのそれ。使われた形跡はないものの、どこか薬品のような匂いがする。


「あと、これと、これと、これも入れておいてください。離れることは絶対にないとお約束しますが、薬はあればあるほど安心なので」


 そして矢継ぎ早にあれもこれも、と手渡される。ずっしりした巾着袋、二つの鍵がまとめられた鍵束、そして大量の小瓶。


「お財布と、家の鍵と、傷薬です。お財布の中身は好きに使ってください。……と言っても、あまりたくさんは入っていませんが」

「えっ……なんか、ヒモみてー」

「ひも?」

「働かないで女の子にお金もらって生活してる男……」

「え? ……ええと……大丈夫です。この後ちゃんと働いてもらいますから。一時金、前払い、先行投資……まあ、そんなところです」

「あー……うー…………まあ、ないと困るしね。もらっとく。ありがと」

「いいえ」


 ありがたく鞄に仕舞う。どうやら中身は金貨のようだが、一枚が大体何円なのかさっぱりだ。その辺りも追々教えてもらわなければならない。


「鍵は家と温室の鍵です。失くさないよう気をつけてくださいね」

「ん。こっちの小瓶は?」

「緑のラベルが傷薬、青いラベルが毒抜き、黄色いラベルが閃光薬です。私も同じものを持っていますが、念のため。身の危険を感じたら使ってください」

「身の危険感じるよーな場所行くの?」

「念のため、です」


 あっけらかんとシオは言う。しかし傷薬ならともかく、毒抜きや閃光薬──閃光弾みたいなものだろうか、そんなものを持たされるなんて、少なくとも美樹人の常識的にはあり得ない。

 意外と物騒な世界なのだろうか。魔女がいるくらいだ。魔物が存在するのかもしれないし、そうでなくても森の中に熊などの危険生物が生息しているのかもしれない。

 どちらにせよ、身を守る術があるのは良いことだ。美樹人は小瓶を取り出しやすい場所に収めた。


「そんじゃ、行く?」

「あ、少し待ってくださいね。最終チェック……」


 シオは玄関のすぐそばに置かれた姿見の前に立った。そしてローブをいじったり、とんがり帽子を整えたりしながら、ぶつぶつと何事か呟き出す。


「試験管の中身は……よし、ローブの艶は……うん、多分、大丈夫。帽子も……問題は、なし。うん……大丈夫、かな」


 どうにも自信なさげな声である。何をしているのだろう、と美樹人はシオの背後から覗き込んだ。


「何してんの?」

「魔女ですから。魔女らしい身だしなみ、というものがあります」

「へー、何かそーいう規則あるんだ」

「規則はないですけど……その、魔女らしく、と言いますか」

「魔女らしくって?」

「……ローブととんがり帽子は、魔女らしいかと」

「あー、まあ確かに」


 魔女といえば、の格好だ。ひと目見てそうだと分かる。あまりにも非日常で非常識で非効率。魔女でもなければこんな格好はしないだろう。


「でも、規則がねーなら普通の格好したっていーんじゃん? 何で魔女らしくしてーの?」

「……い、意外とデリカシーないんですね」

「あ、ごめん。やだった?」

「いいえ。けれど、魔女が魔女らしく見られたいと思うのは、何もおかしなことではないと思います。あなただって、女の子と間違えられたら嫌でしょう?」

「俺を女の子と間違えるヤツなんか、いねーと思うんだけど……」

「例え話です、例え話」

「そーいうもんか」

「はい。そういうもの、です」


 シオはそう言って、扉に手をかけた。

 開け放つと、枯れ葉の匂いがぶわりと押し寄せてくる。朝露に濡れた木々。森の匂いだ。

 小鳥の囀りが遠くから聞こえる。小動物のものらしき気配もする。静かなようでいて賑やかで、穏やかなようでいて躍動感溢れる場所。それが魔女の住む森なのだろうか。


「それでは出ましょうか」

「ん、おう」


 二人は揃って、家を出た。

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