2-1
「とりあえず、食事にしましょう。暖かいスープを用意しました」
そう言ったシオに食卓に座らされ、美樹人は出されたスープを口にした。
ポトフに近いのだろうか、しょっぱめのスープに見たことない芋やら野菜やら、怪しげな肉やらがごろごろと入っている。
煮込みは十分。塩味もちょうどいい。知らない味のスパイスが、良いアクセントだ。異国の料理、という感じである。
「ん、うまい」
「良かった。エレノアシチューです。グールドで獲れた神授種の骨を煮込んだスープに、肉と野菜を入れたものです」
「へー……この肉何の肉って?」
「神授種。古来よりこの大陸に生きる生物種ではなく、『ワルプルギスの夜』に神が授け給う生物種のことを言います。皮と骨は色々な加工品に、肉は貴重な食料に、内臓は薬や肥料になるんですよ。捨てるところはないんです」
「クジラみてーなもんかな」
「くじら?」
「海にいる哺乳類。めっちゃでかい」
「バシロサウルス類のことですか?」
「バシロサウルス? それって、えーと……古代種じゃね?」
「いいえ、神授種です。イアぺトス海の赤道付近にいます。少しクセがあるけど、美味しいですよ」
「へー、うまいんだ」
「はい。でも、漁が大変なのであまり流通はしません。遠洋にいるので大陸まで運ぶのも大変で……大体は魔術で固定して曳航するんですが、やっぱり味は落ちるんですよね。新鮮なバシロサウルスを食べることが、漁師のたまごの夢だったり」
「漁師飯ってやつかー。……ちなみに、これは何の肉? いや、シンジュシュの中でもさ」
「ヴェロキラプトルです」
「……は?」
「ヴェロキラプトル」
ヴェロキラプトル。
思わず皿を見下ろした。
だってヴェロキラプトルといえば、世界で最も有名な小型恐竜だ。機敏な動きと知恵で獲物を追い詰める、恐ろしくもカッコいいヤツ。映画見た? 俺は見た。
「肉食なので肉に臭みがあって、肉質も硬くて、香草なんかと一緒に煮込まないと、何というか……野性味溢れる味になります。そういうのがお好きな方もいますけどね」
「俺の知ってるヴェロキラプトルとちげーのかな……」
「どうなんでしょう。アヴァロニア大陸のヴェロキラプトルと言えばこれですが」
「写真ねーの?」
「シャシン?」
「絵とか」
「ごめんなさい、そういうものを集める趣味はなくて」
申し訳なさそうにするシオに、美樹人は上げかけた腰を下ろした。
残念だ。しかしまあ、美樹人とて牛や豚など食べる相手の写真や絵を集める趣味はなかった。残念だが、そういうものだろう。
「……何か、あれだね。恐竜食ってると思うと余計うまいね。いや、元々うまいんだけどさ」
「? ええと、良かったです」
ヴェロキラプトルの肉を噛み締める。脂身の少ないそれは筋が多い。しかしよく煮込まれているからか、口の中でホロホロと崩れていく。舌に残る肉の味は、確かに食べたことのない味だった。
初めての味に舌鼓を打っていると、シオはほっと安堵したような笑みを浮かべた。
「あまり人に振る舞う機会がないもので。怪我が治ったばかりですから、とりあえず精のつくものを、と思ったのですが……お気に召したようで、良かった。おかわりもありますから」
「……イケる気がするわ、俺」
「ふふ、ええ。栄養のあるもの、たくさん食べてくださいね」
そう言ってはにかむシオは、普通の少女のようだった。
▲ ▲ ▲
結局鍋の中身を空っぽにしてようやく、美樹人は満腹になった。男子高校生の食欲を舐めてはいけない。
なんならこの後のデザートまでいけるが、それは高望みというものだろう。
美樹人は皿を前に、両手を合わせる。
「ごちそうさまでした。あーうまかった」
「ゴ……何ですか?」
「んー、作ってくれた人と、食材に感謝する言葉、的な? 日本だけなんだっけ、言うの」
「へえ……素敵ですね。ええと、ゴチソウサマ、デシタ?」
「そーそー。こうやってさ」
美樹人が両手を合わせて手本を見せると、シオはそれを真似た。
両手を合わせて、ことん、とお辞儀。何だか小さい子供みたいである。
「ゴチソウサマデシタ。あ、お皿は洗っておきますから。少し待ってくださいね」
シオは皿をキッチンにある、水が張られた桶の中に入れた。そしてポケットから取り出した小瓶の中身を、一滴垂らす。
何をしているのだろう。美樹人は立ち上がって覗き込む。すると樽の中の水が、ぐるぐると回り出した。
「何それ」
「水流を起こす魔術薬ですよ。材料はウリンボクの水、乾燥ドゥーリトルミル、ウィッチントンワラビ、スプリッグフウロです。材料が安価、調合が簡単、少量で効果大、の三拍子揃っている優秀な魔術薬で、お皿洗うのに便利ですよ」
「へー……何か、結構庶民的なんだね、魔女さん」
そりゃ金持ちには見えないが、魔術薬とか、そういうものはもっと凄いことに使うのかと。
まあ食洗機があるだけで生活のクオリティは上がるのだし、馬鹿にしたことではない。見たところ電気も通っていないような森の奥だ。手洗いせずに済むというのは大きいだろう。
「他の魔女なら、魔術でささっと綺麗にするんですけど……私、そういうのは苦手で。上手くいかないんです」
「へー、魔術って色々あんだね」
「ええ、……色々、です」
シオは肩をすくめた。
食卓に座りなおし、差し出された水を一口飲む。柑橘系の匂いがした。おしゃれだ。女子って感じがする。
などと馬鹿みたいなことを考えていると、シオはふと真剣な表情をした。
「それで、今からの予定、なんですが」
「ん」
真面目な話だ。美樹人は居住まいを正す。
「一先ず、エディアカラ神殿に行きましょう。ちょうど明日は七傑の魔女が集まるワルプルギスの夜です」
「……あのさ、三つ聞いても良い?」
「ええ、答えられることであれば」
「エディア……カラ? その神殿ってどこにあんの?」
「アヴァロニア大陸の東西に走るスプリッグ山脈という山脈があります。その中央の最も高い山、レジナルド山の山頂です」
「え、山登りすんの?」
「いえ、エディアカラ神殿は参拝する人も多いですし、町もありますから、ポータル……空間転移装置が設置されています。アシルまで行けば、一瞬です」
「……どこでもドアじゃん!」
「どこでも、ではありませんけどね。龍脈を利用していますから、設置場所には制限があります」
「いや、でも瞬間移動だろ? すげーよ」
「そうですか?」
移動時間のない鉄道のようなものだろうか。シオの反応を見る限り、アヴァロニア大陸には広く普及したものであるらしい。
魔術ってすげーな、と感心しながら、美樹人は次の質問をする。
「んじゃ、七傑の魔女って何?」
「魔女のうち、特に魔術の扱いに優れ、神に出会ったとされる七人のことです。神から与えられた特殊な使い魔と、強大な魔力を持ちます」
「あー、何かすっげー魔女ってことね。オッケー。じゃーワルプルギスの夜は?」
「五月一日午前零時のことです。七傑の魔女がエディアカラ神殿に集まって儀式をします。この儀式は土に含まれる栄養分、鉱物資源、神授種の補給など、アヴァロニアの大地を豊かに保つためとても重要なものなんです」
七傑の魔女が巫女役をやり、神様に五穀豊穣やら何やらを願う神事、ということだろうか。ますますもって聞いたことがない宗教観だ。
仕方がないのでもう美樹人はここを異世界だと思うことに決めた。とりあえず日本列島はないし、日本列島がない世界は美樹人の住んでいた世界ではない。そういう意味では別の星だろうと平行世界だろうと未開の地だろうと似たようなもんである。
「んじゃ、当面の目標はその神殿ね。いつ出発すんの? てか今何月何日?」
「四月二十九日です。ワルプルギスの夜は明日の夜から明後日にかけて行われます。アシルまでは徒歩で一時間程度ですし、そこからポータルを使えばエディアカラ神殿までは一瞬です。儀式は夜ですから、明日の朝出発で何も問題はないかと」
「りょーかい」
「今日は、そうですね……とりあえずベッドを貸しますので、体を休めてください」
「魔女さんは?」
「私は服とか、色々準備しておきます。……あの、私すごく流行に疎くて……要望があるなら言ってくださいね。できる限り反映しますから」
「お、マジ? じゃあパーカーできる?」
「ぱーかー?」
「フードついてる服。なんか、こう……首の後ろに」
「マントですか?」
「いや、トップス」
どうやらパーカーは存在しないらしい。紙とペンを持ち出したシオに、美樹人は苦く笑う。別にそこまでしてパーカーを着たい訳ではないのだが、シオが作ってくれるというなら厚意に甘えよう。
美樹人は少し硬い紙に、万年筆みたいな描きごこちのペンを走らせる。シオはそれを、じっと見ていた。
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