第2話 美しい

目を開ける。


今日も朝がやってきた。


体の器官が弱り、薬でしか栄養が取れない、動くこともままならない。


死んだほうが楽なはず。


なのに、朝が来ていることに安心している自分がいる。


『おっはよ~う!』


ヒカリは見舞い席にちょこんと座っている。


「……夢じゃなかった。」


『レンの願いを叶えるって言ったじゃん。』


「……羽」


『ん?』


「……さわってみてもいい?」


『いいよ〜』


幼稚な頼みに少し恥ずかしくなる。


けど、ヒカリは気にせず僕に羽を向ける。


白い羽はふわふわとしていて、触れたら溶けてしまいそうだった。


「……これで飛べるの?」


『もちろん!』


ヒカリはフワッと飛び上がる。


そしてくるくると天井をまわる。


「……すごい」


『そう?』


ヒカリは席に戻る。


『……レンは学校とか行ってみたいと思わないの?』


「学校?」


『そうそう。十歳でしょ?小学校とか気にならないのかなって。』


「……別に。」


そこまで気にならない。


『あ!食べたいものは?』


「もう食べれないし。食べるってことが好きじゃない。」


ヒカリはむうっと考え込む。






じゃあなにがある?


ぼくは何が見えてない?


レンは相変わらず昏い瞳をしている。


……ちょっと練習してくるか。


ぼくは羽を広げる。


「もう行っちゃうの?」


『うん、練習してくる。また明日ね!』






病院の一番大きな木に腰掛ける。


それで出入りする人を眺める。


……あの人間、自殺するだろうな。


そっと後ろをついていく。


『__天使、何をしている?』


『観察という名の練習。邪魔はしない』


担当の天使の一つ後ろを飛ぶ。


別に禁止事項でもなんでもない。


先輩の姿を見て学ぶ後輩だ。


担当以外の天使の姿は認識できないから振り返った際顔をしっかりと見る。


絶望、疲労、後悔。


ボサボサの髪、しわのついた服、細い体。


左手の薬指には美しい指輪が飾られている。


……きっと伴侶が亡くなったんだろうな。


幸せだったに違いない。


けど、今は違う。


深い絶望。


これを使い記憶に干渉する。


……笑顔の絶えない二人。


アルバム、三つの写真立て。


クッションや柔らかい布団。


……あ、子供も死んでるな。


きっと伴侶を失い、そのショックで流産ってとこかな。


辛い。憎い。苦しい。


一瞬ですべてを失った人間は皆そう言う。


それと同時に『何か』を感じる。


けれど他の感情が強すぎて『何か』に気付けない。


……なんて、哀れなことだろう。


理性で動く人間が、感情に流され、溺れ、その感情さえも理解できないほど追い詰められ、死を望む。


なんて醜くて……美しい。


ぼくが一番やりがいを感じるときだ。


いつかぼくもあんな風に美しくなりたい。


感情に身を任せそれを理解することにいっぱいいっぱいになりたい。


けど手を伸ばすことはできない。


ぼくは天使だから。






その後あの人間は天使にぼくが考えたことと同じことを叫び、川へ飛び込んだ。


天使がちゃんと回収してたから問題はない。


まあまず一問目は正解ってとこかな。






次は……あ、あの人間、いっぱい人間刺すな。


目の焦点が合ってない。


……薬、か。


右手の服のところが少し膨らんでる。


……きっとナイフが入っている。


値札のついた服を着てるから、多分盗品。


うわぁよく見たらすごく罪がこびりついてる。


これを浄化するのは大変そうだなぁ。


まあ天使の役目じゃないけど。


少しして天使がぞろぞろと集まってきた。


……そして死神が一人。



人間はなんて愚かで美しいんだろう。


ぼくはその場をあとにする。


数秒後、多くの悲鳴と血が、街を彩った。


あの人間は最期に自分を刺し、死神が魂を刈り取った。






二問目も正解っと。


えへへ、やったぁ


うーんけどもうちょっと試したほうがいいよね。


「……死んでもいいな。」


__!


目を向けると満面の笑みの人間がいた。


隣の人も笑っている。


「やめてよ、縁起でもない。」


「それだけ幸せってこと!」


二人は笑ってぼくの前を通り過ぎる。


……え?


わからない。


幸せだと死にたいの?それだけって?


あの人間たちからは絶望も後悔も『何か』もなかった。


ただ、幸福に満たされていた。


ぼくが担当したことがない感情。


『__天使、どうした?』


『……あれは、何?』


二人の天使は穏やかに笑っている。


『幸福、という感情だ。』


『美しいだろう?』


『……美しい?』


ぼくの知っているやつじゃない。


美しいっていうのはもっと感情的で、醜くて、ドロドロしてて、理解するのに精一杯の、


『あれが我らが思う人間の美しさだ。』


知らない、こんなの!


ぼくは触れたことがない。


『__っ!』


ぼくは羽を出し空へ飛ぶ。


人間たちを見渡す。


あっちでもこちっでも笑ってる、笑ってる、わらってる、


『なんで……見えなかった?』


人間の笑顔なんて『何か』があっての前提だった。


なのに、なんで?


天使たちを見回す。


みんな穏やかな笑顔が浮かんでいる。


……ぼくは?


近くの窓へ向かう。


そこにぼくは映っていた。


焦りと『何か』を貼り付けた顔。


笑ってみる。


あまりにも無邪気で、穏やかさを感じない残酷とも言える笑顔。


『無駄だ。』


一問目の人間を担当した天使がやってくる。


その顔は無表情に近い、冷たい、薄い笑顔がついている。


『どういうこと?』


『我々は担当してきた人間の感情で創りが左右される。故に、あの天使らは幸福で、我々は絶望で創られている。』


『……じゃあ、ぼくは……』


『無論。あの笑顔は手に入らん。』


『__っ!』


『怒るな。全ては主のご意向』


じゃあ、ぼくは、何でできている?


多くの子どもたちの、『何か』?


だからこんな短期的な無邪気な笑みしかできないの?


なのに瞳は昏いの?


ぼくは、あの、あたたかい感情に、さわれない?


人間たちを見る。


眩しいくらいの幸福。


絶望が消えて幸福になる人間もいる。


けど、ぼくは、ごまかし程度の幸福をぶらさげて絶望を運ぶ。


『……どうにもならないの?』


『そんなことはない』


幸福の天使たちがぼくに声を掛ける。


『担当する人間を幸福にすれば感じることができる。』


『どうやって?』


天使たちは笑顔で首をふる。


教えてくれない。


ぼくはわからないのに。


そのままぼくは取り残される。


日は沈みかけ、橙の光がぼくを、街を包み込む。


……わからない。


この感情は何?


『……わからない。』






『……ねえ、君はいま、何を感じてる?』


「え?」


ヒカリは唐突に僕に訪ねた。


キラキラとしていた瞳は冷たい光となり、針のように痛かった。


『君の願いって何?』


「……わかるでしょ?天使なんだから。」


『わかるわけないじゃん!他の奴の考えなんて!』


ヒカリはハッと顔を歪め、そして僕に恐る恐る尋ねる。


『生まれ変わったら、何になりたい?』


生まれ、変わったら……


考えもしなかった、けど、


「生まれ変わりたくないなぁ」


『どういうこと?』


「そのまんまの意味、もう生きるのには、つかれちゃった。」


『……。』


「ねえ、また羽、触っていい?」


『いいよ』


やっぱりふわふわで、心地いい。


「ねえ、今空は青い?」


『うん。とっても晴れてるよ。』


「そっか、今飛んだら気持ちいい?」


『……わからない』


ヒカリはまた顔を曇らせる。


「……ヒカリは生まれ変わったら何になりたい?」


『……生まれ、変わる?』


「うん、僕に聞いたじゃん」


『ぼくが、うまれかわる?』


ヒカリはどこかぼんやりと宙を見つめる。


その姿はまるで人形のようだった。


それもビスクドール。冷たい肌とビーズの目がやけにリアルな。


『……ぼくは、天使だよ?』


その笑みはぎこちなかった。


「僕はヒカリに聞いてるの。天使じゃない!」


『ぼくは……』


その時、ヒカリが羽を広げた。


これ、知ってる。前もあった……


『招集、いかないと』


「待ってヒカリ!」


ヒカリは遠くへ飛んで行ってしまった。


僕はベッドから降りることもできない。


その白い羽に手を伸ばすけど、それは空気を掴む。


そのとき、ぐっ、と体に痛みが走る。


「……っ!コホッ、ケホッ!」


咳が喉を突いて出てくる。


いや、違う。


口を抑えた右手には、白によく映える、見慣れた赤が咲いていた。

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