第29話 はざくらがざわめく②(勝真)
「…………葵衣さんに、心配かけちゃった」
ぐずりと鼻をすすりあげながら奏良が消え入りそうな声で呟いて、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げてぎこちなく笑った。
「そうか」
勝真は抱いていた奏良の肩をぽんぽんと叩いて、一言だけ返す。
人間の繊細な部分に触れるのは得意ではない。
元より人の心の
奏良が無理をして笑っていることは理解はしている。
ただ、そんな時に人の心を和ませる術をもたない。気休めを言えるような器用さもなかった。
理屈でものを考えることしかできない。それが冷たいだとか、情に欠けるとか評されていることを知っている。
けれど、理屈が通らない『真実ではないこと』に対して、嘘をついて何になるのだろうか。
そう思うのも自分の内にある傲慢さのせいなのかもしれないと、勝真はそう考えている。
正解は常に、自分の中にしかない。
奏良がどうしたいのか。どうして欲しいのか。それは奏良にしかわからないことだ。
人の思考には常に『自分の認知』というバイアスがかかっていて、一人一人にとって見えている世界は異なる。
勝真の両親におもねている人間の中にも、本当に彼らを尊敬している者たちがいて、彼らの傲慢さが気高さに見えているのだ。
勝真は奏良の正解を知らない。
何を言えば、何をすればいいのかがわからない。
『かっちゃんは、優しいよ』
ふと葵衣の声が思い浮かんだ。
『そうやって考えてくれるのが、優しいんだよ』
それはかつて聞いた言葉だったのか、ただそう言うのだろうと考えたのか。勝真には判別がつかなかったけれど。
葵衣がそう言うだろうというのは、疑いがなかった。
葵衣は信じているのだ。
勝真のことを信じて頼っている。声が聴こえなくても、姿が見えなくても、それだけは真実だとわかっていた。
「葵衣は、したくて心配したんだ。奏良くんが申し訳なく思う必要はない」
奏良は目を瞬かせ、その度に目の端からぽろぽろと
「そっか」
両手を胸に当て、自分を抱きしめるかのようにして奏良は微笑んでいた。
硬く強張っていた身体も表情も、すっかりと緩んだように見えた。
「今までたくさんね、悪いことばっかりしてきたんだ」
奏良はぽつりと語った。あどけなく幼い表情を苦渋に染めて、息を詰まらせながら、絶えず涙を零しながら。
「家の近くのスーパーやコンビニでは出入り禁止になるくらい盗んできて、町内で警戒されるくらい万引きの常習犯だったし。お金やご飯をくれる人の頼みをきいたりさ。売れるってわかったら、オッサンやオバサンに
震える声が
それは多分、奏良自身にはどうしようもなかったのだ。そう思えるほどに
「殴られたり、それ以上に死にそうな目にあうこともあったけど、でも俺が悪いんだからどうしようもないよね」
奏良の言葉は、勝真には理解が及ばない。
想像することはできても、そういう環境に置かれる子どもがいるのだと知っていても、裕福な生まれ育ちである勝真には真に理解することはできないのだろう。
「ならば、奏良くんはどうしたい?」
勝真は静かに奏良に問いかけた。
どこか遠くを
「どうしたい………」
初めて問いかけられたように、奏良は目を見開いて
「君の年ごろの子にそう言うのもおかしいのかもしれないが、今は俺が君の保護者だろう。君に非があれば責任を負うし、和解が必要なら仲裁しよう。だから、君は自分がどうしたいのかを考えればいい」
「そんな、保護者って」
「言っただろう?奏良くんは俺と葵衣にとって恩人なんだ。君が思うように生きていけるように最大限の手を尽くそう。何よりも、葵衣がそう望んでいるからな。俺は、葵衣の望みは何だって叶えたい」
「………っ」
奏良の顔がふっと綻んで、青白かった頬に赤みがさした。
「ふふっ。葵衣さん、照れてる」
自分の胸に手を当てて、奏良が柔らかに微笑んだ。
照れてそわそわと落ち着かずに挙動不審になる葵衣の姿が想像できて、勝真も唇の端を
「………わからないけど」
奏良がぎゅっと目を
「俺、ちゃんと謝りたい。謝って、迷惑をかけたぶんのお金、返せるようになりたい。働いて、お金貰えるようになって、返せたらって………」
ただそれだけのことを、奏良は遠い夢のように語る。
「そうか。応援しよう」
勝真は立ち上がり、奏良に手を差し伸べた。
照れたようにぎこちなく笑って、奏良がその手へと自分の手を重ねる。
力強く萌える葉桜が、ざわりと音を鳴らして影を
帰り道、マンションの前で勝真は歩いて来た方角と反対方向の道へとちらりと視線を投げかけた。
まだその道を歩く気にはならなかった。
血肉が洗われて、今ではその痕跡もほとんど残っていないだろうそこに、遥か遠目に花束が手向けられているのが見える。
削れた塀に、当時はうっすらと血痕の影が残っていた。あの光景を思い出すだけでも狂おしくなる。
そこに葵衣がいないことを知っていても。葵衣の想いを知った今でさえ。
まだできれば直視したくない事故現場から目を逸らして、勝真は思い出で溢れかえる自宅へと足を運んだ。
次の更新予定
毎日 06:00 予定は変更される可能性があります
【BL】星になった幽霊と、星を宿した青年の話 ちえ。 @chiesabu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。【BL】星になった幽霊と、星を宿した青年の話 の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます