夏と色と。

quo

何か足りない世界

目覚ましが電子のベルを力強く打ち鳴らす。


沙織は、朝から最後の力を振り絞って、目覚ましの仕事を終わらせた。


いつものように、ベッドに大の字になると、二度寝との境界を覗き込む手前で、力いっぱい伸びをして勢いよくベッドから飛び起きた。


カーテンを開けると、ようやく明けきった太陽の明かりが、うす暗い部屋に飛び込んでくる。沙織は朝を感じる為に空を見上げ、目を細めるが、いつものような爽快さはない。不思議に思っていると、風が部屋に入り込み、じわりとかいていた汗を持ち去った。


階段を降りると、台所から聞こえる、小気味よい音。包丁がリズムよくまな板を叩く。朝餉あさげの香りが立ち込める。


洗面台に立って見つめる自分。もう、受験の為に辞めた陸上部。きつめの顔立ちは整っていても、可愛いと言われた事は無い。もう、走ることは無いと、髪を伸ばしてみると手入れが面倒なのが分かって止めた。


昨日、遅くまで教科書を開いていた。体は起きていても、頭には霞がかかっている。それが、明るい小麦色の肌にも表れているのかと、顔を近づけて見ようとした時、「早く食べなさいと」と、母に呼ばれた。


いつもの朝食。母のこだわりの朝食が味気なく感じた。自慢のだし巻き卵が口の中でパサつく。朝の話題には重い、受験の話をかわすように立ち上がる。「残している」という母の言葉に、感じた事のない「夏バテ」という言葉を残して家を出る。


軽くストレッチをする。体が重くないのを確認すると、自転車に乗り、力を込めて走り出した。風が背中を押し、沙織に「軽快」を感じてもらおうとするが、気が乗らず、少しのブレーキで抵抗して見せると、風に置いて行かれて、自転車が金切り声を上げ始める。


唐突に聞こえる激しい金属の労働歌。覗いてみようと裏路地に入ると、スーパーの裏側に大きなトラック。扉からは冷気が流れて、地に着く前に消えてゆく。運ぶ男は、夏なのに厚手の作業着を着ている。作業するだけの服。冷気の白に張り合う事もせず、何も言わずに黙々と男に張り付いている。


金属の台車が次々と運び込まれる。押される度に段ボール達が跳ね踊る音は、台車の音と不協和音を奏でる。


塞ぎたくなる音を見てから路地を行くと、停留所に並ぶ人々が居る。その前にバスが停まる。いつもの派手な広告は控えめなのか、ただでさえ重たそうなバスが、重たく感じる。空気が勢いよく吐き出され、乗り口を開けて人々を迎え入れる。全員が乗ると、重く大きな体を震わせながら唸り、走り始める。


追う様に自転車を走らせると、自動車が溢れ始める。歩道を行く人々は、自動車の高く低い雑多な声を聞くまいと、耳を塞ぎ無音の中を歩いている。無機質な人の群れ。沙織は自転車を降り、彼らに紛れる。


何処に行くのだろう。


表情も視線も歩く速度も同じなのにと、今日と言いう日の違和感に、空を見上げて目を細める。


学校に近づくにつれ、同じ制服を着た子たちが流れ、合わさってゆく。

グラウンドをみると、陸上部の後輩たちが朝練を終えて、校舎へ入ってゆく。沙織を見つけた後輩が、会釈をする。それに沙織が笑顔で答える。


去年は、私がそこに居たんだ。


いつもと同じ場所。違う風景。友達の由香が「上の空だ」と心配してくれた。


コンクリートの鳥かご。若鳥達は囀ることなく、教科書と単語帳を眺めなめている。沙織はそれを真似ては見るが、単語が頭に入らない。高く小さく繰り返される、始まりの音を聞いた若鳥達は、自ら鳥かごへ入ってゆくように教室に入ってゆく。校舎は、始まりの音で静寂に包まれる。


頬杖をつく。


黒板をノックし続ける白墨。一定のリズムを刻み続ける。窓で切り取られた空を見つめるが、走っていた頃の、あの吸い込まれるような空ではない。


何でなんだろう。


言い知れぬ虚無感に、ぼんやりとノートに小さな丸を描き続ける。インクが切れかけようとした時、開け放たれた窓から風が舞い込む。開かれたノート駆けるように捲れてゆく。


最後に開かれたページには音は無く、全ての色の始まりの「白」がある。


そうだ。「色」だ。


沙織は「白」のページに、足りなかった色を書き始めた。走り抜けた、あの夏の空の色を。

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