episode.22
パーティから数日経って、私は正式にレオネル様の婚約者としてアロンテン家の皆様にご紹介頂いた。
アロンテン家当主、アロンテン公爵様は、艶やかな黒髪と顔立ちや、威厳のある立ち居振る舞いなど、レオネル様とよく似ていらっしゃる方だった。
瞳の色だけ、シシリア様と同じアメジスト。
シシリア様もお二人に顔立ちはよく似てらっしゃるので、三人で並んで立つと親子兄妹というのがよく分かる。
お母様であるアロンテン公爵夫人は高身長のお三人とは違い小柄な方で、淡いライラック色の髪に、金色の瞳の上品で威厳ある佇まいの方だった。
アロンテン夫人は流行に敏感で、人より早く最先端のファッションを取り入れるのがお上手だと聞いた。
シシリア様の社交界デビューの時に一早くマーメイドスタイルのドレスを取り入れ、社交界のスタンダードの一つに押し上げたのも、アロンテン夫人だと聞いて驚いてしまった。
ふわふわとしたドレスが似合わない私には、マーメイドスタイルのドレスは非常に助かっている。
確かに数年前まではそんな型のドレスは無かったので、先見の明がおありのアロンテン夫人と、それを見事に着こなし流行らせてくれたシシリア様に、感謝しかない。
シシリア様の側近である私は、ご家族の皆様に暖かく受け入れられ、正式にレオネル様の続き部屋である公子夫人の部屋を賜った。
婚約式は私とレオネル様の希望で内輪だけの質素なものにする許可も頂いた。
いくら私の身の潔白は証明されているといえ、既に他の男性との婚約宣誓書を協会に提出して、それを破棄した事実はどうしても消えない。
アロンテン公爵家のご嫡男の婚約式にしては異例すぎる措置ではあるけれど、もともと私もレオネル様も、必要以上に華美なものは好まないので、私達らしい判断だと皆様が理解して下さったお陰だった。
そうして、婚約式に向けて忙しくしている中、第二王子クラウス様の側近のお一人である、大司教様のご子息であり、筆頭高位神官であるミゲル様の召集で、私達は宮廷では無く王宮の王太子執務室に集められた。
「それで、我々を招集した訳を話してもらえないか、ミゲル」
レオネル様がミゲル様に問いかけると、ミゲル様は穏やかな微笑みを浮かべ、私を真っ直ぐに見つめた。
「リゼ嬢、貴女がエドワルドと婚約していた証明が教会では出来なくなりました」
ニッコリ微笑むミゲル様に、私は何の事か分からず、首を捻ってしまった。
同じように首を捻っていたシシリア様が、そのミゲル様に向かって呆れたように口を開く。
「当たり前でしょ、だってリゼの件は教会でも慎重に扱うって約束だったじゃない」
そう言ったシシリア様に、ミゲル様はゆっくりと首を振る。
「いえ、もう教会でも扱う必要が無くなったのです。
つまり、リゼ嬢が婚約していた事実自体が消滅したという事です」
ミゲル様の言葉を理解出来ず、私達は皆一様にどういう事かと首を捻った。
いくらなんでも、正式に教会に提出した宣誓書の存在は無くならない筈。
破棄をしても白紙には戻らないのが、婚約宣誓書なのだから。
訳が分からずポカンとする私達を見回しながら、ミゲル様はニコニコと嬉しそうに笑った。
「先日のパーティの夜、私は何だか胸騒ぎがして教会本部に戻りました。
そこで皆がちょうど騒いでいる場面に出くわしたのです。
話を聞くと、リゼ嬢の婚約宣誓書を保管していた場所から宣誓書がひとりでに浮き上がり、聖堂に向かって行っているとの事でした。
私は慌てて宣誓書を追い、聖堂に辿り着きますと、まるで宣誓書は私を待っていたかのように祭壇の前で浮いていました。
私が不思議な力に動かされるように、その宣誓書に手を伸ばし、端に触れた瞬間、宣誓書が眩い銀色の炎に包まれ、跡形も無く燃えて消えたのです………。
正にこれこそ、神の御業……奇跡そのもの……。
神がリゼ嬢の婚約を白紙に戻すよう、そう我々に仰ったに違いありません………っ!」
大袈裟な身振り手振りで興奮した様子のミゲル様のお話に、私は震える手で自分の口を押さえた。
涙の滲む瞳で隣のレオネル様を見やると、レオネル様は信じられないといったように目を見開いている。
「では、これでもう、リゼは私の婚約者として何も憂うところは無くなったのだな」
呟くような静かなレオネル様の言葉に、ミゲル様は力強く頷いた。
「ええ、神がリゼ嬢とエドワルドの婚約を無かった事と判断なさったのです。
伯爵令嬢であるリゼ嬢がレオネルと婚約するのに、何の問題などありませんよ」
私達を祝福するように、ミゲル様が温かく笑って下さった………。
「……レオネル様……」
目尻に涙を浮かべ、私がレオネル様を見上げると、レオネル様がそっとその胸に私を抱きしめてくれた。
「………リゼ……」
私の髪に顔を埋め、囁くように私の名を呼ぶレオネ様の声も震えている。
そして固く抱きしめ合う私達を、清らかで温かい何かが包んでくれているような気がした。
それが神の聖なる祝福のように感じて、胸がいっぱいになる。
神の御許に召されたグェンナさんの魂のようにも感じて、もしかしたら彼が神に私の事を願ってくれたのでは無いか、とそんな非現実的な考えが浮かんだ。
だけど不思議と、自分のその考えが間違っていないような、そんな気持ちになった。
ありがとうございます、グェンナさん。
貴方の魂が、今安らかなる事を、心よりお祈り致します………。
「良かったね……リゼちゃん……レオネル様…」
グズグスと鼻を鳴らしながら、ボロボロ涙を流すキティ様を、クラウス様が後ろからそっと抱きしめている。
「神にさえ認められるお前の執着には呆れるな」
クラウス様が冗談混じりにそう仰ると、レオネル様はそのクラウス様にニヤリと笑って言い返した。
「神をも畏れぬお前には言われたくないな」
お二人はジッと見つめ合うと、ややして同時にフッと笑った。
「まっ、神様もシシリアのご機嫌を損ねるのは得策じゃないと考えたのさ」
エリオット様がそう言って、後ろからシシリア様をギュッと抱きしめると、レオネル様とクラウス様が同時に口を開いた。
『ああ、神をも動かす奴がそこにいたな』
それにシシリア様は愉快そうにニヤリと笑った。
我が主が神さえ動かす存在だったなんて……。
私はその驚愕の真実に、より一層シシリア様への敬愛を深めたのだった………。
皆様と別れて、レオネル様と王宮の庭園をゆっくりと歩いて行く。
最近忙しくしていたので、レオネル様とこんな風にゆったりとした時間を過ごすのは久しぶりだった。
「リゼ……」
ふと足を止めたレオネル様に、私は不思議に思いながら自分も足を止めた。
レオネル様は私の片手を恭しく取りながら、スッと目の前に片膝をついて跪く。
「あ、あの、レオネル様……どうかしましたか?」
そのように傅かれてしまって焦る私に、レオネル様は穏やかに微笑まれて、服の内ポケットから小さな箱を取り出すと、それをゆっくりと開けた。
中には、大きな金色の宝石の周りに水色の宝石の付いた、シルバーの指輪が納まっていた。
宝石に詳しく無い私にでも、それがもの凄く価値のある物だと何となく分かる。
「リゼ・スカイヴォード令嬢、どうか私と一生を共にして頂けませんか?」
畏まってそう言われて、私の心臓がドキドキと脈打つ。
正式な求婚を受けて、気恥ずかしさに頬が赤く染まった。
公爵家の嫡男であるレオネル様が、こんな風に求婚をなさるとは思ってもいなかったので、びっくりして何も言えずにいると、乞うように私を見つめる瞳が不安そうに揺らいで、私は慌てて口を開いた。
「はい、よろしくお願い致します」
私の返事にレオネル様はホッとしたように小さな息を吐くと、私の左手の薬指にその指輪を優しくはめて下さった。
庭園に咲く花々に見守られ、私達は2人だけの婚約を誓いあった。
ゆっくり立ち上がったレオネル様は、そっと顔を傾けながら、優しく私の唇に自分の唇を合わせた。
これからの未来への約束を誓い合うように、お互いの唇を合わせ、私達はそっと瞳を閉じた………。
夏の晴れ渡る青空の下。
私とレオネル様の婚約式が行われた。
出席者は内輪だけとはいえ、王家の皆様や、公爵家、侯爵家、伯爵家の皆様。
レオネル様のお立場から考えれば当然の事なのかもしれないけれど、私には畏れ多い皆様が私達の婚約式にご出席下さっている。
「綺麗だ……リゼ…」
教会の大聖堂に続く扉の前で、レオネル様が悩ましい溜息をついて私を見つめた。
今日の私達の衣装は、アロンテン公爵夫人であるお義母様がご用意下さった。
あのパーティで贈って頂いたドレスに似せた、淡い水色のドレスとタキシード。
両肩の出ているデザインで、腰までは身体のラインにピッタリとしているけれど、腰からは緩やかに裾に向かって広がっている。
華やかだけど華美すぎない、私にはちょうど良いデザインだった。
ドレスにもタキシードにも、金の糸で見事な揃いの刺繍が入っている。
水色は私の瞳の、金色はレオネル様の瞳の色で、色はレオネル様が指定されたのだと、夫人にこっそりと教えて頂いた。
「レオネル様も、素敵です」
今日は長い艶やかな髪をスッキリと後ろに纏めていらっしゃるレオネル様に、胸をドキドキさせながら私は答えた。
いつものように下ろしていらっしゃるのも素敵だけど、こんな風に一つに纏めていらっしゃるのも、本当に素敵……。
ポッと頬を染めて俯く私の耳元で、レオネル様がクスッと笑って囁いた。
「リゼこそ、今すぐ攫って食べてしまいたいくらい可愛い……」
低く少し掠れた声に、背中がゾクリと粟立つ。
「レ、レオネル様っ!」
カッと顔を真っ赤にして甘く睨むと、レオネル様は楽しそうに口を大きく開けて笑った。
そんな風に無邪気に笑うレオネル様を初めて見た私は、ポカンと口を開いたまま驚いて固まってしまったけれど、ややしてその笑顔の破壊力にギュウッと胸が締め付けられる。
も、もうっ。
心臓に悪いわ。
そ、そんな可愛らしいお顔で笑うだなんて、反則です。
火照る頬を両手で押さえていると、教会の鐘が鳴った。
いよいよ本日の主役である私達の入場の時。
まだクックッと笑うレオネル様が、私が腕に掴まりやすいようにこちらに向かって差し出してくれた。
私はそのレオネル様を甘く睨みながら、その腕に手を置く。
ゆっくりと大聖堂への扉が開かれ、私達は皆様の見守る中、大司教様の待つ祭壇に進み、宣誓の義を行った。
「これより、レオネル・フォン・アロンテンと、リゼ・スカイヴォードの婚約宣誓式を行う」
大司教様のお言葉に、私達は同時に頭を下げた。
「レオネル・フォン・アロンテン。
リゼ・スカイヴォードと婚約を交わし、時が満ちた後、伴侶として迎えると誓うなら、この宣誓書にサインを」
レオネル様は、サラサラと宣誓書にサインをした。
「リゼ・スカイヴォード。
レオネル・フォン・アロンテンと婚約を交わし、時が満ちた後、伴侶として嫁ぐと誓うなら、この宣誓書にサインを」
私も、レオネル様の署名の下にサインをする。
そして2人で参列者である皆様の方へ向き直った。
「博愛の神クリケィティアの御許にて、ここにこの2人の婚約が成立しました」
大司教様が両手を広げそう宣言すると、大聖堂は私達への拍手に包まれた。
今度こそ、本当に、自分の想う相手との婚約宣誓書にサインをして、私は幸せに胸がいっぱいになりながら微笑んだ。
その私の隣で、レオネル様も同じように、幸せそうに笑っている。
そのレオネル様の微笑みに、皆様が一瞬騒ついて、私はフフッと小さく笑った。
さっきの、大口を開けて無邪気に笑うレオネル様を見たら、皆様卒倒してしまうかもしれないわね。
私は自分だけが知るレオネル様の表情に、胸がキュンキュンと高鳴るのを止められない。
無事に婚約して、いつか夫婦になるのだもの。
これからも、誰も知らないレオネル様の一面を私は知る事が出来るのね。
そう思うと、胸がもう本当にいっぱいになって、息も止まりそうだった。
目の前の皆様に向かって優雅な礼を返しながら、実はレオネル様の事で息も絶え絶えな事は、私だけの秘密だった。
「リゼ、必ず幸せにすると誓う」
教会の外に場所を移し、祝福の鐘が鳴り響くのを眺めていると、レオネル様が真っ直ぐに私を見つめ、真面目な顔でそう言った。
私はそのレオネル様の腕にそっと手を置いて、真っ直ぐに見つめ返す。
「私も、レオネル様を幸せにすると誓います」
その私にクスリと笑って、レオネル様は身を屈めると耳元で囁いた。
「これ以上幸せになっては、俺は狂うかもしれんな。
君を毎晩、貪り食うかもしれない……」
どこか艶っぽいその声色に、私はカッと顔を赤くして、諌めるようにレオネル様を睨んだ。
「皆様の前です、お控え下さい」
ピシャリと返した私の忠言に、レオネル様はうっとりとしたように私を熱っぽく見つめ、そっと顎を掴むと、上向かせた。
「レ、レオネル、様……?」
まさか、皆様の前で、そんなはしたない事、致しませんよね?
私の願いは虚しく散って、レオネル様の唇があっという間に私の唇を奪った。
………流石に、深く口づけられる事は無かったけど……。
チュッとわざとらしく音を立てながら、レオネル様の唇が離れた瞬間、私はそのレオネル様をキッと睨み上げた。
「………後で、お覚悟下さいね……?」
ヒュウッと冷気を漂わせる私に、レオネル様はゾクリと首の後ろを震わせながら、蕩けるような微笑みを浮かべている。
「……ああ、もちろん……楽しみにしているよ」
……一体、何を?
微妙に噛み合わない会話に、私は内心大きな溜息をついた。
婚約早々、話し合わなければいけない事があるようだわ。
ふふ、私は手加減致しませんからね?レオネル様。
楽しみにしていて下さって、結構ですよ。
私も、貴方との対話が何よりも尊い時間なのですから………。
その時、一陣の風が吹き抜け、教会の庭園から花びらを運び、私達を祝福するかのように花を降らせた。
奇跡のようなその光景に、私達は顔を見合わせ、同時に笑い合う。
胸いっぱいの愛と幸せに包まれて…………。
ーーfinーー
傷モノ令嬢は獣公子の甘い檻に囚われる 森林 浴 @uru43
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