episode.19

「それ、痛そうだな、大丈夫か?」


シシリア様にゲオルグ先輩に引き渡され、私達はファーストダンスを踊っている最中だった。

先程レオネル様に掴まれ、赤くなっている私の手首をチラッとみて、ゲオルグ先輩はボソッとそう言った。


「大丈夫です。見た目ほど痛くありませんから」


嘘ではなかった。

何故か、レオネル様に掴まれた手首の痛みがさっきからじんわりと甘く疼く。

痛さなど、感じない程に。


「そうか、咄嗟に手加減はしているだろうが、それがレオネル様のお気持ちだと思うと……。

俺は今日無事に帰れるか、心配になるな」


ハァッと溜息をつくゲオルグ先輩に、私は首を傾げた。


「何の事でしょう?」


その私に、慌てたようにゲオルグ先輩は首を振り、冷や汗を流した。


「あっ、いや、差し出口は控えるようにシシリア様にキツく言われているからな……何でもない……」


何だか怪しい様子のゲオルグ先輩を、私はジトッと見上げた。


「……私、ゲオルグ先輩の口を割らす方法なら、5個くらい思い浮かびますよ?」


脅すような私の口調に、ゲオルグ先輩は揶揄うように片目を瞑った。


「甘いな、シシリア様なら100個は思いつく」


そう返されて、私は一瞬目をパチクリさせ、次の瞬間、ゲオルグ先輩と顔を見合わせてプッと吹き出した。


笑いながらダンスを踊っていると、ゲオルグ先輩が急に身震いして、ボソリと呟く。


「……本当に、生きて帰れないかもしれない………」


覚悟を決めたようなゲオルグ先輩に、私は首を傾げる。


ターンして回った瞬間、遠くでこちらを見つめるレオネル様が見えたような気がした………。




最初の曲が終わり、向かい合って私とゲオルグ先輩が礼をしていると、ゲオルグ先輩の背後にいつの間にかレオネル様が立っていた。

ゲオルグ先輩は身体を揺らして、直ぐに私の前から身を引いた。

その場所にスッとレオネル様が立ち、私に向かって腰を屈め紳士的に手を差し出す。


「次は私と踊って頂けますか?リゼ嬢」


その完璧な所作に、私はうっとりと見惚れながら、吸い込まれるようにその手を取った。


「はい喜んで……」


私がそう応えた瞬間。

ガシャーンと遠くで何かが割れる音がして、振り返ると怒り狂った様子のシシリア様を、エリオット様が後ろから抱き抱えて押さえているようだった。


どうしたのかしら?


びっくりしている私の腰をレオネル様がグイッと自分に引き寄せ、私はまたびっくりしてそのレオネル様を見上げた。


まだ2曲目だし、夜もそんなに更けていない。

身体を密着させて踊るダンス曲など、流れていないのに……。


「あの、レオネル様………?」


戸惑って私が口を開くも、レオネル様の目は私を通り越し、何か別のものを見ているようだった。

瞳の奥にチラチラと燃え燻る何かを、理性で必死に抑えているような……そんな様子に私は口を噤むしか出来なかった。


レオネル様はスマートに私をエスコートして下さり、私のぎこちないダンスをさり気なくカバーして下さっていた。

何か考え事をしながらのダンスとは思えず、周りからも小さな歓声が上がる。


………だけど、心ここに在らずのその様子に、私は少し傷ついていた。

クラウス様の生誕パーティでもレオネル様と踊って頂いたけれど、あの時の胸の高鳴りを、今は感じない。

憧れのレオネル様と踊れるだけで胸がいっぱいで、何度も不慣れなステップを間違える私を、レオネル様は微笑みながらカバーしてくれた………。


あの時と今と、私の不慣れなステップは変わらないし、それを優しくカバーしてくれるレオネル様の所作も変わらないのに……。

どうしてこんなに心が締め付けられるのかしら……。


それは、レオネル様の心が私に無いせいだと、分かっていた。

憧れのレオネル様と手を合わせただけで十分幸せだった私は、もういないのね。

今はそのお心まで、浅ましくも求めているだなんて………。

レオネル様が何を考えているかは分からない。

でも、お願いです、私を見て下さい。

今貴方と一緒に踊っているのは、目の前の私なのに………。


落ち込みそうになる自分を、私はハッとして奮い立たせた。

いけないわっ!

またこんな風に落ち込むだなんて、これじゃ何も変わっていない。

自己分析も大事だけど、原因を自分にだけ求めるのは正しくない。


まず、レオネル様からダンスを申し込んできたのに、心ここに在らずな態度はあまりに私に対して失礼だわ。

確かにダンスは完璧だけれど、淡々と機械的に踊るだけなら、相手は私じゃなくて良いはずよ。


何かお考えがあって私を誘っただけにしても、その態度はあまりにも不誠実だわ。

他にダンスに誘えるご令嬢がいなかったんだ、とか、イタズラに相手を選んで話題になりたくなかった、とか、何か理由があるなら、話して下さっても良いのに。


レオネル様はご年齢的にも、お立場的にも、注目度の高い独身男性。

適当にダンスに誘って、勘違いや期待を持たせたくないと思うのも分かるわ。

その点私は、先程陛下直々にお言葉を頂いたスカイヴォード伯爵家の娘。

陛下と縁戚にあたるレオネル様が、このパーティでお声をかけたりダンスに誘うのは不自然じゃない。

そういった意味でダンスに誘ったのだとしても、淑女に対しての気遣いが足りないと思うの。


私も私だけれど、レオネル様もレオネル様だわ。

何だか少し怒りが湧いてきた時、ダンスの曲が終わった。

当然、身体を離して礼を取ろうとする私を、何故かレオネル様はいつまでも離そうとしなかった。


まぁ、曲が終わった事にさえ気付かない程考え事をなさるだなんて。

私はちょっと不機嫌な声でレオネル様に教えて差し上げた。


「レオネル様、曲が終わりましたよ」


ハッとして身体を離すだろうと思っていたのに、レオネル様はますます私を抱く腕に力を込めて、微動だにもしなかった。


「………それが、どうかしたか?」


身体の芯まで凍えそうなその低い声色に、私はサーーと顔を青くした。


「ど、どうかしたかって、ですから、曲が終わりましたから、離して下さらないと……次の曲が始まってしまいます」


焦ってその腕から逃れようとするけれど、レオネル様の力は強く、身じろぎも出来なかった。


「だから、それが何か問題でも?」


ギロッと睨まれて、私は恐怖に身体を強張らせる。


そうしている間に、次の曲が流れ始めてしまい、私は慌てて身を捩った。

このままでは、本当に2曲連続で踊る事になってしまうっ!


ダンスを続けて踊るのは、社交界ではルール違反に当たる。

許されているのは家族か夫婦、または婚約者だけ。

こんな風に、婚約もしていない男女が2曲続けてダンスを踊るという事は、2人はそういう仲、もしくはこのご令嬢は自分が寵愛している、と言っているのも同じ事になってしまう。

ルールを破り2曲目まで踊ってしまうと、基本責められるのは男性の方。

責任を取るように周りから圧力をかけられる。

もちろん、意中の相手を無理やり自分のものにする為、それを行おうとする男性も居るけれど、相手の女性が望まない行為は紳士的ではない。

なので困っている令嬢を助ける役割をする使用人が必ず待機しているのだけど……。


私はその使用人を見つけ、目だけで困っていると訴えた。

その道のプロである彼に伝わらない筈は無いのに、静かに視線を逸らされてしまった……。

それはそうよね、相手は王家に次ぐアロンテン公爵家の貴公子………。

レオネル様のやる事をお止め出来る使用人などいないわ………。


ガシャーンッ!

その時何かが割れる音がして、首だけ動かしてそちらを見ると、暴れているシシリア様をエリオット様が必死に抱きしめ押さえている……。


エリオット様、何故ですか……?

今私を、いいえ、後々責任を問われてしまうレオネル様を助けられるのは、シシリア様だけなのに……。


涙目でレオネル様を見上げると、心が凍りそうなほど冷たい目で私を見下していた……。


何故?どうして?

さっきまで、私を映さないこの瞳に不満を持っていたというのに、今はその瞳が怖くて堪らない。

憎まれているの?

私を、レオネル様が、憎んでいる……?


その事に気付いた瞬間、全身が絶望感に粟だった。

ああ、私、これほどに憎まれる程の、一体何をしてしまったの……。


とうとう曲が本格的に流れ始め、レオネル様はまるで逃がさないとでもいうように私の腰をグッと引き、ダンスを踊る。

まるで操り人形のようにされるがままの私は、せめて人前で涙を流さないように、グッと唇を噛んだ。


やはりその私達を見て周りが静かに騒ぎ出した。

アロンテン公爵家の嫡男が、同じ令嬢と続けてダンスを踊った事に、皆が驚愕の目でこちらを見てくる。


ああ、レオネル様は私を確かに憎んでいる。

そしてこの場で私を辱めたいのね……。

あまりの仕打ちに涙が滲むけれど、絶対に誰にも見られたくないと、その涙が流れないように目に力を込めた。


………なんて卑劣な方。

私を憎んでいるにしても、未婚の女性に対してこんな仕打ち、あんまりだわ。

明日から私は何て言われるか。

陛下に家門を認められた途端、アロンテン公子に手を出した勘違い令嬢?

社交界を無視して、密かにレオネル様のご寵愛を受けていたやり手令嬢?


確かに周りの言葉はもう気にしないと決めたわ。

だけどこれは違う。

明らかにレオネル様の故意だもの。

こんな事をされても、我が家からレオネル様に責任など追求出来ない。

ただ私が、レオネル様のご寵愛を受けた令嬢だと噂されてしまうだけだわ。

ご自分は傷つかない場所から、私を辱めて憂さ晴らしなさるだなんでっ!


私はダンっと力を込めてステップを踏んだ。

分かりましたわ。

貴方がそのつもりなら、私だって負けたりしません。

理由も分からず憎まれてこんな目に遭って、黙っている私ではございませんっ!


私はキッとレオネル様を睨み上げ、ステップをほんの少し先取りする。

主導権をレオネル様から奪い、ダンスを私が制していった。

レオネル様はピクリと片眉を上げ、その私から主導権を奪い返そうとするけれど、それを軽やかに交わし、決して主導権を渡さなかった。


そのまま私の主導でダンスは進み、いよいよフィニッシュ。

後ろに引いた右足を軸にして、後ろに大胆に身体を傾け、指の先にまで神経を配り、曲の終わりに合わせてピタリとポーズを決めた。

レオネル様が腰を支えてくれているけど、もちろんそこには頼っていない。

自身の体幹のみで身体を支える。


瞬間、ワアァァァァッ!と歓声が上がった。

私はそれに応えるように優雅に礼をして、チラリとレオネル様を見る。

いかがでしたか?レオネル様。

貴方が辱めようとした私にやり返されたご気分は。

私を気弱な令嬢と勘違いされていたみたいですが、私はこれでもシシリア様の側近です。

元々それなりに気は強い方ですのよ?


ふふんっと密かに笑う私を、レオネル様は腰に回していた腕をグイッと引いて、そのせいでよろけた私の身体を支え軽々と抱き上げた。


「失礼、彼女はどうやら足を痛めたようだ。

我々はこれで失礼する」


そう言ってスタスタと歩き出すレオネル様に、私は口をあんぐり開けて、目を見開いた。

アレくらいのダンスで足を痛めるような、やわな体作りしていませんわっ!

言い返したくとも、あまりに淑女らしくない内容なので口に出せない。


ガシャッガシャーンッ!


派手に食器を落とす音がする。

やはり暴れ回るシシリア様、それを押さえるエリオット様………。


………あのシシリア様を押さえ切るだなんて、よく考えたらエリオット様、凄いわ。


妙なところに関心している間に、私はレオネル様によってパーティ会場から連れ攫われてしまった………。






「お離し下さいっ!私、貴方を許しませんからっ!

あのようにダンスを強要するなど、紳士にあるまじき行為だわっ!

私になら何をしても許されるとでもお思いですかっ!」


レオネル様に抱えられながら、めちゃくちゃに拳を振り下ろし、背中を叩くも、レオネル様には一切効いていない様子だった。

悔しくて涙が滲むけれど、負けたくはない。

ここが王宮で無ければ、魔法を使ってでも抵抗するのに。


レオネル様は手近の休憩室に入ると、奥にある机に私をドサッと降ろした。


キッとレオネル様を見上げる私を、相変わらず冷たい目で見下ろす。


「随分じゃじゃ馬だな、リゼ。

君のそんな顔を、奴も知っているのか?」


ルオネル様の言葉に、私は首を捻った。


「奴って、誰……んっ」


私の問いかけは、レオネル様の噛み付くような深い口づけに阻まれてしまった。

無理やりにこじ開けられた口内に侵入した舌が、私の舌に吸い付き、クチュリと水音が小さく響く。


……また、これなの。


私はレオネル様のその舌に、ガリッと噛みついた。


「ーーーーつっ!」


痛みに顔を歪め、私から離れたレオネル様。

その口の端から血がタラリと流れる。


やり過ぎたわっ!


「ヒールウォ……んっ、んんっ」


治癒魔法を使おうと口を開いた瞬間、またレオネル様が私の唇を奪い、舌を絡ませる。

レオネル様の血の味が口内に広がって、今度は私が顔を歪めた。


「んっ、んっ、ふぁっ、んんっ」


激しい口づけに息も出来ずにいると、レオネル様の大きな手が胸を掴み、ギュウッと握り潰すように揉みしだく。


痛みに顔を顰める私を嘲笑うかのように、レオネル様はドレスの胸元を掴み、ビリビリビリィィィッと引き裂いた。


「んっ、んんーーーーっ!」


レオネル様から贈られた高級なドレスの裂ける音に、唇を塞がれながら驚愕に目を見開く。


なんて事をなさるのっ!

このドレス1着で、以前の我が家なら10ヶ月は飢えを凌げたわっ!

そう抗議をしたくても、口を塞がれていてはどうする事も出来ない。

私は拳でレオネル様をメチャクチャに叩いたけれど、やはりレオネル様は微動だにしなかった。


そのまま机の上に押し倒され、私は足をバタつかせて抵抗した。

レオネル様の太腿や脛に私のヒールが当たっている筈なのに、レオネル様は何も感じていない様子で、深い口づけを続け、露わになった素肌を強く揉みしだいた。


チュッと音を立て、レオネル様の唇がやっと離れたと思ったら、私の胸の頂にガリッと噛み付かれた。


「痛っ、や、やめてっ!やめてったらっ!」


胸に覆い被さるレオネル様の肩をボカボカと叩くも、やはり効果は無い。


レオネル様の舌が頂に吸い付き、音を立てて吸い上げられて、私はビクッと身体を震わせた。



………最低だわ。

無理やりにこんな事をするレオネル様も、それに反応してしまう、私の身体も………。


滲んだ涙が頬に伝う。

冷え切っていく心とは裏腹に、身体がジワリと熱を灯した。



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