episode.18

ゆっくりとこちらに近づいて来るステファニー様に、私はゴクリと唾を飲み込む。


いよいよ私の目の前に立ったステファニー様に、シシリア様が優雅に微笑んだ。


「ご機嫌よう、ステファニー嬢」


位の高い者からの声掛けがあるまで相手は挨拶も出来ないので、シシリア様はいつも直ぐにお声を掛ける。

高貴なご身分にも関わらず、勿体ぶったりは決してしない方なの、私の主君は。


「ご機嫌よう、今日のドレスも素敵だわ、ステファニー様」


キティ様もステファニー様に直ぐにお声を掛けた。

同じ侯爵家とはいえ、キティ様は第二王子のクラウス様のご婚約者だから、ステファニー様より身分が上になる。


「ご機嫌麗しゅうございます、シシリア様、キティ様」


その2人にカーテシーで礼を取り、ステファニー様はニッコリと微笑まれた。


なんて美しいカーテシーなのかしら。

お生まれを体現しているような優美さだわ。

ステファニー様の所作に、私は感嘆の思いで息を呑んだ。


「ステファニー嬢、こちらは、リゼ・スカイヴォード伯爵令嬢よ。

学園の生徒会役員だから、顔くらい知ってるかしら?

彼女は私の側近でもあるの。

私同様、親しくしてあげてね」


さり気なく私をシシリア様と同列に紹介され、私は畏れ多くて、慌ててステファニー様に頭を下げた。


「まぁ、やっぱり貴女があのリゼ様なのね……。

リゼ様、私、貴女に言いたい事がございますの……」


ステファニー様の神妙な声色に、私の胸がドキンと跳ねた。

レオネル様に関係した事だったら、どうすればいいの……。

ドキドキと胸を鳴らす私の両手を、ステファニー様はそっと握って、申し訳なそうに私の顔を覗き込んだ。


「私の偽物に、酷い目に遭わされたと聞いたわ………。

リゼ様、本当にごめんなさい……。

お辛かったでしょう」


気遣うようなステファニー様に、私はカッと顔を赤くして、慌てて頭を振った。


「そんな、そのような事は………。

ステファニー様は何もお悪くないのですから、謝らないで下さいませ」


愚かにも、またステファニー様を疑ってしまった自分が情けない。

確かに、私がエドワルドと婚約を決めたキッカケを作ったのはステファニー様だけれど、それはニーナ・マイヤー男爵令嬢がステファニー様の姿に化けた偽物だった。

ステファニー様は本当に、何も悪くない。


「いいえ、私が以前から大っぴらにレオネル様に求婚などしていたから、そうやって悪き者に利用などされたのです。

私にも非はありますわ」


哀しそうなステファニー様に、私はまたブンブンと頭を振る。


「いいえ、全ては私の浅慮が招いた愚行ゆえです。

冷静な判断力をかき、状況判断を誤った私の過失ですから、ステファニー様に非などございません」


キッパリと言い切る私に、ステファニー様は一瞬目を丸くした後、クスクスと笑い出した。


「リゼ様って、レオネル様に似てらっしゃるわね。

似た者同士だから惹かれ合うのかしら?

はぁ、そうだとしたら、私があの人に惹かれるのはどうしてなのかしら……」


途端に悩ましげな溜息をつくステファニー様に、私は息を呑んで問いかけた。


「……あの、それって、レオネル様の事、ですか?」


私の不躾な問いに、ステファニー様はハッとして顔を上げ、顔の前で片手を振った。


「違いますのよ、確かにレオネル様は初恋の相手ですし、レオネル様と婚姻出来るように努力するよう両親にしつこく言い含められてきましたけど、今はそれが私の本当の願いでは無かったとハッキリ言えますわ。

……実は私、真実の愛に出逢いましたの……」


ステファニー様の話に、私は呆然として目を見開いた。

シシリア様とキティ様が興味津々な様子でステファニー様ににじり寄る。


「ですが、彼、平民なの」


えっ?

侯爵令嬢のお相手が、平民っ!?


「しかも、無職で……」


えぇっ!

仕事もしていないのっ!


「植物採集にしか興味が無くて、各地をフラフラと放浪しているような人だけど、私、カイルの事愛していますの……」


………ん?

植物採集にしか興味の無い、放浪癖のある、カイル………。


「……あの、念の為にお聞きするだけなのですが、そのカイルは誰にでも無作法な、ブルーグレーの髪色に、ゼニスブルーの瞳の軟弱な男ではありませんか?」


私の問いに、ステファニー様は目を見開き、驚いたように私をマジマジと見つめた。


「……まぁ、リゼ様はカイルを知ってらっしゃるの?」


そのステファニー様の返答に、私はガックリと肩を落とした。


「……その者は恐らく、うちの家の者です……」


私の言葉に、ステファニー様はパアァァァァッと顔を輝かせた。


「まぁっ、カイルったら、ちゃんと職を得たのね。

スカイヴォード家の下働きかしら?まさか御者?

だとしたら今日はここに来ているの?

馬留めに行けば会えるかしら?」


途端にソワソワとし始めるステファニー様に、私は片手で頭を押さえた。

……お兄様ったら、一体ステファニー様に何をしてくれたのかしら………。


丁度その時、根無草のようにパーティ会場をフラフラしているお兄様を見つけ、私はそちらに駆け寄るとその襟首を掴み、ズルズルとステファニー様の前に連れて来た。


「ステファニー様、うちの従兄弟が大変失礼致しました。

彼の名は、カイル・スカイヴォード。

私の父の弟の息子です。

スカイヴォード子爵家の次男で、次期スカイヴォード伯爵。

平民でも無く、無職でもありません。

スカイヴォード家門一の錬金術の天才で、国に納めているハイポーションの6割を、今は彼が錬金しています」


ズイッとお兄様をステファニー様に差し出すと、お兄様はニヘラッと笑ってステファニー様に向かって手をヒラヒラとさせた。


「あれぇ、ステファニーじゃん、こんなとこで奇遇だね」


ヘラヘラ笑うお兄様を、思わず片手でグルングルン回してしまった。


「お兄様、ステファニー様は侯爵家のご令嬢です。

ちゃんと〝様〟とおつけ下さい」


淡々とそう言う私にグルグル回されながら、お兄様はヘラヘラと笑っていた。


「え〜〜、面倒くさいよ、ステファニーはステファニーだろ?」


この人には、いよいよ教育的指導が必要だわ……。

そう思って掴んだ襟首を高く持ち上げた瞬間、ステファニー様はヒシとお兄様に抱きついた。


「いいのです、ステファニーはステファニーです。

カイルのステファニーなのです」


えっ………?

驚き過ぎて思わずお兄様を離すと、お兄様は退屈そうな欠伸をした。


「ねぇ、リゼ、俺もう帰ってもいい?

こんな退屈なとこ、時間の無駄なんだけど。

あっ、そうだ、ステファニーも一緒に行く?」


そう言ってステファニー様にお兄様が差し出した手を、ステファニー様は飛びつくように握った。


「はい、カイルと行きます」


えっ?えっ?

驚き過ぎて思考が止まりそうな私の前で、2人は本当にスタスタと歩き出してしまった。


「ご機嫌よう、シシリア様、キティ様。

リゼ様、私のカイルを見つけて下さって、本当にありがとう」


ニコニコと笑いながらこちらに手を振るステファニー様に、シシリア様とキティ様が手を振りかえしている。


「ご機嫌よう、ステファニー嬢。

頑張ってねーーー」


平気な顔で2人を見送るシシリア様に、私は口をあんぐり開けたまま、2人を指差し、何か言おうとするも、言葉が出ない。


「アッハッハッハ、リゼの従兄弟殿は豪気な方ね。

社交界の花までむしって採取して行っちゃったわよ」


大口を開けて笑うシシリア様に、私はアワアワと動揺を隠せなかった。

ど、ど、どうしようっ!

お兄様がクインタール侯爵家のご令嬢を………。

あの人っ!絶対に何も分かっていないっ!

ステファニー様の恋心とか、1ミリも理解出来ていないわっ!


今後これが大問題にならなければ良いのだけど………。


不安に押し潰され、ガックリ肩を落とす私の真後ろから、予期せぬ声が聞こえ、私はビクリと身体を揺らした。


「……リゼ、今いいだろうか?」


既に懐かしく感じる程、毎日聞いていた、あの低く掠れた声に、高鳴る胸を押さえながら振り返る。

長身のレオネル様を見上げ、私は目尻に涙が滲んだ。


「は、はい、あの………」


何て答えれば良いのか分からない私から、レオネル様はスッと視線を外し、シシリア様とキティ様を見た。


「シシリア、キティ嬢、彼女を少し借りても良いか?」


そう言ってバルコニーに視線を送るレオネル様に、シシリア様が少しお怒りの様子で口を開いた。


「………良いけど、ファーストダンスが始まる前には返してよ。

今日のリゼのエスコート役はアンタじゃないんだから。

それから、カーテンは閉めさせないわよ、分かった」


そう言ってシシリア様がバルコニーに向かって顎をしゃくると、レオネル様はギリッと奥歯を噛みしめ、苦しげな声で答えた。


「……ああ、分かった、それでいい」


そう言ってレオネル様は私の手を取り、1番近いバルコニーへと向かう。

何が何だか分からずシシリア様を振り返ると、難しい顔でレオネル様を睨んでいた……。


……一体、お二人の間で何があったのかしら?

まさか、原因は私?

だとしたら、どうすれば良いの。

仲のお良ろしかったご兄妹の関係に、亀裂が出来てしまうなんて………。


オロオロと、レオネル様とシシリア様を交互に見る私には目もくれず、レオネル様はスタスタと歩いて行く。



バルコニーに出ると、夏の夜の涼しげな風に、パーティ会場で火照った身体が丁度良く涼み、私はホッと息をついた。


「……変わりないか?」


感情を押し殺したレオネル様の声に、ピクッと身体を揺らす。


「は、はい。元気にやっております」


私の答えに、レオネル様は少し切なげにこちらをチラッと見た。


「そのようだな。私といた頃より、顔色も肌の血色も良いようだ。

表情も生き生きとしている」


淡々と分析され、私は思わず自分の頬に触れた。

そうかしら?気持ちが前向きになって、自分らしい思考を取り戻したお陰かもしれない。


私はレオネル様を見上げ、少し微笑んで聞いた。


「あの、レオネル様はお変わりは」


「ステファニー嬢が君を探していたが、無事に話は出来たか?」


私の問いを打ち消すようにそう聞き返され、私は一瞬目をパチクリとさせた。


「は、はい、お話させて頂きました。

ステファニー様は、ご自分の偽物が私を謀った事を気に病んで下さっていて……。

ステファニー様は何も悪くないのに、謝罪まで頂いてしまいました……」


申し訳無い気持ちでそう答えると、レオネル様がフッと口角を上げた。


「だろうな、彼女はそういう人だ」


よく知っている風なその反応に、胸がツキンと痛む。

頭では駄目だと分かっているのに、勝手に口が開き、余計な事を喋り出した。


「それで、光栄な事に私の従兄弟が、ステファニー様の真実の愛のお相手だったのです。

2人は先程再会して、何処かに行ってしまって……それで………」


自分の情けなさに、だんだんと声が小さくなる私に、レオネル様がバルコニーから下を眺めながら、庭園の方を指差した。


「もしかして、アレか?」


レオネル様の指差す方を見てみると、月明かりの下、庭園の中に消えて行く二つの影が………。

あのフニャフニャした、ダラシない歩き方は……間違い無くお兄様だわ。

侯爵家のご令嬢を、あんな暗い場所に連れて行くなんてっ!


アワアワと顎が外れそうな私に、レオネル様はクスッと笑った。


「君の従兄弟殿は怖いもの知らずだな。

後でステファニー嬢の取り巻き達に関係を問いただされるぞ。

まず間違いなく、責任問題になるだろうな」


クックッと笑うレオネル様に、私は申し訳無さに俯きながら顔を赤くした。


「……申し訳ありません。

アレでもスカイヴォード家の次期当主ですから、ステファニー様には少し身分が足りませんが……責任は必ず、取らせます………。

ああ、幼い頃に私がお兄様と婚約しておけば、こんな事にはならなかったのに……」


最後の方はボソリと独り言のように言ったのに、レオネル様はピクリと眉を引き攣らせた。


「なに?従兄弟殿は君の婚約者になる筈だったのか?」


先程までの淡々とした様子とは一変して、途端に怒気をはらんだレオネル様の声に、私はビクッと身体を震わせた。


「はい、私は伯爵家の一人娘ですし、当時既に錬金術の才能を開花させ、次期当主候補に上がっていたお兄様と婚約させればどうかと、家門内から声が上がっていました。

ですが、お兄様が嫌がったので、その話は早々に無くなったのです。

お兄様は植物の交配にも力を入れていて、曰く近過ぎると面白みが無い、そこに奇跡の生まれる要素が見当たらない、との事で」


私の話にレオネル様は安堵の息をつき、自分の髪を片手で掻き上げた。


「君の従兄弟殿が変わり者で良かった……。

………ステファニー嬢も存外良い仕事をするな……」


手で口を押さえ、ボソッと呟かれた瞬間、ホールからダンスの曲が流れ始め、何と仰ったのかちゃんと聞く事が出来なかった。


「あっ、いけないっ!ファーストダンスが始まってしまいますわ。

私、ゲオルグ先輩の所に行かなくてはなりません。

あの、レオネル様、ここで失礼致します」


慌てて会場に戻ろうとする私を、レオネル様が腕を掴み引き止めた。

強い力で腕を掴まれ、私は驚いて振り向き、息を呑む。


怒気をはらんだ顔に、切なげな瞳が揺らめいて、その複雑な表情に言葉を失う。


「君は、ゲオルグにエスコートされる君を私がどんな気持ちで見ていたか……分からないのか……」


まるで懇願するようなその声に、胸がドキリと跳ねた。

その切なそうな表情に、胸の中から愛しさが溢れ出してくる。

今すぐ抱きしめて、慰めて安心させてあげたい……。

そんな畏れ多い気持ちが湧き上がり動揺する私の後ろから、厳しい声が聞こえた。


「レオネルッ!」


驚いて振り向くと、そこにシシリア様が立っていて、厳しい顔でレオネル様を睨んでいた。


カツカツとヒールの音を響かせ私達に近付くと、私の手首を掴むレオネル様の手を振り払った。


そして、赤くなった私の手首をジッと見つめ、深い溜息をつく。


「……言ったでしょ?今のアンタじゃリゼを傷つけるだけだって。

どうせダンスの相手もいないんだから、そこで頭を冷やしていなさい」


怒りを抑えたようなシシリア様の口調に、私は驚いて目を見開いた。

その私の手を取り、シシリア様がホールへと連れ帰る。


「あ、あの、良いのでしょうか……?」


レオネル様を振り返りながらそう聞くと、シシリア様が不機嫌そうに答えた。


「良いのよっ!アイツ、貴女を傷つけてばかりじゃないっ!

いい加減、私の堪忍袋も保たないわ。

アイツの事は気にせず、パーティを楽しみましょ」


鼻息の荒いシシリア様に、もうそれ以上何も言えず、私は黙ってシシリア様について行く。


最後に見たレオネル様の、まるで捨てられた子犬のような表情が、脳裏にこびり付いて胸を締めつけた………。



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