episode.16
「な、何、これ………」
久しぶりの我が家に到着して早々、私は邸を見上げ絶句した。
ボロボロだった我が家が綺麗に修繕され、見違えるほど綺麗になっていたからだ。
「リゼーーーッ!お帰りなさいっ!」
お母様が外まで出迎えに来て、私に抱きついた。
「お母様、邸の修繕をなさったのですね?」
いつの間に業者を頼んだのかしら。
質素倹約の生活が染み付いているお母様にしては、随分思い切ったのね。
だけどお母様は首を捻り、不思議そうに口を開いた。
「あら、貴女、婚約者様に聞いていないの?
全てレオネル様がご手配下さったのよ?
まだ表だけで、ちゃんとした修繕には時間がかかるけど、王都でも一流の職人を沢山雇って下さって我が家を綺麗にしてくれているのよ。
それからほら、使用人も沢山雇って下さったの」
弾んだお母様の声に、呆然と邸の玄関を見てみると、10人を超える使用人がズラッと並んでいた……。
「あれだけじゃ無いのよ、他にもまだまだメイドがいるの。
それにコックや領地運営のスペシャリストまで、皆んなレオネル様が雇って下さったのよ」
ニコニコ笑うお母様をよく見ると、新品のドレスに宝石、初めて見るお化粧までしている。
ああ、こうして見ると、お母様はまだお若かったのね……。
苦労ばかりかけてきたから………。
ハッ、しんみりしている場合じゃないわっ!
一体これはどういう事なのっ!
輝くお母様の笑顔を奪いたくなくて、私は慎重に口を開いた。
「レオネル様が、私の婚約者だと、そう仰ったの?」
私の言葉に、お母様は嬉しそうに頷く。
「ええ、我が家に直々に足を運んで下さって、貴女を婚約者に迎えたいと、お父様に頭まで下げたのよ、あのアロンテン公爵家のご嫡男である尊いお方が………。
お父様なんか飛び上がって萎縮して、機械仕掛けみたいに頷いてらっしゃったわ。
それから、婚約者であるリゼのご実家に少々援助をしても良いだろうか?と仰ってね。
あっという間にお邸を綺麗にして下さって、沢山の使用人まで。
私やお父様にも沢山贈り物を下さって、家具も全て超一級品の物に交換して下さったのよ。
我が家がこんなに、伯爵家然とした邸になるだなんて………」
そう言って、涙を浮かべるお母様に、私はそれ以上、何も言えなかった……。
「では、何かあれば直ぐ呼んでくれ」
私の部屋の前でそう言って、ゲオルグ先輩は静かに扉を閉めた。
あれから、お父様とお母様、それからゲオルグ先輩と一緒に夕飯を囲んで、久しぶりに1人じゃない食卓の楽しさを思い出した。
それから寝る支度を終わらせ、ゲオルグ先輩と部屋の前で別れた。
久しぶりの自室……と言っても、綺麗に修繕されてまるで別の部屋のようだけど。
とにかく家族のいる家に帰ってこれて、私は深い溜息をついた。
シシリア様の仰っていた事は本当だったわ。
レオネル様と過ごしたあの部屋を出て家族と過ごす内に、だんだんと脳に空気が巡ってきたように感じる。
だいたいレオネル様は、少し早急過ぎる気がするわ………。
勝手?な気がするし………。
いいえ、そうよ、レオネル様は、勝手だわ。
人命救助の為に私をお抱きになっただけなのに、責任を取って婚姻するだなんて。
ゲオルグ先輩もそう言っていたけど、殿方は責任感だけで婚姻が出来るのね。
………私は、女性だから、それじゃ、寂しく感じる。
そうよ、私、寂しかったんだわ。
責任感だけで婚姻を進めようとするレオネルの態度が、寂しかった………。
それから、そう………。
レオネル様が何と言おうと、社交界での私の評判は一生、傷モノ令嬢。
それは覆らない。
レオネル様の言う通りに、畏れ多くもアロンテン公爵家に嫁入りなんかしたら、社交界からどんな攻撃に遭うか……。
きっと誰も私をアロンテン公爵夫人とは認めないでしょうね。
責任感だけで私と婚姻した夫。
傷モノ令嬢のくせに公爵家に嫁いだ私を、引き摺り落とそうと手を伸ばすだろう、社交界。
そんな状況で、もし後継ぎなんか産まれたら、きっとその子は私から取り上げられてしまう。
評判の悪い母親の側には置かないでしょうね、絶対。
私はその未来を想像して、ゾッとして自分の身体を抱きしめた。
ああ、私………。
私の、本心は、自分の保身……。
自分を守る為、レオネル様のご好意を拒否して、あの方のプライドを酷く傷つけたんだわ……。
改めてクリアになった頭で考えてみれば、何て他愛無い。
私はただ、自分の事しか考えていなかった。
責任感などで求婚されるだなんて、寂しい。
傷モノ令嬢である自分が公爵家に嫁いだりしたら、その先の周りの目が怖い。
全て自分が傷つきたくなくて、レオネル様を拒絶した………。
………いいえ、待って。
それで良いのよ。
何も悪い事では無いわ。
私は傷モノ令嬢。
社交界では腫れ物扱いされるような存在。
そんな私を娶るなら、きっと責任感だけでは周りを抑えられない。
レオネル様は私を庇いきれなくなるわ、きっと。
だとしたら、私のその先にあるのはきっと、果てしない孤独。
それが分かっていて、自分を守ろうとする事の何が悪いのかしら?
邸に戻る道中、ゲオルグ先輩と話していて、チクチクと胸に刺さった小さな棘が、やっと一本一本抜けていくような気がした。
その棘の名前は〝罪悪感〟。
レオネル様からの申し出を、保身の為に拒否した自分を、今やっと自分自身が認める事が出来て、チクチクと刺さっていた〝罪悪感〟という名の棘が消えていく。
そうだわ、レオネル様を愛している私に、責任感だけで婚姻を申し込むだなんて、あんまりだわ。
もっと私の事を考えて下されば、傷モノである私が公爵夫人になる事が、どれ程私を不幸にするか、理解出来た筈。
レオネル様は、自分の責任を果たし、自分の体面を保つ事しか考えていらっしゃらない。
それがどれ程、レオネル様を慕う女性を傷つけるか、想像も出来ないのね。
…………忠言差し上げなければ。
私はグッと手を握った。
レオネル様の為に、この度のレオネル様の行動が、どれ程無神経で身勝手だったか、ご忠言差し上げなければいけないわ。
そして、ハッキリと伝えなければ。
私は貴方を心から愛していますから、責任感だけで婚姻を求められても、迷惑です、と。
そうよ、それでもレオネル様が同じ事を仰るようなら、私、お望み通りレオネル様と婚姻するわ。
婚姻してから、レオネル様を振り向かせてみせる。
私を愛していただけるように努力するわ。
社交界とも戦ってみせる。
いつか私が本物の公爵夫人なのだと、認めさせてやるわ。
そして、官吏として働く事も諦めない。
私は私のやりたいようにやるわ。
もう、レオネル様に惑わされたりしない。
やっと自分らしさを取り戻し、全身から力がみなぎるのを感じた。
シシリア様に勧められ、あの邸を出て本当に良かった。
あのままレオネル様との爛れた生活に溺れ、なし崩しに子供が出来て婚姻してしまっては、この答えには辿り着けなかった筈よ。
ふふふ、私、シシリア様のよく仰るアレみたいね。
なんて言ったかしら?
そうそう、ブチ切れ令嬢。
レオネル様、私貴方にブチ切れました。
ですから、次にお会いしたら、言いたい事を言わせて頂きますね?
ですからどうか、お覚悟を、レオネル様。
「リゼちゃんっ!ああっ、良かったっ!
心配していたのよっ!」
教会の大聖堂の中に一歩足を踏み入れた瞬間、小さく可愛らしいご令嬢に抱きつかれて、私は笑みを浮かべた。
「キティ様、ありがとうございます」
この方は、キティ・ドゥ・ローズ侯爵令嬢。
第二王子殿下であり、レオネル様の仕えるクラウス様のご婚約者様。
既に王子妃の部屋を与えられている、高貴な女性。
ピンクローズのふわふわの髪に、新緑を思わせるようなエメラルドグリーンの大きなくりくりの瞳。
少し吊り上がり気味のそれが、猫のように可愛らしい。
透き通った白い肌に血色の良い頬と唇、シシリア様とは対照的な可愛らしい雰囲気の女性だった。
それに、キティ様は背がお小さいので、本当に本当にお可愛らしいの。
生徒会では会計を担当されていて、私と並んで歩いていると、ついキビキビ歩いてしまう私に追いつこうと、ちょこちょこピョコピョコついて来て下さって……。
もうっ、本当にお可愛らしいお方なんです。
「シシリィったら、本当にあっという間にエドワルドを捕まえちゃったわね」
キティ様の言葉に私は直ぐに頷いた。
流石私の主君。
言った通りに本当にエドワルドを捕まえてしまった。
エドワルドは王国と帝国の境界にあるような、辺鄙な小さな村に身を隠していたらしい。
王都からそこまで逃亡した方法も、既に尋問済みだと聞いた。
そんな場所にいたエドワルドを、シシリア様は超広範囲なエリアサーチを使い、見つけ出してしまった。
そんなエリアサーチ、しかも特定の個人を判別するような高性能なものを、この短時間で生み出したシシリア様は、正に天才。
そのシシリア様の生み出した、超広範囲高性能なエリアサーチを解明する為、今魔術師庁は大騒ぎになっているそうだ。
主君が皆に誉めそやされるのは、側近として凄く鼻が高かった。
やはりシシリア様は凄い人だわ。
………そして、エドワルドが捕まった事で、いよいよ大罪人として極刑に処される事になった。
今日はエドワルドの断罪の日。
公開処刑だから、処刑広場は人が押し寄せ、大変な事になっていると予想される。
私はキティ様にお誘い頂き、教会でエドワルドとその家族の為に祈りを捧げる為にやって来た。
あんな事をされたエドワルドの為に祈りに来たのでは無い。
今日、エドワルドの罪を共に被って、一緒に極刑に処される、グェンナ商会の商会主。
エドワルドの父親である、ギルバート・グェンナと、先に天に召された彼の家族の為に、祈りを捧げに来たのだ。
ギルバート・グェンナは人格者で、王国の為に危険な航路を旅して、東大陸に渡り商売をしてきてくれたような人。
だけど、息子であるエドワルドが悪き者に利用され、不法な商売に手を出し、ゴルタール公爵の資金源になってしまった。
それを止めようとしたグェンナさんだったけど、他の家族を人質に取られ、結局彼も悪事に手を染めるしか無くなった……。
人質に取られた家族は命を奪われ、グェンナさんは大人しく捕縛されて、全ての罪を自白した。
私とエドワルドをゴルタール公爵に言われるがままに婚約させてしまった事を、床に頭を擦り付けて詫びて下さった、そんな方だった。
そして今日、全ての罪を背負い、エドワルドを連れて、ご家族の元に旅立つ。
私はせめて、そのグェンナさんが無事にご家族の元へ辿り着けるよう、祈りを捧げたかった。
同じ気持ちでいたキティ様に誘われたのも、何かの思し召しだと思い、この大聖堂で待ち合わせていたのだった。
「そろそろかしらね……」
キティ様の唇が血の気を失い、真っ白になっている。
多分私も同じようなものだと思う。
教会には、グェンナさんのお人柄を偲び、私達と同じ目的で集まった方々が祈りを捧げていた。
私とキティ様も、グェンナさんの為にただ祈った。
その魂が安らかに、家族の元に届くように……。
やがて、ゴーンッ、ゴーンッと教会の荘厳な鐘が鳴った。
罪人が罪を償い、天に召された事を知らせる鐘の音。
あんなに良いお人柄のグェンナさんが今、息子と共に、大罪人として極刑に処された。
ボロボロと自然に涙が流れ、私は同じように涙を流すキティ様と抱き合った。
大聖堂に集まった皆が啜り泣く声が静かに響く。
ゴルタール公爵の私利私欲の為、利用された哀れな家族が、皆亡くなってしまった……。
今までに、そうやって犠牲になった人間が一体何人いた事だろう。
私もそんな犠牲者の1人だけれど、シシリア様やレオネル様、皆様のお陰で助け出され、たかだか傷モノ令嬢になったくらいで済んだのだ。
私は、何を悩み、躊躇していたのか。
例え誰に何を言われようと、皆様に助け出され、そしてレオネル様に助けられたこの命を、胸を張って生かしていくべきなのだわ。
言いたい事を言う人には、言わせておけば良い。
私は何と言われようと自分の人生を歩く。
レオネル様にもお伝えしなければいけない事が、沢山あるわ。
私達、今から始めるべきなんだわ。
死者の魂を慰める為、厳かに鳴り続ける教会の鐘に、私は改めて、グェンナさんとそのご家族の魂の安らかなる事を祈り続けた。
全てが終わった。
私に起きた、全ての出来事が。
ゴルタール家に利用され続けて来た我が家も王家の手によって助け出され、グェンナ商会は解体、別の商会と吸収合併となった。
憐れなグェンナ一家は皆天に召された。
大いな痛みと傷跡を残し、この度のグェンナ商会による内乱は、真の黒幕を捉えられないまま、一応の収束を見た。
この、王国を揺るがす大事件の前では、私とレオネル様に起きた出来事など、瑣末な事柄に過ぎない。
だって、純潔を奪ったから責任を取って君と婚姻する、いいえ、責任感だけで求婚されても嬉しくありません、なんて話、よそで勝手にやって下さらない?って言いたくもなるわよね。
ですから私、勝手にやりますわ。
レオネル様には知って欲しい事がたくさんありますもの。
……まずは私のこの気持ちを、お伝えしたい。
貴方の事を、ずっと前からお慕いしていました、貴方を愛しています、と。
キティ様と別れ、自室に戻った私は、ギュッと両手を握り決意した。
もう、あの方の誘惑に惑わされたりしないわ。
強引にベッドになんか連れて行かせないんだから。
魔法を使ってでも抵抗して、負けないんだから。
そして、私の気持ちを聞いて頂くの。
貴方が責任感だけで婚姻を迫っている令嬢は、貴方の事がずっと前から好きなのですが、その気持ちに責任感だけで答えられますか?ってね。
私は知らずに独り、ふふっと笑った。
こんな風に気持ちが軽くなったのはいつぶりかしら?
私もレオネル様も、事態を重く見過ぎでいただけ。
蓋を開けてみれば、想う相手と想われる相手のただのすれ違いだったんだわ。
今度お会いしたら、覚悟なさってね、レオネル様。
貴方が責任など取りたいくないと言うくらい、私しつこく貴方に忠言申し上げますから。
学園で〝鉄仮面女史〟と呼ばれる私の実力を、どうぞご覧あそばせ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます