episode.15
結局、邸から出してもらう事は叶わず、私は自分に与えられた部屋で1日を過ごす。
私には勿体無いくらいの優秀な家庭教師をつけて頂き、今までお母様や親戚の女性陣に教えて頂いていた、ほぼ独学だった淑女教育まで受ける事が出来て、更に今まで時間が無く、十分に時間を割けなかった読書も存分に堪能して、充実した時間を過ごしていた。
夜になるとレオネル様に甘く優しく……は最初だけで、結局獣のように貪られるのだけど……。
その行為に喜びを感じてしまう私にも問題があるのだもの。
今はもう、強くレオネル様を拒否出来ない自分がいた。
結局、何をされようと、私はあの方を愛してしまうんだわ。
この先に待つレオネル様のいない人生に、自分が耐えられるのか、今はそれが不安で仕方なかった。
昼食後のお茶を優雅に頂いていた、その時、廊下が俄かに騒がしくなり、私はピクリとティーカップを持つ手を揺らし、顔を上げた。
「いけませんっ!シシリアお嬢様っ!
リゼお嬢様のお部屋には誰もお通ししないように、レオネル様からキツく申しつかっておりますからっ!」
初めて聞くマーサの荒げた声に、私はカタンと立ち上がった。
「何を言ってんのよっ!こんな所に私のリゼを閉じ込めてっ!
マーサッ!アンタも共犯なんでしょっ!」
何故か懐かしく感じるシシリア様の声に、私はパァッと顔を輝かせた。
「シシ……」
お声を掛けようとした私の声を掻き消すほどの、マーサの怒鳴り声が廊下に響いた。
「まぁぁぁぁぁっ!なんて言葉遣いでしょうっ!
私に対して、アンタだなどとっ!
シシリアお嬢様っ!アロンテン公爵家の令嬢として、そのようなお言葉遣いでは、我がアロンテン家の恥になるのですよっ!
それなのに貴女ときたら………」
「あ〜〜もうっ!お説教なら後でたっぷり聞くからっ!
今はそれどころじゃないでしょっ!
マーサ、そうやって時間稼ぎしてレオネルを待っても無駄よっ!
アイツなら当分エドワルド捜索から戻らないって確認してあんだからっ!」
マーサの怒鳴り声を制する程のシシリア様の大音声に、マーサがスンッと落ち着く気配が伝わってくる。
「あら、左様でございますか」
先程のやり取りなどなかったかのようなマーサの落ち着き払った声に、シシリア様の大きな溜息が被さった。
ガンガンッと外から扉を叩く音が聞こえて、シシリア様の舌打ちする音が聞こえた。
「ご丁寧に結界まで張りやがって、あの童貞腰抜け野郎っ!
アンタと私じゃ、力の差が違うのよっ!
リゼッ!そこに居るなら、扉から離れて、防御魔法を展開後、衝撃に備えるっ!」
「はいっ!シシリア様っ!」
私はピシッと背を伸ばし、ハキハキと返事をすると、扉から出来るだけ離れて、自分を覆う防御魔法を展開した。
「ご丁寧に最上級の結界でリゼを閉じ込めおってからに、あのムッツリ野郎めっ!
貴様と私の力の差、見せつけてやるわっ!
一撃必殺っ!アイスハンマーッ!!」
バキィィィィッ!!
激しい爆音と噴煙が巻き起こり、扉が粉々に砕け散った。
飛び散ってきた木片が、私の防御魔法に弾かれた。
ま、ま、ま、巻き込まれなくて、本当に、良かった………。
無惨な姿になった扉の向こうから、まだ噴煙の収まらない中、瞳をビカッと光らせて、一つの人影がユラリとこちらに近づいて来る……。
その方こそ、私の仕える主。
シシリア・フォン・アロンテン公爵令嬢。
レオネル様の妹君であり、学園の生徒会長、そして、5本の指に入ると言われる最強のフリーハンター。
ギルドから単独討伐許可を与えられている数少ないハンターの1人で、ドラゴンを単独で倒すほどの腕前。
長く艶やかなパールブラックの髪。
輝くアメジストの瞳。
白磁のような肌、スラッと長い手足。
抜群のプロポーションを誇り、社交界では『紫真珠の姫君』と呼ばれている。
……他にも異名はあるのだけど、ちょっと物騒なものばかりなので、私は気に入っていない。
「シシリア様っ!」
思わず声を上げると、瞳孔が開き、フシューッと熱い息を吐いていたシシリア様がハッとして、両手を開き私に走り寄ってきた。
「リゼッ!良かったっ!無事だったのねっ!」
その胸にギュッと抱きしめられ、その豊満なお胸に顔を埋めながら、私はちょっと頬を染めてしまった。
身長差ゆえ、仕方ないの。
いつもこのお胸に顔を埋めさせて頂けて、申し訳ないと思っているのよ、本当よ?
「シシリア様こそ、ご無事でお帰り下さいまして、ありがとうございます。
お帰りを心よりお待ちしておりました」
グスッと少し涙ぐむ私を、シシリア様はギュウッとますます抱きしめた。
「リゼの方が大変だったわね、全部聞いたわよ……。
可哀想に、酷い目にあって……。
なんで貴女ばかりが………」
少し涙声でそう言うシシリア様に、私は胸が一杯になってポロポロと涙を流した。
どこかずっとピンと張っていた、緊張の糸がプツリと切れたように……。
「も、申し訳ございません、シシリア様」
何とか涙を抑えようとする私に、シシリア様は優しく微笑んで、髪を撫でてくれた。
「良いのよ、リゼ………。
辛かったわよね?遠慮無く、たくさん泣いて良いの」
その暖かな微笑みが、レオネル様の顔と重なる。
ご兄妹でお顔立ちが似てらっしゃるから、尚更………。
労わるように細めたその瞳まで、お二人はよく似ていらっしゃった………。
「なるほどねぇ、そんな事が……」
場所を庭園に移し、2人で向かい合いお茶をしながら、私は今までの経緯を全てシシリア様に話した。
………流石に、最初の夜以降もレオネル様に身体を求められている事は一連の事件には関係ないかと思い、そこまでは言えなかったけれど。
「……しかし……エドワルドめ……もう許せない。
安心して、リゼ。奴を捕らえる方法なら私が知っているから。
出来れば使いたくない手だったけど、そんな事も言ってられないわね。
奴は直ぐに捕まえる。
だからリゼは安心して、自分の邸に帰っても良いのよ」
優しくそう言われて、私は目を見開いた。
「……えっ?いいのですか……ですが、私……」
思わず言い淀む私に、シシリア様は片眉を上げた。
「レオネルの事なら一切気にしなくていいわよ。
あんな腰抜け野郎………。
リゼを部屋に閉じ込めて、自分のものにしようだなんて、そんな関係じゃこの先続かない。
いいからリゼは何も気にせず邸に戻りなさい。
私の私兵団で邸を守るから、安心してね」
シシリア様の言葉に、私は思わず俯いた。
私とレオネル様の関係が健全なものでは無い事は分かっている。
だけどそれでも、私はレオネル様から離れがたかった。
あの方の側に、どんな形でも良いから居たいと、願ってしまう自分を抑えられなかった。
「良い、リゼ、貴女は一度、レオネルから離れて、自分の気持ちとちゃんと向き合いなさい。
貴女達がいま一緒にいるのは、突発的な事故みたいなものよ。
事故直後は動揺して、自分の気持ちが落ち着かないものよ。
自分の邸の自分の部屋で、ゆっくり過ごせば自分の気持ちも考えもハッキリするわ。
貴女達に今足りないのはそれだと思うけど、どうかしら?」
シシリア様の言葉に、私はハッとした。
そうだ、私達はあれ以来、ゆっくりと自分と向き合う事をしてこなかった。
特に私は、与えられた部屋から一歩も出ずに、ただ悶々と考えを巡らせるだけで、それだっていつも堂々巡りだったように思える。
シシリア様に久しぶりに外に連れ出して頂き、花々に囲まれたこの庭園を眺めているだけで、新鮮な血が全身を駆け巡っていくような気がする。
新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んで、私はシシリア様の仰る事が、今1番自分に必要な事なのだと気付いた。
「ありがとうございます、シシリア様。
シシリア様の仰る通り、私は一度邸に戻り、きちんと今後の事を考えてみたいと思います」
真っ直ぐにシシリア様を見つめると、シシリア様は片眉を上げて、少し揶揄うように笑った。
「まっ、ついでにレオネルの事も考えてやってよ」
お茶目に片目を瞑るシシリア様に、私はポッと顔を赤くして、モジモジと身を捩った。
「……は、はい。ですが、レオネル様は私への責任感で、私などに求婚されただけですから………。
お気持ちは嬉しいのですが、その優しさに甘えるような事、私はとても………」
モジモジしながら顔を上げ、シシリア様を見ると、シシリア様は固まって、呆然とした表情で私を見ていた。
「なっ、アイツっ……この期に及んで、まだっ……言ってないとか……。
だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!
あのっ!腰抜けぇっ!!
ぶん殴るっ!ギッタンギッタンにぶん殴るっ!
ムッツリ童貞腰抜けクソ兄貴ーーーーっ!」
ガタンッと椅子から立ち上がり、雄叫びを上げるシシリア様。
庭園に集まっていた鳥達が一斉に飛び立っていき、私はビクッと身体を揺らした。
な、何か、余計な事を言ってしまったかしら、私………。
「大変だったな、リゼ嬢」
シシリア様が馬車を用意してくれ、私はそれにゲオルグ先輩と共に乗り込んだ。
シシリア様が護衛としてゲオルグ先輩を私につけて下さったからだった。
「うちの連中は既に君の邸で警備の任についている。
俺は君付きの護衛だから、邸の中まで入らせてもらうが、構わないだろうか?」
ゲオルグ先輩の言葉に、私はコクリと頷きつつ、少し焦って早口で答えた。
「我が家は貧相な邸ですので、ゲオルグ先輩にご不便をお掛けすると思いますが、よろしくお願い致します」
国から今までのポーション代金を補填されたとはいえ、まだまだ手を付けていないボロボロの邸にゲオルグ先輩を寝泊まりさせるのは偲びないけれど、シシリア様からの任命だもの、ゲオルグ先輩は絶対に文句も言わないと思う。
それが尚更申し訳なくて、私は恥ずかしさに俯いてしまった。
「そうか?」
ゲオルグ先輩は不思議そうに首を傾げている。
警護対象を安全に守る為、ゲオルグ先輩なら既に邸の下調べを終えている筈。
あのボロボロの邸を見ても、何でも無い事のように言って下さるゲオルグ先輩の気持ちがありがたかった。
「ところで、君はレオネル様と婚姻するのだろう?
そうなると、シシリア様の側近はどうする?辞めるのか?」
いきなりそう聞かれて、私はゴホゴホとむせかえった。
その私の背中をゲオルグ先輩が黙ってさすってくれる。
「あの……どうしてそのような話を……」
むせて滲んだ涙を拭いながら聞くと、やはりゲオルグ先輩は不思議そうに首を捻っている。
「レオネル様がそう仰っていたから、そうなのだと思っていたが、違うのか?
君は優秀だから、これからもシシリア様に仕えてもらいたいと思っていたから、俺としては残念に思っていたのだが」
そのゲオルグ先輩に、私は慌てて首を振った。
「何があろうと側近は辞めません。
それに婚姻の事も、レオネル様が責任を感じてそう仰っているだけで………」
そう言って俯く私に、ゲオルグ先輩は当たり前のように口を開いた。
「責任を感じるのは当然だろう。
どんな理由であれ、女性の大切なものを碌に合意もなく奪ったのだから。
責任を取って婚姻するというレオネル様のご意見は、至極真っ当に思えるが?
君はそれが不満なのか?」
ゲオルグ先輩の言葉に胸がドキッと跳ね上がった。
「……そんな、不満だなどと……。
私はただ、申し訳なくて……」
何だか言葉がうまく出てこない。
喉に何かが引っかかっているような、嫌な違和感を感じていた。
「ゲオルグ先輩は、その、同じ状況であれば、そうしますか?
例えば、他に想う相手がいても、そうしますか?」
自分でも、よく分からない事を聞いている自覚はある。
ただずっと1人で悶々と悩んできたので、誰かの意見が聞きたくて仕方なかったのかもしれない。
「そうだな、俺でもそうする。
幸い、想う相手も居ないしな」
キッパリとそう言うゲオルグ先輩に、私は少し不安げに聞いた。
「では、その相手が自分の理想の相手とは真逆のような女性でも?」
愚にもつかない私の質問にも、ゲオルグ先輩は真剣に考えてくれて、真っ直ぐに答えてくれた。
「それでも責任を取るな。
婚姻した後にお互いを分かり合い、相手を尊重出来る関係になれば良い」
ゲオルグ先輩の言葉が、何故かチクチクと胸に突き刺さる。
きっと真っ直ぐなその瞳のせいだと思った。
「………殿方の考えとは、そういうものなんですね………」
何だか妙に寂しさに襲われ、小さな声で呟くようにそう言う私に、ゲオルグ先輩はまた首を捻った。
「女性は違うのか?」
そのゲオルグ先輩の言葉に、何故か心が悲鳴を上げそうになり、私はハッとして、誤魔化すようにゲオルグ先輩に笑いかけた。
「と、ところで、ゲオルグ先輩の理想の女性って、どんな方ですか?」
話を変える為につい聞いてしまったが、全く興味が無い訳ではなく、私はゲオルグ先輩の返答をちょっとワクワクしながら待った。
ゲオルグ先輩は顎を掴んで考え込んだ後、慎重に口を開いた。
「……そうだな、正直そんな事を考えた事もないので、上手く答えられるか分からないが……。
ふむ、強い女性が好ましいな。
出来れば、ドラゴンを単独で討伐出来るくらい」
ゲオルグ先輩の答えに、私はハッ?と固まってしまった。
「それから、芯が強く、自分をしっかり持っている女性が好ましい。
何事にも真っ直ぐでいつも一生懸命。
言葉は砕けているくらいが良いな。
ご令嬢方のあの話し方は、正直何を言っているのか分からない時がある。
なんなら、男のように荒っぽい喋り方でも構わない。
竹を割ったような性格で、男勝り、武にも優れていて、刀を持たせると夜叉のように美しいような女性……と、こんなところか?」
割と具体的に教えて頂き、私はグルグルと目を回した……。
ゲオルグ先輩、その理想の女性って……。
ポンっと頭の中にシシリア様が思い浮かび、私は恐る恐るゲオルグ先輩を見つめた。
「……あの、ゲオルグ先輩、その理想の女性って………シシ」
「あっ、そうだ、背は高い方が良い」
……シシリア様ですよね?それって……。
ワナワナと震える私をキョトンと見つめるゲオルグ先輩に、私はもうそれ以上何も言えなかった。
本人に自覚が無いようだし、私が差し出口するのは違うわよね………。
これだけ細かく理想の女性について語れるのは、ある1人の女性について語っているだけだからだと、ゲオルグ先輩は気が付いていない様子だった。
それにしても、よりにもよってシシリア様だなんて……。
申し訳無いけれど、ゲオルグ先輩はこのままシシリア様への思いを自覚しない方が良いように思える………。
なにせシシリア様には、彼の方がいらっしゃるのだから……。
私は内心、深い溜息をついた。
そして軽い気持ちで人の理想の異性は聞くものじゃないと、新しく学んだ。
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