episode.9

「レオネル様を獣だなんて、私どうにかしていたわ……」


私は両手で頬を包み、ポッと頬を染めた。

今朝は、一晩かけて抱き潰され気を失ったように眠る私を起こさないように、レオネル様は既にお出掛けになっていた。

気付かない内に清浄魔法と回復魔法もかけて頂いていて、昨晩の乱れや疲れは残っていない。

けれど、記憶は残っている。


所々飛んでしまっている箇所もあるけれど、はしたなくもレオネル様に縋る自分の記憶が蘇り、朝から羞恥に一通り身悶え、マーサ達に手伝ってもらい支度を終えて朝食を取りながら、ポツリと独り言を呟いていた。


「どうか致しましたか?リゼお嬢様」


食後のお茶の用意をしていたマーサに問われて、私は慌てて首を振った。


「いえ、何でもないの……あっ、そう、このドレス。

昨日の物もだけど、一体どなたのドレスかしら?

宝石なんかもお借りしてしまって、申し訳なくて……」


話題を変える為に咄嗟に口にした事だけど、実際ずっと気になっていた。

この部屋のクローゼット一杯のドレス。

勝手にお借りしているけれど、本当に良いのかしら?

シシリア様の所有物なのでは?

でも、シシリア様の物にしては胸元がスレンダー過ぎるのが不思議なのよね。


謎に包まれたドレスの正体に首を傾げていると、マーサがサラッと信じられない事を言った。


「それは全て、元々リゼお嬢様の物です。

レオネル様とシシリアお嬢様が協力して、リゼお嬢様に贈る為揃えた物ですから。

それを私が包装を解いて、こちらのお部屋のクローゼットに収納致しました。

あのような沢山の贈り物を一度に贈られても、リゼお嬢様がお困りになるだけですし、どうせこのお部屋は後々リゼお嬢様がお使いになるのですから。

こちらにあった方が利便性が高いかと、私の判断でそう致しました」


マーサの言葉に私はあんぐり口を開いて、驚いたまま固まってしまった。

理解が追いつかない。

アレが全て私の物?

レオネル様とシシリア様が私の為に……?

一体、なぜ?

そしてもっと分からないのは、この部屋が後々私の部屋になるという、マーサの言葉。


確かに、あの量の贈り物を一度にされては私も困ってしまっていたわ。

我が家はそれなりに広い邸だけれど、貧困ゆえ使用人もおらず、手入れがされていない部屋ばかりで、あんなに贈られても仕舞う場所がない。

ここまでのマーサの判断は非常に有難いのだけど、それでどうしてこの部屋に私への贈り物を………?


そこまで考えて、私はハッとした。

シシリア様の側近として、よりお側でお力添えが出来るよう、この邸に私を住まわせて下さるつもりだったのかしら?

いえ、待って。

だけど、だったら何故この部屋を私にお与えになろうとしていたのかしら?

シシリア様の側近としてだとしたら、シシリア様のお部屋の近くに部屋を賜るのが通常よね?

どうしてレオネル様の続き部屋である、この部屋を?


グルグルと考え込み、答えが見つからず頭から湯気を立てる私を、マーサがクスクスと笑いながら見ていた。


「リゼお嬢様はマリーベルお嬢様と一緒に、時々この邸に訪問されていましたわね?」


マーサの言葉に、考え過ぎてついに頭を下げて抱えてしまっていた私は、パッと顔を上げた。

マリーベルというのは、私の親友のマリーベル・デオール伯爵令嬢の事で、彼女はシシリア様の母方の従姉妹でもあった。

その縁で、私が学園に入学して生徒会に入りシシリア様の側近になる前から、時々こちらの邸に何度かお邪魔した事がある。

シシリア様とマリーと3人で、ささやかなお茶会を楽しんだ。


「えっ?ええ、そうね。

時々マリーに連れて来て貰っていたわ」


小首を傾げる私に、マーサは穏やかに微笑んだ。


「私はあの頃から、清廉としたリゼお嬢様の雰囲気は大変好ましいと思っていました。

うちのお坊ちゃまにお似合いだと、勝手にそう思っていたのです。

ですから、今こうしてリゼお嬢様がこのお部屋をお使いになって下さっている事が心から嬉しいのですよ」


ニコニコと微笑まれて、私は後ろめたさに思わず胸の前で服を掴んだ。


「……あの、マーサ……私は、もう、傷モノですから………」


マーサがそんな風に、私の事を思っていてくれた事は素直に嬉しい。

だけど私は、教会に正式に宣誓書を提出した婚約を破棄した、傷モノ令嬢。

どんな理由があれ、その事実は変わらない。

それに、それが無くとも元々私は伯爵家とは名ばかりの貧乏貴族。

お互いの家の利益を考え政略的な婚姻を結ぶ事が当たり前のこの貴族社会で、アロンテン公爵家にとって何の利も無い我が家が、レオネル様の婚姻相手として選ばれる訳が無い。


時々招かれたこのお邸で、たまに見かけるレオネル様を勝手にお慕いしてはいたけど、それは憧れに近いもので、畏れ多くもレオネル様に自分が選ばれたいだなどと、考えた事は一度も無かった。


下を向いてマーサから目を逸らす私に、マーサの暖かい声が聞こえる。


「いいえ、このお邸の誰も、リゼお嬢様を傷モノだなどと思っている人間はおりません。

レオネルお坊ちゃまも、シシリアお嬢様も、絶対にそんな事、お許しになりませんから。

主人の考えが使用人皆の考え。

社交界だなどと無責任な場所でのお話はどうでも良いのです。

我が邸は、王家に次ぐ位を持つアロンテン公爵家ですよ?

そのアロンテン公爵家が、リゼお嬢様を傷モノだなどとは認めていないのです。

ですからリゼお嬢様も、ご自身を傷モノだと称するのはもうおやめ下さい。

レオネルお坊ちゃまもシシリアお嬢様も、悲しまれてしまいますよ」


包み込むようなマーサの暖かい言葉に、私は涙ぐみながら顔を上げた。


「……ありがとう、マーサ……」


少し涙声になった私に、マーサは微笑みながら温かいお茶を差し出してくれる。

それを受け取り、一口含むと、胸の中がじんわり暖かくなって、自然と笑みが溢れた。


そうだわ、私はシシリア様の側近だもの。

傷モノだなどと自分を卑下していては、あの高貴な方の横には立てなくなる。

いつでも胸を張って、あの方の横に立てるように、私はもう自分を傷モノだなどと口にしたりしないわ。

誰よりもまず、私自身が自分を認めていないと、真っ直ぐ顔を上げて歩けないもの。


それを気付かせてくれたマーサに、感謝の気持ちを込めて微笑んだ。

マーサも穏やかに微笑み返してくれて、優しい時間が流れる。


「マーサはレオネル様の事、お坊ちゃまと呼んでいるのね」


私がクスリと笑うと、マーサは自分の口に手をやり、困ったように眉を下げた。


「あらあら、私ったら、またそのようにお呼びしていましたか?

つい昔の癖で。レオネル様には、もう良い年なのだから、その呼び方は適切では無い、なんて注意されますのよ。

ですけどどうしても、なかなか治らないんです。

私から見たら、レオネル様もシシリアお嬢様も、幼い頃のまま、可愛い私のお坊ちゃまにお嬢様ですから」


お茶目に片目を瞑るマーサに、私はクスクスと笑った。

お二人を可愛い子供のように話すマーサが、不思議で楽しかった。


この優しい空間に、少しでも長く留まっていたいと、畏れ多い欲を感じるくらいに………。







やはりその日もレオネル様は夕飯の時間を過ぎても帰らなかった。


「それにしても………」


私は部屋の扉を眺めながら、フゥッと小さな溜息をつく。


「こんなに何もせず過ごしていたら、身体が鈍らないかしら………」


家計の為、フリーハンターとして働く私にとって、それは死活問題なのだけど、それも今となっては前ほど必要がなくなるかもしれない。

私の働き方は元々、パーティの後方支援。

同じくシシリア様の側近である、ゲオルグ先輩、エリク先輩、エリー先輩、そして同学年のユラン君とパーティを組み、魔獣討伐の依頼を帝国にあるギルドから依頼され、討伐報酬を頂いていた。

ゲオルグ先輩とユラン君は私と同じく伯爵家の子息で、それもちゃんとした伯爵家なので、魔獣討伐は単純にシシリア様の側近として強くある為の鍛錬に過ぎない。

エリク、エリー先輩も、日頃はシシリア様の従者と侍女として、お邸に住み込みで働いているし、アロンテン公爵家の家族同等の扱いだから、ゲオルグ先輩と共に、私とユラン君のお守りとしてパーティに参加してくれているだけで、純粋に報酬目当てなのは私1人。


私だってもちろん、シシリア様のお役に立つ為強くなりたいと、鍛錬として討伐に参加しているけど、実際にそこで発生する報酬が激貧な我が家を救ってくれた事もまた事実。

お陰で邸の修繕も少し出来たし、食事も華やかになった。


だけど、今回のエドワルドとの婚約破棄が成立した後、シシリア様達が国政議会に我が家へのゴルタール公爵家の不当な扱いを議題に挙げ、ゴルタール公爵を糾弾して下さった。

お陰でゴルタール公爵は我が家への干渉を禁じられ、もう関わってはこれない。

代わりに、王家でエリクサーの材料を用意してくれる事になり、我が家は当面の間、王家の保護下に置かれる事になった。

ゴルタール公爵家に搾取されてきたポーションの代金は、代を遡ってまで正しい金額で支払われる事となり、急に舞い込んできた大金に我が家では女性陣が咽び泣いていた。


エリクサー研究しか頭に無いお父様達は、材料が再び手に入る事に狂喜乱舞しているし、スカイヴォード家はちょっと異様な雰囲気を醸し出している。


私も邸の事は気にせず、好きな事をしなさいと言われたので、官吏になるべく学業に専念するつもりでいた。

なのでこれからは討伐依頼は皆んなと相談して控えめにしようかな、と思っていたところで。

とはいえ、鍛錬は続けたいと思っている。

出来ればこの邸に滞在中も、鍛錬上の隅っこでもいいから貸して頂ければ……なんて思っているのだけど、何故かこの部屋の扉、私では開けられないのよね。


マーサ達は普通に出入りしているから、多分出入に許可の要る結界が張ってあるのだと思う。

私は大罪人エドワルドを直近で目撃した証言者だから、証人保護の意味でもこの部屋以外は出入り出来ないようにしてあるのだろう。

やはり今狙われるとしたら、この私が1番可能性が高い。


なのでなるべく大人しくはしているけれど、まだ2日目だと言うのに、既に身体が鈍ってきたような………。

こんな風に何もせずにいる事が初めてだからね。

今日も特にすることも無く一日を過ごしてしまった。

いつもは出来ない読書をゆっくり出来たのは嬉しいけれど、本当にこんなに優雅で良いのかしら。

レオネル様のお考えに間違いは無いのだろうけれど、流石に何だか申し訳無くなってくる。

何に?と聞かれても困るのだけど。


「貧乏性なのよねぇ………」


つい呟いて、私はハッとした。

嫌だわ、独り言が増えてるような………?

レオネル様にお会い出来たら、少し行動範囲を広げて頂けるように頼んでみよう。


………それと、他にも気になる事が………。

それは、昨夜レオネル様が私をお抱きになった事。

あれは、何故だったのかしら………。


レオネル様は私が〝悍ましく〟〝辛い〟行為だったと言った事を気にしてらした。

あれは、獣化した悍ましい私とレオネル様を交わらせてしまった事が辛かった、という意味で言ったのだけど、正しく伝わっていなかったのね。

レオネル様は、私がレオネル様との〝行為〟が悍ましくて辛かったと言ったのだと、勘違いされたのだわ。


まさかそんな訳ある筈もないのに。

あれはそもそも人命救助だったし、あのままでは私が命を落とすまで、そんなに時間が無かった。

だからレオネル様が早急に事を運んでくださったのに、それが辛いだなんで思う筈ないわ。

私は淫獣の呪いのせいで、その……すごく……あの………は、発情していたから……正直、き、気持ちよかった、と言いますか、その、決して辛いだなんて事は、全く無く………。


ハッ、だから、そうじゃ無くてっ!

レオネル様を勘違いさせてしまった事が問題な訳で。

きっとレオネル様のプライドを傷つけてしまったのよね。

だからあんな風に、やり直しを要求されたのだわ。

だから、ちゃんと勘違いだと分かって頂いて、安心して頂く事が1番だと思うの。


レオネル様の誤解を解く事、次にお会いした時にはそれを1番に考えよう。

そう決意して1人頷いた時、続き部屋の扉がコンコンとノックされ、続いてレオネル様の声が聞こえてきた。


「リゼ、今日は髪もちゃんと乾かしてきたのだが、入っても良いか?」


レオネル様がご帰宅されていたとは知らず、私といえば、またマーサにあの独特の寝着を着せられていた事にハッと気付いた。

今日の物も、ヒラヒラにスケスケ………。

百歩譲って、ヒラヒラは良いとして、何故スケスケなのかしら………。


なんて思っているうちに、扉がガチャッと開いた。


「あっ、待って下さい、あのっ、私っ、今ちょっと………」


慌てて両手で身体を隠すも、時すでに遅し……そもそも手なんかでは全て隠しきれないし………。


今日もバッチリ、レオネル様に薄い寝着姿を見られてしまい、私は涙目でレオネル様を見上げた。

レオネル様は頬を染め、そんな私をまじまじと見つめると、ツカツカとすごい速さで近寄って来て、あっという間にその胸に私を閉じ込めた。


「今夜のマーサからの贈り物も、最高に美しい」


うっとりとした表情でそう言われて、私はますます顔を赤くした。


ハッ、そうだわ。

まずはレオネル様の誤解を解こうと、さっきそう決めたばかりなのに。

私は慌ててレオネル様を見上げ、真っ直ぐに見つめる。

だけど、その魅惑的な金の瞳が情欲に濡れている事に気が付き、一気に頭が沸騰してしまい、真っ白になってしまった。


「あ、あの、私、レオネル様にお伝えしなければいけない事が……。

あの、わ、私、とっても、良いと思いますっ!

レオネル様の、あの、夜の、営みと言いますか、そのっ、す、素敵ですっ!

ですからっ、辛いだなどとは、思っておらず……むしろ、その、こ、心地よくて、へ、変になりそうになるくらいで………」


私は、何を言っているのっ!

違うわっ!

そういう事を言いたい訳じゃないのにっ!


焦れば焦るほど、口から明後日な言葉が出てきてしまい、目をグルグル回してフラフラする私を、レオネル様がグイッと強く抱きしめた。


「……そうか、リゼは俺との行為を楽しんでくれているのだな……。

それは、良かった……今夜はもっと楽しませてあげよう……」


ゾクリとする程艶やかな声色。

獣のように激しく私を求める時だけ、レオネル様は一人称が〝俺〟になる………。

それに気付いた私は、恐る恐る顔を上げ、レオネル様を見上げた。


獲物を狙う猛禽類のような鋭い眼差しと目が合い、私は自分の失態にやっと気付いた。




そういえば、身体が鈍るだなんて、あり得ない事だったわ………。

ある意味、これも鍛錬だと思えば………。




無理っ!

私には、無理ですっ!

そんな風には、思えませんっ!


ギラギラと煌めくレオネル様の瞳の奥に、怯え切った私の顔が写っていた………。



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