episode.6

結論から言うと、私が話したあのステファニー様は、他の人間が化けた偽物だった。

本物のステファニー様は領地でご療養中で、王都にも居なかった。


あのステファニー様は、シシリア様と因縁浅からぬニーナ・マイヤー男爵令嬢が、スキルと呼ばれる力を使い、ステファニー様に成りすましていた姿だった。


私はまんまと騙され、グェンナ商会の息子、エドワルドと婚約してしまったのだ。


ゴルタール公爵家は、建国当時より数々の不法な資金源を有し、自ら貴族派という派閥を作り、王家と敵対してきた。

非人道的なゴルタール家と、王家と王族派貴族達は長く敵対してきたそうだ。

資金力を盾に貴族派貴族を増やしてきたゴルタール家は、王国の裏側で傍若無人に悪の限りを尽くしてきたけれど、それも今、終焉を迎えようとしている。


王太子殿下率いる、レオネル様やシシリア様、それに第二王子殿下にその側近の皆様が、着々とゴルタール公爵の力を削いでいき、その資金源を潰してきたお陰で、今やゴルタール公爵家は風前の灯火。

貴族派の貴族達も、ゴルタール公爵に加担した数々の罪で断罪されていき、そうでない者は公爵から離れて行った。

あれほどの勢力を誇っていた貴族派も、今や見る影も無くなっている。


断崖に追い込まれたゴルタール公爵が、起死回生の一手として目をつけたのが、グェンナ商会の資金力。

元々、大陸を越えないと手に入らないエリクサーの材料を、国から大陸横断公認許可を頂いているグェンナ商会に依頼して仕入れていたゴルタール公爵は、それ以上の関係になろうとグェンナ商会の息子と私の縁談を思いついたのだった。

爵位を欲していたエドワルドはゴルタール公爵の話に飛び付き、公爵家の資金源になる為、様々な悪事に手を染めていった。


大陸を越え、東大陸の国々から盗難された美術品を不法に買い漁りお金に換えようとしたり、武器を密輸入し、我が国を狙う北の大国に流したり、と。

私が婚約したエドワルドは、国を危険に晒した大罪人として、今は国から追われる身。


私とエドワルドの婚約を破棄にする為、シシリア様達はエドワルドの父親であるグェンナ商会主を捕らえ、両家の当主の署名を揃えた婚約破棄申請を教会に提出してくれた。


お陰で私はエドワルドとの婚約を破棄に出来たけれど、宣誓書まで提出した婚約を破棄にした私は、貴族社会では傷モノと扱われてしまう。

今後縁談などは2度と来ないだろう私に、シシリア様は、同じ側近としてシシリア様に仕える、ゲオルグ・オルウェイ伯爵令息との婚約を用意しようとしていてくれたけれど、私は畏れ多くもそのお話を断った。


エドワルドとの婚約を破棄し、傷モノ令嬢となった事で、何かが私の中で吹っ切れたのだ。

貴族令嬢、年頃、結婚適齢期、後継ぎ、そんなものから解放されたような気がした。

元々私にはそれまで縁談などきた事が無いし、実力主義である我が家門では、現当主である父に次いで錬金術の才能がある従兄弟が伯爵位を継ぐ事に決まっている。

官吏になれば寮に入れるし、私が邸から出れば従兄弟にも迷惑は掛からない。


考えれば考えるほど、私がどうしても婚姻しなければならない理由など見つからなかった。

確かに、官吏になると家庭を持っていない者は半端者と呼ばれ、出世が遠のく。

しかしそれは、まだまだ男性社会である官吏の職場で、男は所帯を持ってこそ一人前だという考えが、そのまま出世云々に影響しているからだと思う。

私は男も女も、未婚も既婚も関係なく、官吏の世界で活躍してやる。

そう決めたから。


その結論に至ってからは、随分気持ちが軽くなったように思える。

貴族令嬢だからそれなりの男性と婚姻し、子供を産まなければいけない、そんな目に見えない慣習に勝手に囚われていた頃は、将来の婚姻生活を考えると重苦しく辛かったけれど、奇しくも傷モノ令嬢となり、縁談など絶対に来ない身になってみれば、これほどの開放感を味わえるだなんて。

普通の令嬢ではなくなったからこそ、官吏という、令嬢としては普通では無い道を堂々と歩ける。


皆様に大変にご迷惑を掛けてしまったエドワルドとの婚約騒動だったけれど、それで自分の進むべき道が見えたのだから、人生は何がどうなるか分からないものだと思う。





私の婚約破棄が教会により許可された後も、依然エドワルドは見つからないままだった。

エドワルドは見つかり次第、先に捕縛されたグェンナ商会主と共に、極刑に処される事が決まっている。

他国からの密輸入に、武器の不法な輸出。

エドワルドは、この国では内乱罪と同等に罪の重い、外患誘致罪を犯した。

その罪により、父親と共に極刑に処される。

その罪から今だ逃れ続けているエドワルド。

兵士や騎士が総出で捜索しているけれど、エドワルドを捕まえる事がどうしても出来ない状態だった………。




そんなある日、夕飯の買い物に出ていた私は、路地裏から伸びてきた手に捕らわれ、人気のない場所に引き摺り込まれてしまった。

気を抜いていた私が悪かったのだけれど、ここは貴族街で、まさか拐かしに遭うとは思っていなかった。

ズルズルと引き摺られて行った先で、私を捕らえた手を払いのけると、そこにはエドワルドの姿があった。

目を見開き驚愕する私。

思えば、この時に逃げておけば良かったのに、私は愚かにもそうしなかった。


師匠の修行の下、フリーハンターとしてC級B級の討伐依頼なら難なくこなせるようになっていた事が、私の慢心を生んだ。

何かあれば、エドワルド如きなんとでも出来る、とそう思ってしまったからこそ、私は逃げなかったのだと思う。


目の前のエドワルドは逃亡生活の為薄汚れていて、頬は痩け、顔色は悪いのに、目だけは異様にギラついていた。


「ご機嫌よう、エドワルドさん」


内心の動揺を悟られないようにいつものように淡々と話しかけると、エドワルドは顔を真っ赤にして、怒りにその顔を歪めた。


「〝様〟だろっ!エドワルド〝様〟だっ!

僕はお前の婚約者だっ!お前もそう呼んでいただろっ!」


激昂するエドワルドは、どう見ても正常では無かった。

口から泡を吹いて私を怒鳴りつけるエドワルドに、私はゴクリと唾を飲み込んだ。


「貴方は〝元〟婚約者です。

私達の婚約は、両家の承諾の元教会にて正式に破棄されました。

ですからもう貴方を〝様〟とお付けして私が呼ぶ理由がありません」


事実のみを伝えたのだけれど、エドワルドは真っ青になった後、ブルブルと震え出した。


「なっ、なんでだよっ!ゴルタール公爵は教会に宣誓書を出せば何があっても破棄にはならないと言ったぞっ!

おまっ、お前っ!嘘をつくなっ!」


私を指差しブルブルと震えるエドワルド。

やはり先程から様子が普通ではない。

そろそろ捕縛した方がいいわ……。

そっと魔法を発動させようとしたその時、エドワルドが懐から取り出した何かを私に投げ付けた。


しまっーーーーーーーー。


そう思った時には私は黒い靄に襲われ、その靄が口や鼻から体内に侵入してきた。

目の前がグワングワンと揺れ、まるで地面が揺れているような錯覚に襲われた私は立っている事が出来ず、その場に力無くへたり込んでしまった。


「………まぁ、いい。

そんな事はもう関係無い。

貧乏伯爵家の娘のくせに、一丁前に貴族令嬢ぶって、お高くとまりやがって。

あーじゃないこーじゃないと煩い小言ばかり。

そのくせ指一本触れさせないなんてな。

つまんねー女と婚約しちまったと思ったが、伯爵家と縁続きになる為に我慢してやってたんだよっ!」


グラグラと脳が揺れて、目の前が霞む。

エドワルドの狂気に歪んだ笑みが、気持ち悪く纏わりついてくるようで、吐き気に襲われた。


「………貴方……私に、何を………」


絞り出すようにやっとそう言うと、エドワルドは下卑た笑いを浮かべ、勝ち誇ったように両手を広げた。


「それはな、家が扱っていた古代魔具の一つだよ。

〝淫獣の呪い〟を相手にかける事が出来る。

呪いをかけられた者は獣みたいにサカって、男を欲しがるようになるらしいぜっ!

楽しみだなぁ、お高くとまってたお前が、涎を垂らして俺を欲しがるようになるんだからよっ!

その呪いを解けなきゃ、お前は獣の姿になって、人としての自我も失うらしいぜっ!」


アーハッハッハッハッハッハッ!と楽しげに笑うエドワルドに、私は奥歯を噛み締めた。

情けない、まんまと相手の思う壺に嵌るだなんて。


「ウォータショックッ!」


私はエドワルドに向かって片手を広げ、水属性魔法の単純攻撃を放った。

人相手に強力な魔法は使えないので、身体が動かなくなる程度の魔法を放つ………。


「………えっ?」


だがしかし、魔法は発動されなかった。

頭の中が混乱する私に、エドワルドがニヤニヤと笑う。


「そういや、高位貴族には魔力があるんだったな。

今のは何だ?僕を攻撃しようとしたのか?

残念だったな、古代魔具で呪いをかけられた人間は、魔法が使えなくなんだぜ?

賢いのは見せかけだけで、お前何にも知らないんだなっ!」


再び不快な笑い声を上げるエドワルド。

そもそも古代魔具とは北の大国からしか出土されない、謎の魔道具。

そんな物を取り扱っていたグェンナ商会は、暗に北との繋がりがあると言っているようなものなのに。

それを偉そうに公言するエドワルドに、私はつい呆れた眼差しを送ってしまった。

その私の目に気付いたエドワルドは、カッと顔を赤くして、私を睨み付けた。


「何だっ!その目はっ!偉そうにしていられるのも今のうちだからなっ!

お前はすぐに………」


エドワルドの言葉が終わらない内に、ドクンッと心臓が大きく飛び跳ね、私は思わず胸を押さえた。


「っと、言ってる側から始まったみたいだな」


ヘッヘッヘッといやらしく笑い、舌なめずりするエドワルドに、私はゾッと背筋を凍らせた……。


身体がどんどんと熱くなっていき、息苦しさにハッハッと短い息を吐く私を、優越感に浸った表情で見下ろし、エドワルドはゆっくりと近付いてきた。

そのエドワルドから逃げようとするも、身体に力が入らず、私はズリズリと這いずるように後ずさるしかない。


「いいザマだな、お貴族さんよぉ。

すぐにお前の方から僕のを咥えさせてくれとねだるようになるんだぜ。

いいか?その呪いを解く方法は一つ。

男を咥え込んで、子種を注いで貰うしかないんだよ。

それが出来なきゃ、本物の獣になるだけだ。

まぁ、サカってサカって我慢出来なくなるだろうけどな。

良いんだぜ?僕の子種を注いでやっても。

そうすれば、お前はもう僕の奴隷だからな。

呪いが解けても、そんな身体じゃどこにもいけやしないだろ?

お前は僕の物になるしかなくなる。

そうしたら、僕は罪から解放されるんだっ!

なんてったって、伯爵令嬢をモノにしたんだからな。

貴族はスキャンダルを隠蔽したがるもんだろ?

僕の罪も隠蔽して、全て無かった事に出来るんだっ!」


…………狂っている。

自分の罪が、醜聞程度だと、本気で信じているのかしら?

あり得ない妄執に囚われているエドワルドは、本気で私をここで穢す気なんだわ。


いけない、逃げなきゃ。

ズリズリと身体を引き摺りながら、エドワルドから距離を取ろうとする私を、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべ、エドワルドは揶揄うようにゆっくりと追い詰めていく。


ハァハァと息が上がり、身体がどんどんと熱くなる。

エドワルドの言うように、盛りのついた獣のように身体が何かを求めているのが分かる。


イヤっ!

こんな所で、こんな奴に犯されるだなんて………。


見せたくも無い涙が目尻に浮かんできた時に、私に追いついたエドワルドがドレスの胸倉を掴み、ビリビリビリィッと引き裂いた。

声も出せず震える私に、エドワルドはグイッと顔を近付け、ニタァッと醜く笑った。


「ほぅら、捕まえたっ」


その時、私はエドワルドの顎めがけて掌打を繰り出した。

掌の手首に近い付け根の堅い部分で、顎から脳を撃ち抜くようなイメージで打撃する。

掌底打ちと呼ばれる、拳を使わない打撃技だった。

魔法以外にも、シシリア様から護身術を習うように言われている。

魔獣討伐にも行くので、体術はそれなりに使えるようになっていた。


私の攻撃でエドワルドは脳しんとうを起こしたようだった。

グワングワンと揺れながら後ろに倒れた隙を見て、私は身体の力を振り絞り立ち上がると、何とか走り出した。


このままでは、街中で獣の姿になってしまうかもしれない。

そうなったら、もしかしたら人を襲ってしまうかも。

それが怖くて私は必死に走った。



走って走って、無我夢中で走って………。

気がついた時、私はアロンテン公爵家の邸の前に来ていた。

あの時はまだ、自分がどれくらい獣化が進んでいたのか分からなかったけれど、理性より本能が勝る程、獣化は進んでいたのかもしれない。


無意識にレオネル様を求め、あそこまで辿り着いたのだと、今なら分かる。

そのせいでレオネル様を獣と交わらせてしまう、最悪の結果になってしまった………。




無事に月のものが来たら、早々に邸から出て行こう。

もしも孕っていたなら、生まれた子をアロンテン家に託し、私は遠くに旅立とう。

私のような者が母だと、その子に知られない程、遠くへ………。




窓から入ってくる風がカーテンをそよそよと揺らしている。

その様子が、まるでドレスでダンスを踊っているようで、私は知らずに口元に笑みを浮かべた。


………ドレスと言えば。

私の着ていた、エドワルドに引き裂かれたドレスについて、レオネル様に確認された時、最新のエドワルド目撃情報として、全てお話したけれど………。


あの時のレオネル様は、少し様子がおかしかったような………。

元々白く美しい肌を、青白くさせて額に青筋を立てていらっしゃったわ。

静かにだけど、物凄く怒ってらっしゃる事が伝わってきて、震えが止まらなかった………。

何をそんなに怒ってらっしゃったのかしら……? 


ハッ!そうだわっ!

そう言えばあのドレスは、以前シシリア様から、もう着ないからとお譲り頂いたドレスじゃないっ!

普段着は1着のドレスと制服を交互に着ています、というお話をしたものだから、数日後に沢山のドレスをお譲り頂いたのよね。

シシリア様が着ていたにしては、胸の辺りなどがスマートで、何故か最初から私にピッタリだった事が不思議だったけど……。


エドワルドに引き裂かれたドレスは、あの中の1着だったわっ!


私はその事を思い出し、カタカタと震えながら、口を手で押さえた。


………きっと、レオネル様は、シシリア様から頂いたドレスを駄目にした私に怒ってらっしゃったんだわ………。

何で私、それに気が付かなかったのかしらっ!


自分の察しの悪さを呪いながら、レオネル様がお戻りになったら、誠心誠意、心からの謝罪をしなければと、胸の前でギュッと両手を握り合わせた………。



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