episode.5
我が家が伯爵家なのに困窮している事には、やはり理由が存在した。
我が家の全てを掌握している、ゴルタール公爵家が全ての元凶。
この国には魔法が存在するけれど、魔力のある人間や、ましてや魔法が使える人間は限られいる。
その上、回復魔法や治癒魔法を使える人間は少数。
その為、我が家が代々国からの依頼で錬金術で精製したポーションを軍や騎士団に納めてきた。
その取り引きを全て取り仕切っているのが、ゴルタール家。
そして、ゴルタール家は我が家に支払われる筈の、国からの正当な金銭を不当に掠め取ってきたのだ、しかも先祖代々、長きにわたって。
ゴルタール家の支配に我が家が何も言えず、ただ黙って搾取され続けてきた理由は、ゴルタール家が王家に次ぐ爵位、公爵位だから………では無い………実は。
それもこれも全て、先祖代々、錬金術の研究以外には無頓着だったせい。
我が家の悲願は万能薬だと言われる奇跡の薬、エリクサーをこの世に誕生させる事。
質が良すぎて大怪我さえ治すと言われる我が家のポーションだけど、実はこのエリクサー研究の過程で生まれた副産物にしか過ぎない。
国からの依頼なのでポーション作りは通常業務としてこなしてはいるけど(売り上げは全てゴルタール家に搾取されてきた)我が家の悲願はエリクサーの錬金。
この事はゴルタール家も全面パックアップしていて、エリクサー研究に必要な材料は全て揃えて頂いていた。
もし本当にエリクサーが完成すれば、世紀の大発見となり、巨万の富を生み出すからだと思う。
しかしこの事が、我が家がゴルタール家の支配から無理に逃れようとしない最大の原因ともなっていた。
何せ我が家は、研究さえ出来れば他の事は瑣末な事と片付けてしまうような人間しかおらず………。
現状、エリクサー研究に必要な材料を揃えてくれるゴルタール家に、不満のある者がいない…………。
私以外は。
私は以前から、ゴルタール家が我が家に支払うポーションの代金がおかしいと訴えてきたけれど、誰も相手にしてくれなかった。
「ん〜〜よく分からないけど、エリクサー研究には困っていないからねぇ」
……と呑気に言ったのは、スカイヴォード家当主、スカイヴォード伯爵こと私の父……。
………本当に、我が父とはいえ、何て情けない体たらく。
しかも当主がそう言ってるしね〜〜と、家門の者まで右に倣え。
エリクサー研究以外にその優秀な頭を使わない。
大吾徹底とは良く言ったもので、父を始め、煩悩のカケラもない家門の人間のせいで、スカイヴォード家は常に極貧生活……。
その中で、ポーションの売値を気にする私は1人異端のように感じる程だった。
しかし、シシリア様に出会い、やはり異常なのはゴルタール家に黙って搾取され続ける我が家門だと改めて気付かされた。
しかも、それが先祖代々、永続的にここまできただなんて、もうゴルタール家を許せない。
シシリア様は我が事のように怒りに震えて下さり、我が家の為になるようにと、私にフリーハンターになれるような環境を与えて下さり、将来家門の為に少しでもお金を稼ぎたいと、官吏になる私の夢まで応援して下さった。
私がフリーハンターとしてお金を稼げるようになってから、我が家の生活は随分と楽になった。
それもこれも、私の主であるシシリア様のお陰。
必ず官吏になって、いつかご恩返しをしようと思っていたその矢先、あの事件が起こる。
「リゼ、大変だっ!ゴルタール家から、エリクサー研究に必要な材料の供給を取り止めると通達があったっ!」
真っ青な顔で泣きそうな父と、既に泣き出している母を前に、私はその場に固まってしまった。
「な、何故ですかっ!その為に我が家は色々な事を我慢してきていると言うのにっ!」
驚愕する私に、お父様は言いにくそうに、モゴモゴと口を開く。
「……ゴルタール家がエリクサー研究に必要な材料の仕入れに使っているグェンナ商会が、この度代替わりして新しい商会主になるらしい。
その後継ぎ、現商会主の息子の為に、貴族令嬢との婚姻を望んでいるらしく………。
それで、その、我がスカイヴォード家の令嬢であるお前との婚姻を、ゴルタール家から打診されて………。
いくら名ばかりの伯爵家とはいえ、お前を平民に嫁がせるなど出来ないと、断ったのだが……。
そうしたら、エリクサー研究の材料の供給を取り止めると言われてしまったんだよ………」
あまりの酷い話に、私は目の前がクラクラして、立っているのがやっとの状態。
………エリクサーの研究材料の為に、私を平民に嫁がせろだなんて、何て暴虐なのっ!
「私、シシリア様に相談してみます。
必ずエリクサーの材料は何とかして見せますので、少しお待ち下さい」
しかし、お父様にはそう言ったものの、その頃シシリア様はある令嬢の叙爵の為に忙しくされていて、学園にもお越しになれない状態だった。
お忙しいシシリア様のお手を煩わせるのも憚られ、どうしたらいいのかと悩んでいる間にも、研究に必要な材料が底をついていき……。
お父様や家門の皆の顔色が悪くなり、中には倒れてしまう者まで現れ始め……。
早く私が何とかしなければ、そう思っていた矢先、学園の三年生であるステファニー・ヴィ・クインタール侯爵令嬢に私は呼び出された。
人気のない校舎の裏で、ステファニー様は悠然と微笑み、ゆっくりと口を開いた。
「貴女、レオネル・フォン・アロンテン公爵令息様に、しつこく纏わりついていると聞いたのだけど、それは本当かしら?」
頭の先から爪の先まで手入れの行き届いた美しいステファニー様を前に、思わずポゥッと見惚れていた私は、言われた事が一瞬理解出来ず、ポカンとしてしまった。
「耳が聞こえないのかしら?
私は貴女とレオネル様の関係を聞いているのだけど?」
そう言われて私はハッとして、やっと慌てて顔の前で手を振った。
「そんなっ!関係だなんて、何もありませんっ!
私が妹君であるシシリア様の側近なので、少しご挨拶をさせて頂く程度ですわ」
慌てて否定すると、ステファニー様は不機嫌そうに口角をゆがめる。
「そうかしら?確かレオネル様は、第二王子殿下の生誕パーティーで、貴女をエスコートしたと聞いたのだけど?」
迫力のある美女に見下すように見つめられ、思わずたじろいでしまったが、私は何も隠す事はないと、居住まいを正し胸を張った。
「それも、シシリア様の側近ゆえのご縁です。
丁度お相手を探されていたレオネル様に、シシリア様が側近である私を紹介しただけで、それ以上の意味はありません」
私がそう答えると、ステファニー様は何故か、不愉快そうに微かに眉を寄せ、小さな声で何かを呟いた。
「……シシリアの側近、側近って、さっきからウザいわね、コイツ」
何を言ったのか分からず首を傾げる私に、ステファニー様は腕を組んで、ツンと顎を上げた。
「それで?それ以外は何にもありませんの?」
何かを誤魔化すようなステファニー様の様子を不思議に思いながら、私は素直に答える。
「パーティのエスコート役について、お互いお礼状を交わし合った後、何故かご縁が続きまして、文のやり取りをさせて頂いております」
そう答えた瞬間、ステファニー様が弾かれたように声をあげて笑い出した。
「まぁっ、文のやり取りっ!
オホホホホッ、随分と下らない事をなさっているのね。
お話にならないわ、心配して損しましたわ」
クックッと笑うステファニー様を、私は首を傾げて見つめた。
私にとっては、レオネル様との文のやり取りは下らない事なんかではない。
憧れの存在であった方と文を交わせるなど、私にとってはとても尊い経験だから。
ややしてステファニー様は笑うのをやめ、私に向かって不敵に笑った。
「貴女がもしかして分不相応な夢でもみているんじゃないかと、ご忠告に参りましたが、必要なかったかしら?
でも今後はその文のやり取りも一切おやめなさいね。
私、レオネル様に求婚され、彼と婚約する事になりましたの。
ですから今後、あの方と少しでも親しくされると迷惑ですの。
貴女のような名ばかりの貴族にあの方の側をウロつかれては迷惑ですから」
ふふんっと勝ち誇ったようなステファニー様に、私は金槌で頭を撃ち抜かれたかのような衝撃を受けた。
自分がまさか、レオネル様のお相手になどと考えた事など一度もない。
ただ憧れの対象で、遠くから見るだけで幸せだった。
そのはずだったのに。
あのパーティの後、何度も文をやり取りするうちに、遠くから眺めるだけでは知り得なかったレオネル様のお人柄に触れ、いつの間にか、私、畏れ多くもレオネル様の事を、お慕いしていたんだわ………。
自分でも気付いていなかったレオネル様への感情を、こんな状況で自覚する事になるなんて………。
今更こんな感情に気付いたところで、何の意味も無いわ。
レオネル様はステファニー様とご婚約なさったのだから。
「それから、シシリア様にご迷惑をおかけするのも、もうおやめになったら?
正直、貴女なんかがシシリア様の側近だなんて務まらないでしょう?
それに貴女のご実家ってゴルタール公爵と懇意になさっているではないですか。
なのに、ゴルタール公爵と敵対関係にあるシシリア様の側近が貴女だなんて、おかしいとは思いません?
敵対している相手の息のかかった貴女が、シシリア様の側近では、その内周りに迷惑がかかりますわよ。
そんな事もお気付きで無かったの?」
馬鹿にするように笑われて、私はカッと顔を赤くした。
その私の感情の揺らぎを待っていたかのように、ステファニー様の瞳が不思議な金色にポワッと光った………ように見えた。
その瞳と目が合った瞬間、胸の中がザワザワと騒つき始め、その不快な感覚に吐き気が込み上げてきた。
口を押さえ下を向いて地面を見つめていると、目の前がグラグラと歪んで、立っているのがやっとの状況に陥ってしまう。
………ステファニー様は、嫌な方、なのでは、ないかしら………。
私の気持ちにも気付いていて、ワザとレオネル様との婚約を見せつけに………。
私……私……ステファニー様の事が………。
その時、ハッとして正気に戻った私は、フラフラと眩暈がする頭を押さえて、ステファニー様から数歩後ずさった。
わ、私ったら、今何を考えていたのかしら……。
ゾッとして自分の身体を抱きしめ、カタカタと震えながら、ボウッとする頭をブンブンと振る。
ステファニー様の仰っている事は、全て尤もな事だわ。
公爵家と侯爵家の縁組みなどなんら不思議な事では無いし、お美しいステファニー様なら、レオネル様の隣に立っても見劣りしないもの。
名ばかりの伯爵家の、見窄らしい私とは何もかもが違うわ。
それに、ゴルタール家と切っても切れない仲のスカイヴォード家の令嬢である私がシシリア様の側近である事も、ステファニー様の仰る通り、いつか周りに迷惑をかける事になってしまう。
折を見て、側近の立場から辞するべきだわ。
………この時、冷静さを取り戻した気でいたけれど、私は全く冷静では無かった。
それ程、本当はレオネル様とステファニー様の婚約にショックを受けていたのだと、今なら分かるのに。
本当に冷静な状態であれば、目の前のステファニー様が何故、シシリア様とゴルタール公爵が敵対していると知っているのか、疑問に思った筈だ。
敵対していると言っても、シシリア様は表面上は友好的に装ってらっしゃったし、ゴルタール公爵もまさかシシリア様に敵対心を抱かれているとは思ってもいなかった筈。
それを何故、ステファニー様が知っていたのか、この時の私は思い付きもしなかった。
チッと小さな舌打ちが聞こえた気がして、私は不審に思い、顔を上げた。
だけどそこには、優雅に微笑むステファニー様がいるだけだった。
「とにかく、これ以上アロンテン家には関わらないで頂戴ね。
貴女には貴女に見合ったお相手がいらっしゃるんじゃないかしら?
その方からの求婚をお受けになれば?
婚姻でもすれば、くだらない夢も見なくてすみますわよ」
ニッコリと微笑むステファニー様に、私は改めて居住まいを正し、深く頭を下げた。
「ご忠告痛み入ります。
自分の立場を弁え、シシリア様の側近の立場から辞する事に致します。
レオネル様の事は、ステファニー様のご心配なさるような事実は一切ございませんので、ご安心下さい。
それでは私は失礼致します」
……そう言って、私は逃げるようにその場を去った。
どうしてか分からないけれど、ステファニー様が恐ろしくて仕方なかったから。
……結局私は、ゴルタール家から強引にグェンナ商会の息子と婚姻するように圧力を受けている事を、シシリア様にも誰にも相談出来なかった。
ステファニー様に言われた事が胸に突き刺さり、シシリア様にご迷惑をおかけする事が恐ろしくなったからだった。
やがて私は一つの結論に辿り着いた。
グェンナ商会からの縁談を受ければ、自分は平民の妻になる。
そうなれば、心優しいシシリア様とて、私を側近のまま側に侍らせる事は出来なくなる。
我が家もエリクサー研究を続けられるし、この方法が1番良いのだわ。
この時の私は愚かにも、自分がそう〝思い込まされた〟事に気付きもしなかった。
まるでそれしか道が無いような、追い込まれたような状態に疑問さえ浮かばなかった。
あの時少しでも違和感に気付いて、シシリア様を頼っておけば、あんな事にはならなかったのに………。
今更悔やんでも仕方の無い事だけど、何度も何度もその事を考えてしまう。
………結局私は、グェンナ商会からの縁談を受けた。
受けると決めたからには、もう逃げも隠れもしないと心に誓って。
だからこそ、ゴルタール公爵に言われるがまま、教会に提出する婚約宣誓書にもサインをした。
教会に提出する宣誓書とは、どんな物であれ容易く取り下げる事など出来ない。
その為、両家で婚約を取り決めても、婚姻が確実になるまで宣誓書を提出しないのが常だけれど、ゴルタール公爵は早く提出するように急かしてきた。
宣誓書を提出した私は、神にこの縁談を誓った事になり、一度受理されればもう、よっぽどの事がなければ破棄など出来なくなる。
そして、もしそのよっぽどの事が起きたとしても、一度受理したものは全くの白紙の状態には戻らない。
お互い、元婚約者のいた人間、特に女性の方は例え男性の方が有責であろうと、神に誓った縁談を破棄した人間、傷モノとして扱われてしまう。
正式に宣誓書を提出していない状態でも、そこまでに至らなかったのは令嬢の方に何か問題があったのだと陰口を叩かれてしまう。
それが宣誓書を交わした後に破棄となると、その令嬢に縁談の話は二度と持ち込まれない程の事態に発展する。
でも私は、それでも良かった。
一度婚約を決めたのなら、私から破棄にする事は無い。
何の問題もないと思っていた、この時は、まだ。
後にそれがどれだけ浅はかな事だったかと、私は痛感する事になる。
自分のやった事でシシリア様に余計にご迷惑をかける事になったのだと、気付くのはほんの少し後の事だった。
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