episode.4
「君はこの部屋を使ってくれ」
レオネル様に案内された部屋に、私は動揺を隠せなかった。
「あ、あの、ですがこの部屋は……」
動揺する私に、レオネル様はムスッとした様子で睨むように私を見た。
「何か異論でも?」
「あっ、いえ、承知しました」
有無を言わせぬレオネル様の態度に、私は慌てて了承する。
その部屋はレオネル様の部屋の寝室と続き部屋になっている、所謂夫婦が使う部屋だった。
どうして私にこの部屋を?
アロンテン家の邸なら、いくらでもゲストルームがある筈なのに。
レオネル様の真意が分からず首を捻る私に、レオネル様は軽い溜息と共に口を開いた。
「私はこれから宮廷に向かう。
君からのエドワルド目撃情報を元に、奴の捜索範囲を見直さなければならないからな。
奴が君にした事も皆に伝えるが、いいか?」
レオネル様の問いに頷きながら、私は少し戸惑いつつ恐る恐る口を開いた。
「あの、私に起きた事を全てお話になるのですか?」
冷や汗をかく私に、レオネル様は無表情で頷く。
「すまないが、そうなるな。
情報は正確に伝えるべきだ。
詳細は主要メンバーにしか話さないから、安心して欲しい。
皆口は固い。報告書への記載は細心の注意を払い、君の名誉は守るから安心して欲しい」
淡々とそう言われて、私は顔を赤くしながらコクコク頷く。
「お手数をおかけします………」
恥ずかしくてそれしか言えない私から、レオネル様はフイッと顔を背けた。
「うむ」
ぶっきらぼうな返事が返ってきて、怒っていらっしゃるのかとその顔を覗き見てみると、レオネル様も目の下が微かに赤く染まっていた。
そうよね、あんな事、皆様に話さなければいけないレオネル様の方が恥ずかしいわよね。
妙な空気が漂い、私がモジモジしていると、レオネル様がそんな空気を払うように咳払いをした。
「んんっ、ゴホンッ、シシリアだが、まだローズ領から戻っていない。
君はシシリアの側近だからな、1番に報告するべきなのだが………アイツに話せば直ぐに飛んで帰ってくる事が目に見えている………邪魔だな……」
「えっ?」
最後の方が呟くような小声で聴き取りづらく、思わず聞き返した私に、レオネル様は焦ったようにまた咳払いをした。
「ん、んんっ、いや、シシリアには側近である君から直接話すのが道理だ。
アイツが帰ってくるまで、私からは報告はしないでおこう」
もっともな話に私はコクンと頷いた。
「そうですね、シシリア様がお戻り次第、私から報告させて頂きます」
少し、いえ大分恥ずかしいけれど、確かに報告を怠るのは良くないわ。
私の羞恥心のせいで正確な情報を伝えないなどあり得ない。
シシリア様なら、人命救助の為の致し方ない行為だったと理解して下さる筈。
「それから、エドワルドを捕らえ、君の身の安全が確保されるまでこの邸から外出する事を禁じさせてもらう。
君は私の子を宿しているかもしれない大事な身体だ。
当然の処置だと理解して欲しい」
続くレオネル様の言葉に、私は少し衝撃を受けた。
確かに、自業自得でエドワルドにやられた私を信用出来ないのも分かるけど……。
「あの、ですが、学園での授業や生徒会の仕事もありますし」
戸惑う私にレオネル様はキッパリと首を振った。
「勉学については、信用出来る家庭教師を用意しよう。
学園へはそれで出席免除になるように掛け合うから大丈夫だ。
生徒会の仕事は、シシリアも居ない上、君まで居なくてはとてもでは無いが回らないだろうから、特別に次期生徒会候補に補佐に入ってもらう。
彼らも良い勉強になる筈だ。
どちらにしても、シシリアとキティ嬢は今年度で学園を卒業する。
候補達に実務を任せる良いタイミングだろう。
そもそも学園の理事長はエリオット様だからな、私が何とでも便宜を図らせる」
そう言って何故か拳をポキポキと鳴らすレオネル様………。
又従兄弟とはいえ、エリオット様は王太子殿下なのだけど……。
大丈夫かしら?
もう抵抗する理由も思い浮かばず、私はガクリと肩を落とした。
「分かりました、レオネル様の仰るとおりに致します」
私が了承すると、レオネル様は安心したように息を吐いた。
ご心配をお掛けしているんだわ……。
そう思うともうこれ以上、レオネル様のお考えに逆らう気には到底なれなかった。
「では、私は行ってくる」
そう言うレオネル様に、私は居住まいを正し、深々と頭を下げた。
「はい、行ってらっしゃいませ」
お見送りのご挨拶をさせて頂いたのに、何故かレオネル様はシーンとしてその場を離れない。
不思議に思って顔を上げると、レオネル様は困惑したような、残念そうな、複雑な顔で私を見ていた。
「あ、あの、どうか致しましたか?」
首を傾げると、レオネル様は少しムッとした顔で口を開いた。
「君はうちの使用人では無い。
私の将来の伴侶になる女性だ。
つまり、私達はすでに夫婦といっても過言では無いのだから、ここは夫婦としての挨拶をするべきだ」
えっ………。
ですから、それは………。
傷モノである私が、アロンテン公爵家に嫁入りなど出来ないと申し上げましたが……?
喉まで出かかった言葉を、私は一旦飲み込んだ。
これ以上、私のせいでレオネル様の出仕が遅れてはいけないわ。
「申し訳ありません、公爵家のマナーに疎く、分かりませんでした。
では、どのようにお見送り致しましたらよろしいでしょうか?」
私の問いにレオネル様は顎に手をやり、ふむと考え込んだ。
「君のご両親はどのように相手を見送るんだ?」
逆に問い返されて、私はう〜んと首を捻った。
「母も父も、相手の頬に口づけて送り出していますね」
私が答えると、レオネル様は一瞬パァッと嬉しそうな表情になった。
瞬きする間にそれは元に戻っていたので、私の見間違いだったのだろう。
「うむ、私の両親もそうだ。
つまり、世の夫婦というものは、そうやって相手を送り出すという事だな。
ならば我々もそうするべきだと思うが?」
レオネル様の返答に私は目を見開いた。
えっ、でも私達、夫婦ではありませんし……出かかった言葉は、レオネル様の謎の無言の圧力に押し込まれてしまった。
「わ、分かりました……」
本当に、いいのかしら?
胸がドキドキと早鐘を打つ。
恐る恐るレオネル様の肩に手を伸ばすと、私がやりやすいように屈んで下さった。
ここまでして頂いては、やらない訳にはいかない。
私はギュッと目を瞑り、もうどうにでもなれという気持ちで、チュッとレオネル様の頬に口づけをした。
恥ずかしさに耐えられず、直ぐに唇を離すと、真っ赤な顔を下に向けて、モジモジと小さな声で口を開いた。
「……行ってらっしゃいませ」
目を合わす事も出来ない私に、レオネル様はクスリと笑って、私の髪に口づけて優しい声で囁く。
「ああ、行ってくる。
いい子で待っていなさい、リゼ」
少し色っぽいその声に、ドキドキして顔を上げられないままの私を残し、レオネル様は部屋から出ていった。
途端に腰が抜けて、ヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
「………心臓に悪いわ」
レオネル様に口づけられたところを押さえながら、私は涙目でそう呟いた……。
レオネル様が出かけて直ぐにメイド達が押し寄せてきて、アレよアレよと着替えさせられ、上等なドレスに宝石、美しく髪も結われた私は、目をパチクリしてメイドの1人に聞いた。
「何か、パーティでもあるのですか?」
私の質問に今度はメイドが目をパチクリとさせる。
「いえ、レオネル様からリゼお嬢様はお邸からお出にならないとお聞きしておりますので、お寛ぎ頂けるように、コルセットの無いドレスに、装飾品は小ぶりの物で華奢な物にさせて頂きましたが、別の物をご用意した方が宜しかったでしょうか?」
キョトンと首を傾げるメイドに、私はカッと顔を赤くした。
我が家は貧乏だから、家で過ごす為にこのような上等なドレスは着ないし、装飾品も付けないけれど、ここは公爵家。
これが当たり前の事なのだわ。
自分の無知に恥じらう私に、1人の熟練そうなメイドが近付いてきて、そっと私を姿見の前に連れて行ってくれた。
「リゼお嬢様のようなお美しい方を着飾らせて頂く事は、我々メイドの喜びでございます。
何せうちのお嬢様ときたら、邸にいる時は男性用のブラウスにトラウザーズという出立ちで……。
お客人が来る時や出掛ける時にしかドレスをお召しになりませんもの。
どうか我々に楽しみをお与え下さいませ」
悩ましげにハァと溜息をつかれ、私はコクコクと頷いた。
「私なんかではシシリア様の代わりは務まりませんが、この邸に滞在中は、私の着る物は貴女方にお任せ致します。
どうぞよろしくお願い致します」
ペコリと頭を下げる私に、そのメイドは慌てて私を制した。
「私共はただの使用人にございます。
リゼお嬢様にそのようにご丁寧な対応をされては、逆に恐縮してしまいますから、どうぞおやめ下さい。
使用人に頭など下げてはなりません。
それから、言葉遣いも、もっと主人らしく致しましょうね」
優しく諌められて、私は頬を染めた。
貧乏貴族である我が家に、当然使用人などは居ない。
邸の事や身の回りの事は自分達でするのが当たり前の事だった。
でも、短い間でも公爵家に身を置くのだから、その品位を私も守らなければ。
私はそのメイドの手をギュッと握って、真剣に見つめ返した。
「分かりました、私が至らない時はどうか教えてちょうだいね」
その私に、メイドは暖かな微笑みを浮かべ、嬉しそうに頷いてくれた。
「やったわ、こんなにお美しいお嬢様を毎日着飾らせる事が出来るだなんて……」
「ずっと、奥様付きのメイド達が羨ましかったのよね」
「レオネル様の仰りようでは、もしかしたらずっとお世話させて頂けるかもしれないのよ」
「この日の為にレオネル様がクローゼットをパンパンにしていた甲斐があったわね」
ふふふっと飢えた様子のメイド達に怪しく微笑まれて、私は失礼にもゾッと身を震わせてしまった………。
い、一体、何のお話かしら………?
私がこのお邸にずっと居るだなんて、あり得ないのだけど………。
忠告するべきだったのかもしれないけれど、彼女達の獲物を狙うような目に萎縮してしまって、私は困惑したままカタカタと小さく震えていた………。
軽い朝食を部屋に用意してもらい、私はそれでも十分贅沢な食事を口に運びながら、ハァと溜息をついた。
昨夜から起きた事が、まだ夢のように思える。
まさか私が、レオネル様と身体を交わらせ、その子供を宿したかもしれない令嬢として、公爵邸に滞在する事になるだなんて……。
いきなりの展開に、まだ頭がついていかなかった。
それにしても………。
私は一つだけ、レオネル様に対して疑問があった。
昨夜、私の呪いの解呪をして下さる際、レオネル様は破瓜の痛みを消す魔法を使って下さった。
けれど、確かアレには避妊効果も付与出来たはずだ。
それを付与していれば、今頃私のような者を邸に止め置く必要も無かったのに………。
けれど、あの状況下で、レオネル様も焦っていらっしゃったのかもしれない。
古代魔具の呪いなど、誰も経験の無いもの。
ましてやその解呪となれば、尚更。
人命がかかっているあの状況で、いくらレオネル様とはいえミスくらいなさるわよね。
お茶を一口含み、私はフゥッと息をついた。
付与出来る避妊効果は、かけた相手が解除しない限り効果は無くならない。
相手が一夜の遊びであるなら、解除をし忘れないように、と師匠が厳しく注意している時、ゲオルグ先輩とエリク先輩ったら、ポカンとして、何も分かっていなさそうだったわ。
その時の事を思い出して、私はクスリと笑った。
そうだわ、ギルドの討伐依頼も当分受けられないのね。
邸の事に学園での勉学や生徒会の仕事、それに仲間との魔獣討伐。
毎日忙しく動き回っていた私は、今何もせずゆったりと食後のお茶を飲んでいる事が、やはり現実とは到底思えなかった。
私、リゼ・スカイヴォードは、スカイヴォード伯爵家の1人娘。
我が伯爵家は、代々錬金術の名門として爵位を守ってきた。
国へポーション(回復薬)を納める事で、何とか忠臣として仕えてきたような家門だった。
その為、家門の人間も含めて錬金術研究職の人間しかおらず、生計もその研究で得ていたのだけれど………。
残念ながら、先祖代々貧乏な家門……。
皆研究の事にしか興味が無く、高位貴族であるにも関わらず、社交界には滅多に顔を出さない。
伯爵家を維持する為の資金繰りなどにも疎く、嫁いで来た女性達が外に働きに出て何とかやり繰りをしているような、下手したら平民の中級階級の生活より貧しい状態で……。
私は本家の娘だけど、我が家門は当主は世襲制では無く実力で選ばれるので、錬金術の才能の無い私は、時期当主として既に決定している従兄弟との婚姻の話が上がっていた事もあった。
幼い頃の話だし、従兄弟が拒否した為その話は立ち消えたけれど。
これにより、本家を妻の立場で支えなくても良くなった私は、幼い頃より国の官吏を目指す為勉学に励み、王立学園に入学した。
もちろん、成績優秀者に与えられる奨学金を獲得しての入学。
全学費免除な上、返済義務は無し。
更に将来の縛りも無い。
最上位ランクの奨学金を獲得させて頂いた。
平民である一般生徒には国からの援助があるけれど、貴族生徒にはそれが勿論存在しない。
ですが、中にはかなり無理して入学する貴族もいる、私みたいな。
だいたい子爵家、男爵家の生徒がそうで、その辺の優秀な人間が困窮しないように、学園には奨学金制度がある。
……まぁ、伯爵家クラスの人間で奨学金申請をしていたのは私くらいのものでしたけど。
とにかく、ありがたい事に奨学金を頂ける事になり、私は学園に通える事になった。
生徒会にもお誘い頂き、生徒会長である、シシリア・フォン・アロンテン公爵令嬢様の側近に選ばれる事になった時は驚いたけれど、シシリア様のお側にいるようになって、我が家の生活がみるみる向上していった。
シシリア様は自分の側近である為には、師匠である赤髪の魔女様の修行を受けるようにと仰った。
……師匠の修行は想像を絶するような厳しいものだったけれど、何とか食い付いて頑張っている。
修行の一環として行われる、ギルドからの討伐依頼。
同じくシシリア様の側近仲間である、ゲオルグ先輩とユラン君とパーティを組み、レベルに合った魔獣討伐に向かうのですが……。
これが、その、大変にお金になりまして……。
お陰で邸の修繕も一部出来ましたし、食事に困る事もなくなりました。
本当にシシリア様には感謝しかございません。
そして更に、シシリア様の側にいる事で私は、我が家が何故こんなにも生活が困窮しているのか、その卑劣なカラクリに辿り着く事が出来たのです………。
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