第29話 ソラちゃんの秘密 1
ソラちゃんは大事を取って一週間ほど休むことになった。
今日も喫茶店シリウスは閑古鳥。俺一人だけの営業だが、暇なので何の問題もない。
店内に客は一人しかいなかった。カウンター席に座ったその一人だけの客のために、俺はとっておきのブレンド豆を取り出す。
ミルに入れてゆっくりと挽いていく。カリカリと豆が粉になっていく音が店内に響く。
中挽きにしたコーヒー粉をドリッパーに入れ、沸騰から少しだけ冷ましたお湯を注ぐ。最初は真ん中に、徐々に全体へ円を描くように。 粉が蒸らされて全体がふっくらしてくる。柔らかいアロマが立ち上ってくる。
ゆっくり。丁寧に。コーヒーを淹れ終えた俺は、客の前にカップを差し出した。
「お待たせ、ブレンドコーヒーだ」
「いただこう」
カウンターにいる一人きりの客――ヘンリー・キングは静かな所作でカップを持ち上げると、口をつけた。
こくり。
「……うまい」
しみじみと、ヘンリーがつぶやく。
「どうも」
「香りがいい。しっかりした苦みに、キレもある。実に、うまい」
「褒め過ぎだぜヘンリー」
「本心だ」
王都の警視総監が、こんな場末の喫茶店でうまそうにコーヒーを飲んでるなんて不思議な光景だ。
心持ち、目線の柔らかくなったヘンリーが息を吐いた。
「最近忙しくてな、ゆっくり休んでいる時間もない。今日ここでギルコーヒーを飲んで、久しぶりにリラックスできた気がするよ」
「そりゃあ、俺にも嬉しい言葉だな」
普段から超真面目で常に張り詰めた様な空気のあるヘンリーだ。彼が一杯のコーヒーで少しでもリラックスできるなら、友人として嬉しい限りである。
ゆっくりとコーヒーを味わうように口をつけ、半分ほど飲んだところで、ヘンリーがメガネを直した。
レンズの奥に冷徹な光が戻る。
「さてギル、頼まれていた件だが」
「ああ」
俺は先日、ヘンリーにソラちゃんのことを調べてほしいと依頼していた。勝手に個人情報を集めるのはいけないことだが、ソラちゃんの背中の傷が気になってどうしようもなかったのだ。
それにこの世界は日本とは違う。ロワール王国は大陸では比較的治安のいい国だが、それでも日本では考えられないような残酷な事件が起きている場所だ。凶悪な犯罪者もゴロゴロしている。
ソラちゃんが、今なんの事件に巻き込まれていないと言うならそれでいい。しかしもしも凶悪な犯罪者になにか狙われているなら、手遅れになる前に守ってやりたい。
ヘンリーが机の上に資料を広げる。
「調査の話をする前に確かめておきたいんだが……。ギル、ソラさんとは本当に偶然出会って、従業員として雇ったんだな?」
「そのとおりだが」
いやに念を押されて俺は訝しんだ。ソラちゃんとの出会いはまったくの偶然だ。なにか意図があったわけではない。
ヘンリーが小さくため息を付いてから、資料に目を落とす。
「……正直、お前にとっては辛い話になるかもしれない。心して聞いてくれ」
「何があったんだ?」
「順を追って説明する。まず、ソラさん自身についてだが、最初の調査ではまったくというほど情報が出なかった。私は驚いたよ。王都警視庁の捜査員たちは優秀だ。犯罪集団のボスならともかく王都に住む一般市民の身辺調査など造作もないと……そう思っていたんだがな」
ヘンリーが資料の紙を1枚手に取って見せる。
「最初の調査結果はこれだ。ソラ・シグナス、18歳。王都にやってきたのは1年前。現在王都西区の宿屋『カルガモ亭』に滞在中。同じく西区にある喫茶店『シリウス』にて勤務……事実上わかったのはこれだけだ」
「おいおい、そりゃあ何もわかってないのと同じじゃないか?」
「王都に来る前の経歴が一切わからなかったんだ。実家、不明。両親、不明。家族構成、不明。教育歴、不明。王都に来る前の知り合い、不明。不明、不明、不明。まるで土から突然生えてきたみたいだった」
俺は唖然とした。
ロワール王国は、日本と違って国民すべてを余さず把握しているわけではない。戸籍制度は一応あるもののまだまだ不完全だ。災害や戦争のたびに孤児や身元不明の住人が発生するし、外国からの流入もあるから身元のはっきりしない人間というのは割といる。とはいえ、そういった人物は調べればすぐに前歴ははっきりするものだ。ソラちゃんのような、突如降って湧いたような人間というのは存在しない。いや、しないはずだった。
しかしあのソラちゃんが、そんなまったくの身元不明人なんてことあり得るだろうか。
「一体どういうことだ? そんなことあるのか?」
「私も疑問に思ったよ。そこでアプローチを変えてみた。確実に王都にいるとわかっている一年前を起点に、ソラさんに似た容姿の人物情報を集めてみたんだ。すると王都西区警察署に保管されていた、ある事件記録が見つかった……」
そこで、ヘンリーは再び言い淀む。何かためらっているようだった。
「どうした?」
「今から話す事は、ソラさんとはまったく無関係かもしれない。事件記録と、それを元に私の推測を重ねた結果の報告になる。少し残酷な内容になるが……」
「俺がどれだけ修羅場をくぐっていると思ってる。話してくれ」
ヘンリーが小さくため息をついた。
「わかった。……事件があったのは1年と少し前。西区のとある裏通りを王都警察が巡回中、不審な集団を発見した。制止の声を上げて警官が駆けつけると、賊はすぐに逃走。後には背中からおびただしい血を流している若年女性が残されていた。その女性は気を失っていた。失血による気絶じゃない。強力な麻痺魔法と魔力封印がかけられていたんだ」
「なっ!」
「若年女性はすぐに保護され、最寄りの病院に運ばれ手当を受けた。事件資料によれば、青い長髪の17、8歳の少女だったという」
「……」
「目を覚ました女性は最初ひどく混乱していて、事情聴取もままなかなかった。自分の名前さえも話せなかったという。持ち物らしいものもないし、女性いわく王都に知り合いは一人もいないという。警察は当然事件の被害者として色々と援助しつつ何があったのか聞き出そうとしたんだが、背中の傷が塞がっても女性は事件について語らなかった。警察としても困ったが、犯人でもない被害者の女性をいつまでも拘束しておくわけにはいかない。警察の方でひとまず生活に必要な資金と新しい衣服を用意して、なにか思い出したら連絡するようにと帰したらしい」
「その女性が、ソラちゃんだと? たしかに容姿の特徴は一致するが、しかし……。だいたいソラちゃんがなんでそんな襲撃を受けなきゃいけないんだ」
「ここからは私の推測になる。その話をする前に、一つ」
ヘンリーはそう言って自身のアイテムボックスからなにか取り出した。それは一枚の美しい鳥の羽だった。
「この羽は事件現場から一枚だけ回収されたものだ。事件の証拠として警視庁に保管されていた。手にとって見てみてくれ」
受け取ってみると、それは俺が今まで見てきたどんな鳥よりも美しい羽だった。
深い青色は光の加減によって様々に印象を変える。磨かれたサファイアのような瑠璃色にも、冬の青空のような
この世界に来てから色んな種類の生物を魔物も含めて見てきたが、こんなに美しい羽を持つ生き物は見たことがない。
しかもこの羽は、高密度の魔力を帯びていた。明らかに普通の鳥のものじゃない。
ヘンリーに羽を返し、訊ねる。
「きれいな羽だな。なんだこれは?」
「その羽は、発見時ソラさんの背中付近に落ちていたそうだ」
「それで?」
「警視庁では最初誰もわからなかった。そこで宮廷魔術師に鑑定してもらったんだが……、『
「っ! あの伝説の!?」
ただ魔族の一種族であるハーピィや、獣人の一種族である鳥人とはまったく違う。イメージ的には天使に近い。人間より遥かに美しい容姿、長い寿命、高い魔法力を生まれながらに備え、自由に空を舞える翼を持っている。
翼を持つがゆえに普段は高山の頂上や魔法で作った天界で暮らしていると訊く。そのため地上ではめったに見ることができず、俺も遭遇したことはなかったが……。
いや待てよ。まさかこの話の流れは。
「ヘンリー、まさか……」
「ソラさんは、翼人じゃないかと私は考えている」
静かに、だが確信を持ってヘンリーは言い切った。
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