第28話 ソラちゃん、風邪をひく
「今日は遅いなソラちゃん」
その日、開店時間を過ぎても店員のソラちゃんが来なかった。
まだ連絡はないが、どう考えても不可抗力による遅刻か欠勤だ。サボりや出勤日を間違えているとかは絶対ない。ソラちゃんは本当に真面目ないい店員なのだ。この一年以上欠かさず出勤時間に来てくれている。何の連絡もなくいきなり休むことは考えられない。
何かあったかな……? と心配になる。柄にもなくそわそわする。一応彼女の滞在している宿の住所は控えているが、様子を見に行ったほうがいいだろうか。ただの勤務先の店長が、おせっかいだろうか?
そんな事を考えていると、カランコロンと入口のベルが鳴った。
「いらっしゃ――ソラちゃん!?」
「ます、たー……、すみません、遅れました……」
入口にはソラちゃんが立っていた。しかし明らかに具合が悪そうだ。顔は赤いし目が腫れぼったい。おまけに歩く姿がふらついている。
「すぐ……着替えて……来ますから……っ、コホッ、コホッ」
「おいおいそんな咳までして無理するな」
慌てて俺はカウンターから出てソラちゃんの体を支える。すごい熱だ。ソラちゃんもつらいのか、俺がそばに寄った途端ぐったりと身をもたれさせてきた。
「アツっ! こりゃひどい。ソラちゃんこんな熱のある身体でここまで歩いてきたのか? 無理しすぎだぜ」
「だ、大丈夫です。働けます」
「いーやだめだ。今すぐ帰って治るまで休みなさい。俺が宿まで送ろう。店のことは心配しなくていい」
「そ、そんな……ちょっと風邪ひいただけですから、大丈夫ですって」
「ダメだ、今日は休め。店長命令だ」
ソラちゃんをいったんソファーに寝かせると、店の外へ出て辻馬車を呼ぶ。幸いすぐに空の辻馬車が見つかり、俺は店からソラちゃんを抱えて一緒に乗り込んだ。
「『カルガモ亭』へ行ってくれ」
「はいよ」
「悪いがなるべく静かに走らせてくれ」
「合点だ」
御者にソラちゃんの泊まっている宿の名前を告げて、一緒に馬車に揺られる。向かいの席で横になっているソラちゃんが、細く目を開けて俺を見た。
「マスター……すみません。迷惑、かけちゃって……」
「こんなこと迷惑でもなんでもないよ。むしろ問題はソラちゃんが仕事しようとしたことだ。こんな状態で働かなくていい。宿の人に言付けを頼めば店まで連絡くらいしてくれるだろう?」
「その……体調不良くらいで休んじゃいけないと、思ってしまって。お店やマスターに迷惑かけたくないし、病院は休みに行けばいいかなって……コホッ、コホッ」
俺はあきれた。日本のブラック企業で働いていた頃の俺とまったく同じだ。
病人に真剣な話をするのも酷だが、これだけは言わなければと思った。
「ソラちゃん、これだけは言っておく。働くときは何より自分の体を大事にするんだ。働いて稼ぐのは全て自分が生きるためだ。会社のため社会のためなんて考えなくていい」
「カイシャ……?」
「おっと」
うっかり前世の言葉を使ってしまった。
「お店のことだよ。迷惑なんて考えなくていい。辛いとき、病気になったときは遠慮なく休め」
「でも、休んでばっかじゃお金が……」
「何だ給料のこと心配していたのか。今日の給料はちゃんと出すよ。それに薬代や病気に必要な諸々も、俺が出す」
「ええっ!?」
つらそうにぐったりしていたソラちゃんが急に起き上がった。
「そんな、そんなのもらえません。休んだ上にお給料なんて、それに私の個人的な薬までなんて……!」
「いいんだ。遠慮しないでくれ」
「お店潰れちゃいますよ!」
「こんなときでもそのセリフは出るんだな」
ちょっと笑ってしまった。
それから顔を引き締めて、まっすぐソラちゃんに語りかける。
「ソラちゃんよく聞いてくれ。給料ってのはね、今日働いてくれたから渡すものじゃない、明日も来て働いてほしいから払うんだ」
「え……」
「ソラちゃんが体壊して辞められたら俺が困るんだよ。だから渡す。ソラちゃんに健康でいてもらうのも必要経費の内なのさ」
「で、でも……それじゃマスターが損しちゃいます」
「ソラちゃん。たしかにシリウスは他の店より資金に余裕があるが、俺はこれが限界ギリギリの状態でも同じことをするよ。店員に働いてもらう限り、雇っている限り、これは雇用主がなすべき義務だと俺は思う」
これは前世の経験を踏まえた俺の持論だ。
「いい魔道具を買ったらさ、なるべく修理して長く使おうとするだろう。壊れて買い直すほうがお金かかるんだからさ。違う?」
できるだけ柔らかい声で、ソラちゃんに語る。
「だからソラちゃん。遠慮なんかするな。君は風邪を治してまたシリウスに出勤することだけを考えればいい。そのために必要なことは俺が準備するよ」
「マスター……」
ソラちゃんは目を瞬かせると、再びぽすんと馬車の椅子へ横になった。ゆっくりと重たげな声で返事する。
「ありがとう、ございます……甘えちゃいます」
「それでいい」
ぽんぽんと軽く頭を撫でて上げる。するとソラちゃんはスーッと目を閉じて、寝息を立て始めた。
やれやれ、ようやく休んでくれたか。
「まったく、ソラちゃんは若いのに真面目だねえ」
いや、若者というのはいつの世でも真面目なものかもしれない。
◆
それから程なく馬車は『カルガモ亭』についた。ここは西区裏町では珍しく評判のいいちゃんとした宿屋で、宿の主人に俺の身分と事情を明かすとすぐにソラちゃんの部屋を案内してくれた。
ソラちゃんをベッドへ寝かせた後は、医者を呼んだり薬屋へ走ったり、宿の人とあれこれ看病の準備で忙しく動くこととなった。
ソラちゃんが再び目を覚ましたのは、馬車の中で寝入ってから4時間ほどした頃だった。
「……マスター」
「お、ソラちゃん目が覚めたかい?」
ソラちゃんの様子を見ながらりんごを剥いていた俺は、出来上がったうさぎ型のリンゴを皿に乗せて差し出す。
「食欲あるか? リンゴは風邪にいいぞ」
「……いただきます」
はにかむように笑って、ソラちゃんがリンゴを一つ手に取る。
「……ん、甘くておいしいです」
「そりゃ良かった。お医者さんから薬とポーションが出ている。飲めそうなら渡すけど、どうだ?」
「あ、大丈夫です。飲めます」
薬と白湯とポーションを渡すと、ソラちゃんはこくこくと飲み干した。良かった。これで一安心だ。
ソラちゃんがゆっくりとあたりを見渡す。
「私が眠っている間に色々準備してくれたんですね。ありがとうございます」
「ああ、宿の人に部屋を聞いて、医者を呼んで……まあ看病に必要なことはだいたいやったよ。だからソラちゃんは薬を飲んでゆっくり寝ることだけ考えればいい。それともなにか食べるかい?」
「そうですね、少しなら……っ!」
そこで、いきなりソラちゃんが顔色を変えて自分の体を手で確かめるように触った。
「って、わ、私、寝間着!?」
「うん?」
ソラちゃんが顔を青くしてこちらを見る。
「ま、マスター! もしかして私のこと着替えさせましたか? 背中見ました!?」
予想だにしないことを聞かれて吹き出した。
「ごっほっ! そんな事するわけないだろ。宿屋の女の子が着替えさせてくれたよ。俺は当然部屋から出てた」
「あ、なんだ、は、は、よかった〜〜〜」
ソラちゃんが安心したようにへなへなと脱力する。
「よかった、よかった、よかった……」
自分の体を抱えるようにして何度も良かったと呟く。それは単に裸を見られなかったことへの安堵だけではない異常な必死さがあった。
「ま、俺がいたら休まるものも休まらないだろう。ひとまずこれで帰るよ」
「……あ!? すみませんマスター、私ったらお礼も言わず! 今日はありがとうございました」
慌ててベッドの上で姿勢を正そうとするソラちゃんに、そのままでいいと手で合図する。
「いいっていいって。これが俺の役目だって話しただろ。ソラちゃんは心配せず身体を治してくれ。くれぐれも遠慮するんじゃないぞ」
「その、マスター、本当にありがとうございます」
「だからいいって。それじゃ、元気になったらまたシリウスでな」
申し訳無さそうにするソラちゃんを置いて、俺は部屋を出る。ふぅ、と思わず息をついた。
……バレていないだろうか。
当然、ソラちゃんの着替えに俺は関わっていない。ただ、ソラちゃんが隠したがっていることについては知ってしまった。
着替えと診察が終わったとき、医者から言われたのだ。
『病気の方は問題ない。ただの風邪だろう。後で薬とポーションを出しとくから、これを飲んで2、3日休めばすぐに良くなる。ただ……』
『なにか?』
『背中の方に、何かで切り裂かれたようなひどい傷がある。すでに塞がって時間は経っているが、昔の傷じゃあない。君、なにか知っているか?』
『……………いや、なにも』
何も知らない。知らなかった。
俺はソラちゃんのことを、何も知らなかった。
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