第6話 ビールとソーセージ
2年前、魔王討伐祝賀会でのこと。
「冒険者を引退する?」
勇者レオンはあっけにとられた顔で聞き返してきた。強いだけじゃなく顔もイケメンなレオンが口をパクパクさせているのは、ちょっと面白い。
「ギルバート、本気で? 君はSSランクのトップ冒険者……いや、今回の功績で前人未到の
「悪いな、前から決めてたことなんだ」
俺はグラスに口をつけながら答える。よく冷えたビールが実にうまい。
「元々魔王討伐の報奨金をもらったら引退する気だったんだ。もう年だしな。無理がきかなくなる前に戦いから引きたいのさ」
「年って……君の体に衰えなんて無いだろう。そもそも君より強い冒険者なんていないだろうに……」
レオンは心から残念そうに言う。こいつがいい奴だってことは、5年間の旅でよくわかっていた。
「よせやい勇者様。今代の
「僕は瞬間的な火力だけだ。総合的な戦闘力ならギルのほうがよっぽど強いだろ。国王陛下もそれを知っているから、君をもう一人の
なおも言い募るレオンに、俺は肩をすくめた。
たしかに望めば俺は英雄に成れるのだろう。高い地位も給金も、もしかしたら領地だって手に入るかもしれない。
だが、どれも俺には必要ないものだ。俺はスローライフをしたいのだ。働きたくないのだ。
「あいにく、宮仕えは嫌いでね」
「そうか。いや、君らしいな。それで引退したらなにをするんだい? のんびり気ままに暮らすのか?」
「実は喫茶店を開こうと思ってるんだ。王都の裏町にさ」
「喫茶店か、それはいい。ギルの作ってくれるコーヒーも料理も素晴らしかった。旅の楽しみだったよ」
「勇者に褒められたら俺も安心だな。暇ができたら俺の店に来てくれ。うまいコーヒーをごちそうするよ」
「……ああ、行く。かならず行くよ。だから店ができたら、必ず連絡してくれ」
レオンは最後まで寂しそうな顔をしながら、俺と固く握手を交わしてくれた。
◆
「…………」
俺はのそりとベッドから身を起こす。
なつかしい、夢を見た。俺の冒険者として最後の記憶。仲間と栄光を分かち合った輝かしい日々。ほんの二年前のことなのに、まるでずっと昔の出来事のようだ。
それだけ今の平和な暮らしが当たり前になったということだろう。
首をめぐらして時計を確認する。針は正午を回っていた。
「あちゃ〜、もう昼か」
ロワール王国は比較的文明水準の高い国だ。全体としては産業革命後のヨーロッパという印象だが、ところどころ魔法を使った魔道具によって現代さながらの機器が使われていたりもする。
おかげでこの世界には冷蔵庫もあるしキッチンにはすぐ火の点くコンロもある(全部魔法だが)。テレビやスマホはないが新聞や本はあるし、のんびり過ごすには困らない場所だ。
背中を伸ばしてパキパキと骨を鳴らす。
「うーん今日はソラちゃんもいないし、もう店は休もう。そうしよう」
最高に自堕落なことを呟きながら、俺は寝具を片付け着替え始めた。
◆
自宅から町に出た俺は、近所の酒場『月影亭』に向かった。
店に入ると顔馴染みの店員が声をかけてくる。
「あれ、ギルバートさんじゃない」
「よ、リコちゃん。店開いてる?」
「開けてるけどさ〜。こんな昼間から飲む気?」
「はっはっはっは」
「もー、ダメオヤジ」
『月影亭』は酒も飯もうまいが、何より安心して飲めるのがいい。
俺の住んでいる町は『はきだめ横丁』なんてあだ名されるくらい治安が良くないので、飲む店にも気を使うのだ。
その点月影亭は一番安全な店だった。どうやったのか知らないが、店主のゼノンさんがはきだめ横丁すべての顔役に筋を通してこの店を不戦地帯にしたのだ。店の中ではケンカ、暴力厳禁。破ったものには相当のペナルティが課されるという。俺がはきだめ横丁に住み始めて2年経つが、この掟を破ったやつは見たことがない。どんな荒くれ者でもこの酒場では行儀よく飲む。
看板娘のリコちゃんが俺の分のジョッキを持ってくる。
「ほい、ビール。あとこれ店長がおつまみだって」
「ありがとな」
ソーセージとポテトのシンプルなつまみがありがたい。まずは冷えたビールを流し込み、それからソーセージをかじる。
「うまい! さすがおやっさん」
「お世辞言うんじゃねえよ」
厨房の奥で働いている初老の男、ゼノンがぶっきらぼうに返事する。
「お世辞じゃないよ。マジでうまい」
「へっ、安酒場のつまみになに言ってやがる。だいたいお前ならこれくらい簡単に作れるだろ」
「うちは喫茶店だからな。つまみは置かないよ」
「そうだった。しかし今日店はどうした? 定休日じゃねえだろ?」
「昼まで寝過ごしちまってさ。めんどくさいから休みにした」
「それでこんな店で酒飲んでるってか。人生の達人だな」
ゼノンはそう言って呆れたように肩をすくめた。
「まったくはきだめ横丁にカフェなんて小洒落たもん作りやがって」
「はっは、おやっさんはコーヒー飲まないからな」
「当たり前だあんな苦くて高いもん」
そう言ってゼノンは鼻を鳴らす。この国ではコーヒーはまだまだ定着してないのだ。
「……にしてもお前の店、不思議と飯はうまいんだよな。どこかで修行したことあるのか?」
「いんや独学だよ。見様見真似さ」
「それにしちゃあいい腕してる。たいしたもんだ」
ゼノンは頑固一徹の職人肌でお世辞を言わない。その彼が褒めるなら本当にうまいと思ってくれてるのだろう。
冒険者時代、強力な魔物を倒したときの称賛より、ゼノンの言葉は嬉しかった。
「そりゃどーも。おやっさんに認めてもらえるなら安心だ」
「へっ、ひよっ子が言いやがる。休むのもいいが腕錆びつかせるんじゃねえぞ」
「大丈夫さ」
俺は仕事にはやる気がないが、コーヒーと料理には手を抜かない。それは俺なりのこだわり……というか趣味だ。
ゼノンがふん、と鼻を鳴らす。
「ま、俺よりうまい飯作る料理人にイキってもしょうがねえな。……他に注文は?」
「ああ、串焼きとニシンの酢漬けを頼む」
「あいよ」
こうして俺は昼間からのんびり飲むという最高の休日を過ごした。
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