第5話 はじまりのカフェオレ 後編
深々と頭を下げるソラさん。俺はあまりの必死さに少々面食らっていた。
正直うちみたいな場末の喫茶店は、若者が必死になって働かせてくださいと頼み込むような店じゃない。
あらためて、冒険者時代の思考も思い出しつつソラさんを観察する。
来ている服は安物ではあるものの清潔だ。だがどこか着慣れていない様子が見受けられる。まるで急いで服を着替えたようだ。
他に行くところがないという発言からして、お金も宿もないんだろう。王都の、しかもはきだめ横丁周辺では珍しくもないが、こんな十代の少女が帰る家もないというのは異常だ。
だいたい親はどうしているのだろう。冒険者目指して一念発起田舎から出てきた……というふうにも見えない。
『……なにか事情がありそうだな。ただの家出とかでも、なさそうだ』
ソラさんの肩が、小刻みに震え始める。
――しまった。俺が黙って観察していたばっかりに、不安がらせてしまったかもしれない。
なんとか落ち着いてもらうには……と考えて。
「そうだソラさん、ちょっと待っててくれる?」
「え……?」
俺は一度席を立つと、カウンターに回ってコーヒーを入れる準備をした。
「ソラさん、コーヒーって飲んだことある?」
「あ……あの、すみません。まだ無い、です」
「無いよねえ。王都でもまだ珍しい飲み物だからさ。この西区裏通りでは、出してるの俺の店だけだよ」
ケトルを火にかけお湯を沸かし、その間に深煎りのコーヒー豆を挽く。
俺お手製のコーヒーマシンもあるが、今日はドリップで淹れたい気分だった。コーヒーを抽出しながら、別のコンロでミルクも温めておく。
抽出した濃いめのコーヒーと、ホットミルクを合わせる。本当はやらないんだが、今日は砂糖も加えた。
「よし、と完成だ」
ソラさんの前へ、湯気の立ち上るマグカップを置く。砂糖の小瓶も一緒に。
「うち自慢のカフェオレ。飲んでみてくれ。まだ苦いかもしれないから、お好みで砂糖もどうぞ」
「あの、私、お金……」
「お代は結構だ。働く前にうちの商品を知ってもらいたいっていうサービス心だよ」
「す、すみません。いただきます」
ソラさんがマグカップを手にとって、ふーふーと息を吹きかける。それからゆっくりと口をつけた。
「……おいしい」
この店に来て初めて、彼女の表情がゆっくりとほぐれる。
良かった。たとえバイトの応募とはいえ、うちの店に来たからにはリラックスしてほしい。
「あの……、これとってもおいしいです店長さん。あたたかくて、ほっとする味です」
ソラさんが微笑して言う。やっぱり笑うと破壊的なくらい魅力的だった。先程までの緊張も解け、年相応の表情が覗く。
「それはよかった。マスター冥利に尽きるね」
「マスター?」
「ああ、俺の前いた国では、喫茶店の店長のことをそう呼ぶんだ」
「マスター……いいですね」
ソラさんはちょっと笑って、それから真剣な表情になった。
「マスター、私このお店で働きたいです。がんばって仕事覚えます。だからどうか、雇ってください」
そう言って頭を下げる。うーん、まだ少ししか話してないがいい子そうだ。
『……どうしたものかな』
とはいえ明らかに訳アリの様子。俺が手を差し伸べていいものかどうか。
本来なら彼女の家を聞き出して帰すのが一番なんだろうが、素直に話してくれるとは思えない。それに本当にもう実家がない可能性もある。この世界では、残念ながらよく起こることだ。
治安や文化が一部近代以前のこの世界では、人を襲う魔物も強盗も平然と存在している。
ここが日本なら警察に保護してもらったりするんだろうが、残念ながらこの世界の警察は犯罪の取り締まりはしても一般人を積極的に保護したりはしない。
何よりここは『はきだめ横丁』だ。俺がここで断った場合、彼女がもっと薄暗いところへ転がり込んでしまう可能性は十分にある。
長い目で見て、短絡的な救済がいいことかどうかはわからない。ただこの世界での俺は、目の前で困っている人がいたらとりあえず助ける主義だ。
「いいよ。決まりだ。君を雇おう」
「え!?」
ソラさんがぱっと顔を上げる。断られると思っていたのか、その顔にはありありと驚きが浮かんでいた。
「い、いいんですか?」
「ああ。これからよろしく、ソラさん。いつでも都合の良いときに来てくれ。もしお金が必要なら、さっそく今日働いてみるかい?」
「そ、それはありがたいですけど……本当に?」
「もちろん。もっとも今日は研修……見習いがメインになる。ああ、給料はしっかり出すよ」
試用期間だから給料下げる、なんてケチなことはしない。
「あ、ああ……あの、助かります! 本当にありがとうございます!」
感極まった表情でソラさんが何度も頭を下げる。
何やら、大変な事情があったんだろうなと察する。
少しでも力になれるといいんだが……いやよそう。中年のおっさんが若い子を助けるなんて思い上がっちゃいけない。頼られたらちょっと手を貸せばいいのだ。
「ああそれと一つ、働くうえで心得ておいて欲しいことがある」
「はい、なんでしょう!」
やる気満々、といった表情のソラさんに俺は苦笑する。うーん、こんな働き者の子、うちで雇うのは申し訳ないな。
「なるべくやる気を出さないでくれ。この店では手を抜いて仕事をしてほしい」
「……………………………………はい?」
その日、一番あっけにとられた表情でソラさんは首を傾げた。
◆
初めて出会った日のことを思い出しながら、俺はゆっくりとコーヒーをドリップする。
立ち上る香りがかぐわしい。コーヒーはやっぱりいいな。
「なんですかマスター、ニヤニヤして」
するとソラちゃんがジトーっとした目で見てきた。おっといけない。怪しいおじさんになっていたか。
「なんでも。そういえばソラちゃんへ最初に出したのも、カフェオレだったなって」
「ああ……。は〜あ、あのときはこーんなやる気ないマスターだったとは思わなかったな〜」
「楽でいいだろ?」
「楽がいいとかじゃないんです! 私のやる気を返してください!」
「はっはっはっは」
「また笑ってごまかす! ふん、私がいなきゃこの店はとっくに潰れてますからね。感謝してください」
「もちろん。ソラちゃんに働いてもらえて助かってるよ。これからもよろしくな」
カフェオレをソラちゃんの前に置く。ゆっくりとそれに口をつけながら、彼女は言った。
「……もう。そう思うならもうちょっと真面目に経営してください。この店が潰れたら困るの私なんですから」
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