第2話 クリームソーダ
今日も喫茶店『シリウス』は開店休業状態。閑古鳥が合唱している。
俺はカウンターの中でのんびり新聞を読んでいた。
ソラちゃんは申し訳程度にお盆を持って立ってくれてるが、明らかに手持ち無沙汰そうだ。
「暇ですねえ……」
ため息みたいにソラちゃんが言うので、読んでた新聞から顔を上げる。
「忙しくなくて結構じゃないか」
「マスターはなんでそんなのんびりしているんですか。一人もお客さん来てないんですよ。このままじゃお店のピンチですよ」
ぷくっと片頬を膨らませてソラちゃんが言う。うむ、かわいい。
「ま、うちは立地も悪いからな。俺にやる気がないのは認めるが、どのみちこんなもんだよ」
「そこです! なんでこんな西区の裏通りなんて場所でお店開いてるんですか?」
「こんな場所とはご挨拶だな。まあその通りだが」
王都は国王の住む王宮を中心にして円形に広がっている。基本的に王都の中心ほど治安はよく町も栄えていて、外縁部に近くなるほど住人のレベルも治安も悪くなる。
なかでも俺の店があるこの王都西区裏通りは、もっとも治安の悪い場所だ。はっきり言ってスラム街と大差ない。ついたあだ名が『はきだめ横丁』だ。
はきだめ横丁は、『まともな店は無けりゃまともな客もいない』とまで言われている。王国の法律すれすれ、どころか違法真っ黒の店さえ軒を連ねている場所だ。
王都の中央通りが正規ギルドに所属している店で作る『表通り』とするなら、この裏町はまさに王国の闇側を集めた『裏通り』なのだ。
俺の喫茶店は真っ当な店だ。もし普通に客商売するなら、表通りに店を構えた方が良いに決まっている。
ならなぜ裏通りを選んだか。
理由はもちろん、お客に来てほしくないからだ。俺は忙しく働きたくない。
だがそんなことを言ったらさすがにソラちゃんに怒られそうなので、あらかじめ用意していた言い訳を使う。
「裏町だって悪いことばかりじゃないぞ。何しろ家賃が安い。この店だって、大きさからしたら破格の値段で売りに出されていたから俺でも買えたんだ」
「むう、まあ予算と相談してっていうのはわかりますけど……」
ソラちゃんは俺の言い訳に不満そうながら納得してくれる。
この店の建物は、もともと小さな宿屋だった。低ランク冒険者でも泊まれるリーズナブルな宿だったが、主人がどうしても店を手放さなきゃいけないことになり、俺に格安で譲ってくれたのだ。
2階建てだが、上の階は俺が自宅として使っている。喫茶店『シリウス』として営業しているのは1階部分だけだ。
王都表通りの人気カフェみたいな広さはないが、一人で切り盛りするにはちょうどいいスペースだと思っている。
「でもそれでお客さんが来なかったら意味ないじゃないですか」
「はっはっはっは」
「も〜〜〜〜〜!」
なんて、ソラちゃんと雑談していたときだ。
カランコロンと入口のドアベルが鳴った。ソラちゃんがぱあっと明るい笑顔で振り返る。
「いらっしゃいま――――」
その挨拶と笑顔が、途中で固まった。
禍々しいオーラが扉からあふれ出している。
「こんにちわー」
ぞぶ、ぞぶ、ぞぶ。
扉から覗くのは死人のように真っ白な髪に、血のように赤い瞳、そして禍々しいオーラ。
引きつった笑顔のまま固まるソラちゃんに代わり、俺が返事する。
「よ、コハクちゃん。どうぞ入って」
「えへへ、お邪魔、します」
ぬるり、という表現が似合うような動きで長身の美女が入ってきた。豊かに発達した胸部に対して、腰が異様にくびれている。まるで内臓が入ってないかのようだ。それもまた、スタイルの良さよりも彼女の異質さを際立たせる。
彼女の名はコハク。近所の呪具屋『カンタレラ』のオーナーだ。呪われた商品しか扱わないという尖り過ぎたコンセプトを持つ道具屋で、コハク自身も呪いが大好きという変人である。
変人だが同時に、最近うちの店によく来てくれる大切なお客さんでもある。常連候補、ってとこか。
しかしよく来てくれてるとはいえ、ソラちゃんはいまだに彼女に慣れないらしい。
ま、それも仕方がない。
うっかりでもコハクに触れるとガチで呪いがかかるので、大抵の人間はソラちゃんみたいな反応になる。俺は気にしてないが。
国家級の呪詛でも俺は死なないしな。
コハクは俺の目の前にあるカウンター席へ座った。
そして少女のようにはにかむ。
「へへ、今日もマスターに会えて嬉しい」
「そりゃ良かった」
「三日くらい前も来たんだけど、お店休んでたよね?」
「ああその日は昼まで寝坊しちまってな、めんどくさいんでそのまま休みにした」
「わ〜、ダメ人間〜」
なぜだか嬉しそうにコハクは笑う。
ようやくフリーズから自己解凍したソラちゃんが、おずおずと話しかけた。
「あ、あの、ご注文、どうされますか」
振り返る、というよりぐりん、と首ごと回すような動きでコハクがソラちゃんを見る。ソラちゃんが「うひっ」と思わず悲鳴を漏らして青ざめた。
だが逃げ出しはしなかった。えらいぞソラちゃん。
「私あれ好き、くりーむそーだ? ってやつ」
「は、はい、クリームソーダですね。しょ、少々お待ちください」
青ざめながらもなんとかお辞儀をしてソラちゃんはカウンターにやってくる。お水とおしぼりを持って再びコハクのもとへ向かった。
「ど、どうぞ。お水とおしぼりです」
「ありがとー」
「い、いえ」
冷凍庫からアイスを取り出しながら俺はぼやく。
「まったく、ここはカフェなんだからコーヒーもたまには頼んでくれよ」
「えーー、いいじゃない、好きなもの頼んで」
グラスに氷を入れて、メロン蜜を注ぐ。ソーダを注いで軽くかき混ぜ、なじませてから上にバニラアイスとさくらんぼを乗っけて完成だ。
カウンター越しに提供する。
「おまたせ。クリームソーダだ」
「きたきたー」
童女のように無邪気な笑みを浮かべて、コハクがさっそくてっぺんのアイスをつつく。スプーンでひとすくいし、口にいれる。
「う〜ん!! あまーい、おいしー」
アイスを食べて喜ぶ姿は無垢そのものだ。とても呪われた武器屋の店主には見えない。
ストローでソーダを啜ったコハクが、再び破顔する。
「うーん、ソーダもおいしー。さわやか〜。マスター天才〜」
「ありがとよ」
「夏はやっぱりこれだねー」
「今年の夏は暑いからなあ」
こっちの世界も日本と同じように四季がある。王都の夏は日本ほどじゃないがそれなりに暑かった。
「ほんと今年は暑いよね。まあうちのお店、年中冷えてて涼しいんだけど」
「そりゃ呪いのおかげか? 便利なもんだな」
「あはは、そんな反応するのマスターだけだよー」
コハクがケラケラと笑う。
「はー、シリウスはいいなあ。涼しいし、クリームソーダはおいしいし、毎日でもここ来たい」
「別にいつでも来ていいんだぞ」
「うーん……ありがとね、マスター」
それまで楽しそうに笑っていたコハクの顔に、ほんのり影がさす。
「どうした?」
「……毎日来たいっていうのは本当だよ。でも、さ。私が頻繁に来るとこの店に呪いがついちゃう可能性あるから」
以前彼女から聞いたことがある。
この王都で、コハクはほぼすべての店から出禁になっているという。理由はもちろん彼女の呪いを纏う体質のためだ。例外は俺の喫茶店『シリウス』だけ。
呪具屋を経営してるのも呪いが好きなのもすべて本人の意思だ。だから気にしていないと彼女は言う。
飲食店は客商売だ。だから自分が嫌われるのは仕方ないことだと。
どうしようもないことだと。
だが、俺の考えは違う。
「関係ない。好きに来い」
そう言うとコハクはキョトンとした。
「え……でも……いいの?」
「安心しろ。俺も呪いにはそれなりに耐性がある。店へむやみに呪いを定着させるようなことはしないし、他の客に迷惑かけるようなこともしない。対処法は心得ているんだ。だから気にせず来い」
「でもでも、私なんかが常連だと。普段のお客さんも寄り付かなくなるかもしれないし……」
「はは、勘違いしてるぞコハク」
「え?」
「俺は働きたくないんだ。大勢の客には来てほしくない。だからコハクがいるのはありがたいんだ」
「はえ?」
コハクがびっくりしたように目を丸くする。
「マスター、それはどうなんですか」
じとーっとした目でソラちゃんも見てくるが、気にしない。
「だからコハク、遠慮せず毎日来てくれ。そしたら俺の仕事が楽になる」
コハクは真っ赤な目をまんまるに広げた後、手を叩いて爆笑した。
「あは、あははははは。お客さん来てほしくないなんて、そんな店長いる?」
「俺は大真面目だぞ」
「あはははははは。ふふ、マスターって、おもしろいね」
涙を浮かべるほど笑った後、静かにそう彼女は言う。
「……ありがと」
そしてストローに口をつけゆっくりとクリームソーダを飲み始めた。
◆
「今日もおいしかったよマスター。またね」
「はいよ。またいつでも来てくれ」
それから、しばらく世間話をした後、コハクは帰った。
コハクがいる間、新しい客は一人も来なかった。うむ、やはり彼女はいい。
これからもちょくちょく来てもらいたい。
カランコロンとドアが閉まる音を聞いてから、ソラちゃんが俺のそばに寄って頭を下げた。
「マスターその……ごめんなさい。コハクさん相手にちゃんと接客できなくて」
おおっと。
俺は気にしてなかったのにソラちゃんは真面目だな。
「いいんだよ。あの呪者のオーラってのは誰もがビビるもんだからな。逃げ出さなかっただけ偉いぞ」
「その、マスターはすごいですよね。コハクさんみたいな人も普通にお店に入れて」
「別にすごかないさ」
コハクは好き勝手に呪いを周囲に振りまいているわけではない。
むしろ彼女は最大限努力して抑え込んでいる。人に迷惑をかけないよう、意図せず呪ったりしないよう気をつけている。
それでも周囲からは疎まれ敬遠されてしまう。
だったら一軒くらい、彼女が好きに入れる店があってもいい、そう思っただけだ。
「普通の人ならコハクさんのオーラだけで倒れちゃいますよ。それを接客どころか世間話まで……信じられないです。」
「うーん? 俺はまあ、人生の年季が違うからな」
「絶対そんなのでどうにかなるわけないじゃないですか……」
そこで急に、ソラちゃんが俺のことをジーッと見てきた。
「マスターって、何者なんです?」
「なんだ、ようやく中年男の魅力に気づいたか?」
「ちがいますー、そんなんじゃないですー。ちょっと気になっただけです、フン。からかうんならもういいです」
そっぽを向いてしまう。あらら、すねさせてしまった。
「悪い悪い。でも俺なんて、ただのしがない喫茶店のマスターだよ」
今は、それでいいんだ。
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