3章 裏③

3日目


 コンスルの屋敷を出て表通りを歩く。途中、馬車を捕まえて目的地へ向かうことにした。


 深く、肺の底まで空気を吸い込んで一気に吐き出し、ぐるぐると渦巻く頭の中の混沌を整理していく。


 ゴードン氏が遺した短編の下に書かれたもう一つの文章。殺していない、あれは事故だ、と不穏な言葉の数々。何かの事件に巻き込まれたのだろうというのは容易に想像ができる。ゴードン氏は何の事件に巻き込まれたのか、一体何を伝えたかったのか。それを知ろうとエリックの依頼を降りて飛び出した。


 それからノエルはこれから向かう目的地、古巣のリコット新聞社のことを考えてため息を吐く。過去の事件を知るならここしかないと思ったがやはり気が重い。


 記者としての才能が全くなかったノエルが逃げるように退職した。元同僚たちがどう思っているかはわからないが少なくともノエルには負い目があった。


(そもそも協力してもらえるだろうか)


 かつての同僚たちの顔を思い出す。あの人なら話くらいは聞いてもらえるはずだ。そう思っても不安が拭いきれなかった。


◇◇◇


 馬車が速度を落とし、ゆっくりと停車する。馬車を降りて運賃を支払う。背中で走り去る馬車の車輪の音を聞きながら目的の建物を見上げる。


『リコット新聞社』


 堂々と掲げられた看板を見てドドドと心臓の鼓動が速くなる。肋骨の中心、心臓の上辺りを親指でゴリゴリと刺激して張ったような痛みを払う。ふうーっと息を吐き、踵を返して別の方向へ歩き始める。


 逃げたわけではない。ただ心臓を落ち着けたいだけだ。いつも以上にゆっくりと歩いて心臓に落ち着け、と命じる。当然そんなことでは落ち着くはずもなく結局建物の周りをぐるりと一周してしまった。


 もう一度建物を見上げて覚悟を決める。早足で入り口に近づき、勢いのままに扉を潜る。


 久しぶりや懐かしいという感覚より、そういえばここから入ったことはあまりなかった、などと考えていた。


 ロビーには何人か人がいた。立ち話をしているもの、おそらく誰かを待っているもの、と様々。ノエルはその間を抜けて受付へ向かう。幸いにも受付に立つ女性は顔見知りではなかった。


「すみません」


「はい!どうされましたか?」


「アリアナ記者とお会いしたいのですがお願いできますか?」


「どう言ったご用件でしょうか」


 ノエルは少し考えて


「以前ここに勤めていた時に色々とお世話になったのです。色々とお話ししたいことがあるのですが…ノエルと言っていただければわかると思います」


と頼んでみる。女性は人差し指を顎に当てて考えるような素ぶりを見せ


「わかりました。少々お待ちください」


と言って奥の扉から中に入っていく。


 少し離れてアリアナを待つ。会いにきてくれるだろうか、忙しいだろか、と考え始めた頃にアリアナは現れた。


「驚いた。本当にノエルじゃない」


 自然に振る舞おうとするが引き攣った笑顔になる。


「お久しぶりです。アリアナさん」


 ノエルは頭を下げて挨拶をする。アリアナは相変わらずのようだ。肩まで伸ばした黒髪に細い切れ目、それと女性にしては高い身長。少しばかり肉づきが良くなった気がするが気のせいだろうか。


「あなたのことだから遊びに来たとかそんなのじゃないんでしょ?あっちにいこましょうか」


 推し量るような目で言ったアリアナは近くの扉を指差す。その扉をくぐり、隣の部屋に入る。部屋にはテーブルがいくつか置かれ、それぞれが木の板で区切られている。その中の一つに入ってアリアナとノエルは向かい合って座る。


「それで?どうしたの?」


 実は、と話しながら視線を下げた時、アリアナの左手の薬指で輝く指輪が目に入った。


「ご結婚されたのですか?」


 そう尋ねるとアリアナは指輪のはまる薬指を愛おしそうに撫でる。


「そうよ。一年前にね」


「そうでしたか。おめでとうございます」


 ノエルは頭を下げながら祝辞を述べた。


「ありがとう。だから今は記者としての活動はほとんどしてないの。新人の教育が今の私の仕事」


 ノエルは少し驚く。


「ずっと現役の記者でいたいと言っていたのにどうしたんですか?」


「人は変わるものよ。結婚して色々変わったの」


 そういうものですか、とノエル。そういうものよ、とアリアナ。


「そういうあなただって少しは変わったんじゃない?」


「そうでしょうか?自分ではわかりませんが」


「今は探偵だっけ?調子はどうなの?」


「残念ながら探偵としての才も商売の才もなかったようです」


「あら?辞めちゃったの?」


「いえ、まだ細々となんとか」


 ふーん、とアリアナ。


「ということは今日は探偵としてやってきたのかしら?」


「ええ、一応。半分は」


「ふふ、何それ。それで?そろそろ聞かせて」


 ノエルはゆっくりと頷く。


「ゴードンという名の魔術師が巻き込まれた事故か事件が知りたいのです」


「ゴードン?聞き覚えがないわね」


「多分20年から30年ほど前の話です」


「随分と広いわね。それに30年前、見つかるかしら。もう少し絞れない?」


 ノエルは少し悩む。20から30年前というのもノエルの読みだ。ゴードンが隠して書いたことからおそらくコンスルが生まれる前、もしくは生まれてすぐという考察だ。そこからさらに絞るとなると


「では25から30年前でどうでしょう?」


と提案してみる。


「うーん。まあ、色々聞いてみるわ。見つかるかどうかはわからないけど。その間、あなたはどうするの?」


「そうですね…向かいのカフェにいます。サンセット、でしたっけ?」


「『サンスセット』ね。わかったわ」


 アリアナは立ち上がる。じゃあ探してくるわ、と部屋の出口の方へ向かう。


「ねえノエル」


 ノエルが振り向いたのを見てから


「面白そうなことなら詳しく聞かせてね」


と言ってそのまま部屋を出て行った。

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