3章 裏①

コンスル宅:2日目


 コンスルの屋敷の庭。魔術師達が実験を繰り返す中、ノエルは一人暇を持て余していた。


 魔術を発動しようとしては失敗する。それを何度も繰り返し、あーだこーだと話し合っている。その議論を少し離れたところで眺めているだけのエリックとゼオルも興味深そうにその光景を見ている。


 しかしノエルにとっては退屈以外の何者でもなかった。起こっていることもわからなければ議論の内容もわからない。ただただ同じことを繰り返しているようにしか見えなかった。


 何かできることはないかと探したが何もない。せめて会話でも、と思うがあがる話題は魔術ばかり。ノエルは黙って聞いているフリをする以外なかった。


 心地よい日光、爽やかなそよ風、訪れるのは眠気ばかり。なんとか耐え続けていたが何度目かの欠伸を噛み殺した時、立ち上がることを決めた。


 抜け出して屋敷内に戻る。


 飲み物をもらいたい、そう思ってニコルを探す。


「どうかされましたか?」


 ニコルの方から声をかけられる。


「すみません、喉が渇いてしまって」


 ニコルは頷いて


「でしたら広間でお待ちください。お持ちいたします」


とキッチンの方へ向かう。


 ノエルは広間の端の席に座ってニコルを待つ。


 窓からは庭で実験を繰り返すコンスルたちの姿が見えていた。それを眺めていると広間の扉が叩かれ、ニコルが入ってくる。


「お待たせしました、ノエル様。柑橘類を絞ったフレッシュジュースです」


 ニコルがノエルの前にグラスを差し出す。何かを思っていただけではないがノエルはニコルの顔をじっと見つめてしまっていた。


「お気に召しませんでしたか?」


 問いかけられてしまった、と思う。


「いえ、ただ…様をつけて呼ばれるのに慣れていなくて。他の方と同じように話してもらえたら、と」


 うーん、とニコルは頬をかく。


「ならノエルさんと呼ばせていただいてもよろしいですか?」


と伺うように。


「もちろんです。ありがとうございます」


 いいえ、と言ってニコルは笑う。


「それで…魔術の方はどうですか?私は魔術に疎いのでどうなっているのかわからないのですよ」


「残念ながら私もです。何が起きているかさっぱりで」


 そう言ってノエルは肩をすくめる。


「エリックの友人というのでてっきり詳しい方だと思ってましたよ」


「いいえ、本当に全くですよ。短編の解読のために連れてこられたのでああやって魔術の実験になってしまえば役立たずです」


 二人は笑い合いながら窓の外に視線を向ける。


「そういえば…気になっていたのですがこのお屋敷にはニコルさん以外に勤めてる方はいないのですか?」


「ええそうです。少し前まではもう一人いたのですが辞めてしまいましたので今は一人です」


「大変ではないですか?この大きさのお屋敷を一人で管理するのは」


「大変ではありますが私一人になってからは使っていない部屋の掃除の頻度を下げていただいたりしてますので手が回らないということはありません。それに…」


 ニコルは再び窓の外に目線を向ける。


「ゴードン様には恩があります。もちろんコンスル様にもですが。ですから出ていけと言われるまで私は辞めませんよ」


とニコルは照れくさそうに笑う。


「恩、ですか」


「ええそうです。16かそこらの何もできない世間知らずの私を破格の賃金で雇っていただきました。それからは何度も叱られましたが根気強くご指導いただきました」


 ニコルは懐かしそうに語る。


「あの頃は母が病気にかかってしまっていて、とにかく稼ぎが必要だったのですよ。本当に感謝しても仕切れません」


 力強くニコルは言った。ノエルは笑顔を見せながら深く頷いた。


「それは大変な幸運でしたね」


「幸運…そんな言葉では言い表せないほどですよ」


 鋭い瞳でどこか遠くを見ているニコル。


「思えばその頃は私一人でしたから今はそれほど大変ではないのかもしれません」


 そう言って笑う。


「ここに勤め始めた頃も一人だったのですか?ニコルさん以前に勤めていた方はいなかったのですか?」


「ええ、私が勤め始めた頃は他に誰もおりませんでした。何でも…」


 ここまで話してニコルはしまった、という顔をした。


「どうかしましたか?」


「いえ、あまり人様にする話ではなかったな、と。すみません」


 そうでしたか、とノエルは相槌を打って


「すみません、変なことを聞いてしまって」


と謝罪した。ニコルは、とんでもない、と言ってかぶりを振る。


「さて、私はそろそろ仕事に戻ります。飲み終わったグラスは置いておいて下さい。後で片付けますので」


「わかりました、ありがとうございます。お仕事の邪魔をしてしまってすみませんでした」


「いいえ、あの調子ですと昼食もいつになるか分からないくらいなので」


 窓の外を見ながら肩をすくめる。


「あ、ニコルさん。置いたままになってる机の上の封筒は…」


 指を指して尋ねると、ああ、と言って


「あれならゴードン様が残された短編小説の原本ですよ。汚さなければ好きに見ていいそうです」


と答えてニコルは、では、と言って退室していった。


(エリックが昨日借りていたものか)


とノエルは合点した。


 広間に一人となったノエルはフレッシュジュースに口をつける。爽やかな甘みが口いっぱいに広がり、後からキリリとした酸味がやってくる。


 美味しい、小さく呟いて息を吐く。


 味わいながら飲み進める。そして最後の一雫が口の中に滑り込む。


 それを飲み込んだノエルは、はあ、と感嘆と名残惜しさが混じったため息を吐く。


 正面の壁、そこから視線を下げたノエルの視界にあの封筒が入り込んだ。

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